5話 残機スキル
3年前のことだ。俺は死にかけていた。簡単ではない仕事を受けた。廃墟街におやつでも食べに来るような気軽な感じで現れて、人々を食っていくゴブリンの群れを退治してくれとの依頼だ。ホブゴブリンも混じっており、苦戦するのは確実であった。
当時は十年以上の戦いで傷だらけとなっていた身体を酷使して、ゴブリンたちを倒していった。ホブゴブリンも罠を仕掛ければ倒せる。順調に倒していったのだったが……。
一匹だけ、毛色が違うゴブリンが混じっていた。赤い帽子に赤い服を着ている以外は他のゴブリンと体格も変わらないし、たまたま人間の死体の服を着込んだゴブリンだろうと気にしなかった。
間違いであった。ホブゴブリンよりも素早くヒョウのように動き、その筋力もあっさりとコンクリートブロックを発泡スチロールのように砕ける化け物。レアモンスターという変異種であったのだ。
防人は死闘を繰り広げた。己のマナを使い、罠を使用して、片手を奪われながら戦い……最後は廃墟ビルの屋上から一緒に落ちるという荒業を使ったのだった。
レッドキャップと後に名付けたゴブリンをクッションにして、地上に落ちたが、死は免れない状態であった。血で身体は塗れ、腕はなく足もへんてこな形に曲がっている。
薄れゆく意識と共に、これまでの自分の頑張りが無になったかと嘆息しながら、倒したレッドキャップをぼんやりと見ていた。と、潰れたレッドキャップの紅く光るモンスターコアを見つけた。初めて見るコアであった。
『と、等価交換ストアー』
残る気力を振り絞り、等価交換ストアーを呼び出した。そして紅く光るコアを入れたところ、特殊コアであったのだろう。たった一つでいくつかのアイテムが交換できるように文字が青くなった。
『レアEモンスターコアが投入されました。限定品が取得可能です』
モニターに表示されたメッセージを見て、ボヤケていく視界の中で震える手で一覧を見た。回復アイテムがあればと。この瀕死の身体を回復させるアイテムがあればと。
なかった。レアといってもEランクだからだろう。だが、スキルはあった。
『限定1:残機スキルMAX 自分の命を増やす』
これだと思いながら、残機を選択し、黒い粒子が己を包み込む中で俺は意識を失った。
もはや、目覚めぬ眠りだろうと考えて。
そうして、次に目覚めた時に、少女がいた。俺は少女の中にいながら、俯瞰するように周辺に漂う幽体でもあった。
少女は、ふと気づいたように幽体の俺と目を合わせてきた。可愛らしさと美しさが同居する少女であった。
「あぁ、目が覚めましたか。肉体の修復は進んでいるようですね」
なんでもないかのように、話しかけてくる少女に俺は戸惑った。死んだ俺は浮遊霊にでもなっちまったのかと。
一つ頷くと、少女は教えてくれた。
「貴方は残機スキルを手に入れました。以降は私と貴方、両方が死なないと、死んだことにはなりません。なお、スタンバイ中の方は、肉体は徐々に修復されていきます。死んだ場合はストアーから蘇生の薬を買ってください。それを使用して復活できます。良かったですね、千切れた腕も過去に魔物に噛みちぎられた指も、抉られた太腿も全て完全回復します。回復時間はそのダメージ量によって違いますが。たぶん今の貴方なら1週間程度でしょう」
ニコリと微笑む少女に、思わずいい歳をして見惚れてしまう。その表情を見られたのか、少女は悪戯そうにクスリと微笑んだ。
「私の名前は……そうですね、雫。天から堕ちてきた命の一滴。天野雫と名乗りましょう。これからよろしくお願いしますね、防人さん。あぁ、実は助かりました。私も死ぬところだったんです。……厳密には死んでいたのかもしれません」
どうやら俺は助かったらしい。命が増えるって、別人の命と共有することなのかよとも思ったが。それでも命が助かったことには変わりはない。
「で、雫さんや? お前、今何食べてるの?」
周囲を見渡すと、部屋であった。ペントハウスの俺の居間だ。
「チョコレートって、最高の食べ物ですね。もっとください」
口の周りをチョコレートだらけにして、パキリと板チョコを齧る美少女。可愛さは口の周りのチョコレートで、半減だ。
「もっとください、じゃねーよ! それは貯金代わりだったんだよ? なんで食べてるの? というか、どうして俺の隠したチョコレートの場所知っているわけ?」
テーブルには、銀紙のごみくずが大量に放置してあった。この娘は30枚近い板チョコを容赦なくハムハムと食べていたのだ。
「私は防人さんの記憶を共有しています。なので、あらゆる隠し場所や食べ物、戦法まで熟知しています。ちなみに別人扱いでもあるので、ステータスの割り振りとスキルは適当に自分で取得しておきました。あ、いけない本は捨てておいたので安心してください。古い格言えっちぃのは殺します。ですね。それと私は甘い物が大好きです。スタンバイモードだと、食べ物すら必要ではないですが別腹というやつです」
「別腹の使用方法が違うだろ」
ジト目になって、さっきまでの見惚れた感情はどこへやら、俺は雫を呆れた様子で見つめた。
と、クスクスと雫は口元を隠しながら面白そうに話を続けてきた。
「そして、貴方が世界の救世主になろうとしていることも知っています。面白い方法だと、感心しました。なので、私はきっとその役にたてると思いますよ?」
穏やかそうな目つきの中に、何を考えているか、わからない光を宿し、雫はそう答えてきた。
