78話 片鱗
青空の続く空。9月の半ばに防人は掃除をしていた。今年はもう台風は来ないのだろうか。そうなら良いなぁと。
「ふふふ〜ん。ふ〜ん」
鼻歌混じりにデッキブラシで床を擦る。汚れてしまったから大掃除だ。水魔法で綺麗にはしたが、気分というものである。
床はピカピカで、金属の鈍い光が照り返す。
「随分と綺麗になったもんだ。たまには洗車もいいもんだ」
次の日が雨だと泣くかもなと、洗車を終えたマイカーの前で腕組みをして満足げな表情となる。汚れ一つないぜ。
天津ヶ原コーポレーションの元駐車場にて、俺は青空の下で洗車をしていた。バシャバシャと水をかけて、綺麗にしていたのだ。あ〜、コアストアに石鹸とかシャンプーも加えようかなぁ。
背筋を伸ばして、今日は働いたなと肩を回して凝りを解そうとする。ハードボイルドな俺もたまにはマイカーを洗車するのである。
「あ〜、防人? 僕の話を聞いてほしいんだけど。聞いている? その耳に僕の言葉は入っているかな?」
不満そうに頬を膨らませて、駐車場の傍らで腕を組むアルビノの美少女神代セリカ。その隣に困った表情で花梨も立っていた。
『ふふふ。セリカちゃん、慌てていますね』
ふふふと口元で手を押さえて笑う幽体の美少女の天野雫。その楽しそうなパートナーの様子に、俺も内心で笑いながら、デッキブラシを肩に担ぐ。
「聞いているさ。苦労して手に入れた装甲車もジープも1台以外全部返せってんだろ?」
「そのとおりさ。その代わりの提示を僕はしたはずだ。ガソリンと銃弾、そしてメンテナンスを」
半ば身を乗り出すようにして、セリカは言ってくる。先程、装甲車の洗車をしていたら、護衛もつけずにセリカと花梨が顔を見せてきたのだ。これ俺のマイカーね。
「違うな、代わりじゃない。俺は5台の装甲車に4台のジープ、そしてアサルトライフル100丁を命を懸けて戦い手に入れた。そして、勝利の戦果を皆は見ている。頼もしい威容の装甲車がなくなったら、がっかりするだろ。俺の求心力も下がっちまう」
ふぃ〜、と装甲車の後部格納庫の椅子に座りニヤリと笑ってみせる。ハードボイルドにいこうぜ。
「使えなくなったら、オブジェとして飾っておくさ。皆は喜んでくれるだろうよ」
飄々とした防人の態度に、セリカは腕組みをして睨む。が、諦めて嘆息する。
「わかっていないようだけど、内街の人間と外街の人間が取引をすること自体が」
「俺は廃墟街の人間だよ。前、言ったろう? 契約書はいらないと。そういう意味だぜ」
「むぅ………どこらへんから気づいていたの?」
ふくれっ面になるセリカ。子供っぽくて、そちらの方が可愛らしいぜ。
『フグの調理免許証を私は取得しようと思います』
『怖いです、雫さん』
思念は送っていませんよ? 俺の心を読まないで? 不機嫌そうにする雫であったが、セリカの次の言葉に喜色満面となる。
「僕との取り引きはできないの? 取り引きを僕は求めるよ」
『だが、断る! ドドドド』
ぐおっ、俺の耳元で大声で怒鳴らないでくれっ! 雫さんが変になった。元からへ、ゲフンゲフン。
『このセリフ、言ってみたかったんです。だが断る。だが断る』
キャァと喜び、へんてこなポーズを取るパートナー。そっと見なかったことにして、セリカに告げることにする。
「セリカが諏訪とやらを嵌める。そこから膨大な儲けが出るだろ? 最初から気づいていたなんて言わないが、パズルの欠片は転がっていた。確信したのは花梨が俺に諏訪が攻めてくると教えたときだぜ」
「花梨が持ってきたこと自体がおかしかった?」
「んにゃ、おかしくはない。ただタイミングが良すぎたな。おかしいんだ。攻めてくるのが早すぎる。すぐになんとかしないと、廃墟街の連中に外街の市場を支配される。そんな情報を猫がばら撒いていなかったか? そして、セリカ、お前が最初に連れてきた警備会社、あれ、諏訪だったよな。あいつらは俺たちの装備をジロジロと眺めていたよな」
偵察にはもってこいだったろう。本丸にろくな装備の兵士がいないとわかったから。攻めても問題ないと思ったはず。
「防人……予想以上に頭が切れるんだね。感心したよ。でも、勘違いもしてる。攻める日は誘導したけど、あとの流れは何もしていないんだ。防人は自分がどれほど外街の奴らに脅威を与えたか理解していないみたいだよね。短期間で膨れ上がった拠点の脅威はいかほどのものか。僕は拠点での乱戦で被害が出ないように動いたんだよ?」
