外伝 虫取り
もはや外壁のコンクリート枠しか残っておらず、壁から鉄筋が覗いている。瓦礫が床に積み重なり、汚れたガラス片が転がる中で、くるくるとナイフを手の中で回転させながら、防人とそっくりの黒ずくめの姿をした少女が立っている。
対峙している帰蝶は目の前の少女らしき人間を見て戸惑いを隠せなかった。いったいいつ入れ替わったのだろうか? 入れ替わる魔法。さっき防人が影の中に入り転移した魔法を使ったに違いない。
ソロで活動している防人にパートナーがいることに驚きを隠せない。あの用心深い男がコンビを組むなど想定していなかったし、花梨からの情報でもパートナーがいるとは聞いていなかった。
声音とその佇まい、背丈から年若いのだろうとは推測できる。とすれば、ここ最近で仲間にした人間に違いない。だが年若いから弱いとはならない。目の前の少女は隙が見えない。自然体で立っているように見えて、その姿は歴戦の戦士が持つ凄みがある。
「あんた……何者だい?」
「ふむ………同じようなことがあった時に備えて、名乗りは考えないといけませんね。……通りすがりの美少女Aさんで良いですよ。どうせ貴女は死ぬんですし」
世間話のように答える少女のセリフは酷く物騒なものであった。その身体から目に見えるほどに威圧感を覚える。
「随分と腕に自信があるようさね?」
「それもありますが………私の姿を見た貴女には死んでもらわないといけないんです」
すうっと目を細める雫に帰蝶は腰を僅かに落とすと、身構えて嗤う。
「秘密の関係というわけさねっ?」
義手に思念を送り雫へと帰蝶は攻撃を繰り出す。密かにセリカにステータスアップポーションを貰い、踊る鎧による肉体補助を受けた帰蝶の筋力は普通の人間など片手で千切れるし、魔道具『蛇腕』は思念で自由に動くし、魔爪は闘気でも魔法でも防御系統の障壁を無効化できる。
繰り出される一撃は装甲車の装甲を貫ける。視認も難しい速さで少女へと義手は向かう。撓りを見せて義手は直線上に伸びていく。
「照れますね。そのとおりなんです」
一瞬で間合いを詰めて迫る鉤爪に、雫は悪戯そうに笑い、半身となりナイフを繰り出す。
突き出されたナイフの先端が鋭さを見せる鉤爪へとカチンとぶつかる。なんの変哲もない鉄のナイフ。そこらにあるクズ鉄を使用して作られた使い捨ての脆いナイフは、高速で繰り出される魔法の鉤爪とまともにぶつかればあっさりとひしゃげてしまうはずであった。
しかし、雫は手首を僅かに傾けてナイフをゆらりと揺らす。キリリと金属を削る嫌な音をたてて、鉤爪の先端を滑らせてずらす。鉤爪の軌道はずれて雫の横を通り過ぎる。
帰蝶は蛇腕を引き戻し、横に振るう。先程、防人に繰り出したように、雫の胴体を薙ごうとする。その威力は鉄柱と同等であり、命中すればタダではすまない。
「よっと」
しかし雫は軽い声を出して、高速で迫る蛇腕が命中する寸前に手を添えてふわりと身体を浮かし、蛇腕の上を飛び越える。
「やるね!」
帰蝶は鞭のように蛇腕を振るい、空中を撓らせて雫へと襲いかかる。くねくねと撓る蛇腕の軌道は不可測な動きを見せる。
くねくねと撓り、コンクリート床を削り、瓦礫を蹴散らして、蛇腕は雫へと迫る。
『蛇腹乱舞』
蛇腕に紅き闘気を纏い、その攻撃速度を上げる。うねる蛇腕はまるで何本もの蛇がのたうち回るかのように暴れまくり、雫の周囲の空間を埋め尽くす。
「掠っただけで終わりの武技さね!」
「なかなかの構成。魔道具を装備しすぎですね。驚きました」
勝利を確信して、せせら笑う帰蝶。雫は帰蝶の右手に嵌っていた指輪が砕けるのを見て笑い返してしまう。どうやら武技を使用できる使い捨ての指輪も持っていたらしい。
「使い捨ての魔道具ばかり。随分貴女はぼったくられているようですね」
