41話 昆虫
腰まで伸びた草が鬱蒼と生い茂って、木々が聳え立つ。天井からは陽射しが燦々と降り注ぎ、その陽射しが途切れることはなく闇に閉ざされることもない。不思議な地域だと言えよう。夜のこない地域かといえば違う。周囲を観察すれば違和感があるとわかる。
よくよく見てみると、遥かに高い空が続くかと思いきや、50メートルほど上は青い空に見えて、実際は作り物とわかる単色の青であった。天井が青く塗られており、陽射しのように下を照らす光るタイルが一定の間隔で嵌め込まれているのだ。
ダンジョン。人々が恐れる超常の存在である。人の理を壊したもの。世界の行く末を歪めたもの。死を呼ぶ魔物を生み出す謎の建物である。
そこに大人でも持てない金属の塊のような重量のある大剣を片手に持ち、背中に22式自動小銃を担いで、草むらの中を移動する者がいた。
煌めく艷やかなセミロングの黒髪、おとなしそうな目つきと、ちょこんと小さな形の良いお鼻、桜色の可愛らしい唇、可愛らしい顔立ちの小柄な少女がたった一人で危険極まりないこの迷宮を移動していた。
緊張に顔を強張らせて、身体は恐怖に震えて、辺りを忙しなく見ながら、そっと歩く……ということはなかった。
「てててーん。てててーん。発電機はどこですか? まずは破滅を破壊します。トーテム、トーテムを探します。シティガールが探して破壊して、殺人鬼を涙目にさせちゃいますよ」
鼻歌交じりに草むらを腰をかがめて移動していた。ご機嫌な美少女がそこにいた。
『ダンジョンって、トーテムなんかあるのか?』
「……ないです。むぅ、ここは大佐と言うべきでしたか」
『俺は軍人じゃないんだけど』
愛らしい顔を不機嫌にするのは天野雫である。どうやら防人の合いの手に不満な模様。だがすぐに、さっと艷やかな髪を払って、真剣な表情へと変える。
「モスマンキングのダンジョン。Dランク。その設計はゴブリンキングのダンジョンよりも簡単です。一辺5km、ただし空を飛ぶ魔物のために天井は高く作られており50メートルあります。マップパターンは8種類。地形種類は草原、森林。出現する魔物はレッサーマンドラゴラ、ウォーム、モスマンが3階層まで。4階層、5階層はマンドラゴラ、ポイズン、アシッドウォーム、モスマンファイターです」
『マップパターンが8種類だから、単純なのか?』
幽体となっている防人が尋ねてくるが、雫はかぶりを振って否定する。
「そうではないんです。この地形は森林ですよね? 森林、草原は通路がないんです。昆虫系統や獣系統は通路の場合は動きを制限されて、その能力をフルに使えないので、その対応としてだだっ広い平地が続くだけ。ゆえに階段がどこかに隠されているのを見つけるだけとなります。階段の場所さえ判明すれば、直線的に移動できるので楽なのですよ」
『あぁ、待ち伏せや不意打ちをするには通路だけしかないダンジョンだと、使えないもんな。木々の合間に蜘蛛の巣を張ったり、草むらに潜んでいたり』
なるほどねぇと、防人は納得する。草原かぁ、階段をこの草むらと森林の中で見つけるのはひと苦労だろう、普通ならば。
「草原、森林の弱点は地形がはっきりとわかるということです。ダンジョンは自然な育ち方はせずに、背景画のように決められた物が配置されているだけ。木々の高さ、その配置。丘や草むらの繁茂の具合。全てが同じなんです。すなわち」
『すなわち?』
「わかりました。マップパターン解析終了。階層の階段位置把握。闘気による索敵で敵の配置も見抜きました」
しばらく草むらを移動して、周囲の様子を確認して、雫はこのダンジョンの配置を理解した。
その目に深い光を宿らせて、機械のように雫はダンジョンの全てを把握した。ダンジョンの弱点とも言えるのが、設計を超えることはない、ということだ。決められた設計は戦闘の才能レベルMAXの雫に相性が良い。戦闘関連の記憶は絶対に忘れることはない。幾千と攻略された低レベルダンジョンの設計は全て雫の頭に入っている。
『雫さんの前にはダンジョンもダンジョンではなくなるよね』
迷宮ってどういう意味だったかな? たしか迷う宮殿と書いて、迷宮という意味ではなかったかな?
