58話 河原
風香たちは河原に広がる光景に息を呑んだ。死臭が漂い血が水溜りのように地面のところどころにあり、異形の魚たちが大量に横たわっている。まるでなにか病気が広がって、魚たちが一斉に死んでしまったかのようだ。
「なんだよ、これ? 誰がこれを倒したんだ?」
歩兵たちが警戒態勢をとり、周囲に広がる中で、輝が畏れを持ってサハギンの死体に近づく。
「………皆、刺し傷ですね。余程強力なスキル持ちなんでしょう」
風香も近寄り、サハギンの死骸を見てみると頭を貫かれていた。ほとんど全てが同じような形で倒されている。
「サハギン……こいつらはかなり厄介な敵のはずです。『水鉄砲』は防弾チョッキを貫きますし、その身体はかなり硬いと教わりましたよ」
清がいつもの柔和な笑みを浮べようとして、口元を引きつらせている。風香もそう教わった。特にサハギンリーダーは魔法や闘技を使われるとAP弾でも簡単には倒せなくなるので、可能であれば奇襲にて最初に倒すようにと。
竜子さんはガタガタ震えて、さり気なく車に一番逃げ込みやすい場所に位置している。
「こ、これを何人のスキル持ちが倒したと思う、風香?」
僅かに声を震わせながら、爽やかな笑みにて、尋ねてくる輝の言葉で考え込む。これはまさかとは思うが……。
「もしかしたら1人……倒し方がほとんど同じです。まさかとは思いますが」
「俺も同じ意見だよ。でも、この戦い。一度で倒したんじゃないだろ。きっと少しずつ釣って倒したんだ。この相手はなにかサハギンを釣って倒せる方法を知っているんだ」
「………そうですね。サハギンの死骸はいくつもの範囲に山となって積まれていますし、そのとおりかと。………恐らくは」
普通に考えて、そのとおりだ。最初は数匹。それを少しずつ倒したに違いない。釣りでもするように少しずつ釣って倒していくコツがあるのだろう。………そうだとは思うが、なにかが引っかかる。とりあえずわかるのは凄腕だということ。未知のスキル持ちが、敵対しないことを祈る。
「輝様、ここにいては危険かもしれません。そのスキル持ち、なにが目的か不明ですが、不意討ちからの戦闘は勘弁してほしいですので、一旦後方にさが」
「エンカウント! サハギン4、サハギンリーダー1!」
後方に下がり様子を見ようと言おうとした風香の言葉は遮られて、兵士の声が響きわたる。見ると、サハギンたちが新たに川の中から現れていた。
「はっ。まだいたんだ。良かったよ、ボウズで帰るのは嫌だったからね。皆、下がって! ここは俺たちに任せて!」
輝が5つの色とりどりの宝石が剣身に嵌め込まれている剣を引き抜き、メドゥーサの首が彫られている盾を構える。サハギンと戦うつもりだ。
「皆、訓練どおりに!」
自信に満ちた声音で輝が叫ぶと、後方にいた竜子さんが、両手を前に突き出す。
『城壁』
その手が輝くと高さ3メートル、横幅25メートルの光の壁が風香たちの前に出現した。半透明であり、相手の姿は普通に視認できる。竜子さんのスキル『城壁』だ。味方を守る壁を作り上げて、その壁は中からは攻撃を透過できて、外からの攻撃を防ぐ。兵士にとっては頼もしいスキルだ。
「よし、風香。教本どおりにまずはリーダーを倒して混乱を誘う。『武王』発動! 5星剣の1つ、炎星!」
輝の持つ剣に嵌め込まれた血のように紅いルビーが光り、剣身をマグマのように輝く炎の剣へと変えた。
自身の持つ精霊樹の杖に力を注ぎ、風香も魔法を使用するための準備を始める。
『炎よ。マナを媒介に槍となせ!』
あらゆる魔法を使える『大魔導』のスキル持ちである風香。そのマナが精霊樹の杖に集まり、数秒後に溶岩のように燃えたぎる炎の槍を形成していく。
『水鉄砲』
『火炎槍』
『火炎刃』
敵の魔法とほとんど同時の攻撃であった。人間の体などあっさりと貫ける水の弾丸が高速で飛来して、城壁へと命中して、あっさりと弾かれて消える。
