46話 博士
自動販売機に並ぶラインナップを見て、花梨は尻尾を揺らしながら迷う。色鮮やかな缶の中に新発売と書いてある缶が気になっていた。
「新しいジュースって、美味しいのかにゃあ」
バナナアズキサイダーとは美味しいのだろうかと、う〜んと首を捻って考えてしまう。だが、キッと目を細めて決意すると、ボタンを押下した。右のオレンジジュースのボタンと同時に。
「運を天に任せるにゃ!」
自分の運を信じて、ドキドキしながら結果を待つ。ガショコンと音がして、缶が出てくるので、恐る恐る取り出してみて、嘆息をする。
「ニャア……バナナアズキサイダーにゃ……しかも、不味っ!」
がっかりしながら、プルタブを開けて、飲んで 顔をしかめてしまう。バナナとアズキの混在した味が炭酸により、訳のわからない味となっていた。
「ふふっ。人間は自然と左のスイッチに力が入るらしいよ。君はオレンジジュースを飲める運命にはなかったわけだ」
「なんで、新発売って、いつも罠ばかりにゃ。美味しいジュースに当たったことがないにゃん」
後ろからかけられた涼やかな風鈴の音のような声音の持ち主へと振り返り、口を尖らせる。千円もしたのに、勿体ない。
「好奇心は君を殺すからね。ほどほどにした方が良いと忠告するよ」
振り向いた先には、アルビノの美少女が立っていた。幼い顔立ちで歳は15歳程度だろうか。小柄な体躯の割に、胸がありモデルのようにスタイルは良い。腰まで届く白い髪は艶があり美しく、ルビーのように紅い瞳は理知的な光を宿しており、誰もが見惚れる美少女であった。白衣を着込んでいるのが、少し残念だ。めかし込み服装に気をつければ絶世の美少女となるだろう。
「セリカにゃん。そこは猫にゃ。猫娘は適用外にゃよ」
「おや、そうだったかい? 僕は君のためにある諺と記憶してたんだけどね」
「あちしは用心深いから大丈夫にゃん。おひさ〜」
にゃんにゃんと、猫手で愛嬌ある笑みを浮かべると、片眉をあげてセリカと呼ばれた少女は肩をすくめて返した。用心深いとの言葉を信じていないらしい。
「おひさ。花梨がラボに顔を出すなんて珍しい」
「セリカに会いに来たにゃんよ。ここは相変わらず清潔感あって、苦手にゃん」
「猫は清潔が好きなはずだけど、君は例外らしいね」
今の花梨は戦闘服だ。25式装甲強化服を着込んでいる。たしかにすこーし泥がついており、埃っぽいかもしれない。
外街なら、小綺麗すぎて目立つぐらいなんだけどにゃと、軍服に鼻を近づけて臭うか確認するが、汗臭くもない。真夏だから、汗には気をつけないといけないので、綺麗なにゃんこにしているのだ。
「臭くないにゃ」
「君がそう言うなら」
違う意味なんだがと苦笑しながら、セリカもガチャリと自動販売機のボタンを押下する。ガコンと音をたてて、冷えた水滴のついているオレンジジュースを取り出す。
そうして、片手で部屋を示すように振ってみせる。
「たしかにここは綺麗すぎるね。小綺麗だからって良い研究ができるというわけではないと思うんだけど」
そこは綺麗なクリーム色の壁が清潔感を思わせる大部屋であった。だだっ広い室内には長机が何個も並び、大勢の人々がテーブルに各々料理を乗せて、お喋りをしながら食べている。その人々の半分は白衣の研究者だ。
すなわち食堂であった。
「まぁ、久しぶりに親友が顔を見せてくれたんだ。歓迎するよ。練馬研究所にようこそ」
練馬研究所。内街でエリートが集まる施設だ。日用品から、軍用兵器まで。あらゆる物を開発、研究する研究者の憧れ……建前では、だが。
実際は利権が欲しい権力者たちが所員から軍部まで絡む万魔殿でもある。金が動くところには欲望溢れる腐臭も伴うのだ。
それでも、いや、だからこそ潤沢なる資金が投入されて、研究者の憧れとなっているのだが。
にこやかな笑みを浮かべるそんな研究者の一人、セリカに花梨はジト目で気まずげに告げる。
「その演技めいた行動で何人か、こちらを注目してるんにゃけど?」
ちらりと見る食堂内には、何人かの中年から老年の研究者がこちらを睨んでいた。花梨的には注目してほしくはなかったのだが。
「気にすることはないよ。研究者は結果が全て。僕の作った25式は役に立っているようで何よりだ」
「僅かにパワーアシストされるだけって聞いたから、あまり期待してなかったにゃんけど、関節部分とかを僅かにアシストされるだけで、動きもキレがよくなったし、疲労もかなり軽減されたにゃん。驚きの性能にゃね」
「それは良かった。僕の神代鉄工所も、そろそろ財閥とでも名乗ろうかな」
ふざけるように微笑むアルビノの少女にクスリと花梨は笑ってしまう。
最新式の戦闘服だ。セリカから優先的に貰ったまだ量産が始まったばかりの物。レベルゼロの身体強化が付与された、当初は使い物にならないと言われた代物だ。
その服には特殊なクラフトスキルで作られた鉄の糸が編まれており、その糸はスキルの付与により強化されている。僅か数十グラムほど筋力を上げるスキルを付与、しかしながら関節部分などに集中されていることから、その僅かなパワーアシストが兵士の運動能力を大幅に上げる代物である。人は多少のアシストで格段に動きが変わるのだ。
レベルが高い戦闘服が揃うコンペの中で、しかし制式採用されたのはその性能の低さから冷ややかに笑われたこの軍服であった。その量産性と性能が、性能が高くとも一着作るのに一ヶ月かかる戦闘服よりも良いと選択された。
