55話 研修
大木は聳え立つ天津ヶ原本社の階段を走り抜けていた。受付を通って、居住階層、そして研究室を通り抜けて、訓練でもするように階段を駆け登る。
まだまだ残暑が厳しい中で、額に汗を浮かべ息を切らしながら。
書類を抱えた人にゴメンよと謝り、荷物を載せたカートを押す人を身体を傾けてぎりぎり躱すと最上階まで登りきる。
「ゴホッゴホッ。社長の家、引っ越してくれないかな。最上階まで登るの大変なんだけど」
だが、この報告は急いでしないと、まずいことになると調子の悪い体を押して、ふらふらとしながら家に入る。その姿はメロスも驚くほどの頑張りを見せていた。
「社長、いますか〜?」
ガランとした家。人の気配がない。もしかしたら荒川に向かっているのではと青ざめてしまう。あれから気づいたのだ。昨日の会話、もしかしたら荒川に学生たちが行って、社長と出会ってドンパチとなるのではと。所謂フラグというやつだ。
なので、急いで来たのであるが………。
「あ〜ん? なんだよ、大木君か。なんの用だ?」
家の中から頭をボリボリかきながら欠伸をして現れたのは社長であった。
普通にいた。気のせいだったようだ。
「ねみぃ。今日は日曜日じゃねぇか。なんだよ、いったい?」
「いたんですかい……良かったぁ〜」
体から力が抜けてへたりこむ。内街と戦争になっちまうかと思っていたのだ。だが、気楽そうにラフな格好で社長は家にいた。
「いや、どうも内街の軍が動いているらしいですぜ?」
「内街の奴らが? なにかあったのか? 大物でも現れたか?」
「いや、どうも学生とかいうのが……」
昨日兵士から聞いた話をなぞるように、身振り手振りを交えて話す。社長は目を細めて顎に手を添える。
「なるほどな……学生たちが……軍学校ねぇ。そんなのがあったのか。いや、あるのは当然だよな、節約しないとなにせ銃弾も厳しくなってきている昨今だからな。その銃弾を外街の下っ端が使っちまうってのは皮肉だが、そんなもんか」
「へいっ。ここらのダンジョンが攻略される可能性が高いかと。もしかしたら水場で出会って、不慮の事故とかになるかなぁって。昔の小説とかよくあったじゃないですか、そういうの。だから、体調不良の中、急いで来たんでさ」
「もう昼間だけどな」
太陽は真上に来ていた。日差しも熱く、大木君は二日酔いで気分が悪かった。暑い中で走ってきたので、ますます気持ち悪い。
「ちょっぴり昨日飲み過ぎちまって。知り合いの兵士が奢ってくれるっていうんで、しこたま飲んでですね……えへへ」
「まぁ、報告してきただけマシな方だ。わかったよ。今日はおとなしく家で休日を楽しむことにする」
呆れた声だが、怒る様子はない社長の様子にホッと胸をなでおろす。
「今日はお一人ですかい?」
「あぁ、幸運なことに誰も来ていないな。ゆっくり俺も昼寝を楽しむ。そんじゃぁな、ご苦労だった。ほれ、駄賃だ」
ピンと500円玉を指で弾いてこちらへと撃ってくるので慌てて受け止める。
「ヘヘッ。ありがとうございますって、イテッイテッ」
ビジビシと同じように500円玉を撃ってくるので、身体に当たってしまい、結構痛い。
「駄賃と罰だ。そういう報告は昨日のうちにしろ。焦っちまったじゃねぇか。……だが、学生なら混じっていてもおかしくないよな。タイミング的に」
チャリンチャリンと転がる500円玉をかき集めて、6枚もあるぜと喜ぶ。が、なにか変なことを言う社長に疑問を覚える。
「なにがタイミング的になんですかい?」
「いや、完全休養するのにだ。危ないから数日は引っ込んでいることにする。そんじゃあな」
「へいっ。そんじゃ失礼します」
再び家の中に片手を振りながら戻っていく社長へと挨拶をしてから帰ることにする。
「良かったぜ。社長がいて」