風香の火炎槍は辺りの空気を熱しながら、輝の発射した火炎の刃と共にサハギンリーダーへと迫る。
サハギンリーダーは2匹のサハギンを前に出してその攻撃を阻もうとしてくるが、無駄なことだ。
槍を盾にでもするように翳すサハギンに魔法と武技は命中して、一瞬のうちに燃やし尽くす。精霊樹の杖も五星の剣も、過去にドラゴンのダンジョンを攻略した際に発見された物。魔法武器により大幅に上げられたその攻撃力はサハギン如きでは防ぐことはできない。
そのままリーダーを倒そうと意気込むが、爆発音がして、川から間欠泉のように水が噴き出していた。
「な、なにが起こったんですか?」
こちらにまで降り注ぐ水に顔を顰めて、風香たちは川へと視線を移す。サハギンたちも驚き川を見るや、カエルのように空高く飛翔するとその場を離れる。そして、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、距離を取ると川へと入り逃げていった。
その素早い行動に呆れると共に、なにが起きたか理解した。
「エンカウント、蛟です!」
兵士が叫び、水が噴き出した地点へと自動小銃を向ける。戸惑うことなく、引き金を引き、乾いた銃声が連続で辺りに響き渡った。
その対応力は精鋭だとわかる。ボケっとしてあっさりやられる映画の軍人ではない。実際は訓練されて鍛えられた者たちなのだ。
「蛟だって? 初めて見たよ!」
嬉しさを隠さずに輝は川を見て言う。風香も川を見て顔を顰めた。
そこにはヌラリとした鱗を持つ巨大な蛇がいた。ためらいなく撃たれた自動小銃の弾丸は、どうやらその前方を覆う巨大な水の壁に阻まれたようだ。水壁は横幅だけで5メートルはあり、大蛇の胴体は川に入っているのでわからないが、軽く30メートルはあるだろう。そして水壁の向こうでは、爬虫類特有の縦長で金色の瞳がこちらを見て苛立っていた。
その様相を見て、明らかに巨大な力を感じ取り、風香は冷や汗をかく。いつの間にか川の中から近づいていたのだろう。
「グレネード! 撤退します、こいつは現状装備では倒せません!」
有無を言わさず強い口調で歩兵部隊の隊長がグレネードを投げて、怒鳴る。蛟の正面で爆発が起こり、噴煙が視界を包む中で、歩兵部隊は引き金を引きながら撤退行動に移っていた。
「……わかった。『五星刃』」
わかったと答えたのに、ニヤリと口元を薄く笑みに変え、輝が剣の全ての宝石を光らせてその力を解放して振るう。剣身から、眩いばかりの輝く雷の刃が飛んでいき、蛟へとぶつかり、紫電を発するとその巨体をあっさりと爆発させた。もうもうと高熱による水蒸気が巻き起こり、辺りの視界を塞ぐ。
「やった! 見てくれよ、俺が蛟を倒したんだ!」
喜ぶ輝。『5星剣』、輝の持つ極めて強力な剣の力だ。剣に嵌め込まれた宝石はそれぞれ別の属性力を蓄えており、解放すれば強力な一撃となる。
防御壁を作り出して動けない蛟を狙い、倒したことを功績とするために、全ての力を使ったに違いない。宝石は灰色となり、剣も鈍い光が微かに剣身を覆うだけだった。自動回復するとはいえ、これで一週間は回復待ちになるのは間違いない。
兵士たちも自動小銃を構えたまま警戒を解かずに周りを見渡していた。
だが、水蒸気が収まり始めると、水面が盛り上がり再び蛟が首をもたげる。
水面に血は流れておらず、砕けた肉塊もない。水飛沫だけはあったので、分身系統のスキルか魔法で逃れたに違いない。
「輝様っ!」
「あれで倒せればと思ったんだけど。防御してくれれば倒せたのに、狡猾な奴だよね」
怒鳴る風香にケロリとした表情で輝は悪びれることなく言って、肩をすくめると踵を返して駆け出した。今のでマナが尽きたのだろう、ポケットからマナポーションを取り出して飲みながら。
逃げ足だけは速いわねと、内心は沸騰しそうなほどに怒りを覚えたが、今は逃げるのが最優先だ。車まで風香も一目散に戻る。
