外伝 起床
影虎に乗った防人は廃ビル内を駆け抜けて、窓枠のみとなった穴を飛び出した。勢いよく飛び出し、空中にて蠢く悪夢を確認する。ウネウネと形を持たず、小山のような漆黒の魔物はぬらぬらと表面が光る新たなる触手を生やし始めていた。
「忙しないことで。腹が減ってるのか?」
防人を乗せた影虎は地に降り立つ。手を大きく回転させるように振りながら俺は体内のマナを活性化させる。身体からマナの波動がオーラとなって可視化されて表れていく。
膨大なマナは、バチバチと紫電を発し、砂埃を弾き、理を変える力は周囲の空間を歪める。
ふぅぅ、と細長く息を吐き、俺はマナの光を瞳に宿らせて影虎の胴体をポンと叩く。
「準備オーケーだ。ランチをめしあがってもらおうぜ」
倒し方は既に把握した。簡単かつ確実に倒せる方法だ。
「みゃん!」
『めしあがれ!』
影虎が子猫のように鳴き、くるくると回転して雫が楽しそうに片手を振りかざす。
俺のマナを感知して、美味そうな餌だと思ったのだろう。悪夢は新たに生やした複数の触手を猛然とこちらへと伸ばし、攻撃を繰り出してくる。
「みゃんみゃん」
影虎は風のように駆け出して迫る触手を躱していく。轟音をたてて横を触手が通り過ぎてアスファルトに穴を空ける。複数の触手が槍の雨のように降り注ぐ。
ギラリと影虎は瞳を輝かせて、防人を乗せながら高速で移動し、決してその雨に触れないように進む。猫は濡れるのが嫌なのだと、一つも命中しないように進む。
そうして、悪夢の本体の目前に到達する。悪夢はその身体を薄く広げて、覆い尽くそうと変形させる。その身体の中にはひしゃげてスクラップとなった指揮車やトラックなどの欠片が覗く。
「わかりやすい攻撃だ。だからこそやりやすい。影虎飛び込め!」
「みゃー」
影虎は身体を沈めて、力を溜めると大きく飛翔する。狙うは悪夢の本体の中。食べたいなら食べさせてやろう。
「食中毒にならないか見物だぜ」
己に溜め込んだマナを発動させる。俺と影虎を包み込む球体をイメージして、魔法を発動させる。
『凝集熱障壁』
『反応氷結障壁』
マナが世界の理を歪めて、無から有を作り出す。意志の力が形を作り、俺の周囲を高熱と極低温のバリアが覆う。
「研究中の障壁だ。たっぷりと味わってくれ」
悪夢の体内の上に球体となったバリアごと降り立つ。降り立った場所の漆黒の液体が熱にやられて沸騰して消えていく。
薄く広がった悪夢は俺を覆い尽くし、視界は暗闇に閉ざされる。
だが、暗闇となった世界はすぐに光が射してくる。高熱のバリアに熱せられて燃えていき、それでも膨大な質量は熱の障壁を越えて、氷の障壁を破壊しようとしたのだが、破壊は不可能であった。
バンと音がして弾き返されて凍りつき、氷の粒へと変わり消えていく。
「反応装甲だ。触れた相手を爆発と共に弾き返す。維持していれば、物理攻撃は銃弾すらも弾き返す予定なんだが、うまくいっているようでなにより」
『もう意味がわかりません。防人さんのえっち』
「遂に変態から言葉を変えたな? 止めてくれ」
『フフ。褒めているんです。感心しています。私のパートナーの恐るべき魔法の才能に』
くるくると魚のように踊り狂う可愛らしいパートナーへと薄笑いを返しながら、マナを維持する。凝集系統は馬鹿みたいにマナを食う。それを2つ。しかも俺たちを覆う球体として作成しているので、恐ろしい速さでマナは減っていく。
だが、倒せるかどうかの一か八かの作戦ではない。そういう賭け事は若い青年とか少年が相応しい。俺は確実に勝てると考えて行動に移した。