安堵の息を吐き、手の中にある500円玉を握りしめて天を仰ぐ。
「さて、迎え酒といくか」
そうして大木君は酒場に行くかと足取り軽く帰るのであった。やはり二日酔いには迎え酒なのだ。
仰いだ天は、黒い雲が出始めていた。台風が近いのかもしれない。
廃墟街を車列が走っていた。軍用ジープが3台、歩兵輸送トラック2台が珍しくも走っていた。瓦礫の中を突っ切り、石ころを蹴散らして。
その中で2台目のジープの中にいる男が苛立ちを覚えていた。
日本軍の佐官であり、東京ではそのスキルの高さで4本の指に入る丸目少佐は苛立ちを隠さずに指で腕を叩く。
「ちっ。なぜ学生の護衛などを私がしなくてはならないのだ? まったく馬鹿げている」
「仕方ないかと。彼らは黄金世代と呼ばれているらしいですからね」
揺れる車の中で、運転手の少尉へと不満を口にする。少尉は無表情を貫きながら、答えてくるので、フンと鼻を鳴らして外を見る。
相変わらずの光景。ボロボロの家屋は朽ち果てる寸前で、もはや住める場所ではない。ビルは窓ガラスもなく、元オフィスには雑然と机や椅子が転がり、黒い染みがそこかしこに見られて使えそうにもない。
……はずであった。
そこで見つけたダンジョンを攻略して、あっさりと帰還するつもりであったのだが………。
「少佐。ダンジョンを発見したとの連絡あり」
無線通信を受けた助手席に座る兵士が振り返って報告してくる。
「よし。それではダンジョン攻略を開始できるかね?」
「はい。………学生たちが納得すれば、ですが」
その含んだ言い回しに、ますます苛つく。これで3つ目のダンジョンだ。
「ツアー客がチラホラと見られるとの報告も。また養殖ダンジョンの模様。学生たちからは、接待はいらない、と返答あり」
「くそっ! 廃墟街の連中め。いったいいつの間にこんな状態に?」
手を打ち、繰り返される報告に怒りを覚える。先程からこれなのだ。
「どうやら強力なスキル持ちがいるようですよ。見えてきました」
車が進む中で、ビルの角を曲がると丘のように盛り上がった洞窟が目に入る。先行していた偵察部隊のジープと歩兵輸送トラックが駐車して、兵士たちが展開していた。
自動小銃を構えて周りを警戒しているが、その態度は緩んでいた。周りにみすぼらしい古着を着込んだ者たちがやけに立派な金属製の槍を持ち、脇に黒い虎を従えて、遠巻きに兵士たちを眺めている。
その周りには戸惑う様子の棍棒やらを持った連中も。
彼らはゴブリンたちを狩っているのだ。軍を前に控えているが、コアを稼ぎに来ているのだ。
「コアストアがここまで影響を与えるとは………僅か数カ月で廃墟街の奴らが息を吹き返すとは……信じられん。ゴミ溜めの中で息を潜めて生きていれば良いものを」
ゴミはゴミ箱に入っていれば良いのだ。それなのに、ダンジョンを管理までできるとは。
「市場ができているらしいです。あ、あまなんちゃらとかいう会社が支配しているようですよ。コアを買い取り、ストアで交換し商品を大量に用意していると」
先行した調査員からの報告は読んでいる。信じられん。内街でも行なっていないことをやり遂げるとは。
「チッ。面倒くさいことをしてくれる。………これではテーマパークだな。学生たちが嫌がるのも理解できる。しかも黄金世代? なんでそんな恥ずかしい名前で呼ばれているんだ、その名前通りの功績を得たいのだろうが」
東京四天王もいい加減やめてほしいがと、ますます苛立ちながら考え込む。黄金世代、名前のとおり黄金の功績が欲しいのだろう。
「ここらへんのダンジョンは駄目だな。そのダンジョンは放棄しろ。廃墟街の奴らがいない場所。広範囲を調査すればゴブリンに接敵するはず。その近くは手つかずのはずだ。これ以上、時間をかけていられん。このような臭いところにいつまでもいることもな」
