35話 外街のボス
英体は外街のボスとして長く君臨していた。世界がこんなふうに、物理的に格差が現れた時から。金が全てを支配して、力が物を言う世界が目の前に存在した時から。
見上げるだけで、自分では越えられない壁が建設された時から。
ダンジョン発生当時の英体は若者だった。若者とも言えない子供であった。中学生となったばかりの男にとっては、対岸の火事でもあった。友人たちと遊び、スマフォで連絡を取り合いながら、今日という日を浪費する。そんなどこにでもいる若者だった。
馬鹿とは言われたくはない。普通の若者であったのだ。
ダンジョンから現れる魔物たちは、軍が圧倒しており、政治家はすぐにこの災害とも呼べる騒ぎは収まるとテレビで何度も熱弁していた。
それを人々は信じた。なぜならば、空を飛び、高層ビルをそのブレスで破壊するドラゴンすらも、ミサイルで倒せた。
それを人々は信じた。情報をその場で発信することができた当時。誰も彼も勝利を送信していた。
古典ファンタジー世界から現れたような魔物などに、現代兵器が負けることはないと。
大学はどこにするか、どこの企業に面接に行くか。若者はレールの敷かれた未来が来ると信じて、居酒屋で上司や客の愚痴を口にしながら、親父たちは定年まで仕事を勤めなければと未来を信じていた。
崩壊の始まりは誰もわからない。食料品が徐々に値上げされて、軍が段々ダンジョンを攻略するのではなく、都市周辺に壁を建設し始めた頃だろうか。
英体は壁が建設され始めた頃、ちょっとだけ変わっていた。サバゲーを趣味にして、体を鍛えることを日課としているサラリーマンで
ほんの少し。
ほんの少し。
他人を殺すことに罪悪感を持たなかっただけだ。
壁が完成し、内街と外街に分けられるとわかった時。取り残されるという混乱と恐怖から内街に向かう車を襲い、乗っている奴らを皆殺しにして、その手に持っていた金と銃を手に入れた時。
ほんの少し他人と違った男は外街のボスへと変わった。デモによる大騒動の時。魔物によるスタンピードの時。混乱が訪れるたびに、力をつけて勢力を拡大し、今や外街の地区の一つを支配する男となっていた。
英体が街を歩けば、人は脇により、女は簡単に手に入り、気に入らない野郎は二度と視界に入らないようにもできた。
それは自分の選択肢が常に正しかったからだ。あの時、内街に向かおうとしている車が止まっている時に襲った時から、自分の選択肢は常に正しかったのだ。これからもそうなるだろうと、口元を醜悪に歪めて、少し離れた場所に立つ男たちを睥睨する。
ナイフのような鋭さを感じさせる目つきの男だ。何もない所から黒尽くめのローブを生み出して、羽織ると生意気な目元以外は覆い隠して、表情すらわからなくなる。フードを被り、この真夏の中でも汗一つかいている様子はない。
「俺を殺して、22式を奪う? 舐めてんのか? この距離で銃に敵うと思ってやがるのか?」
天野防人。廃墟街のダンジョン狂い。最強の男。ひょろりとした中肉中背の男は、たしかに危険な匂いと、強者の風格を持っている。22式自動小銃を持つ俺を前にしても平然として、恐れる様子を見せもしない。
だが、スキル持ちとは数え切れないほど戦ってきて、その全てを殺してきた英体にとっては怖い男でもなんでもない。
防人との間合いは20メートル。自動小銃の間合いだ。外すことは難しく、対してスキルや魔法では自動小銃の銃弾に比べると遅すぎる。ハチの巣に簡単にできる必殺の間合いなのだ。
「ほぉ〜。その自動小銃は22式っていうのか。よくそんなもんを手に入れることができたな?」
平然とした態度で臆する様子もない防人に英体は笑いそうになるがぐっと抑える。
わかるぜ、隙を狙っているんだろ? この間合いをどうにかしようと考えているんだろ? 魔法の詠唱が行える時間を稼ぎたいんだろ?