漆黒の液体が燃えていき、凍りつき、どんどん体積を減らしていく。知性は少しはあっても食欲には負けるらしい。自身が明らかに不利なはずなのに、悪夢は俺を覆い呑みこもうとするのをやめない。
その動きによるマナの消費。内包しているマナの量はざっとだが、戦闘中に確認した。ただマナを攻撃に転換して攻撃してくる悪夢は極めてコスパが悪い。200の攻撃を繰り出すのに200のマナを消費しているのだ。
魔法に変換すれば200の攻撃を20程度のマナ消費で抑えることができる。
防人は持ち前の観察力で、敵のマナを正確に予測していた。動くだけでマナを消耗する魔物と聞いて、最初から倒せる方法を模索していたのだった。
「魔法スキルを持っておくべきだったな、悪夢」
即ち、俺の魔法は維持を続けてもマナ残量が、悪夢の内包マナを打ち消すまで持つんだぜ。
戦いという程のことでもない。焚き火に飛び込む虫のように、悪夢は飛び込むだけだ。逃げるという選択肢を取られるとまずいが、本能のままに動いているようで、攻撃をやめることはないようだしな。
そうしてしばらく漆黒の液体は俺の障壁を突破しようと攻撃を続けて、その身体をどんどん消されていき、やがて最初の小山のような身体が幻だったかのように、小さな水溜りのようになるのであった。
『こういう場合、一か八かだ、突撃して倒す! とか、脳波交信であいつと交信してみる! とか、かっこいい戦法をとると思うんですが』
『確実な勝利は面白みがないんだぜ』
あっさりと倒してしまったので、少し不満そうに雫が言うのを苦笑で返して、水溜りのように小さくなった悪夢へと手を翳す。
「目が覚めると忘れられる。その名前のとおりだったな」
『火炎槍』
燃え盛る火炎の槍を作り出し、弱々しく震える悪夢へと向ける。火の粉を散らし飛んでいき、火炎の槍は悪夢に命中すると、その身体を欠片一つ残さずに燃やし尽くすのであった。
「インパクトの割に弱かったな」
『うーん。強かったですよ? まともに戦えば』
「俺は真面目に戦いました〜」
障壁を解除して、安堵の息を吐く。真面目に戦った証拠に、マナの残量は50を切っている。ちょっとやばかった相手である。
『ただ立ってただけで、倒されるとは敵も考えていなかったでしょう』
「人聞きが物凄い悪い。……それよりもこの魔物はなんなんだ? ちょっとやばかったぜ」
『うう〜ん。私もこの魔物の製造目的がわかりません。なにをしたかったのか。多分魔物を作ること自体が目的であったと思われますが。マッドサイエンティストが自作魔物を作ってみた! とか、そんな感じでしょうか?』
「国軍も出張ってか? あ〜、装甲車もスクラップだし、アサルトライフルも鉄屑だよ。もったいねぇ……。まぁ、内街のやることなんてわからな」
「みゃん!」
肩を竦めて、考えるのをやめようとする俺を影虎が鋭い鳴き声をあげて、身体を震わせ振るい落とす。
『影転移』
地面に落とされた俺はすぐに影へと潜り込み、影から影へと転移して大きく間合いをとる。道路の端、放置自動車の影から飛び出してゴロゴロと転がり、廃ビルの壁に勢い余ってぶつかり痛みに呻く。
廃ビル内にいる影虎が爆発する。連続で爆発と爆音をくり返し、もうもうと砂煙が巻き起こる。
「ちっ。敵の気配はしていなかったはずなんだがな」
影虎とのリンクが途切れて、倒されたことを知り舌打ちをしながら立ち上がる。
「なんだい、そんなに間合いを取れる魔法なんてあるのかい」
廃ビルの中層にある窓枠に影が落ちて、何者かがつまらなそうに言う。爆風で着込んでいるローブがはためき、被っているフードが外れる。逆光でよくわからないが、シルエットから女性のようだ。