タンと床を踏み、ステップを踏みゆらゆらと身体を揺らす。
『柳風体』
柳に風と身体を揺らし、突風を巻き起こし迫る蛇腕をトンと後ろに下がり躱す。目の前を通り過ぎるが、すぐに右から蛇腕は引き戻されて迫ってくる。片足をあげて蛇腕を掬いあげて軌道を曲げて、頭上へとずらす。
ガガッとコンクリート床を砕き、蛇腕は止まることなく連続で雫へと攻撃をしていく。しかし、雫には当たりそうで当たらない。少女の身体に命中する寸前までいくが、紙一重で躱されてしまう。
「さて、蛇腕は強そうに見えますが、実際は流行りませんでした」
ステップを踏み、ゆらゆらと揺れて軽やかに踊る雫は悪戯そうに微笑み、その手を水平に翳して、蛇腕に添える。暴風を巻き起こし、強力な攻撃を繰り出す蛇腕に添えた手を螺旋のように回すと絡めて動きをあっさりと止める。
「くっ! この!」
掴まれてしまい動きを止められてしまった帰蝶は、雫から逃れようと、顔を険しく変えて蛇腕に思念を送る。
簡単に弾き飛ばすことができると思いきや、ギシッと音をたてて蛇腕は剥がすことができなかった。伸びた腕がバタバタと暴れるのみとなる。
「なぜかというとですね。たしかに蛇腕に欠点はありません。軽い装甲に伸びる腕、思念で自由に操作でき、義手としては一級品と言えるでしょう」
頭を掴まれて暴れて逃げようとする蛇のように腕は動くが微動だにせず、雫は掴む手を離さない。
「ですが流行りませんでした。なぜならば、その性能自体が弱点となってしまったんです」
平然と蛇腕を掴み、びくともしない。体幹が揺れることもなく、雫はその目を冷ややかにさせて語る。
「軽いんです。それは利点ですが、そのまま弱点となります。こうやって簡単に掴まれてしまうんですよ」
「くっ。蛇腕はあたし以外には作られていないはず……なんで知っているんだい?」
悔しげに帰蝶は尋ねる。この蛇腕はセリカが帰蝶のために作った魔道具だ。毛利から騙し取った魔道具を素材にして作り上げた。なので性能など知る由もないのに、この少女はなぜ知っているのかわからない。
「この魔道具にいくら払ったんでしょうか? 貴女はぼったくられていますよ」
雫は話しながらも掴んでいた手を離す。自由となった蛇腕が再び帰蝶の思念により暴れようとする。
「それにもう一つ利点が弱点となります」
打ち倒さんと肉薄してくる蛇腕を気にせずに、手に持つナイフを雫は投擲する。話しながら自然な様子で投擲をしたために帰蝶は虚をつかれてしまう。
「ぐっ!」
うめき声をあげて、回避することなくなぜか案山子のように立っていた帰蝶は肩に受けてしまう。雫に命中しそうであった蛇腕は動きを乱し、慌てて帰蝶は引き戻す。
冷淡な目で雫はその様子を見ていた。予想通りですねと。
「思念で操作する以上、自分自身は無防備になり動けなくなります。多重思考を戦闘中に行うことなんて、新人類しか無理なんですよ」
「ここまで蛇腕の性能を………」
肩を押さえて、帰蝶は後退りながら雫を見つめる。どうしてこの魔道具の性能を知っているのか、全くわからない。セリカはこの世界では初めて作られた魔道具だよと自慢げに語っていたのに。
「いくら支払ったのか……。そして、他にも弱点はあります。ていっ」
地面に転がる小石を足で蹴り浮かばせると、掴んで放つ。
『石火投擲』
弾かれた小石は赤いオーラを纏い、まるで銃弾のような速さで帰蝶に向かう。風切り音をたてて向かってくる小石を前に、帰蝶は舌打ちしつつ『鷹脚』の能力を起動させて地を蹴る。
『風脚』
脚に風を纏わせて、高速で移動しようとする帰蝶だが、雫は追うこともせずに、手を向けると強く息を吸う。
『闘気放出』
手のひらから紅き闘気が放たれて扇状に広がり、帰蝶を巻き込み通り過ぎていく。広範囲に放たれた闘気は空間を埋め尽くし、帰蝶を巻き込む。
