34話 諍い
防人があっさりと駆け引きを止めて立ち去ったあと、穴山大尉はゆっくりと料理を楽しんでいた。既に英体の姿はない。怒りをおし隠して、用事を思い出したと去っていった。行き先は明白だ。
「あんな取引で良かったにゃん?」
ガタリと椅子が音をたてて、目の前にニヤニヤ笑いの猫娘が座るので、ふんと鼻を鳴らす。
先程から息を潜めて様子を見ていた風魔少佐へと、ちらりと頭をあげて視線を向けると、再び料理に取りかかる。
「たしか純正品なら小麦粉1kg2000円、野菜1kg200円でしたな。用意しておくとします」
サラダを口にしながら、世間話のように言うと、猫娘は僅かに眉根を潜めて驚く。
「純正品は横流しするには多すぎるんじゃにゃいか? 週に1トンにゃよ?」
「気にすることはありません。最近小麦粉の在庫が急速にダブっておりますゆえ。金となるなら問題はないと小官は思いますよ」
「あぁ、コッペパンにゃね。たしかにパンを作る小麦粉が少なくなり、在庫がダブってきたもんにゃ。チビッと」
嘘つきだにゃと、ニヤニヤと笑いを隠さない猫娘に肩をすくめる。実際、在庫がだぶついているというのは嘘だ。
「見た目は信じられないことに弱そうに見えました。信じられないことに、ね。あやつ、隠蔽系統のスキルを持っているのですか?」
天野防人……。見かけは貧相な姿であった。前情報を聞いていなければ、自分は鼻で笑って相手にしないだろう。
「たしかにニャア。あちしも今日の防人を見て驚いたにゃ。たぶん『闘気』スキルを手に入れたからだとは思うけど……。たしかにそれ系統はあるにゃ。生命感知や力を抑える武技にゃけど……。無駄にマナを使う男だとは思えないんだけどにゃ」
腕組みをして花梨は迷う。無駄にマナを使う相手とは思えない。しかも争いごとがあると予想される場所に。莫大なマナを持っているのだろうか? それとも、力を抑えるコツでもあるのだろうか?
「ソロでダンジョンを攻略するとは、廃墟街には化け物が生まれましたな」
「聞いたところ、猟銃とゴブリンキングの大剣だけで攻略したらしいにゃよ」
「廃墟街を縄張りにする男……上は放置しておくのでしょうか?」
追加の料理を頼みながら、穴山大尉はあの危険な男について尋ねる。ダンジョンを一人で倒すなど、正気ではない。どんなに強い者でも、ソロでの攻略をするなどと。遅れを取るときは絶対にあるはずなのだ。迷宮で休むこともできずに、マナは尽き死ぬ。それをやり遂げた化け物なのだから、放置は危険だ。
「廃墟街を盾にするのにちょうど良いと放置するらしいにゃよ。最近はスタンピードも多いし、大物が出現することが増えたからにゃ。予算を使わずに内街を守れる。内街に得体のしれない男を入れるより、廃墟街のボスとして放置しておいた方がいいらしいって。反乱でも起こせば、殺しちゃえば良いんだしにゃ。軍隊には敵うわけにゃいしな」
「去年はリザードの大行進がありましたからな。あれにはかなりの銃弾や兵士が犠牲になりましたしね。その方向に舵をとりましたか……。それならば、儂の横流しも気にはしますまい」
予算を使わずに、防衛力を上げようと上は考えたらしい。たしかに合理的だ。たとえ、ソロでゴブリンのダンジョンを攻略できたとしても、完全武装の一個小隊にも敵わない。
化け物レベルの力を持っていたとしてもだ。廃墟街で、猿山のボスをやらせて、満足させておけば良い。人類の英知はダンジョンの魔物の力を上回る。短期的な戦闘においては、だが。魔物にも劣る人間なら、言わずもがなだ。
化け物との次の取引はマトモな話し合いとなるだろうと、穴山大尉は運ばれたバニラアイスをスプーンで掬う。
英体とは長い付き合いだが、この世界は頭の良い者、強い者が生き残るのだ。
「野良犬と狼。どちらを飼い慣らすかとなれば、狼を頭の良いものなら選ぶものだ」