「取っておきの手榴弾を全部使い切ったってのに、まさかそこまで距離を取れる魔法があるなんてねぇ」
「そこは一撃お試しで攻撃してくるところじゃないのか? 侘び寂びっての知っているか?」
『名乗りもせずに攻撃するとは、風情がありません。ここは影虎を倒して名乗りをあげるのがテンプレではないですか』
『現実は世知辛いよな。酷い話だぜ』
どうやらいきなり手榴弾をばら撒いてくれたらしい。影転移を使い距離を取らなければまずかった。爆発に巻き込まれて、最悪死んでいたかもしれない。思い切りの良すぎる敵だ。俺と同じ考えの奴だな。
「あんたの軽口はどこまでいっても変わらないみたいさね」
高さが10メートルはあるだろう窓枠から、女は躊躇いなく飛んで、ふわりと地面に降り立つ。
「懐かしいな。コスプレか? すまん、その格好の元ネタを俺は知らないんだ」
「はっ。どうしてこんなコスプレ衣装になったのかを教える必要がありそうさね」
「悪い。あまりコスプレには興味ないんだ」
ギロリと憎しみの籠もった目つきで見てくる女性に、黒ずくめのおっさんは飄々とした口調で返した。初夏に黒ずくめのおっさんは自身の姿を省みることはしない。いや、この姿は必要だからしているんだぜ。
俺の前に立つ女性は、一言で言えば改造人間といった姿であった。顔の右半分が鉄板をボルトでくっつけたようで、皮膚が引きつりどこかしら狂気を感じさせる。左手は金属製の義手だが、科学力の結晶ではなさそうだ。歯車が要所で覗き、薄い鉄板が何重にも貼られており、神経など繋がっていないようなのに、義手にはあり得ない自然な動きをしている。しかも指は鷹の爪のように尖っており、ギチギチと軋み音をたてている。
両足も太ももまで金属が侵食しているようで、金属製のブーツが広がっており皮膚に食い込んでいた。胴体もめちゃくちゃに鉄板をボルトで貼り付けたようで痛々しい。まるでブリキの玩具と半端に融合したような不気味な姿であった。
「まぁ、あんたと行動したのはほんの数日。覚えているわけがないさね」
「そのわりに、俺へ向けてくる憎しみと殺意の波動が凄いんだが? レディ、お名前をお聞きしても?」
からかうように答えるが、殺意の波動が物凄い。物理的な力はないはずなのに、視線だけで殺されそうだ。
「良いだろう。久しぶりだし名乗っておかないとね。あたしの名前は帰蝶。元『油売り』の帰蝶さね。覚えているかい?」
狂気に満ちた表情で、口元が裂けるほどに嗤いを見せて、帰蝶は名乗る。
「………なるほど、帰蝶ね。帰蝶。あぁ、報酬が太っ腹だった。久しぶり。生きてたのか」
『油売り』とは懐かしいな。最近は聞かなかったんだけど、生きてたのかよ。
「あの時、命からがら逃げたんさね。転がっていた『踊る鎧』の腕輪をつけてね。誰かさんが破壊したからか、取り込まれずに使うことが出来たよ。すこーし身体が変わっちまったが」
異形の女性は金属製の腕を掲げて、軋み音を立たせる。
「なるほど、友好的にお別れをした俺に久しぶりに挨拶か? それじゃ一杯奢るぜ。最近は少し金回りが良いんだ」
外街の店で奢っても良いぜというと、可笑しそうに帰蝶は嗤う。
「その減らず口がどこまで続くか試してやるよ。マナの尽きかけたあんたじゃあっという間に終わるだろうけどね!」
「俺、好きな人間がいるんだ、ごめんな」
お断りを入れる俺に、可笑しそうに嗤い帰蝶は義手を振り上げる。怒りで我を忘れていないようで、その目は冷たく冷静なように見て取れる。
仕方ない。連戦といきますか。




