61話 精霊
雫の眼前をパタパタと飛ぶ精霊。翅のある少女の姿をとっており、緑の球体の中にいる手のひらサイズの娘だ。
風の精霊シルフである。珍しい存在だが、先程のエルフが操っているのだろうと雫は見当をつけて、目を細めて告げる。
「もしかして『姿隠』を使用していれば、バレないとでも思っていたのですか? それとも敵対したいと思っていたのなら、いくらでも相手をしますが」
雫も防人もシルフの存在に気づいていた。『姿隠』は魔法による光学迷彩だが、マナを可視化できる二人には全く意味がなかった。
只今の雫さんのマナ残量35。ほぼ残っていないにもかかわらず、そのことをおくびにも出さずに余裕の態度で腕を組み、不機嫌そうに見せかける。ダメージも相応であり、実際はすぐに休みたいのであるけれども。
ピンチである時こそ、余裕の態度をとることを、雫はつけこまれることがないように、弱っている姿は見せてはならないと理解していた。その様子を見て、慌ててシルフは頭を下げて口を開く。
「申し訳ありません。敵対する気はありませんでした。私は源風香と申します」
「……知っています。3年の源先輩は有名ですから」
その言葉にピクリとシルフは体を震わせて、頭をあげるとニコリと微笑む。
「やはり貴女は学園の学生なんですね。何年生か教えてもらっても?」
柔らかい口調で尋ねてくる風香の言葉に肩をすくめて、返り血で真っ赤な自分の姿に顔をしかめてみせる。
「答えることはないですよ。この幻想の仮面を付けている時点で正体は明かさないことを源先輩なら理解できるはずです」
そっと顔につけている仮面をなぞりながら、雫は苦笑してみせる。その謎めいた態度に、さもあらんとシルフは頷き納得した。
「そうですね。ですが、仲良くなれるかもしれません。貴女の背後の方は源と縁を結びたいかもしれませんよ? 後程ご挨拶に伺っても良いか、そうですね……一緒に水遊びをしましょうと家の者に伝えてくれれば、アポイントメントなしに会えるかと」
遠回しに、コンタクトをとってくれと言う風香にふふっと雫は可憐に微笑む。
「気が向けば。一応伝えておきます。それでは、さようなら」
ヒュッと雫はその手をシルフに向けて、闘気を込めて切り裂く。風の精霊はその攻撃に驚きの表情で、空中に溶けるように消えるのであった。
そうして、雫は蹲り、体を震わす。
『大丈夫か、雫?』
幽体状態の防人がそばにいくと、体を震わせて、口元を戦慄かせて
「ブフッ。笑っちゃいました。笑ってはいけないのに、笑っちゃいました。さすがは防人さんです」
お腹を抱えてクスクス笑う雫さんであった。
『だいたい予想通りの会話だったよな。あの娘には悪いことしたけど』
心配させやがってと肩をすくめて、防人は口元をニヤリと悪戯そうに曲げる。ああいった会話は、話の流れが予想できたので適当に雫に答えさせたのだ。
今日は腹話術人形な雫さん。防人の思念をタイムラグなしに口にして、覗き魔を退治したのである。
『まぁ、学園の学生だろ、今の精霊魔法の使い手は』
「そうですね。たぶんエルフ化の固有スキルを持つ少女でしょう。蛟の不意打ちから助けてくれた相手が誰か気になり、シルフを寄越したのかと。使役した精霊と五感を共有して、遠隔操作で操るのは精霊と親和性の高いエルフなら簡単でしょうから」
エルフは体力、筋力を上げるのにステータスポイントが2倍必要で、マナ、魔力は1ポイント使えば2上がる。精霊との親和性も高く後衛向きの種族だ。実際はステータスアップポーションを使えば好きなようにステータスは上げられるので意味がない。精霊魔法をデフォルトで持っているのが、エルフの強みである。
既に防人は学生の卒業前研修であることと、やけに立派な装備から金持ちであることも予想していた。そこから、話を合わせるのは造作もないことであった。
予想通りの反応を相手はしてくれた。きっと学園の学生だと思ったのであろう。