ありゃ、名探偵防人の推理は半分以上外れていたか。上手く手に入れた情報を使ったと。
メリットもあるが、親切心も多少あったってことか。……う〜ん、疑わしいが、俺のせいでもあったのか? ……まぁ、信じることはできないが、礼を言うのはタダだから、感謝の言葉を贈っておくか。結果を見るにセリカの言葉に反証できないし、するのも面倒くさい。ハードボイルドな俺は肩をすくめるだけにとどめておくぜ。
「そうだったのか……。ありがとうよ。で、だ。美少女ちゃん? お前、装甲車やらを取り返すと取り引きを結んじまっただろう? 失敗したら、成り上がり中のお前はやばいよな?」
真剣な表情のセリカに、頭を下げてお礼は言う。それでもこの取引は認められないぜ。なので、ニヤリと笑って尋ねる。内街での成り上がり、大変だろう。今回のことはどれぐらいのチャンスかはわからないが、得てしてチャンスはピンチにもなるんだぜ。
今、カードは俺の手にあるわけだ。珍しく。……言ってて悲しくなるな。
しばらく顔を見合わせて、アワアワと猫娘がニャンニャン踊りを始めた中で、セリカは肩を落とす。
「わかったよ、僕の負け。それじゃ代価は僕の身と心で良い? キャッ」
頬に手を添えて、イヤンイヤンと身体をくねくねさせる少女の態度で、ようやく合点がいった。
「お前、恋愛関係、全部漫画とかゲームを参考にしていない?」
半眼になりながら尋ねると、アルビノの美少女はギシリと身体を強張らせた。どうやら、当たりらしい。ゲームと違って、選択肢を選べば好感度が上がるんじゃないんだぞ?
『ププッ。きっと当たりですよ。恋愛経験少なすぎなんでしょう。残念美少女ですね、セリカちゃん』
クスクスと楽しそうに笑う雫だが、君も同じだから。言わないけど。
「セリカちゃん……可哀想な娘にゃん」
花梨も生暖かい目でセリカを見つめる。変だ変だと思ったんだよなぁ、セリカは場面場面で、好感度が上がる選択をすれば良いと考えていた節がある。ドレスしかり、その後の尋ねてくるセリフしかり。失敗したら、すぐに着替えるか、普通? 相手の好感度は確実に下がるだろ。
『きっと恋愛関係は蓄積された経験がないから、チグハグな動きになるんですよ。上手く動けないんです。ふふふ』
含み笑いをする雫さん。そういう君も出会った頃はへんてこな感じのアプローチだったでしょ。
皆の生暖かい視線に、セリカは熟れた林檎のように顔を真っ赤にして涙目になる。やばい、からかいすぎた。
「悪い悪い。忘れることにする」
「む〜っ!」
ぽかぽか殴ってくるので、受け止めながら苦笑してしまう。
「あ〜、わかったわかった。それじゃ、防人の要求はなんだい?」
仕切り直しとばかりにぶんぶん手を振るアルビノの美少女。その問いかけに弛緩していた空気を消して、真剣な表情へと変える。
「装甲車、ジープは1台を残して返却。自動小銃は半分を返す。他の装備と弾薬は返さない。その代わりに10トントラック2台。農業機械を開墾用から収穫用まで3セット、ようはトラクターやコンバインだ。それと、工事用機械。ショベルカーとブルドーザが3台、大型発電機3台。ガソリンと軽油の継続的な補給もだ。できるか?」
「だいぶ大きく出たね……。書面なしで良いわけ? 自分で言うのもなんだけど、僕は裏切る可能性は高いよ?」
真面目な表情となるセリカに、フッと微笑む。
「取り引き相手は常に裏切ると考えないと廃墟街ではやっていけないな。俺には信用も担保もないから」
マイナスから成り上がるということはそういうことだ。それにガソリンなどはなんとかなるだろうし。ん?
「どうした? 顔が真っ赤だが……もしかして俺に惚れた?」
「そこは、不思議そうに、なんで顔が真っ赤なんだ? で終わらせてくれないか! 鈍感主人公になってくれないかな? 良い? それなら、僕は小声で、微笑みがかっこよかったんだよと、顔を俯けて呟くから。そうしたら、え? なんだって? と聞き返して?」
「えっ? なんだって?」
「早いよ! もぉ〜、防人はまったくもぉ〜!」
地団駄を踏んで暴れるセリカだが、わかったこの娘、雫さんと同じような性格しているわ。というか、今の会話で顔を真っ赤にする要素あったかぁ?
