56話 水場
天津ヶ原コーポレーション本社から離れて、北東に向かうと荒川だ。この20年で森林は広がり、川も太くなった。黄河とは言わないが、昔の3倍は広くなっている。竹ノ塚方面は大規模なダンジョン災害により堤防がなくなったせいだ。ダムがなくなったせいもあるのだろう。
森林に平原、そして広い河川。最後にもちろん魔物、だ。
水場を求めて魔物は集まる。魔物は生存に食料を必要としない。水と食べ物は食べるし飲む。しかし排泄はせずに、飲まず食わずでも死んだりはしない。まだ国がまともに機能していた頃。捕獲した魔物を一ヶ月檻に閉じ込めたままでも、ピンピンしており、多少の傷も治り、元気であった。
地球の生命の理から外れている存在。だが、食べるし飲む。お互いを攻撃もするし、食物連鎖のピラミッドを構成しているようにも見える。
生命の真似事をしているとも言われているが、全ては謎であった。倒した場合は肉体も装備も残る。ダンジョンを攻略した場合はコアのみが残る。決して人間に懐かない。人類の敵、そして正体不明の存在。それが魔物である。
そんな魔物は水を飲むために、集まる。動物の真似事をするようにインプットされているのか、水場に集まる。
あらゆる魔物が。
その中でも強者は堂々と水を飲み、弱者は隠れながら飲む。
堂々と水を飲む魔物。その魔物が問題だ。大体は水場に生まれたダンジョンから現れる。水場にてのんびりと水を飲めるように強靭な肉体と優れた魔力を持って。
そんな水場である荒川の平原の隅に少女が立っていた。煌めく艷やかなセミロングの黒髪、おとなしそうな目つきと、ちょこんと小さな形の良いお鼻、桜のような色の可愛らしい唇、可愛らしい顔立ちの小柄な少女。天野雫である。
目の前には河原が広がっている。平原の先に広がる河原は、砂利が地面に敷き詰められて、大きめの岩がそこかしこに転がり、上流から流れてきたのか、朽ちた枯れ木が放置されていた。
そして、魚人間が闊歩していた。身体にはびっしりと鱗が生え揃い、ヒレのある足がペッタラペッタラと地面を叩いている。手には3つに先端が分かれた鉾を持ち、ギョロギョロとギョロ目が動いていた。
「サハギン。水の魔法を使いこなし、その鱗は鉄と同等。槍の腕もたち、身体能力も高い。蛙より跳ねて、素早くもあり強力な魔物です。ランクはD。ゴブリンナイトとどちらが戦いやすいかというと、ゴブリンナイトですね。サハギンの特徴として、水場からは離れないというところでしょう。あのレベルの敵が徘徊していたら、軍は真っ先に動くので、水場だけ、というのが厄介なところです。実に考えられている存在ですよね」
『下手に水場に近づけないように、という設計かぁ。酷い話だこと』
幽体の防人は、悪辣な敵の設計に舌打ちする。水場に現れるだけじゃ倒すのを躊躇うよな。地味にサハギンは強いし。
「とはいえ、Dランクは相手ではありません。サハギンの構成はゴブリンと違います。ゴブリンは遠距離支援として、アーチャーを絶対に引き連れていますが、サハギンの場合は水魔法を扱うので、その必要はありません。その代わりに必ずサハギンリーダーがいます。リーダーのランクはCなんです。そんなに強さは変わらないのに。統率力を鑑みられてCなんでしょう」
『雫さんのそんなに強さは変わらないという証言を俺は却下します』
物差しが100単位の娘の言葉は信じられません。俺の言葉にクスリと雫は可笑しそうに小さな口で微笑む。
「防人さんなら、近寄ることなく倒せるでしょう。ですが……ここらへん一帯のサハギンリーダーを倒し続けて、逆境成長でステータスポイントを稼ぎますので、今回は私が戦いたいと思います」
『その心は?』
「もう夏も終わり。秋になりますし、思い切り戦いたいと思ってますし」
それが本音なのね。まぁ、たまには良いだろうよ。雫もたまには身体をめいいっぱい動かしたいだろうし。
『ま、他に人間は来ないしな。思い切りやってくれたまえ、雫さんや。でも武器は? ゴブリンキングの剣は使わんの?』
「サハギンは素早い上に魔法を使うので、囲まれるとゴブリンキングの剣では対応しきれません。なので、武器は現地調達します」