「ただの魔物ではないんです! こちらの攻撃をしっかりと見極めています!」
歩兵部隊が自動小銃を撃ち、銃弾を叩きこもうとしている。今度は回避することはなく、再び己の前に生み出した水の壁で防いでいた。水壁はよくよく見ると激しく渦巻くように動いており、加圧されている強力な防御壁だとわかる。こちらもAP弾へと切り替えて攻撃しているが、それすらも阻まれており貫通する様子はない。
だが、防御壁をすぐに解除することはできないようで、それを理解した兵士たちはリロードの時間に隙を見せないように、3人ずつで弾切れしないように交代しながら撃っていた。
「あれだけの防御壁だ。自分の防御に自信を持って、受け止めてくれると信じていたんだけど」
兵士たちが戦っている間に、ジープのドアを開けて、輝が乗り込む。清と竜子さんはしっかりと早々に戻っており椅子に座っていた。
「高レベルの魔物は頭がよく狡猾な奴らです。正面からの攻撃はどんなに強力な技でも、隙を狙わないと回避されると習ったではないですか」
無駄にマナを使い、希少なマナポーションをジュースみたいに飲んで、と苦言を呈したいがぎりぎり我慢して口をつぐむ。
「聞くと見るとでは、やっぱり違うね。百聞は一見に……なんだっけか?」
「知りませんっ!」
運転手がジープを発進させる中で、死ぬかと思ったと顔を青ざめさせる。蛟は自動小銃の弾丸の嵐に川の中から一歩も動けずに、こちらを見送るだけであったので安堵する。
「水場は本当に危険なんだな、驚いたよ」
「……たしかにそうですね。私も思い知りました」
龍タイプは重火器があって、兵を揃えないと危険だ。たとえ、あれが蛇であっても同じことだ。強さが違う。
「どうだろう、丸目少佐にあの蛟を退治してもらうのは? 僕たちは支援の形をとり、退治後は功績とする」
蛟を倒して、その素材を回収できれば、たしかに功績となる。龍系統の魔物は鱗や牙が武具の素材になるからだ。だが、他人の功績を自分の物にしようとするその態度は呆れるしかない。この男は最低だ。
「丸目少佐は慎重な方です。その要望を聞いてくれることはないでしょうね」
あの人は引率すら嫌がっていた。輝の要望にはのらりくらりと返答して、承諾することはないだろう。
どっと疲れを覚えて風香は椅子に凭れかかる。輝の子守は大変だと、怒りを鎮めながら、窓の外を眺める。
車がUターンして、川から離れていく中で、ふと気づく。川の爆発。あれはなんだったのか? あれがなければ不意打ちを受けて、とんでもない被害を受けただろう。
「誰かが助けてくれた?」
森林へとジープは勢いよく入り込み、ガタガタと激しく揺れる車内で風香は先程の出来事を思い浮かべる。こちらはサハギンの部隊と戦闘を開始。川は静かそのものであり、サハギン自体強力な魔物であることもあり、皆は戦いに集中していた。
あの時に、奇襲を受けていたら? 恐らくは私たちは大丈夫だろう。それだけの防具だと知っている。なにせ、至近距離でAP弾を受けても、僅かに布がへこむ程度なのだ。ドラゴンのダンジョンを破壊した際に手に入れた防具らしいが、その性能は恐ろしく高い。
だが、兵士たちは25式戦闘服。蛟の攻撃を食らえばあっさりと殺されるのは見るまでもない。
甚大な被害を出せば、私たちの評価は底に落ちる。水場へ向かうと決めたのは私たちなのだ。
誰かが助けてくれた。助かったお礼を言いたいし、何よりサハギンを倒した者なら興味がある。
車内を見ると、ニヤニヤと口元を歪めながら、考え込んでいる輝に、清は既に腕を組んで目を瞑っており、竜子さんは頭を抱えて、縮こまっていた。
助けてくれた人が、もしも蛟と戦闘を開始したら……。可能性は低いが、杖をさり気なく握り直すとマナを集中する。
『来たれ、シルフ』
呟きと共に小さなつむじ風が巻き起こり、すぐに消えた。風香は目を瞑り疲れたように椅子に凭れかかるのであった。