外伝 悪夢
「ギャー、助けてくれ!」
「銃弾が通じない!」
「助けを呼ぶんだ、はやくっ!」
毛利のキャンプは阿鼻叫喚の様相を見せていた。指揮車が突如として黒きタールのような物に覆われたと思ったら、周りへとその液体は広がってきたのだ。
そして、その液体はトラックを吸収し、警戒に当たっていた兵士たちにも襲いかかってきた。まるで津波のような禍々しい液体に、兵士たちもアサルトライフルを向けて対抗する。引き金を引いて射撃を開始する。マズルフラッシュが激しく瞬き、銃声が響き、無数の空薬莢が地に落ちていく。
「撃てっ! AP弾だ!」
「駄目です、こいつ弾を食らっても平然としています」
「スライム系統です。しかし、こんな化け、ギャー!」
だが、Cランクの魔物すら殺せるはずのAP弾も、目の前の液体には無意味であった。銃弾は粘度の高い黒き液体にめり込み貫通するが、痛痒を与えることもできない。
抵抗を続ける兵士たちを次々と飲み込んで、漆黒の液体は爆発的に膨れ上がり廃ビルを覆い尽くすとようやく広がるのを止めて、寄り集まって蠢動する。
寄り集まった漆黒の液体は、粘度を持ち、小山のようになる。全長にして50メートルはあるだろう。小山のような液体からは、吸収した装甲車や、トラックがその体から覗く。
液体は自らの身体の一部を触手のように伸ばして、廃ビルへと取り付くと喰らい始める。強酸に触れられたように鉄筋コンクリートは溶けていき、吸収されていった。
廃ビルはやがて根本を食い尽くされて、崩壊し始める。怒涛のように廃ビルが崩れ落ちて瓦礫が液体の上へと落ちる。砂煙が火山のように噴き出して、辺りを覆い視界を閉ざす。その中で何本もの触手が蠢き、瓦礫すらも取り込み始める。
内街の兵士も車両も全て吸収されて、不気味な静けさの中で、黒き液体は蠢くのであった。
砂煙が鎮まる頃に、廃ビルを伝わって、一陣の漆黒の風が舞い降りた。足音もたてずに地面へと降り立った。
「なんだこりゃ? スライム?」
それは影虎に乗った防人であった。素早い移動をするために、影虎に乗ってやってきたのだ。影法師を着込み、目元だけを覗かせて、防人は目の前の光景を見て呆れたように呟く。
信じられないことに黒き液体が瓦礫を吸収しているのだから呆れるしかない。
『雪に蠢く者に似ていますね。どうやら内街はろくでもない研究をしていたようです。私のデータバンクにない魔物ですので新種と思われますよ防人さん』
幽体の雫が真剣な目で目の前の光景を見て俺へと話しかけてくる。
『雪に蠢く者?』
『Sランク超えの魔物ですが、無限に物質を食い荒らす化け物でした。倒すのには専用の武器が必要だったんです。超高熱で焼き尽くし殲滅しなくてはいけませんでした。どんな顔をすれば良いのかわからないと言おうとしたら、親友も言おうとしたので、激しい戦いになった記憶があります』
『どっちの戦いが激しかったかは聞かないことにしておくぜ』
必ず最後にふざける悪戯パートナーが、ちろりと小さく舌を突き出して可愛らしい笑みとなるが、すぐに真剣な表情へと戻す。
『私たちでは雪に蠢く者は倒せません。吸収能力が同等であれば、逃げの一手ですね。防人さん、試してみましょう』
『わかった』
俺は雫の提案どおりに動くことにする。戦闘に関して俺のパートナーはふざけることはないし、その指示は的確だ。
『火矢』
指先から炎の矢が生み出され、ツイッと振ると宙を飛ぶ。俺の今の魔力ならば、ただの炎の矢でも強力だ。たった一発でも薄い鉄板をやすやすと溶かすだろう。炎の矢は火の粉を散らし、高熱の矢は黒き液体へと命中する。
俺が魔法を使っても、まったく気づかないようで、防ぐことすらせずにその小山のような身体に炎の矢はめり込み周囲を一瞬溶かすように燃やして消えた。
『ダメージは与えられなかった? いや、相手が巨大すぎるか』
