42話 蛾の女王
雫はアサルトライフルの引き金を引き、空飛ぶ蛾の女王を狙い撃つ。セミオートでの2連射。計6発の弾丸が空飛ぶモスマンクイーンの身体へと飛来してその身体をあっさりと砕く。
だが、力なく落ちてゆくモスマンクイーンの様子を確認せずに、少女はその場を飛ぶように離れて、草むらの中を駆け出す。
少しあとに、今倒したはずのモスマンクイーンが翅を羽ばたかせて飛び出してくると、駆けている雫へと身体を向けてきた。怒りをその態度で表すかのように、ゆらりと己の身体に闘気を纏わせると、スキルを放つ。
「チィィィ」
ガラスを引っ掻くような音がして、雫とモスマンクイーンの間の草むらがバッと細かい破片へと変わって飛び散ってゆく。
『硬化皮膚』
『闘気燃焼』
対抗するために皮膚を硬化させて、敵の闘技の攻撃力を減衰するために、体内の闘気を巡らせて燃焼させ、回避しきれないと四肢に力を込めて、不可視の力が襲いかかってくるのを受け止める。
闘技が発動したと同時に振動が再び身体を襲い、身体が揺らぎ視界がぼやける。足元が揺れて倒れそうになるのを、グッと我慢して闘技を再び使用して再び駆け出す雫。
『集気法』
体内の闘気を喚起させて、ダメージを受けた体内を整える。衝撃を緩和させながら、アサルトライフルの銃口をモスマンクイーンに向けて、引き金を引き、銃弾は再びモスマンクイーンを撃ち倒し、地面へと落とす。
だが、数百メートル離れたところから、また翅を羽ばたかせて草むらから飛び出てきた。
『なんだ、こいつ? なんで倒しても倒しても復活するわけ?』
防人さんが驚愕の表情となるが、初見だと驚くのは当たり前だ。私も前情報がなければ、戸惑い驚くに違いない。
「モスマンクイーン。何度も中隊を全滅させてきた化け物です。あの魔物により、優れた兵士が数多く死にました。異常事態と判断し高レベルスキル持ちの者もいたのですが」
『一度現れると、倒すまでボスって変わらないのか?』
「そのとおりです。一度産まれたボスは倒されるまで、変更はありません。そしてモスマンクイーンは対処法を知らなければ、銃弾は尽き果て、マナは枯渇して高レベルのスキル持ちでも死ぬと知識にはあります」
草むらの上を時速数百kmにも達するだろう速度で飛行するモスマンクイーンを再度狙い撃つ。回避しようとロールするモスマンクイーンだが、その速度、軌道を見切った雫は未来予測ができているように弾丸を正確に撃ち、墜落させた。
『対処法って、なんだ? 本体はどこかに隠れているとか?』
アサルトライフルならば、あの程度の速度なら確実に撃ち倒せると、多少緊張を解く。回避された場合は、まずいことになっていただろう。
「違います。普通ならばそう考えて、本体を探し当てて倒そうとしますよね? でも、あれは本体なんです。本物なんですよ。次に現れたときは予測通りの行動を取ると思いますので、よーく見ていてください」
今ので4体倒したはず。ならば補充するに違いない。
もっとも雫から離れた草むらから、またもや翅を羽ばたかせてモスマンクイーンは飛び出てきた。そのまま草むら寸前にこちらを警戒するように飛行する。
草むらを飛ぶモスマンクイーンだが
『何か今落とした?』
目敏く防人はモスマンクイーンが何かを草むらへと落としていくことに気づいた。灰色の物だが?