あれだけ武器が転がっていますしねと、冷淡な瞳へと変えて、身体を前傾姿勢にする。
「目標は50体のサハギンリーダー。では、参ります」
身体に闘気を巡らせて、雫は地面を蹴り走り出し、平原の背の低い草むらの中を疾走していく。ザザッと草むらが音を立てて、一息で数十メートルも移動して、のんびりと何をするでもなく、ただ徘徊しているサハギンに迫る。
サハギンもすぐに近寄ってくる少女の存在に気づき、槍を構えてリーダーを中心にして鏃のような陣形を取る。周囲すべてのサハギンが同等の陣形をとるのを雫は冷静に観察する。
「サハギンは接敵前に必ず同じ陣形を取ります。続いて後衛二人が水魔法を詠唱。その詠唱時間は5秒。敵の対応を見ながら前衛が突撃してきます。『突撃』を」
『突撃』
『突撃』
前衛二人が腰をかがめて、槍を突き出しミサイルのように突撃してくる。風を巻き起こし、接近してくるサハギンを見ながら、雫は立ち止まった。
「前に一歩」
サハギンは立ち止まった雫を見て、僅かに軌道を変えてくる。槍を突き出すが、トンと雫が一歩前に出ると、二人の槍は交差して後ろでガチンと音を立てた。
「パターン化された動き、お疲れ様です」
右のサハギンの腕を掴みとり、足を払い浮かせると頭を押し付けて地面に叩き落とす。そのまま空中に放り投げられた槍を手にすると、その頭に突き刺した。
「3歩後ろへ」
トントンと後ろへ軽やかに下がる雫の眼前を、横薙ぎに槍が通り過ぎていく。その槍を掴み取り、自分へと近づけるように思い切り引く。
攻撃が躱されて体勢を崩されたサハギンは雫の前に倒れ込むように引かれて、慌てて後ろに下がろうとして………目を見開き、力を無くしてズルリと倒れ込む。
その背中は大穴が空いており、血が大量の水と共に噴き出していた。
「『水鉄砲』。予想通りの攻撃の軌道です。これなら問題ないでしょう」
放たれた水魔法の軌道を既に読み切っていた雫は、サハギンを盾にしてやり過ごした。これもパターン化された攻撃だ。
ニヤリとその可愛らしい顔に狂暴そうな笑みを浮かべると、倒したサハギンの槍を手にして再び走り出す。
ギュンと踏み込みに力を入れると加速してサハギンリーダーへと肉薄する。リーダーは2メートル程度の背丈を持つサハギンの中で、頭一つ背が低い。160センチぐらいだろうか。しかし、その肉体は他のサハギンよりも強靭だ。鱗は軽く薄いが鉄よりも硬い。通常弾なら弾き返し、AP弾でも闘気や魔法により防御力を上げられると、その身体に食い込むだけだ。
「クェェェッ!」
歩く装甲車のようなサハギンリーダーは口を威嚇のために開けて
槍にその口内を貫かれて、驚き、身体をビクンと震わせて息絶えた。
「敵が攻撃態勢にあり、攻撃範囲5メートル内に入ると、威嚇をする。その時、最大の弱点を見せます。魚は釣り針を飲み込む、といった感じですか」
サハギンリーダーの槍も片手に掴み、刺さった槍もリーダーを蹴り飛ばして引き抜くと、その場で勢いよく身体を回転させて、両隣にてリーダーが倒されて怯むサハギンに投擲した。
怯んでいたサハギンたちはその頭に槍が突き刺さり、力なく崩れ落ちるのであった。
「10秒で1隊撃破。移動時間を考慮して5分で10隊撃破を目標にしましょう」
『うん、俺はもう驚かないよ?』
呆れてしまう戦闘力だ。本当にステータス通りの性能なのか、限界を超えているかはわからないけど。
涼やかな声音で髪をかきあげて、突き刺したサハギンリーダーの槍を引き抜くと、平然とした顔で雫は細っこい肩にトンと担ぐ。
「この狩場はなかなか美味しいですね。ほら、ザバザバ川から出てきますし」
離れたリーダーがクェェェと叫ぶと、サハギンたちが群れをなして出てくるところであった。その全てを倒せば、かなりステータスポイントを稼げるだろう。
「見る限り、サハギンエンペラーはいませんし、そうなると楽なものです。隊ごとにバラバラに同じパターンで攻撃してきますので」
『何種類ぐらいのパターン?』
「38パターンですね」
『それ、パターンとは言わないと思う』
