80話 越境
次の日である。マナが回復した防人はジープに乗って、橋の上まで来ていた。サハギンの死体は見えず、線路も橋も壊れている様子はない。蛟が暴れまわったりしていないか不安だったが大丈夫そうだ。
軍用ジープにはサングラスをかけたおっさんが似合う。なのでハードボイルドな俺はきっちりとサングラスを掛けている。黒ずくめにサングラス。おっさんの外見は少し怪しいかもしれない。でも、ハードボイルドはサングラスだと思うんだ。
というわけで、サングラスを外しながら、俺は辺りを見渡すが、あのでかい蛇の姿が見えない。
「コウの姿が見えないな」
あの図体に少しだけ目立つかもしれないキラキラした姿。レアな魔物だと言って倒されたりしそうで、俺たち以外に目撃者がいると少し困るかもしれない。川に近づく奴はいないとは思うんだけどな。もしも目撃者がいたら、謎のオブジェのフリをしていてほしいです。
『あれじゃないですか、防人さん』
ふよふよと浮いていた雫が指差す先。線路が反対岸まで続く光景。サハギンはまったくおらず、線路脇にグデンと寝そべっている蛇がいた。体長30センチ程度の小さな蛇だ。クリスタルガラスでできた蛇の形をしたオブジェだと言われても疑問に思わないだろう。たぶん50メートルの蛇のオブジェよりは遥かにマシだろう。
「やけに小さくなったな。マナ切れか、もしかして?」
自動回復じゃないのかぁ。あの力は素晴らしかったんだが。もうエネルギー切れか?
『本来は自動回復のはずですが……おかしいですね。ステータスはどうなっていますか?』
雫の言葉に、コウのステータスを確認するが昨日と変わらない。その姿はえらい変わりようだが。
「昨日と変わらないな。んんん?」
近づいて、掴もうとするとこちらに気づいたのか、コウはクリスタルの瞳を向けてくる。
「ちーちー」
チロチロと舌を出して、ハツカネズミみたいに可愛らしい鳴き声をあげるコウ。なにこれ、ちっこいんだけど?
「ヤバい。俺、犬派で爬虫類系って、可愛らしく思わなかったのに、こいつ可愛いぜ」
『そうですね。お手』
「手はないです」
蛇だぞ。首を傾げて困ってるじゃんね。チロチロと舌を出して俺をつぶらな瞳で見てくるコウの頭をそっと撫でる。クリスタルを触るようなすべすべの感触が手に感じられた。
「ち〜」
「可愛いな。でも、これだけ小さいと簡単にやられそうだよなぁ」
『凝縮されているので、硬いとは思いますが……これ、活動範囲とかどうなっているんでしょうか?』
コテンと首を傾げて不思議そうにする雫。どうやら雫でもわからないらしい。
『本来とは違う仕様に変化しましたからね。防人さんのおかげで』
嬉しそうな表情で、俺の顔を覗き込むように言ってくる雫さん。俺のせいなのかよ。まぁ、ドンドコマナを入れたからな。想定と違うことになっちまったか。
「コウ、お前、この橋から移動できる?」
元は範囲1km範囲を縄張りとして活動できるというシステムだ。水晶が身体に融合した今はどうなるんだろう?
コテンとコウは頭を傾けると、フリフリと横に振る。どうやら、移動できないようだ。仕様は変わらないのか?
『水辺から移動したくないです』
なるほど? 何やら、思念が入ってきたけど雫さん?
ふよふよと浮くパートナーへと顔を向けると、珍しく驚いていた。コウが思念を返すのは想定外みたいだな。そして、俺と雫だけ聞こえるのかな?
『恐らくはそうかと。私たちだけが聞こえるのでしょう。思念での会話。元々、人間と同様の知性を持つボス魔物です。会話をできても不思議ではありません。注意すべきは、美少女への人化でしょう』
腕組みをして、うんうんと頷く雫さん。その心は人化だけが気になる模様。そこだけ気にされても困るんだが。
だが、会話できるのは助かるぜ。蛟は水辺から移動したくないと。まぁ、どこかの美少女が森林で酷い目にあわせたからなぁ。無理もないか。
「それじゃ、橋にいる? この橋は重要拠点だから守ってほしいんだけど?」
『大丈夫です。守護します。手に負えない敵が現れたら隠れますか? 現在、私の縄張りはサハギン以下が出現しています。それ以上は確認できていません。倒したらその死体はどうしますか? 食べて良いですか? 体格は昨日と同じにしますか? この身体の場合、小回りがきいて、物理攻撃が低いですが、隠蔽能力は高いです』
少し機械的な言語だけど、お喋りな子だこと。
「手に負えない魔物は隠れて連絡。人間の場合は全て隠れてくれ。サハギンはコアと槍を残して、あとは好きにしてくれ。体格はピンチでなければ、その大きさで頼む。体格は変更可能なのか?」
『体格の大きさの変更は10秒ほどかかります。その場合は動けないので、注意が必要となります。他は了解しました』
なるほどなぁ。性能良すぎだよな、この蛇。
『再設計されたことにより、致命的な弱点を無くしたようですね。使い勝手が良いので何よりです。水晶はどうやら蛟のコアとなって融合したみたいですね』
「だけど寂しくないか?」
知性があるとわかった今は気になるんだけど。
『水辺で暮らすのが当たり前なので、大丈夫です。私は蛇なんで。人語は解しますが、蛇なんで。のんびり水辺で暮らします。たまに顔を出してお土産にお肉でもお願いしますね』
くぁぁと、小さな口を開けてあくびをすると、コテンと地面に寝そべりとぐろを巻いて目を瞑る。了解。人間目線の感覚と違うのな。