猛禽のように目を細めて、今の結果に舌打ちをする。湖の中に炎を落として、燃やそうと試すかのようだ。
『………いえ、魔力は減少しました。ダメージは与えています。今度は使い魔で攻撃をしてください』
その瞳の奥深くを光らせて、雫は新たな提案をしてくるので頷き返し、手をひらりと振る。
『影猫』
「みゃん」
俺の影から飛び出してきたので、思念にて液体へと襲いかかるように命じる。影猫は忠実にその命令を聞いて、一声鳴いて飛び込んでいく。
したたたとアスファルトを蹴って、影猫は液体へと接近すると、爪をたててジャンプし襲いかかる。
火矢を受けたことにより、俺を敵と見做したのだろう。液体は瓦礫を食べるのを止めて、触手を揺らめかせて影猫に向けてきた。
大木の幹のように太い触手が影猫へと振り下ろされる。振り下ろされる触手を見て、影猫は地を蹴るとひらりと躱す。ズズンと音をたててコンクリートが砕かれて、砂埃が舞う。
「みゃんみゃん」
小さな牙を剥いて、影猫は触手へとカプリと食いつく。触手に爪を突き立てて、小さな脚でしがみつき、カプカプと齧る影猫。
「む?」
だが、その牙は触手を削ることはできなかった。触手はドロリと溶け始めて、影猫を覆い尽くし始めた。
「みゃみゃ?!」
影猫はジタバタと脚を振るい、触手を剥がそうとするが、粘度の高い液体はどれだけ暴れても剥がすことはできずに侵食されていき、覆われていくとその身体は呑み込まれてしまうのであった。
『食べられたな』
『ですがわかりました。吸収された影猫の魔力を僅かに吸収しましたね。見かけは触手ですが本質は液体。触れるだけでアウトということでしょう』
『そうなると、無限に体積を増やす化け物というわけか? っとと、影虎回避しろ!』
『みゃー』
触手は次の餌を俺に決めたらしい。触手を鞭のように撓らせて、俺へと攻撃を繰り出す。
先端を槍のように変えて、触手は迫るが影虎は俺を乗せて、トンと地を蹴り大きく間合いをとる。
かなりの速さの攻撃であるが、影虎の機動の前には掠らせることもしなかった。しかし、その威力を教えるかのように、生み出した風が俺の頬を撫でてくる。だが、その威力に臆することなく、影虎は俺を乗せて、液体の周りを回るように駆け出す。
『新種の魔物。多分禁忌の技、人造魔物の作成に手を付けたに違いありません。とりあえず呼称名は悪夢としましょう』
幽体の雫さんは強そうな魔物だと予想して、面白そうな笑みを浮かべながら敵を名付ける。
『悪夢にしては、現実的すぎるんだが?』
影虎の上で揺られながら、俺は苦笑混じりに雫へと言う。当たらない影虎に業を煮やしたのか、触手を次々と悪夢は生やし始めている。
『悪夢は目が醒めれば、消えてなくなります』
『その心は?』
『あの魔物は時間限定でしか動けないでしょう。欠陥品です。動くだけで内包しているマナを失っていっています。影猫を吸収する際も、吸収するのに使ったマナの方が大きかったですし』
『たしかにな。俺の目にも見えた。コンクリートやらなにやらを食べても体積は増えてもマナは減っているようだな』
時間限定というのは確かだろうと、俺も雫の解析内容に同意する。時間を稼げば稼ぐほど弱くなりそうなタイプなんだな。
『ですが、放置して良いというわけではないと思われます。もしも放置して弱まり消えるのを待てばどうなるのか予想ができませんので』
『む………。そうか、消えるのではなく、次のワンアクションが予定されているかも知れないということか。それはまた凝っていることで。参ったね』
時間稼ぎをしたら、最後に自爆とか、予想のつかない行動を取るというわけか。なるほどね。
『そのとおりです。あの魔物はかなりの技術を持つ者が作ったと思われます。ならば当然その点を考慮しているはず。放置は危険です』