「覚えれば簡単ですよっと」
クスリと微笑み、ふわりと羽のように背面飛びでジャンプすると、その真下を高圧の水弾がいくつも通り過ぎてゆく。
「水弾による牽制。これで6パターンまで絞られました。闘技を使わなくてもこれならいけますよ」
タンと地面に降り立つと、次なる隊へと走り出す。リーダーを中心に戦う魔物の隊は低レベルでスキルの少ない敵ならば、わかりやすく詰め将棋のようなものだ。
まったく負ける要素はない。次々と現れる敵だが、こちらを攻撃しようとする敵は限られている。
「ソロに対する魔物の行動はわかりやすく見極めやすい」
決められたダンスでも踊るように、舞いながら雫はサハギンたちを次々に倒していく。作業のように淡々と。まるでサハギンたちは倒されるために自ら攻撃に当たるように動いていた。
「貴方達では私には決して敵わないと宣言します。魚を捌く魚屋さんみたいなものです。なぜならばリーダー視点だからです。5対1のように見えて、実際は1対1」
サハギンリーダーの『統率』スキル。ゴブリンキングの『親衛隊強化』と同じく、隊の意思をリーダーが一手に操る。なので対応は簡単となる。雫にとってはリーダーがいない方が戦いにくい。
しばらく後に、サハギンたちは全て駆逐され、辺りには死骸の山が築かれていた。
「闘気はその能力の補正にて、僅かに疲労回復するとはいえ、ちょっぴり疲れましたね」
少しだけ汗をかいて、手で拭いながら深呼吸をして息を整える。
『おっさんはちょっぴりで終わる雫さんが怖いよ』
「器用度が500ですからね、精度の高い行動が取れるんです。敵の攻撃を見極めることはもちろん、僅かのフェイントにより、こちらの行動に合わせるようにできるんですよ」
『そんな雫さんが素敵と称賛するよ。ポイントはいくつ手に入った?』
サハギンリーダーをかなり駆逐したのだ。それなりのステータスポイントが手に入ったと思ったのだが、確認する前に、雫が表情を険しく変える。
「防人さん。車が接近中です。音からして複数。トラックもいますね。このままだとまずいことになるかもしれません」
風に乗って聞こえてくる僅かなエンジン音を雫は聞き取った。恐らくは軍だ。
『はぁ? 水場に? 車ということは軍かよ』
「どうしますか?」
『………『影転移』でとりあえず家に……コアもったいな!』
この場を逃げるのは簡単だが、このコアの山を捨てるのはもったいない。
「それじゃ『全機召喚』で私を残していってください。コアを回収しておくので。効率化により6時間ほどの効果時間になりましたよね?」
『そうだなぁ………。そうするか。先に戻って情報を集めておくわ』
「仮面。仮面を用意しておいてください。見つかった場合は仮面を被って、サハギンと戦っている仮面マスクで、バラバラになった子供を集めていますと答えておくので」
良いことを思いつきましたと、悪いことを思いつく、いつものわけわからない発言も加える雫さんである。暴走しないようにな、お願いするぜ。
「見つからないようにお願いします。『魔法武器化』」
『全機召喚』を使用して、二人に別れると、手に銀色の仮面を作り上げる。顔の半分を隠す仮面だ。極めて胡散臭い。というか、仮面を用意する必要なんか
「わんっ」
やっぱりやめたと俺が言う可能性を感じ取ったのか、子犬みたいな美少女が高速で仮面を奪い取っていった。ふふふと笑って顔に取り付けると魔法がかかり剥がれなくなる。
「防人さんの初めてのプレゼントですね」
本当に嬉しそうに、花咲くような微笑みで、くるくると回転する雫さん。
「プレゼントとなると、もっと今度ちゃんとした物を渡すけど? ねぇ、見つからないようにしてね? 約束だぞ?」
「任せてください。隠れ潜むことに関しては得意分野の予定です。それじゃコアを集めておきますね」
「情報を得たら、すぐに戻ってくるから? 見つかりそうな時は隠れるんだぜ?」
「大丈夫ですよ。私に任せてください!」
トンと胸を叩く雫に、大丈夫かなと不安に思いながらも防人は情報を集めに本拠地まで戻るのであった。
そして、大木君から防人は情報を得たのである。