52話 誘致
天津ヶ原市場と呼ばれる元駅ビル。皆がせっせと掃除をして、蔦を取り払い、隠れ潜むゴブリンや大鼠、スライムなどを片付けてだいぶ綺麗になってきていた。
古い建物であるのは間違いないが、かなりの広さがあり、どっしりとした建物は、かつては魔物蠢く天然のダンジョンと言ったものだったが、今や人々の大切な施設となっていた。
その中で。ベニヤ板で仕切られた区域に小さいながらも、いくつもの店が作られている。その中の1つに古着屋の男はいた。恐ろしい黒ずくめの男に睨まれて、渋々ながらこの場所で店舗を開き一週間が経過していた。
「はいよ〜、そこのお嬢様。服を見ていかないかい? 安いよ〜1000円からだ! とりあえず見ていってくれ!」
ニコニコと笑顔で呼び込みをすると、買い物に来ていたおばちゃん連中がこちらに歩いてくるのを見て、ますます笑顔で出迎える。ハンガーラックには、男が仕入れて手直しした服が軒を並べている。
露店みたいに、ゴザの上にみすぼらしく置いてあるわけではない。しっかりとハンガーにかけてあるのだ。
一国一城の主となったと、誇らしげに胸を張り揉み手をするという器用なことをしながら、服を眺めているおばちゃん連中を見守る。外街から訪れたとわかる。その理由はリュックに詰めたじゃが芋やトウモロコシだ。
「安いわね、何着か買っていくわ」
「そうね、あたしんちも子供のために買っていくわ」
古着なのだから安いのは当たり前。目の前のおばちゃん連中はいつも露店で買い物をしている懐が寒い連中だ。古着だって露店にみすぼらしく並べてある物を買うのが当たり前。
だからだろう。値段は同じなのに、店舗で買うことに喜びを見出しているのか、ポンと服を数着買ってくれた。
「毎度あり!」
深々と頭を下げて、おばちゃん連中が立ち去ると、ホクホク顔で奥に戻って喜びの声を挙げる。
「お前、見ろよ。今日はこれで11着目だ! こんなに売れたことなんてないぞ!」
普段なら2、3着が良いところだ。それが昼になる前にもう11着。こんなに売れて良いのだろうか?
「うるさいわねぇ、お前さん。そんなの見てるからわかってるっての。フフ、店を構えると売れ行きも良くなるのねぇ」
多少小太りの男の妻が、憎まれ口を叩きながらも笑顔で答える。その手には針があり、新たなるぼろ布を手直ししている。男は妻と二人で服を手直しして、販売を行なっていた。ボロ布はこの市場で売っていたので買い取った。今までより原価は高くなったが、売れ行きが良いので問題はない。
しみじみと言う妻を見ながら、男は胸を張り鼻をこする。
「俺のお陰だぞ。俺が上手いことチャンスを掴まなかったら、こうはいかなかったな。お前は猛反対したが、俺はチャンスだと思ったね! なにせ、前張りしか女神様はつけてないらしいからな」
フヘヘと笑うドヤ顔の夫に妻は呆れたようにため息を吐く。
「馬鹿だね、あんたは! 女神様は前髪しかないんだよ。なんだい前張りって。そんな変態の女神がいるもんかい! ……まぁ、たしかにあたしゃ猛反対したよ。なにせ、廃墟街だからね。きっとあんたは身ぐるみ剥がされて、殺されちまって帰ってこないだろうとも思ってたよ」
「酷えな、お前! 出掛ける時、やけに辛気臭かったのは、俺が死ぬと思ってたからなのかよ!」
「そうだよ。あんただって、数着しか売り物を持っていかなかったじゃないのさ。俺はもぅ死ぬんだ〜って、泣きながら出掛けてさ」
妻がバンと夫の肩を叩くと、気まずそうに表情を変化させて夫は頷く。あの時は死ぬかと思っていたが。きっとシマのチンピラに逆らった見せしめとして殺されるのだろうと、幽鬼のようにふらふらと力なく天野社長の所に向かったものだ。
それがお昼には空手となって、服が売り切れたと大喜びで家に帰ることになったのだが。そうして、多くの人々が買いに来るので嬉しいやら驚きやら、しかも店舗も借りることができて、一国一城の主となった。
それを聞いた妻が、半信半疑ながらもついてきて……現在に至る。コンスタントに売れる服を前に、懸命に仕立て直しをしているのだ。もしかしたら売り物の服がなくなるかもしれない。
まさか、俺たちがこんな心配をする日が来るなんてと、ニヤケ顔が止まらない。
「外街に帰るのはたまにで良いよな? 週一回ぐらいで」
「そうだね、あんた。家賃や税金も払わなきゃならんし、病院とかもあるからねぇ。ここに医者がいれば完全に住むんだけど。あたしらの住む狭い6畳1間の長屋暮らしなんて馬鹿らしいけど仕方ないね」
貧乏人たちが住む外街下層ではほんの時折だがダンジョンが生まれるし、対応が遅いから死者も出る。ダンジョンが生まれなくても、盗賊、悪漢、荒くれ者は数多く、夜に出歩けば死ぬ可能性もある所だ。
だが、ここでは広い部屋を格安で借りることができて、のびのびと寝ることもできる。電気がないことが不満だが、そこまで固執することはない。貧乏暮らしの自分たちは電気の通っていない長屋暮らしだったのだから。
治安も良い。漆黒の大虎が警備員に連れられて、のしのし歩いて巡回しているし、警備員も賄賂を寄越せとは言ってこない。闇市場では、賄賂は当たり前、チンピラへの付け届けもあった。
「ここから俺たちの成り上がりは始まるんだ。見てろよ、お前。すぐに新品の服を扱うようになって、豪邸を建てて、お手伝いを雇うようになるからな」