『それじゃ倒すとするかパートナー』
選択肢が一つなら、それをやるだけじゃんねと俺はニヤリと笑う。そうして集中し、マナを身体に漲らせる。膨大なマナが俺の身体に巡り、悪夢は放たれたマナを感知したのか、無数の触手を広げて俺へと振り下ろしてくる。
イソギンチャクのように増えた触手が次々と襲いかかり、俺へと迫る。
「みゃんみゃん」
腰を僅かに落とすと、影虎は跳ねるようにその場を離れて、トントンとリズミカルに飛び跳ねて迫る触手を躱していく。
ズンと轟音が響き、コンクリートの欠片が散弾のように弾き飛ばされて、身体に当たるので地味に痛い。
だが、触手の攻撃は大雑把で影虎に当たることはなさそうだ。機敏な動きが可能な影虎に触手は動きについていけない。
振り下ろすのを止めて、今度は触手を横薙ぎに振るってくる。タンと地を蹴り影虎は空を飛び、廃ビルへと飛び込む。
『今度は覆ってきます!』
『了解だ』
廃ビルの窓枠から触手が何本も入り込んで追いかけてくる。疾走する影虎は転がっている机や椅子をぴょんと飛び越えてオフィスを通り抜けて、通路を駆け抜ける。後ろから触手が這うように追いかけてくる。
『前からも来たな。意外に頭が良いらしい』
『液体なのに不思議ですね。元はスライム形態ではないのでしょうか?』
触手は先回りしてきて、前方から姿を現してきていた。通路を埋め尽くすように現れたので、影虎でも回避不能だ。
俺は人差し指をくるりと回し、マナを使用し魔法を発動させる。
『熱波』
熱のみを事象として生み出して、前方へと向かわせる。熱せられた空気が飛んでいき、触手へと命中する。触手がボコリと膨らむと、溶けるように消えていき、通路に穴が空いた。すかさず影虎はその穴を潜り抜けて駆け抜けた。
『魔法に弱いな』
『ですね。でも、その分物理攻撃は通じなさそうです。私では相性が悪く倒しにくい相手です』
『倒せないと言わないのが、雫さんらしい』
後ろから迫る触手が廃ビルを呑み込み溶かしていくのを振り返り見ながら笑う。俺のパートナーはこの悪夢から目覚めさせる方法があるんだな。
『火炎障壁』
手を翳し、迫る触手へと阻むように障壁を張る。猛火が巻き起こり、触手がぶつかる。触手は人間の胴体よりも太く、そして速い。いかに高熱の火炎の障壁だろうと勢い任せに突進すれば、たいした火傷も負わずにあの質量ならば通り抜けることができるだろう。
『硬化皮膚』
なので、少しだけ悪戯を仕掛けておく。マナを闘気へと変換させて、炎に防御系武技を付与してやる。
炎をオーラが包む。鉄の皮膚を持たせる武技だが、気体の炎には効果は薄い。そう思っていたら大間違いだ。
触手は火炎の障壁に突進すると、まるで溶けかけたシャーベットの中に飛び込んだように動きを鈍くさせた。火炎が儚い氷の粒のように変わり、触手はクッション性も持った炎のシャーベットに突進を止められて、燃えていく。
『炎のかき氷ってやつだ。味わってもらえると嬉しいぜ』
フッと口端を曲げて、俺は次々と障壁に飛び込む触手を見る。触手は一度とめられると、たしかに魔法に弱いようで、火の粉が付いて、炎に炙られて溶けていく。
そうして廃ビルの中を影虎に乗った俺は駆け抜ける。
『防人さん……変態だとは思っていましたが、ここまででしたか。なんで炎が固まるんですか!』
『雫、あれは炎の前にマナなんだ。魔法武器化のように、マナは硬化できる。これが魔法だろう?』
身を乗り出して俺へと抗議するように聞いてくる雫へとニヤリと笑い返す。魔法は神秘の技なんだ。物理法則は通じないんだぜ。
『防人さんが神秘の塊に私は見えちゃいますよ』
『神秘はどこにでも隠れているもんだ。さて、悪夢から目を醒ましますか』
頬を膨らませて、納得がいかなそうなパートナーへ肩を竦めて、防人は悪夢退治をすることにしたのだった。