「ふふっ。私は劣等生のフリをすれば良いんですね。おどおどしながら、瓶底眼鏡にボサボサ頭をすれば完璧です。そして生徒会長とかを倒していくん、クッ」
ツボに入ってしまった美少女は笑い転げて、苦しむ姿を見せる。かなり今の会話は笑えた模様。たしかに、相手がわかってますよと真面目に答えれば答えるほど、何も知らないこちらは、笑い転げてしまうだろう。何をわかったのか、教えてくださいと、聞き返したいぐらいだ。
「天野雫が、命ずる。今の会話を一生忘れないように…。だ、駄目です」
また、例の病気が発症しかけたが、どうやら笑いの方が大きかったのだろう。ヒィヒィと息を切らせて笑い転げていた。
お茶目で可愛らしいなぁ、この娘はと、防人は苦笑いをするが、すぐに気を取り直して、真面目な表情となる。
『この茶番。実は物凄い助かる。そう思わないか?』
「体をチェンジしましょう。ちょっと笑いすぎてお腹が痛いです。その後に真面目に聞きますね」
チェンジをして、幽体に戻った雫は真面目な表情となる。その様子を見ながら、『魔法武器化』で包丁を作り出してアイテムボックスを呼び出しながら、話すことに決める。
「正直、サハギンたちを倒したのを見られたのはイレギュラーだった。また聞きならともかく、軍が目にしたってのは具合が悪い。それ以上に蛟を倒したところを見られたことが問題だ」
蛟を解体して、牙を抜き、鱗を剥がし箱に入れながら話を続ける。
「軍隊ですら逃げだすような蛟を倒した。どんなに凄いやつかと調査するだろう。実際に蛟に奴らは遭っちまったからな。噂話ではなくなるわけだ」
『そうですね。今度こそ取り込もうと画策するか、殺しに来ると?』
コクリと頷き肯定する。そのとおりだ。そこまでの実力者を内街の奴らが放置するとは思えない。助けちまったあとに、蛟は放置しようかとも思ったんだけどな。シルフが羽虫のように周りをうろつき始めたので、雫が倒すと聞いても止めなかったのだ。
きっとコンタクトをとってくるだろうと予測していた。明らかにシルフは使い魔みたいな使い方ができると判断したので。
『そして、間抜けなエルフが釣れた、ということですね?』
「あぁ、考えうる限り、ベストな出会いだと思うぜ。学生たちの研修に合わせて、現れた同じ年頃の少女。実力者である彼女は、学生であることが迂闊なる発言でわかった。それならば、芋づる式にこの地域の俺も怪しく思うだろう」
俺の説明に、ふむふむと手を打つ雫。話の内容がどこに向かうかを理解したらしい。かたや、ソロで蛟を倒す少女。かたや、ソロでダンジョンを攻略できる男。関連性皆無とは誰も思うまい。
裏を読まれて、どこかの権力者が密かにダンジョンを攻略させて、ダンジョンコアを回収。子飼いの部下を強化していると思われる可能性は極めて高い。
解体作業を続けながら、クックとほくそ笑む。これは幸運だったぜ。
『内街の誰かの紐付き。天津ヶ原コーポレーションはそういったダミー企業だと相手は思う』
「そのとおりだ。誰が黒幕かを内街の奴らは探すだろう。見つからない黒幕をな。見つけるまではどこも簡単には俺たちに手出しはできない」
エールも供給できて、市場も大きくなっていく。つまらん奴らに邪魔はされたくない。
『はぁ、感心するやら呆れるやら、です。防人さんは常に相手に誤認されるように動きますね。でも、祝福の酒杯は……あぁ、花梨さんも気の毒に。タダで手に入れた理由は、紐付きだからだと。酒杯を持つ者はきっと内街でも、権力者のはず。俺が後ろで操ってはいないと吹聴しても無駄でしょう』
雫さんは口元を隠しながらクスクスと楽しそうに笑う。そのとおりだ。俗に言う悪魔の証明。絶対に反証できないぜ。俺たちは苦労なく後ろ盾を得たわけ。
願わくは、できるだけ上位の権力者に酒杯が渡ることを祈るぜ。高い権力者であればあるほど、周りは深読みをして、俺たちには手を出しにくいはずだ。
問題なのが、源家が酒杯を手に入れることだ。学生の身であるエルフ娘は、親が否定しても、信じはすまい。きっとまだ若い自分には隠しているのだろうと、裏を考えるはず。