そうはさせねえぜ。焦りを見せない胆力はさすがだが、そういった手合いには慣れている。
「もう一度聞くぜ? 俺様の配下になるか、死ぬか、だ」
問いかけながらも、セミオートへとスイッチを切り替える。
「おいおい、選択肢はもう一つあるだろ? お前を殺して、そのアサルトライフルを俺の物にするって選択肢」
ヘラリと笑い余裕そうな態度をとる防人に英体もニヤリと嗤う。
「そうかよ、残念だ」
22式自動小銃は電動アシストが組み合わさった新型の自動小銃だ。その威力は15ミリの鉄板をも貫く。スキル程度で作り出せる壁など無いも同然だ。こいつは軍用アサルトライフルの力を知らなすぎる。
一丁2000万で買った切り札だ。廃墟街に作ったという市場を奪うために持ってきた。そして人間はアサルトライフルには敵わない。
くくっ、と嗤う。もしかしたら拳銃の弾ぐらいは防げるのかもしれないが、軍用ライフルの力を見せてやる。何十年もダンジョンアタックをして魔物を倒し続け鍛えた男らしいが
「数十年も馬鹿げたことをご苦労さん。結局金が物を言うんだぜ」
外街で金を稼いできた。その金で銃を買い、女を買い、うまい食い物を買い、力を買ってきた。ただ黙々と魔物を退治し続けるような馬鹿な男とは頭の出来が違うのだ。人生を楽しめない男とは格が違うのだ。
それを教えてやろう。貴様の作った廃墟街の市場は俺が貰ってやる。ここで稼ぎが増えれば内街に住むことも可能になるかもしれない。
たとえ隙を狙おうとしても無駄なのだと、馬鹿な男に22式自動小銃を向けて
「死ね」
「死ね」
英体と防人はお互いに獣のように嗤いあい、同時にまったく同じ言葉を口にした。詠唱を与える隙を見せることなく引き金を引く。セミオートで3発。もはや慣れすぎて自分の一部とも言える銃を操り、防人を狙う。
『氷結障壁』
防人が呟くと同時に2メートルはある氷の壁が空中から滲み出るように生まれる。その様子に英体は目を見張る。
「な、なんだ、詠唱はどうした?」
魔法使いは必ず詠唱をする。3秒ほどの詠唱を。古臭いファンタジーの魔法使いは悠長に詠唱をして、銃の一撃で撃ち殺される。そのはずであったのに、一瞬で氷の壁が作り出された。
そして、もっと驚くことが起きた。
ピシリと氷の壁に蜘蛛の巣状にヒビが入り、そして、ただそれだけだった。軍用のライフル弾が氷の壁如きを貫けないことに驚愕する。
「チッ。弾がもったいないだろうが」
すぐに砕いてやろうと、もう2回引き金を引く。6発の銃弾が乾いた銃声を銃口から響かせて飛んでいく。衝撃を受けた氷の壁など、あっさりと砕け散らせてやろうと、歯を剥き出しにして、目を険しく変えて。
ガンガンと音がして、防人の目の前に浮く氷の壁は揺らぎ、ヒビが入るが砕けることはなかった。驚くことに。
『凝集火炎矢』
冷え冷えとした眼差しで、黒尽くめの魔法使いは人差し指をゆらりと、英体ではなく後ろへと突きつけて、マグマのように赤く光る炎の矢を撃ち出す。
瞬きの間に、銃持ちの部下の頭を炎の矢は通り過ぎる。その頭をまるで案山子のように貫いて。
頭のなくなった部下がその身体を燃やされて、膝から崩れ落ちるように倒れ込む。
「挟み撃ちだけが怖かったんだが、案山子のマネをしてくれて助かったよ」
のんびりとした口調の男に英体は青褪める。仲間が一瞬のうちに殺されて、浮き足立つ部下へと焦りながら怒鳴る。
「てめえらも撃てっ! 撃つんだ! 撃てっ、撃てっ!」
『氷硬皮膚』
「氷に闘気系統武技の硬皮膚を合わせたんだ。鉄の硬さを持つ50センチ程度の厚さの氷の壁。なかなか硬いだろ?」