「それじゃよろしく。で、幻想の楔がスキルに変わったわけだが? なぜかスキルになったわけだが?」
指をパチリと鳴らし、幻想の楔スキルを使用する。目の前に透明な水晶がホログラムのように現れて。だが……。
『スペシャルコア及び素材を入れてください。残り2枠』
と、ステータスボードには表記された。スペシャルコアが必要らしい。そして創れる幻獣の数も決まっていると。
「雫さんや、スペシャルコアって、めったにないよな?」
『そうですね。レアの中のレアがスペシャルですから』
たしか1000分の1だっけか? 抽選厳しいな、これ。次に手に入れるまでお預けというわけか。
それじゃ仕方ない。橋の安全は確保できているわけだしな。ため息を吐いて、指をパチリと鳴らして水晶を消す。残念だが、仕方ない。
「軍事衛星が無くなって良かったぜ。監視されずにすむ」
コウはダンジョン発生前なら見つかっていたかもしれん。
ふぅと息を吐くと気を取り直す。さて、行きますか。
コウに軽く手を振って、ジープに乗るとエンジンをかけて橋を渡ることにする。10年越しの越境と行こうじゃないか。
ガタガタとジープが揺れて、線路の上を走る。ジープで走っても問題はなさそうだ。川幅が広くその流れは穏やかだ。魔物が住み着いているとは思えない。下流であるのに、水面はキラキラと光り、半ばまで川の中が見えるほど綺麗だ。
ハンドルを掴みながら、ぼんやりと思う。
「ダンジョンが現れてからたった20年。地球にとっては優しいことみたいだよなぁ」
川の中からピシャリと魚が水を弾き跳ねる。丸々と太った大きな魚だ。なんの魚かはわからないが、魔物ではないのはたしかだ。
「荒川は高度成長時代にはゴミだらけで、洗剤でかき混ぜたように泡だらけで汚かったらしい。その後、公害問題が重要視されて、ゴミも無くなり泡も消えた。ハゼも釣れるようになったらしい。人間ってのは、やろうと決めたらできるもんだと感心したもんだ」
『人類はやろうと思えば、何でもできる。そういうことですか?』
「そう思わせる光景だったんだが……。まさか、田舎のように川が綺麗になるとはなぁ。今なら釣れた魚を食えるよな」
皮肉なことでと、苦笑してしまう。この美しい環境に感動する心と、それが人の世を崩壊させたダンジョンのおかげだと、悔しいと思う感情だ。
『鱧が釣れるでしょうか?』
「鱧って、京都だっけか? 夏の魚だろ。ここだとサケとかじゃないか?」
荒川などには来ないと昔は思っていたが今は違う。もしかしたら鮎とかもいるかもな。この十年は川に近寄れなかった。明らかに環境が変化している。
美味い魚が釣れると良いなと、橋向こうに目を移す。
「この先、どうなっていると思う?」
近づく対岸。そして目に入る光景。ため息をついちまうぜ。
こちらが廃墟街、対岸は平原と森林に覆われている。人が住めるような街並みはなく、実に自然溢れる風景だ。
遠目に森林の中に鹿が草を食んでいるのが目に入る。親子なのだろう、子鹿連れで仲が良さそうに。魔物ではなさそうだ。
平原では、狼の群れが走っていた。あれは魔物だな。灰色狼みたいだが、マナを感じ取れる。
「この先に生き残りがいると思うか?」
市場を作るにも、人がいなければいけないからなぁ。もう全滅しているかも。
『いえ、人類は火星で進化した昆虫よりもしぶとい。絶対に生き残っていると思いますよ。そこで質問です』
ふふふと悪戯そうに笑う可愛らしいパートナーだが、その質問に考え込む。その場合はどうなるか?
「魔物の脅威から守れるように生き残る。小さな拠点を複数に作り、柵を作り魔物から身を守る村を作る? いや、待てよ……。俺のように魔物を倒し続ける奴らが出てくる? 戦士階級とかいうやつか?」
スキルレベルが高いやつが現れるかもなぁ。影烏で日本中を移動させたけど、都市を見つけたら教えるようにと伝えて、途中の景色は見なかったからなぁ。
南東には習志野シティがある。あそこは自衛隊基地を中心にした街がある。東京と習志野シティの周りも外街や廃墟街はある。だが、その間に住む人たちはいるのか?
「いると信じて、この先に行くんだが、戦士階級?」
『世界が崩壊して数千年後の世界ですね。機械の動物とかが徘徊して、主人公はボウガンで戦うんです。この先、戦化粧をして、羽飾りを頭に飾る戦士の美少女が。………いえ、戦士のおっさんにしましょう』
嫉妬深いパートナーは考えを変えた模様。
「なんで、おっさんにするんだよ。中間をとってお爺さんでいいんじゃね? 歴戦の勇士の爺さん」
おっさんだと、俺とかぶっちゃうだろ。クックと楽しそうに含み笑いをして、手を翳す。
『火炎蛇』
対岸へと下りると同時に、魔法を発動させる。炎が手のひらから吹き出て、蛇の形となり前方に向かう。
「ごあっ」
草原の草むら。膝までしか伸びていない草であり、何もいないと思ったところから、狼が3頭現れて炎に巻かれて倒れ込む。
高熱の炎は以前と威力が違った。その肉体を燃やし尽くし灰とする。
「こんな奴らがウロウロしている場所に生き残っている奴らが?」
手を振り炎を消して、雫へと目を細めて尋ねる。
『いると思いますよ。新しいステージに入った感じですね』
「面白そうなステージだと良いがな」
俺はニヒルに笑って、アクセルを踏み込む。ハードボイルドと草原での冒険。相性抜群だと良いんだがな。