「はっ! では?」
「戦力を分散するのは心苦しいが、どうせここらへんの敵は雑魚だ。学生たちは歩兵輸送トラック一台を護衛につけさせておけ。私も先行して調査に加わる」
面倒だが仕方あるまいと嘆息する。自分は軍人だ。廃墟街など歩くのも嫌だが、効率を考えると仕方あるまい。
丸目少佐の険しい声音での命令を受けて、通信兵は頷き、兵士たちに分散しての調査を命じ始める。
「頭が痛い………銃弾は貴重であるはずなのにな」
この実地研修だけで、かなり実弾が無意味に消耗される。廃墟街のダンジョンなぞに、貴重な銃弾を消耗するのは耐え難い。
「この実地研修だけは、高官たちの面子もありますからね」
「上はいつもそうだな。車を発進させろ。あぁ、学生たちはここで待機。待機するのが嫌なら目の前のダンジョンでの攻略に満足するようにとな」
「はっ! 了解しました。こちら指揮車、お客様には寛いでもらっておくように。送れ」
無線にて通信を始める部下を見ながら嘆息して、丸目少佐は舌打ちと共に窓から外を見るのであった。
丸目たちのジープはゆっくりと進み始めて、北方面へと手つかずのダンジョンを探しにいき、その姿はビルの陰に消えてゆく。
兵士たちはダンジョンから離れ始めて、再びツアーをしていた人々がダンジョンに入っていく。
残るのはジープ一台に歩兵輸送用トラック一台のみ。辺りに静寂が広がる。
トラックから兵士たちが降りて、周囲を警戒する中で、少しして、残ったジープの扉が開く。
「ふわぁ〜、なんだい、俺たちは待機なのか?」
伸びをしながら出てきたのは精悍な青年であった。整えられた黒髪に、快活そうな顔つきの男だ。背丈は180程度、鏡のように磨かれた白銀の西洋鎧を身に着けて、腰には剣を差している。
今回、実地研修に来た子供たちだ。
「そうみたいですね、輝様。どうも今年はいささか様子が違うようです。お待ちになるのが嫌でしたら、目の前のダンジョンで手を打ちませんか?」
次に降りてきた少女が静かな口調で相槌をうつ。紫に金糸の意匠が施されているローブを手に持ち、先端に美しい赤ん坊のこぶし程度の大きさの赤いルビーを取り付けられている白金の杖を手にしている。腰まで届く金糸のような金髪に、涼やかな目に鼻梁、小さな唇。整いすぎて彫刻のように見える美しい顔つきの少女だ。その耳は笹のように尖って長く、エルフだとわかる。
「そうはいかないよ風香。さっきの見た? あんな装備の人々が入れるダンジョンを攻略して、凱旋なんかできる? 人の口に戸は立てられないんだよ? すぐに笑いものになるのがオチさ」
「あの者たちは攻略はできないと思いますよ?」
「それでも、さ。評判というのは大事なんだよ。父上に顔向けができないことはしたくない。もっときちんとしたダンジョンじゃないとね。ねぇ、君はここらへんで一番危険なダンジョンってどこだと聞いている?」
おどけるように肩を竦める男に、エルフの少女は片眉をあげて、黙り込む。
「ここらへんならば、荒川周辺でしょう。水場がありますので、多数の魔物がいるかと」
河川付近には多くの魔物がいると少女は予測して、男はニヤッといたずら小僧のように笑う。その嫌な笑みにエルフの少女は顔を歪ませて、余計なことを言ったと後悔する。
「それなら、待っている間、荒川に行こう。なに、ダンジョンには入らないよ。待機している間、暇だからね。付近にいる魔物を退治しながら待機するのさ。良いだろう、風香?」
「はぁ……輝様にしては理性的ですね。わかりました」
「それじゃ運転手君にお願いして移動しよう」
そうして輝と呼ばれた男子は渋る運転手を説得して、歩兵輸送用トラックと共に移動を開始した。
防人が大木君の話を聞く少し前のことであった。