そして、俺は一生のパートナーを手に入れたんだ。
ホブゴブリンを倒した次の日。防人は黒いコートを羽織り、フードを被り、マスクをして昼の廃墟街を歩いていた。一般的常識からすると、怪しいというより、恥ずかしいレベルになるだろうに、おっさんはクールにダンディに機嫌よく歩いていた。
何かないかと彷徨ついていた人々が、 防人の非常識なTPOを弁えない格好を見て、目を逸らしてそそくさと離れていく。俺って恐れられているよなと、その光景を見て、フッと笑うおっさん。恐れられているという意味が違うかもしれないが気にしません。廃墟街では細かいことを気にはできないのだ。そういう建前にしておきたいと思います。
廃墟街でも、ビルとビルの間にベニヤ板が貼られて、見張りが粗末な槍と弓を持って守っている比較的安全な場所。一応治安は守られており、大鼠が時折襲ってくるだけの場所に防人は辿り着いた。武田信玄の縄張りだ。風林火山と書かれた汚い旗が立っている。
「いつも思うが、武田信玄の風林火山って旗は4文字だけじゃないはずなんだよな」
『まぁ、流行りに乗っただけだから、適当なんですよ、きっと』
幽体となっている雫が目の前に浮かんでおり、つまらなそうに答えてくる。今日は寝ていないらしい。スタンバイモードの方は幽体となって、マスター側と話せたりするのだ。
ちなみに怪しまれないように思念での会話だ。ただでさえ怪しいおっさんなのに、独り言をしていれば、いよいよ危険なおっさんとなるので。
「お、防人の旦那じゃねえか。おい、扉を開けろ、旦那が来たぞ」
見張りの一人が気付いて、ベニヤ板の扉を開ける。細く開けられた扉を躊躇うことなく潜り抜けて中に入る。
中は相変わらず活気のない死んだような場所であった。やせ細った人々が明日の希望を持てずに、座り込み動こうとしていない。ドラム缶の中で燃やしている焚き火に集まり、ぼそぼそと話す男たち。食い物にも困る地域だ。娼婦が立っていても、収入などないために、細い通りもガランとしており、店などは露店すらもありゃしない。
「信玄はどこだ?」
仕事もなく、食べ物もなく、明日の希望すらない人々から目をそらして、門番のチンピラに尋ねる。
「へい。いつもの酒場でさ。ご案内しましょうか?」
「いや、風林火山だろ? なら、知ってる。一人で行くさ」
手をふらふらと振って、信玄の縄張りを歩く。武田信玄。なぜか戦国時代の名前が流行っていて、そう名乗る者が多くなっている。有名どころの武将の名前を名乗れば、それだけ自分の力を誇示できるというやつなのだろう。
俺を好奇の目で見てくる人々を尻目に、ボロボロのアスファルトでできた道路を歩いていくとすぐに辿り着いた。元は居酒屋チェーン店であった看板の上に厚紙が貼られており、風林火山と書いてある。アピールしすぎである。パチもんにしか見えないぞ。
もはや動かない自動ドアの前に、二人の見張りが立っている。そのうち一人は昨日突っかかってきたガタイの良い男だ。俺に気付いて、駆け寄ってきた。
「防人の兄貴じゃねえか! ホブゴブリンの群れを退治したらしいっすね? いや、弟分として鼻が高い」
「弟分いらないから。妹分なら欲しいけど。っと、コホン。弟分なんぞいらんし、お前を弟分にしたつもりもない。どけ、信玄に報酬を貰いに来た」
「いや、良いじゃねぇですか。兄貴にも舎弟が必要じゃフゲッ」
とりあえず蹴っ飛ばしておく。ガタイの良い弟分といったら、ヤラレ役じゃん。主人公の前に現れる強者の強さを見せつけるためのヤラレ役じゃん。なんなら殺られ役じゃん。そんなんいらね。
妹分なら良いんだけどねと、見た目はクールに店に入る。店内はテーブル席12席、カウンター席が10席程度の広い居酒屋だ。昔の名残りでメニューが壁に貼ってある。夏限定、鱧始めました、と。鱧、興味深い。もはや京都にでも行かないと採れないだろう。
薄汚れている服を着込んだ、さらにその上に、鎧代わりだろうが、革のジャンパーを羽織っている者たちがいた。
愚連隊と言うには、痩せすぎていて、凄みがない。マフィアと呼ぶには貧乏くさい。どうだろう、一揆を行なっている食うに困った農民の集団というところだ。俺一人で蹴散らせそう。銃を隠し持っている奴がいるから、無理だろうけどな。
入ってきた俺に、中で話をしていた奴らは注目してくる。慣れたことなので、気にはしない。空き缶や紙くずなどのゴミが散らばっている床を歩いていく。掃除しろ。
ヒソヒソと話をしてくるが、俺のことを恐れる内容だろう。
「この真昼に、また黒ずくめだぜ」
「ばか、聞こえたら殴られるぞ」
「本人はかっこいいと思っているんだから、そっとしてやれよ」
フッ。やはり俺のことを恐れる内容だな。そうに違いない。雫よ、ジト目で見なくても泣かないから大丈夫。この黒ずくめは雫と入れ替わってもバレないようにするためでもあるんだよぉ〜。……ちょっとかっこいいと思っているのは否定しないけど。
一番奥に行くと、女を侍らせて……。いや、苦々しい表情で缶詰を数えている大柄なスキンヘッドの男がいた。武者鎧を着込んでいるのが特徴だ。俺より酷い格好のやついるじゃんね。
「ん? おう、防人じゃねぇか。よく来たな。相変わらずアホな格好をしているんだな」
「それは自分の姿を鏡で見た上で口にしているのか?」
呆れた様子で俺に声をかけてきたハゲを見る。
この縄張りのボス、武田信玄だ。