「卵です。恐らくは部屋中に産み落としてあるはず。あれがモスマンクイーンの固有スキル『次代継承』です。己が肉体を殺された場合、魂をタマゴに移し孵化します。そうしてまったく同じモスマンクイーンが産まれるんです。その時間は僅か3秒。卵を倒さなければ、永遠に復活するのがモスマンクイーンの最大にして最悪の特徴です」
接近して倒そうと言うのか、可視化できる魔法の風を体に纏い回転しながら接近してくるモスマンクイーンを片膝立ちとなり、再度銃声を響かせながら雫は撃ち落とす。
単体ならば軍用ライフルの敵ではない。だが、倒しても倒しても復活するために、その能力を知らなければ、消耗してジリ貧となる。
倒したそばから、遠くに再び復活するモスマン。翅を羽ばたかせてホバリングすると、雫目掛けて不可視の攻撃を仕掛けてきた。
「チィィィ」
『加速脚』
ガラスの引っ掻く音と同時に、雫とモスマンクイーンの間にある草むらが直線状に砕けて細かい破片となり舞い散る。
だが、その攻撃を予測していた雫は加速を使い、ぎりぎり回避して、茂みに飛び込んで潜みやり過ごした。
「そして、格上の敵も倒せる防御貫通の技『振動波』です。特性上、その攻撃は音速のために回避するのは極めて困難であり、身体全体を振動で揺らされダメージを与えてくるので、生半可な防具ではその攻撃を防ぐことはできません」
難敵と言わざるを得ない。草むらは完全に産んだ卵を隠しており、焼き尽くすとなると自分たちも火に巻かれる可能性がある。5百メートルという広さを持つ部屋だ。絨毯爆撃でもしなくては、卵を壊すのは不可能だ。広範囲の高レベル魔法を使いなんとか倒せるといったところか。
普通ならば。今の雫なら問題ない。
「なので、防人さんとの共同で戦う必要があります」
『あぁ、なるほどな。オーケーだ。上手くやっておく』
なんの説明もなしに理解するパートナーにクスリと笑顔を浮かべてしまう。頼もしく、頭が鋭い。
「夫婦の共同作業は蛾退治ですか。いまいち嫌ですね」
『まだ恋人にもなっていませーん』
雫の言葉に防人は、肩をすくめておどけてみせて、身体を入れ替わると
『燃え盛れ』
手を翳して周囲の草むらを炎で燃やすのであった。
モスマンクイーンは自身の優位を信じていた。敵は一人。この地形で自分のスキルと対峙するのは不可能だ。諦めることなく、銃弾を撃ち込んでくるが、弾切れまでこの茶番を繰り返してやろう。
弾切れとなったら、口吻でその体液を吸い尽くしてやると、触手のように口吻をひくひくと動かす。
まさか、確実に銃弾を命中させてくるとは思わなかったが、問題はない。間合いを詰めるべく、翅を広げて少女へと接近しようとして、なにか違和感を感じ取った。
敵の闘気が一瞬弱まったように感じたのだ。それと共に少女の周りに炎が現れて草むらを燃やしていく。と、すぐに水が生み出されて鎮火した。その行動により、燃えるよりも煙のほうが大きく辺りを埋める。
煙によって視界を阻み、隠れ潜むつもりなのかと考えるが、それならば問題はないと判断し、ホバリングをして風の魔法を解き放つ。
周囲への突風と同時に、実体化した風の刃が煙の中心に放たれる。その刃は突風にて煙を撒き散らし、その中にいる少女を切り刻まんとする。
草が風の刃で舞い散り、身体を切り裂かれながらも、少女がこちらへと腰から抜いて、投げナイフを投擲してくる。飛来するナイフを体を傾けて回避して、旋回しながらモスマンクイーンは喜ぶ。
人間であれば、醜悪な笑みを浮かべただろう、モスマンクイーンは敵の弾丸が尽きたと判断した。まだ持っていても、もはや残り少ないのだろうと。
「チィィィ」
振動波を放ち、少女を砕こうとするが残像を残して加速をし、こちらの攻撃を回避されてしまう。
まだまだマナは残っているらしい。ならば、加速しても回避しきれない接近戦にて倒せば良いと、翅を羽ばたかせる。
モスマンクイーンの口吻はしなやかで柔軟性がありながらその先端はよく研がれた槍の穂先のように鋭く、胴体から生やす脚も鉄のように硬く、剣のように切れ味鋭い。
蛾の女王は一気に勝負を決めるべく、風魔法にて、己の翅にブーストをかけて、突撃する。風の後押しを受けたモスマンクイーンは草むらを波のように掻き分けて、少女へと迫ると羽ばたきをやめて、ホバリングをして近接戦闘へとスタイルを変えた。
もはや敵の力は削がれ、残っていたとしても、自分の『次代継承』スキルを破ることはできないと判断したからだ。
さんざん自分の身体を倒してくれた人間である。殺す前に甚振って、ジリジリと恐怖と絶望で心を満たしてやろうと闘気を身体に巡らせる。
『鉄脚烈刃』