「期待してるよ、お前さん。あんたの成り上がりっていうのをさ」
任せておけと、笑い合い野心を持つ古着屋の夫婦であった。それを黒猫が隅に座り、ジッと見つめていたが、調子に乗った二人は気づかなかった。
自宅のリビングルームにてソファに座り、目を瞑り市場の様子を黒猫を通して確認していた防人はソファに凭れかかると、ふわぁと大きく欠伸をした。
数多くの黒猫を通して、同時に全ての内容を見聞きするのは不可能なので、これと思ったものだけを覗いていたが、それでも頭はガンガン痛いし、気持ち悪い。肩も凝るしと首を回して口を開く。
「何をしているのかな、雫さん?」
頭を抱えてふらふらと歩く雫さんへと半眼で尋ねる。また何か変なことをしている模様。放置しても良いんだけど、泣きそうな顔になるからなぁ……。
『うぅ、なぜか人の視界が見れます。視界ジャック、視界ジャックです。了解、射殺します』
「何か怖い雰囲気を出さないでくれます?」
おどろおどろしい雰囲気なので、思わずツッコミを入れてしまう俺。ちょっぴり怖い空気を雫が出していたので。
『むぅ……たしかに今のは盛り込みすぎでした。もっとわかりやすいネタでないと……。反省。やはり電脳ジャックする公安部隊にするべきでしたか』
コテンと顔を俯けに、膝立ちになると、子犬みたいにお手をしてくる美少女。本当に雫は微少女だなぁ。
『何やら変なことを考えたような気がしましたけど、まぁ、良いです。それよりもあれ良かったんですか? 廃墟街の人々を喰い物にしてきた人たちですよ?』
俺と同じものを見ていた雫が疑問を口にしてくる。
「ん? 雫さんがそういうことを気にするとは珍しい。博愛主義に目覚めたか?」
いつもはふざけているし、倒れている人がいても気にしないどころか、何かの罠ではと銃弾を喰らわす娘なのにな。
『いえ、特には。全体で上手く行けば良いと考えているので。防人さんが気にすることなのではと、好感度アップのために考えたんです』
ケロリとした表情で、隠すことなく答える雫。やはり気にはしていなかった模様。雫はドライだからな。仲間が傷ついても、まず戦力の低下からくる作戦の変更を考えるだろうし。
「それを口にして、俺の好感度が上がったら、おかしいだろ。だがまぁ、言わんとするところはわかる。あいつらはたしかに廃墟街の人間を喰い物にしてきた。それはたしかだ」
俺にもわかっているよ。そんなことは。
「あれは普通だ。外街の普通。酷いところは、普通に魔物の餌にしたり、犯罪の片割れとしたり、解体工事で奴隷扱いするからな。大人の対応をするしかない。配給券で廃墟街の人々から集めたボロ服を買い取っていただけマシな方だ。それに真面目に販売をしているみたいだしな」
『たしかに手直ししてボロボロになった服を見事に直しています。見事なものです』
ちゃんと小さな穴もパッチして、繕っている。古着だが、丈夫そうで良い出来だ。恐らくはスキルではない。
「だろ? それに『裁縫』と『糸加工』のスキル持ちが、こっそり技を盗むべく控えているかもな。練習用の布はゴブリンから剥ぎ取れるし」
子供たちが、お客のふりをして、こっそりと覗いているのを気づいている。古着屋の夫婦は調子に乗って気づいていない。
「どちらが必死になって努力するか見ものだな。あの子供たちはほんの数センチだけ先に進む速度が速い」
『超能力者になれる可能性を持っているということですね、わかります』
ウンウンとしたり顔の少女だが、なぜ超能力者?
「いや、超能力者にはならねぇよ。努力が少しだけ報われるのが早いというわけだ」
あの子供たちをレベルアップドーピングさせるつもりはない。鍛冶や知識と違って、練習すれば自分自身の力で腕を上げられる。その手伝いは純たちがいくらでもしてくれるだろうしな。針とか鋏とかな。
そのため、彼らはスキルに頼らなくても腕を上げることができるに違いない。技を盗むのはスマンと言っておこう。
『なんだ、ではあの人たちは踏み台なのですね?』
え? と、意外な雫の言葉に笑ってしまう。珍しく視野が狭い。戦闘に関係しないからか。
「開かれた市場ってのは、あらゆる人たちにチャンスがあるんだぜ? あの古着屋の主人がメキメキと腕を上げて大店となるかもしれないし、子供たちが店を持つかもしれない。売れ行きが良いと、他の服屋が俺の市場に来るかもしれない。ライバルはたくさんいるんだ。俺的には子供たちを応援するけどな」
『なるほど。たしかに市場ですものね。そうして服目当てで、外街の人間が来るようになると』
「他のことにも当てはまるがそのとおり。今はじゃが芋やトウモロコシを闇市場よりも少し安く売って人を集めているが、未来はわからないんだぜ」
この一週間で、訪れる外街の連中はかなり増えた。安全な道程だと理解したのだろう。トウモロコシやじゃが芋をパンパンに詰めて帰る姿が黒猫越しに目に入る。
コアを買取ってくれるとわかり、ダンジョンツアーに入ろうとする者たちもチラホラと現れているし、だいぶ金の流れが生まれ始めている。これならば、外街から外貨が入ってくる。か細い糸だが外街と天津ヶ原市場を繋ぐ流通網が出来上がったのだ。
「まぁ、まだまだ始まったばかりの市場だからな」
これからが楽しみだと、防人はソファに凭れかかり、居眠りを始めるのであった。