その戦闘服を考案、作り出したのが目の前の天才少女。名前を神代セリカという。
元は内街でも、小さな工場を持つ社長の娘であった。業績が悪く外街に落ちるのも時間の問題だと言われていたところに、娘の彼女が3年前からその力を示し、スキルレベルが低くとも、されど使い勝手の良い品物を考案して一気に復活させた。
そして、花梨の恩人でもある。やはり内街の下層階級でそろそろ多額の税金を支払うことが難しくなっていた花梨を助けてくれた。有用なスキル構成だと、諜報員として雇用してくれて、優先的にスキルポーションを手配してくれたおかげで、今や少佐となったのだから。
この金と権力が全ての内街で引き上げてくれたセリカには強い恩を花梨は持っている。感謝という言葉では言い表せないぐらいに。
エアコンが利きすぎて寒いぐらいの小綺麗な食堂、立ち並ぶ自動販売機、多彩な料理が人々の口に入り、誰もが新品の服を着ている。これだけで忌々しい内街の豊かさがわかろうというものだ。
「で、この練馬研究所にわざわざやってきて、僕を訪問してくれた理由。ただ遊びの誘いにきたわけじゃないよね?」
「今度新しいレストランができたから、それは次に誘うにゃん。それよりも面白そうな物を見つけたから解析してほしいにゃん」
今回ここに来たのは、よくわからないアイテムの性能が理由だ。あれから何度か使用したが低級ポーションの効果しかないだろうと感じたけれど念の為だ。このセリカという親友はアイテムの解析に定評がある。
「面白い物? 良いよ。僕の部屋に行こうか」
花梨の言葉に興味を持ったセリカが頷き、彼女専用のラボラトリーへと向かう。二人はピカピカに磨かれたリノリウムの床を歩いていく。
セリカと歩く中で、堂々と正面から歩いてくるオークのように太っている老年の男と取り巻きたちが目に入った。こちらを睥睨してくるので、素直に通路の脇にセリカはどき、頭を下げる。同じように花梨も頭を下げてやり過ごそうとしたところ、男たちは立ち止まってきた。
「神代君、ご活躍しているようだな?」
ヒキガエルのような下卑た声で言ってくる。取り巻きと共に、こちらを睨むように。
「いえ、そこまででは。この夏の暑さで、私の頭もあまり回らないもので」
「そうかね。新型戦闘服でだいぶ儲かっているようじゃないか。クズスキルしか持たない者たちを雇い入れて。まぁ、君のような下層出身には相応しい」
「ありがとうございます。微々たる物を作って利益を出させていただいております。これも所長方のお陰です。そろそろお手元に私からのお中元が届くころかと。所長がお好きなフランス産のワインを用意させていただきました」
セリカのにこやかに可憐な笑みでの言葉に、所長と呼ばれた老年の男は相好を崩す。取り巻きたちもニヤニヤと笑いを浮かべてセリカをますます見下すような笑みとなる。
「そうか、そうか。君のような者が身分相応の行動を取るのは喜ばしい。わかっているなら、別に良い。わっはっは。この先の君の功績にも期待しているよ」
「ありがとうございます、所長。では私は所用がありますので」
肥った腹をゆさゆさと揺らしながら、所長は取り巻きたちと去ろうとして、なにかを思い出したかのように立ち止まる。
「そういえば学園の卒業予定の学生たちが、そろそろ実地研修をするそうだ。神代君。彼らのために素晴らしい武具を用意してあるのかね?」
「はい、それはもう素晴らしい物を用意してあります」
「なら、結構。彼らは大切な高官の子息だ。今回は黄金世代とも言われて大切な人材でもある。傷でも負ってもらったら困るからね、頼んだよ」
わっはっはと高笑いをして、所長たちは去っていき、花梨は忌々しそうに舌打ちする。
「無能の所長にゃ。あいつが発明したのは蚊取り線香だったにゃ? 一門の七光りで所長についた無能オークにゃ」
内街では金と権力がある者が偉い。権力のある者が利権を求めて、金を持つ者が権力を求める。その闘争は激しくそして強固だ。新参者が成り上がることはほとんど不可能に近いと言って良いだろう。
無能でも一門に高い権力者がいれば、研究所の所長になれるぐらいに。
外街や廃墟街ならば力こそが正義。ここでは金と権力が正義なのだ。
「そんなことを言うものじゃないよ、花梨。あの無能は無能なりに役に立っている。あの所長だからこそ、僕は自由に活動できるんだ。たまに餌を与えれば、文句を言ってこないからね」
楽しそうにクックとほくそ笑み、セリカは再び歩き始める。そこに先程までの殊勝な姿は皆無であった。扱いやすい豚の方が賢い狐よりもやりやすいと考えているからだ。
「内街はみんな狡猾で嫌になるにゃ。もう少し楽に生活したいにゃよ。たまーに外街で暮らしたほうが良いと思う時があるにゃ」
「木星帰りの僕を拾ってくれた閣下に忠誠を誓っているからね。血判も用意してあります」
「血判も用意って、誰に忠誠誓ったにゃ? それに木星帰りって、なんにゃ?」
自分中心の少女が忠誠を誓った相手がいるなんてと飛び上がって驚く花梨に、セリカはふぅとため息を吐く。
「………冗談だよ。ちょっとした冗談。それよりも面白い物とやらを見せてもらおうじゃないか。ふふ、楽しみだね」
悪戯そうに微笑むセリカを見て、この親友はたまにわかりにくい冗談を言うなと苦笑いをして、セリカの研究室へと足を踏み入れる花梨であった。