「高レベルは情報が足りないですし、罠もあるので、こんなに簡単な攻略はできませんが」
イージーモードは低レベルダンジョンのみ。高レベルの場合は情報が足りない可能性があり、こう簡単には攻略できない。
『無音足』
『加速脚』
深く呼吸して、体の力を抜く。闘技を使い、己の闘気を体内に極限まで鎮める。存在を薄くして、小石のような存在感へと変える。
「参ります」
トンと軽やかに空高く舞い上がると、枝に足をつけて、トントンと高速で次なる枝へと飛んでいく。小枝を揺らすこともなく、その音もたてずに。
器用度300は、その繊細で高速かつ、静かなる動きを可能にしていた。隣の小枝を踏み、枝から枝へと移動しても、枝に止まり翅を休めているモスマンはまったく反応しない。
「そして森林の弱点は、枝から枝へと移動できることなんです。低レベルの森林ダンジョンはこれでほとんどの敵をスルーできます。後はモスマンの感知にだけ注意すれば良いだけです」
草むらに隠れている敵は、こちらに対応できない。頭上を通り過ぎていっても感知もできないのだから。
『簡単に言うけど、簡単にはできないんじゃないかと、俺は思うね。俺だと枝に登るのも難しそうなんだけど』
呆れる防人へと、フフッと微笑む。できないと言わないのが防人さんらしい。
「ここの敵は全てスルーします。戦う意味があまりないんですよね。逆境成長が発動するほどのステータスはないでしょうし。よっと」
モスマンの1匹が静音の中で高速移動する雫に気づいて、翅を開いて身じろぎするが、間合いを一気に詰めると大剣を軽く振ってその頭を切り落とす。
「さっさと最奥まで向かいます」
敵を倒したことも確認することはなく、平静な雫は再び枝の間を飛び跳ねる。
『了解だ』
少しして草むらの陰に地下へと続く階段を見つけて、ふわりと降り立った雫は最奥へと向かうのであった。
「15分程で最奥に行けますね」
オープンマップなど、私の相手ではない。
ダンジョンとはソロで攻略は不可能な場所らしい。俺もそう思っていたんだがと、幽体である防人は空を浮きながら目の前に存在する金属の大扉を眺めて思う。
最奥まで、一眠りする間もなく到着した。その間に戦った敵は数匹。いずれも一太刀で雫は倒してしまった。最奥まで到着するのに約15分。たった15分ほどで到着してしまった。信じられないことに。
重厚そうな金属の扉はゴブリンキングの時と同じように、蛾の翅を生やし、杖を手に持ち、冠を被った、案山子のように痩せた男が中心にいる。その周りをモスマンやウォームが囲んでいる彫刻が彫られていた。
雫はアサルトライフルの状態を確認している。弾倉を抜いて弾丸が入っているか確認し、屈伸をしている。
「モスマンキング。モスマンファイター5体、アシッドウォーム15体、ポイズンウォーム15体。状態異常を中心に使うボスです。自身に風の結界を張りますが、それは軍用ライフルの軌道を変えるほどではありません。マガジン一つで終わりです。地形は草原。隠れていても闘気で見抜けるので、相手ではないでしょう」
セミオートへとスイッチを切り替えると、気楽にフフッと笑顔を見せて、その姿には気負いは見えない。
マガジン一つ。現在6個のマガジンがある。全て手づくりのポケットに仕舞われている。
「今回は防人さんは休んでいてください。私だけで楽勝ですので」
『オーケーだ。それじゃ、雫さんの勇姿を見せてもらおうかな』
「一瞬でキングは倒すので、私の可愛らしい戦闘の姿は少ししか見られないと思います。目に焼き付けておいてくださいね」
フフッと愛らしい笑みと共に、闘技を使い準備をしておく。
『闘気瞳』
『動体視力上昇』
『身体能力上昇』
『攻撃力上昇』
『攻撃速度上昇』
モスマンキングの対応のために、5つの闘技を使用すると、雫は扉に小さな手を添えて、トンと軽く押す。重厚そうな金属の扉の見た目と違い、重さを感じさせない。
ギギィと音をたてて、扉が開き始めて、ボス部屋が見えてくるのに合わせて、目を細めて片膝をつきアサルトライフルを構える。
「目標をセンターに?!」
軽口を叩こうとして、目を険しくする。予想では奥にモスマンキングが待ち構えて、その手前にモスマンファイターたちが剣と盾を身構えて、草むらにはアシッド、ポイズンウォームたちが隠れていると思ったのだが……。
草むらは良い。1メートルほどの長さであるが、予想通り。だだっ広いボス部屋は500メートル四方の部屋だ。一面緑に覆われていた。
『おいおい、レリーフの姿と違うぞ、あいつ』
防人さんが戸惑いを見せて問いかけてくるが、私もそれは理解している。
草原奥に翅を羽ばたかせて浮かぶのはモスマンであるのは変わらないが、予想と違う。
蝶のように黒と青の美しい翅を生やす3メートルほどの胴体を持つ魔物だ。その身体は人型ではなく、蝶を巨大化した姿。鞭のように長い口吻を持ち、複眼がギロリとこちらを睨んでいる。
「失敗しましたっ!」
舌打ちをつくと、ただ斉射するのではなく雫はマナを闘気へと変換させる。素早く戦法を切り替えて、気を取り直す。
『速点連射』
引き金を引くと、闘気に覆われた弾丸は赤い残影を残して、高速でモスマンへと命中し、その身体をあっさりと粉砕し、バラバラにした。
『お、やったな』
予想と違う姿のモスマンであったが、あっさりとバラバラに粉砕されたことに、防人さんは気軽な口調で喜びの声をあげる。だが、雫は、周囲の様子を確認し
「グッ!」
身体中に強い振動を受けて吹き飛ぶ。身体がバラバラになりそうな衝撃を受けて倒れ込みそうになるが、唇を噛みしめると、強く踏み込み草むらの中へと飛び込む。
『な、なんだ。今の?』
私の周囲の地面がへこみ、砂埃が舞う。防人さんはその様子に険しい目つきとなり、私は攻撃を受けた場所へと視線を移す。
倒したモスマンと違う場所。横あいに浮いているのは倒したはずのモスマンであった。
「モスマンクイーン。ボスの中でもレアとされる魔物です。確率は1000分の1ぐらいのはずなのですが……運悪く、ジョーカーを引いてしまったようですよ」
『…………敵の強さはどれぐらいだ?』
真剣に尋ねてくる防人さんに、正直に教えてあげる。
「1段階上となります。私としたことが失敗しました。フラグを立ててしまいましたね」
レアなボスとは珍しい。自分はあまり見たことはない。
「これは幸運ですよ。今の私たちなら倒せるはずです」
口元から流れる血を拭いとると、雫は獣のように、瞳の奥に凶暴なる光を見せて、アサルトライフルを構える。
計算外ではあるが、それならそれで良いでしょう。等価交換ストアーで何と交換できるか楽しみです。