からかうように、こちらを見てくる漆黒の男に恐怖から怖気が走る。
部下が拳銃を構えて、懸命に撃ち続ける。銃弾が防人の前に浮かぶ氷の壁に命中するが、今度はヒビも入れることはできずに、僅かに火花を散らして弾けるだけであった。
「おりゃあ!」
「やっちまえ!」
「どらぁっ!」
防人の部下が後ろの部下へと拳を握りしめて駆けてゆく。ボウガンを構えて、部下たちは矢を撃ち出すが、敵の手前でその威力はなくなり、地へと力なく落ちてゆく。
「くそったれ! 影蛇ってやつか」
殴り合いになり、倒されていく部下たち。情報通りならば矢は影の蛇に阻まれて通じない。防人を倒さないと駄目だ。防人はこちらの前へと氷の壁を動かして、盾として忌々しいことに銃弾を防いでいる。
「俺はやつの横腹をつく! てめえらは、正面から……チッ、伏せろっ!」
自分の頭にチリチリとした危うい感覚が感じ、英体は頭を下げて身体を地に投げ出す。
「へ? ギャッ」
「なんだこれっ」
「ガハ」
天から溶岩のように光る炎の槍が降り注ぎ、部下の胴体に穴を開け頭を吹き飛ばして燃やしていく。
『凝集火炎槍』
『踊れ、炎の槍よ』
まるで指揮者のようにタクトのように人差し指を振る防人。その動きに合わせて部下を貫いた炎の槍が浮かび上がり、他の部下を狙い撃つ。ボンボンと薪のように燃えていく部下に身体が恐怖で震えてしまう。
「来るなぁ、来るなぁ、来るなぁ!」
「逃げ」
「こんなことが!」
抵抗しようと拳銃を空を飛ぶ炎の槍に向けて、恐怖で蒼白になりながら部下は引き金を引くが、銃弾は僅かに炎を揺らすだけで、向かってくる炎の槍の餌食となり、断末魔の悲鳴をあげて燃えてゆく。
「ちきしょうめ!」
再び胴体へと危険を感知して、英体は体を転がせて、飛来してきた炎の槍を寸前で躱す。熱気が触れただけで火膨れができ、その熱さがどれほどのものか嫌でも理解させてくる。
「んん? お前……スキル持ちだな?」
拳銃持ちの部下を燃やし尽くした防人が眉を潜めて、こちらを見てくるが、たしかにそのとおりだ。
「危機感知? 半径5メートル程度の攻撃を感知できるのか。なるほどなぁ」
ギクリと身体を震わせて、防人を驚きの表情で見てしまう。たしかにそのとおりだ。スキルレベルが1となるポーションを3000万で買い取ったのだ。自分の固有スキル危機感知がレベル1に引き上げられた。半径5メートルの危機を、あらゆる攻撃を感知できて、隙を見せることがなくなった無敵のスキルだった。誰にも知られないようにしていたのに、なぜわかったんだ?!
「逃げ方が独特なんだとよ。攻撃を見るでもなく、感じたままに避けていたからな」
「くっ! なんだてめえ?」
平然と平静と、冷酷に目を細めて防人は肩をすくめる。
「知っているだろ? 廃墟街最強の男だよ。それじゃあな、あばよ」
「ちきしょー、化け物め!」
フルオートへと切り替えて、引き金を一度引く。残った弾丸25発。その全ては吐き出されて、漆黒の男に向かい……そして、その全てが氷の壁にヒビを入れるだけに留まった。
「わかっているじゃないか。知っているのに戦いを挑むとは、お前さん……やっぱり馬鹿なんだな」
カチカチと空となった自動小銃が虚しく音をたてて
英体の全身は危機を感じる。一歩ずれてもその危機は消えず、2歩下がっても、変わらなかった。
「金が全てじゃねえのかよ……」
身体は震え、辺りを見渡し
英体の生命はそこで潰えた。
いつの間にか周囲を取り囲んでいた影の刃がマガジンを避けて、その身体をきり刻み。
外街のボスの一角はその地位から滑り落ちるのであった。