『私はアサシンなゲームも得意だったんです。後で防人さんに見せてあげますね』
『見せなくてい〜で〜す』
目からハイライトが消えたような雫さん、怖いです。後で雫さんは宥めるとして、
「可能か?」
真剣な表情で尋ねる。セリカは肩で息を切らせてコクリと頷いた。
「軍事物資以外は緩いんだ。たぶんいけると思う。了解、僕の負けだ。それで良い?」
「あとは、そうだなぁ〜。組合長の椅子って、セリカは手に入れたのか? 複数あるなら旨味のある椅子をくれ。沼田に座らせておく。今後、共存共栄の精神で組合とは物資のやり取りをしたいし」
金と物資のやり取りが盛んになるよな。外街の奴らと。
「もう怖がって、組合は手を出さないよ。……わかった、酒類の組合長の椅子を用意しようじゃないか。それでもう最後?」
「いや、それとだ、内街の身分証明書が欲しい。あるだろ? 裏道が。別に住むというわけじゃない。出入りできれば、それで良い」
賄賂で侵入できるだろ? 内街の相場とか知りたいんだよな。烏や影猫で覗き見はできるが、乱用してリスクを負いたくない。
「偽身分証明書ならあるけど、建物とか買えないからね。それで良いなら用意しよう。1名分」
深く考えながらも、セリカは受諾した。予想以上にこちらの要求を了承してくれる。……さては、よほどやばい契約を結んじまったな? 失敗するとこれまでやってきたことが無に帰すぐらいに。
「問題ない。それでいいぜ」
これでようやく拠点の整備ができるだろう。ブルドーザなどがあるとないとでは大違いだからな。もう少し要塞化したい。ようやく竜子の力が役に立つぜ。
「でも、あまりやりすぎると、目をつけられるにゃよ?」
「それなんだがなぁ、花梨。国はその場合はどう動くと思う?」
それが疑問だったんだよな。たしかに目をつけられるだろうよ、というか、もう噂にはなるレベルだろ。
後ろ手に花梨は心配そうに聞いてくるが、実際どうなんだろう?
「この場所を接収しようとする。住人は皆殺しか? それから奪い取る?」
その場合は片端から戦車や装甲車を破壊してやるぜ。損害と利益の分岐点はどれぐらいなんだろうな。
「う〜ん、皆殺しにしたら、全然メリットないニャン。ただの廃墟に戻るだけにゃ。苦労してそんなことする人いないにゃんね?」
「それじゃ、俺の懐柔か?」
「防人のバックが誰かわからないし、僕がつばをつけているからね、ていっ、ていっ」
俺の頬をからかうような笑顔で、人差し指でつついてくるセリカ。嬉しそうだな、この娘は。
「防人が強大な武装をすれば別だろうけど……装甲車だけじゃ、強大とは言えないにゃんね。あっ! 騙されているにゃ、セリカ! 防人もこの車両を確保したくないにゃん」
ちっ、軍用車両をあまり持ちたくないと気づいたか。でも、問題はない。
「その場合は破壊しちゃうよ、きっと」
裏に気づいた猫娘が飛び上がるが、セリカは気にしていない。そのとおりだからだ。たんなるオブジェにすれば良いだけだからな。
「内街は足の引っ張りあいが酷いんだ。もしも攻めて、諏訪のように被害が出たらと思うと誰も手を出さないよ。正直、言っちゃ悪いけど、ちっぽけな拠点だから」
「歯に衣着せぬセリフサンキュー。だが、そういうことだ。ミサイルや爆撃なら損害ゼロだろうが、そこまですると大事だ。殺そうと思えば、俺個人を殺すことなんかいつでもできる。だろう?」
「その意見には反論したいけど、そうだね。もとより廃墟街の人間はいないと考えているんだ。内街はまだまだ気にしないだろうね」
セリカが肩をすくめるが、肯定する。廃墟街の人間はいないものと考えている連中だ。それに対応するとなると、かなり面倒くさい手順を踏まないといけないはず。疑心暗鬼の奴らが意思を統一できる日が来るときは足元が燃え始めた時だろうぜ。
「セリカの太鼓判も貰えたことだし」
「貰えたことだし?」
「冬になる前に、橋を渡って反対側を調査する。少しずつ会社を大きくしなきゃならんからな」
社長自ら調査ってのが、泣けるぜ。
現実は世知辛い。