英体にはもう会うこともあるまい。すまんなと、口の中にアイスを入れる。
うむ、冷たい。
外街を出て、防人一行は廃墟の中をのんびりと歩いていた。瓦礫を乗り越えて、大木君を先頭に。
「あの〜、本当に襲いかかってくるんですかい? あっしが先頭でいいんですかね?」
「弱々しい俺じゃ無理なんだよ。た、大木君、頼りにしているよ」
「そうそう、任せたよ、大木君」
「その肉体を使うときだよ、矢よけに」
「一発受けて死なないでくれ」
「酷えっ! 俺は盾?」
ゲラゲラと周りが笑って、防人はそろそろ猫背も疲れたなとため息をつく。自分の闘気を常に抑えると気配が薄れるらしいから、使いこなすためにも必要な時は常に抑えているのだ。猫背でそうしていると、弱々しい姿に見えるんだよな。
でも、そろそろ飽きてきたぜ。予想どおりに待ち受けているらしいし。
廃墟ビルが建ち並ぶ中で、細道を歩いていくと、そこかしこのビルの陰に人の気配を感じる。闘気とは素晴らしい。身体に闘気を巡らせているだけなら消費もない上に、気配を消せて、敵の気配も感じ取れる。
サーモグラフィのように、壁越しでも相手の姿がはっきりとわかる。その大きさは様々だ。……ほんの少しの違いで誤差みたいなもんだけど。
『防人さん、ボケたいところですが、普通は気配を消すのも、敵を感知するのにも武技を使わなくてはいけないんです。パッシブで使える人は防人さん以外に私は自分しか見たことないです』
『自慢なのかな、雫さんや?』
ふよふよと浮く雫が呆れた表情で言ってくるけど自慢も入っていない?
『マナの消費を抑えるために、苦心して覚えたんです。戦闘の才能があるからこそ、可能だったと密かな自信を持っていたのですが』
珍しくしょんぼりとする少女に、苦笑してしまう。しょんぼりしている雫も可愛いな。でも、よくあることだと思うんだ。
『そういうのって、常に破られるもんだよ、しゃあねぇだろ。とりあえず待ち受けている相手を歓迎致しますか』
技ってのはオリジナルだと自分では思っていても、意外と他人も使えるんだぜ。
バラバラと、廃墟ビルからチンピラたちが出てくる。前に7人、後ろに3人、廃墟ビルの陰に12人。兵を伏せているとはなかなか用心深いな。しかも伏せている奴は、階別に伏せている。
『サキモリサン、テキダ、サキモリサン、テキダ』
『あの〜時たま変になるよね、雫さん』
ぴょんぴょんとうさぎのように宙に浮きながら、人工音声みたいな声で言ってくる雫さん。意味がわからないから、今回も放置っと。
さて、待ってたぜ。なんちゃらボスさんや。名前忘れた。ま、良いだろう。覚える必要ないだろうし。たしか……英体? すぐに忘れる名前だな。
先程出会った外街のボスがニヤニヤとしながら、肩に珍しい物を担いで歩いてくる。本当に珍しい物だ。
「よう、天野とか言ったな? 影使いさんよ? 廃墟街のボスだろ、あんた? そうは見えないけど、最強の」
余裕綽々な表情で、こちらを見てくる英体。最強って、ばれてーら。やはり無駄だったか。
「だから、意味がない変装だって言ったじゃないですか。兄貴は顔が売れすぎなんですよ。ちょっと調べればバレバレでさ」
呆れた声で言ってくる大木君にジト目となってしまう。
「大木君……。今度はお前が防人と名乗って行動してくれ」
猫背は疲れたんだぜ、まったく。アホでもなければ、俺のことを調べるとは思っていたけどな。駄目元ではあったんだけどね。
猫背をやめて、肩をまわす。凝っちまったよ、無意味に。
「余裕そうにしているが、これが見えないのか? 廃墟街最強さん?」
トントンと肩を叩くように見せつけてくるのはアサルトライフルだった。軍隊しか持たないはずの武器だ。それに合わすように軍服を着てマガジンをポケットに挿している。