その場合の行動パターンはいくつか考えられるが……。
「もしかしたら、天津ヶ原コーポレーションに来るかもしれん。知己となって、今後の自分の将来の布石にしようとかな」
一番困るパターンである。その場合は事あるごとに首をつっこんでくるだろうし、それで内街の他の権力者から妨害を受けない場合、よほど隠しておきたいのだろうと、エルフ娘の親がその行動を傍観することだ。
………まさかそんなことないとは思いたい。
『練習。練習が必要です。私たちの黒幕は幼女ですよとアピールしましょう。髭もじゃな勇者役は大木さんにやってもらって』
「幼女が黒幕って、そんな可愛らしい黒幕がいるかよ。誰も疑えねぇだろ」
そんなお話があったんですと、頬を膨らませる雫さん。どうやら俺の心を読んだ模様。色気の匂いは敏感になる娘だ。
『それなら仕方ありません。天野雫が命じる。防人さんがハーレムを作るのを禁じる!』
シャキーンバリバリと擬音を口にして、へんてこなポーズをとり、見つめてくる微少女。どうやらその場合のエルフ娘がどう出るかを予想したらしい。嫉妬深い娘である。
「馬鹿なことを言うなよな。そんなことはたぶんないぜ。それよりも、だ。外街の鼻の利く連中は忖度してくれるかもしれん。内街への食糧の出入に対して」
穴山大尉辺りは、そう動いてくれそうな予感がする。これからも人口は増やして、田畑は広げるんだ。そこらへん、勝手にいもしない黒幕に忖度してくれて、取引枠の拡大をしてくれると嬉しいね。
「黒幕? そんなのいるわけ無いだろと、真実を語ったところで、勝手に相手は勘違いしてくれるだろうよ」
その言葉に雫は顔を俯けて、考え込むと、再び顔をあげて思案げな表情を向けてくる。ん? 俺なにか失敗したか?
『広義的な意味で黒幕は私のはずです。幽体となって、防人さんの陰で支援する。ね、黒幕でしょう?』
「それは広義的と言うのか……そうか、花梨か。あいつ虚実がわかるんだもんな」
雫の言いたいことをすぐに悟る。たしかに黒幕がいないと答えて、真実だと見抜かれるとまずい。白黒はっきりする答えだから、曖昧にもできないぜ。危ないところだった。
「たしかに黒幕は雫だな。俺もそう思う」
ほんと、雫さん、黒幕で間違いなし。俺の考え方一つで変わるが、黒幕ではあると広義的には言えよう。気づいたが最後、黒幕いるにゃ? と聞いてきたら、いると答えられるようになったわけだ。素晴らしい。
「黒幕がいることが真実だとわかれば、ますます安泰だな。ナイスだ雫さん」
『フフン。頭を撫でて良いんですよ? これで私もたまに市場とかにちらほら顔を出せば完璧ですね、……ほっぺにチュウでもい、良いですよ?』
胸を張って大威張りの雫さん。赤らめた顔を背けるので、俺も照れてしまうだろ、まったく。しかし、市場などでうろつくのは、たしかに助かる行動だ。外街にも顔を出させれば、黒幕論を補強するだろう。それに雫が出歩ける理由にもなるしな。今までは外に出せなかったから、心苦しかったんだよ。若い娘が外に出歩けないって。
「オーケーだ。今後はちらりと顔を見せても良いかもな」
今回の報酬は今の内容が一番だったかも。蛟一匹倒すだけで、これほどとはねぇ。
『ふふ、ありがとうございます、防人さん』
柔らかい優しい陽射しのような笑みで礼を言う雫。その雫の様子に照れながらも真面目な口調で尋ねる。
「ところで、アイテムボックスについた魚の生臭さって、洗えば消えてなくなる?」
蛟、倒して回収した鱗や牙が少し臭いんだよね。だから、蹴らないでくれ。
雨が降り出して、にわかに豪雨へと変わり始めたので、その後、慌てて俺はサハギンのコアを集めるのであった。びしょ濡れになっちまったぜ。
それと、アイテムボックスって、離れたところからでも仕舞えるのね。廃墟ビルに隠したあとに、マナが回復後、遠距離で仕舞えたから驚いたよ。