その闘気はなんの変哲もない僅かなダメージも与えることはない、そよ風のような武技であったが、帰蝶の脚に纏う風が消えて、突如として風の速さを失ったために帰蝶はたたらを踏んで転んでしまう。
「『鷹脚』も流行らなかったんです。風の速さを持っても、闘気や魔法に極めて弱い。僅かな闘気で消えてしまう程度なんで、失敗作とも呼ばれていました」
地面を転がり、土に塗れた帰蝶はこの娘はなんなんだと恐ろしいものを見る目つきで見つめながら立ち上がる。
『加速脚』
雫は加速し残像を残し、帰蝶との間合いを一瞬で詰めると、帰蝶の顔に自身の顔を近づける。
「なので、速度を求めるならば体内で闘気を扱う『加速脚』が一般的なんです。勉強になりましたか?」
「小娘がっ!」
可愛らしい顔を悪戯そうな笑みに変えて言ってくる雫にからかわれていると怒り、帰蝶は義手を突き出す。『魔爪』がギラリと光り、雫の可愛らしい顔を潰そうとするが、雫はほっそりとした自身の指を突き出し、鉤爪の僅かな隙間に差し入れる。
『螺旋掌』
手のひらを勢いよくひねると、闘気が渦巻き螺旋となって義手を昇っていき、バキバキと音をたてて金属の腕はネジ曲がり砕けていく。金属片がパラパラと地に落ちていき、義手はあっさりと破壊された。
「こ、こんな力が」
義手を失い恐怖の表情で身を翻して、雫に背を向けると逃げ出す。雫はその様子を見て、追いかけることをせずに、フッと笑うと指をピッと揃えて手刀に変える。
『闘気手刀』
そうして右足を床につけて支点にすると、身体をキュイッと回し、回転し身を翻すと、自身の後ろへと闘気を纏いし手刀を袈裟斬りに振り下ろす。
キンと音をたてて、空間に紅き輝線が残り
「が……」
滲み出るように帰蝶の姿が現れて、身を隠すのに使っていた魔法の蝶たちがひらひらと散っていった。身体を袈裟斬りに斬られて鮮血を噴き出しながら、帰蝶は力なく地に倒れ込む。
「そして『幻蝶』は一発芸です。僅かな空気の乱れとマナの動きから、もはや貴女の動きはバレバレでした」
雫は最初の幻蝶で、そのスキルの性能を見抜いていた。膨大なる戦闘の知識からその性能を知っていた。逃げるふりをして姿をかき消した帰蝶が後ろに回り込んで攻撃をしてこようとしていることも見抜いていた。
「ば、化け物が……」
口から血を噴き出して、帰蝶はもはや動けぬ身体で呟く。
「実は貴女を本来はもっと簡単に倒せました。ですが……防人さんを傷つけたので、私は怒っていまして。なので、貴女の全ての武器を破壊して殺すことにしたんです」
その声音に怒りを滲ませて雫は倒れている帰蝶へと告げる。その瞳には怒りの炎が燃えている。防人さんが死にそうになったので怒っていたのだ。
「ですが、貴女もどうやら使い捨てであった様子。その武装を見ればわかります。簡単に作れて使い勝手が良さそうに見えるのに実際は使い勝手が悪い装備。同情します」
心を折るためにトドメを刺す雫である。
「はは……裏切り行為は当たり前。トドメをさしてくれてありがとうよ。い、言われたとおり、やめて……おけば」
そうして帰蝶は目から光を失い、息絶えて死ぬのであった。これにて『油売り』は完全に滅んだのである。
「これで敵は撃破しましたね」
スッと目を細めると、真剣な表情へと変えて雫は空を見上げる。
「ハイパーチョココッペパン。スーパーチョココッペパンを回収しないといけません。あの幼女はコッペパンを死守してくれているでしょうか」
疾風のように雫は駆け出して、新たなる闘いに向かうのであった。
もちろんコッペパンは残っていなかった。そして手持ちの板チョコも使い切った雫。
この闘いは苦々しい思い出ですと、自身の持つ戦闘の記憶でも苦戦ランキングに入る雫さんであった。