俺たちを塞ぐように立っている英体以外の6人は全て拳銃を持っている。後ろの3人は真ん中の奴が拳銃持ち。両脇はボウガン持ち。廃ビルに隠れている奴らは影猫にて偵察っと。
周りに散らした影猫らがこっそりと動き、廃ビルの奴らはボウガン持ちとすぐに確認できた中で、英体を眺める。
「アサルトライフルとは、珍しいな。なんだ、俺に対するプレゼントなら嬉しいんだけども?」
「へっ。強い強いと言っても、これには敵わないだろ? 言っとくけどな、軍用ライフル弾ってのは、鉄板なんか簡単に貫くんだぜ? あんたのスキルがどんなに強かろうが相手じゃねえ」
「ふ〜ん。で、要求を言えよ」
だいたい予想はつくけどな。言ってみてくれと、防人は嘆息と共につまらなそうに尋ねると、英体たちはニヤニヤと笑いを崩さずに要求を口にしてきた。
「もちろんお前の作った市場のシマさ。今後は俺の配下として働いてくれりゃ良い。命の保障もするし、上納金は売上の5割で許してやる」
「意味がわからんな。売上の5割じゃ赤字じゃねえか。お前、アホなの? いや、計算できないから、この場合は馬鹿と言うべきか、失礼」
せめて純利益の5割とか言ってほしかったぜ。
「っ! お前、自分が最強だとか煽てられていい気になってんだろ? あぁん?」
怒気を交えて、凄んでくる英体。
「変顔は外街だけにしておいてくれ。廃墟街はその前に殺しにかかるから」
はっ、と空気を吐くように辛辣なことを言う防人に怒りを隠さない英体であるが、それでもまだアサルトライフルを構えない。他の奴らも。挑発に耐えるだけの根性はある様子。
それだけの頭があるなら、俺を殺そうとはしていないのか? 恫喝だけで降伏させられると思っているのか?
「俺が死んだら、影虎たちで守られている市場は簡単に崩壊するぞ? と、なると俺を殺すことは無理なわけだ」
「ははっ、そうはならねえよ。調べたんだぜ、ここらへんの魔物を倒せるシステムを作ったんだろ?」
怒気を鎮めて、また余裕綽々な表情に変わる英体の言葉がよくわからない。たしかに柵とか槍部隊とか作ったけどな。
「ホブゴブリンや、アーチャーはどうするんだ? あいつら相手だと、死者が出るぞ?」
「くいもんを餌にすりゃ、命懸けで斃してくれる奴はいるだろうよ。つまりお前が死んでも問題ないわけだ」
「………」
予想外の言葉に啞然としてしまう。
名案だろと言ってくる英体と、残念だったなとギャハハと嗤う取り巻きたち。マジかよ、こいつら魔物の怖さを理解していないな。魔物の怖さは単体の強さじゃない。延々と現れるから国軍も敗れたんだぞ。毎日死人や負傷者が出たら、あっという間にこの市場は廃れて消えるだろう。俺がいないと維持できない市場なんだよ。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。大木君たちもそれを理解しているから呆れている。哀れだね、現実を知らないってやつは。
「おい、理解したか? 俺の傘下になるか、死ぬか?」
クックと嗤う英体だが、選択肢が足りないよな。
「随分と自信満々だが、マガジンをいくつ持っているんだ? 俺に使い切ったら困るんじゃねーの?」
「安心しな! マガジンはここにある以外にもたっぷりとあるからよ。残念だったな、おい? 期待に沿わないでよ」
服に付けているマガジンを叩きながら、馬鹿にしてくる英体だが……。
ほほ〜。そんなに持っているんだ。それじゃ、一つぐらいは使わせてやるか。
「それじゃ、俺の選択肢は、お前を殺して、そのアサルトライフルを頂くってやつだ。そいつの後釜につきたい奴は動かない方がいいぜ」
影法師にて、身体をいつものように黒く覆い隠して、ニヤリと嗤う。幸運だぜ。アサルトライフルが手に入るなんてな。
闘気の実験もできるし、なんたらボス君にはお礼をしないといけないだろう。3文ぐらいはお礼にあげるぜ。