己の脚を鉄のように硬化させると、モスマンクイーンは少女との間合いを詰めて、4本の脚を鎌のように猛然と振るい、切り裂かんとする。風切り音が幾重にも重なり、音楽を奏でるように鳴り響き、高速の刃と化した脚は少女へと迫る。
『加速脚』
『硬化皮膚』
『分身』
少女はその死の刃に対抗せんと、複数の闘技を使うと迫る刃に不格好なナイフを押し当てて、軌道を変えた。身体を捻り、残影を残しながら次なる攻撃を躱すと、後ろ回転をしながら間合いを取ろうとしてきた。
追撃するべく攻撃を仕掛けた3本目の脚に蹴りを入れて、さらに後ろへとその反動で下がろうとするが、数メートル程の距離では、未だモスマンクイーンの間合いだ。
『口吻穿孔』
鞭のようにしなる長い口吻を、少女へと風を切る速さにて叩きつける。しかし、その攻撃は少女の分身をかき消すだけにとどまり、なおも少女はカウンターを狙っていたのか、ナイフを投擲してきた。
瞬時に己の身体に風を纏わせると、ナイフは風に阻まれて明後日の方向に飛んでいく。その威力のなさに、この人間の身体能力の限界を見極めたモスマンクイーンはますます嗜虐の感情を喚起させて喜ぶ。
力、素早さは自分の方が遥かに上だと確信したのだ。今の投擲は威力も速さもなさすぎた。所詮は人間風情なのだと。
『分身』
さらに分身を使ってくるので、枯渇しないマナの量に多少驚くが、無駄なことだ。分身は脆弱な蜃気楼のようなもの。闘気をぶつければ、一瞬で消えてしまう。
『闘気放出』
絶望に歪む少女の顔を思い浮かべ、喜悦を感じてモスマンクイーンは闘気を全周囲に放った。闘気がモスマンクイーンの身体から波のように放出されて、辺りへと広がっていった。
周辺は自身の闘気により、その気配を揺らがせ、めちゃくちゃに乱し、分身は霞のように消え去った。
『口吻穿孔』
トドメとばかりに、もう一度高速の突きを少女へと繰り出す。その速さに追いつくことができないひ弱な少女はなんとか身体をずらし心臓への攻撃を回避するが、その肩を貫かれる。
そのまま肩から体液を吸収してやろうとするが、少女は口吻を握りしめて、吸収を阻んできた。その様子に無駄なことをとモスマンクイーンはせせら笑う。口吻を掴む手を切り落としてやろうと脚を振りかざすが
「おしまい」
顔を俯かせて、ぽそりと呟くその言葉に動きを止める。命乞いでもするのだろうかと、複眼にて観察しようとするが、すっと持ち上げた少女の表情は悪戯が成功したかのような笑みを浮かべていた。
「そこは、なにが? 貴女の3年ばかりの人生が? と尋ねてくれれば最高だったのですが、虫では仕方ありませんね」
その余裕ある態度と訳のわからない言葉に、モスマンクイーンは僅かに後ろへと身体を引いてしまう。なぜか、底知れぬ怖さを目の前の少女から感じ取ったのだ。
「貴女たち、ダンジョンボスは知性がある。人語を解し、その思考も人間と同様。信じていました。分身を何回も作れば、きっとすぐに対応してくるだろうと。一番簡単な方法は辺りに闘気を撒き散らし、分身を作らせないようにするだろうと。2回目で対応してくるのはさすがだと称賛します」
その目に宿る何かは、モスマンクイーンに違和感を覚えさせた。なにか変だと、なぜ語りかけてくるのかと。
「闘気放出。それを使用すると小さな闘気は感じ取れなくなるのでは?」
瞬間、モスマンクイーンは少女の意図を悟って、自ら口吻を抜き取り、脚を振り少女の手を切ろうとするが、手を離して間合いをとられてしまう。
だが、間合いを取られたのは問題ない。少女の意図が周辺へと自分の意識を向けないようにする陽動だとすると………?
「チェックメイトだ、害虫退治といこうか」
離れた場所に黒尽くめの男が立っていた。いつの間にか、気配を感じさせずに。その男の気配は薄く、隠蔽していたことに気づいたが、その気づきは遅かった。遅すぎた。
男の身体からマナが可視化できるほどに噴き出し始めて、モスマンクイーンは男が何を行うかを理解して、振動波を放とうとするが
『吹き荒れろ』
指をパチリと鳴らすと同時に、草むらから何十もの細い数センチ程度の炎の柱が昇ってきた。焼ける匂いがモスマンクイーンに、全ての隠された卵が一斉に燃やされたと理解させて
『ハイパーブリッツ』
背後からの弾丸が身体を打ち砕くのを感じるのであった。
バラバラとなったモスマンクイーンは、自身の肉体が地面に落ちてゆくのを横目に、血に染まっている少女が薄く嗤っているのを見た。
そのボロボロとなった身体を気にせずに。凍えるような微笑みで。
モスマンクイーンはその姿を見て思う。
この少女は傷ついても意にも介さず行動していたと。
この少女は本当に人間だったのかと。
そして、意識は消え去った。




