32話 野菜
市場を作ってから2週間後。梅雨は過ぎ去り、陽射しは夏の到来をその暑さで教えてくる。セミがミンミンと野外コンサートをして、東京には夏が訪れていた。
防人は自宅であるペントハウスにて、リビングルームのテーブルに紙の資料を広げて決算書を見つつ、ストアのコア数を確認していた。ちなみにダンジョンで稼いだコアも入れてある。
『ストア保管コア:Gコア316974、Fコア116742、Eコア3332、Dコア1211、レアG1、レアD1』
「たった3週間で偉いことになってやがるな……。都心部の儲けっつーのを甘く見てたわ。おっさんはチェーン店の儲けを甘く見てたよ。過去にフランチャイズ化していた企業の理由が理解できるぜ」
それに間違えたのか、レアコアが入っているな。入れた人正直すまん。スライムのレアはわかりにくいからなぁ……コアの見かけは違うのに、同じスライムのコアだと考えて入れちまったか。
『廃墟街を含めて、都心部はどれぐらいの人口なんでしょうかね』
幽体の雫もストアのコア数を見て驚いてマジマジと眺めているが……ううん?
「雫さんや、さしもの雫さんも知らないことがあるんだな」
『? そりゃそうです。私のい、コホン。知らないこともあるのです。当たり前ですよね?』
咳払いをして誤魔化す雫さん。気にしても仕方ないから、ツッコミは入れないぜ。
「何でも知っていると思っていたので意外だったんだ」
『ふっふっふっ、私はな』
「ギャー!」
胸を強調させるように腕を組み、空中で寝っ転がって、指を曲げていわゆる猫の手にして、色気のあるポーズをとりながら、雫はおもむろに口を開こうとして、外から聞こえてきた悲鳴に中断された。
むぅ、と頬を膨らませて不機嫌になる雫は気になるが、それよりも聞こえてきた今の悲鳴が嬉しい。クックッと笑いながら立ち上がる。どうやらようやく対抗できるようになったらしい。
リビングルームから庭に接する窓を開けて外に出ると……。
「ちょっとこの影虎、感知能力高すぎじゃないかにゃん?」
ミケの口に首元を咥えられて、子猫のようにぶらーんとぶら下がっている猫娘が泣きそうな表情を浮かべていた。
「どうだろうな。お前の腕が落ちたんじゃないのか?」
からかうように言うが、本当は違う。
ミケの金色の瞳は、マナだけではない光が宿っている。『闘気』の力だ。『闘気』を練習がてら使ったところ、僅かに敵の生命力が感知できるようになったのだ。生命力の中に眠る自然にある闘気を感知していたのだろう。
魔物を倒しながら、『闘気術』を使い、扱いに慣れた頃にはなぜかスキルレベル3となっていた。雫は呆れていたが。マナを闘気へと変えて、肉体に常に巡らせただけだよ。
そうして感知能力を手に入れたので、使い魔に闘気を宿らせて作れるか試した結果がこれだ。ビル壁から登ってきた花梨を正確に感知できたのだから、嬉しい限りだ。これで防諜できるぜ。
「ヌググ。あちしの腕が落ちるわけないにゃ。防人は何か新たなる力を手に入れたにゃんこ?」
「ダンジョンコアに触って、か?」
ニヤニヤ笑いを崩さずに尋ねる。どうせ話は広まっているはず。試すように言うと、ギクリと身体を震わせて、目をキョドらせる。嘘のつけない諜報員だな、こいつ。若いからだろう。どうせ陽動だろうし、本物の諜報員がどこにいるかわからんが、そいつも近いうちに見つけてやるぜ。
諦めたのか、はぁ〜と息を吐き花梨は影虎からスルリと抜け出てくる。簡単に抜け出すとは、どうやら、腕前はミケよりも遥かに上らしい。チッ、まだまだ安心はできないか。
「そのとおりにゃ。ダンジョンコアはスキルレベルアップポーションや、スキルを手に入れることができるにゃよ。ソロで攻略って、ダンジョンコアを独り占めできたんにゃね? 羨ましい限りにゃ」
その含みのない言葉にデメリットが内街でも伝わっていないと、防人は見抜き、雫をちらりと見るがクロールで空を泳いでいたのでスルーした。やはり雫の情報源は内街じゃねえのな。
そして内街がデメリットについて、知らないか、深く考えていないのも明らかだ。デメリットを知っていたら花梨のようにダンジョン攻略できる奴には教えているはずだからな。
ダンジョンコアからスキルやアイテムを貰えるのを知っている人間相手ならば、隠す必要のない情報だからだ。隠して精鋭が酷いスキルを貰って、駄目にされても困るしな。どうせたまたま酷いスキルに当たったとか看過しているんだろ。その可能性はおおいにあると思うんだ。
「『闘気術』ってやつを手に入れたな。お前、このスキルの内容知ってるか?」
何気ない風を装って尋ねてみると、驚きの答えが返ってきた。
「『闘気術』にゃ? それは……ハズレスキルにゃね。残念でしたにゃんこ」
ニャアニャアと、ハズレを引いたにゃと、哀れみの答えをしてきたのだ。驚きを表情に出さないように、軽く息を吐き、つまらなそうに腕を組む。
「ハズレってな、なんだよ? そんなに残念な物言いをされると気になるじゃねぇか」
「『闘気』って、マナを変換したパワーにゃ。武技の大幅効果アップ、物理攻撃上昇や身体能力アップなどなど、前衛には使えるスキルにゃん。でも、マナから闘気への変換効率が恐ろしく悪いにゃんよ。だいたい3回使えば、マナは空になるから、魔法使いの防人には無用の長物にゃね。覚えている人間も切り札としてしか使わないにゃ」
「へ〜。そりゃ残念だ。暑いだろ、中に入れよ」
残念そうに肩をすくめて、俺は家へと戻る中で、内心では、闘気の仕様に驚愕していた。
なにしろ俺はふつーに使えます。魔法と同じ感覚で小技は一桁のマナ消費量、大技でも消費マナは50が良いところだ。変換効率最大……。雫がこのスキルを欲した意味がわかったよ。
今度は背泳ぎをしている雫をスルーして、部屋へと招き入れる。
「氷の柱でも作らないにゃ?」
初夏の暑さだが、それでも猫には暑いのだろう。部屋を見渡して、口を尖らせる花梨。気持ちはわかるんだけどな。俺も過去に1回やったよ。部屋に氷柱を置いて涼しくするんだろ?
「あれやると、部屋が湿気るんだよ。カビ取りするの大変なんだぜ」
台所からコップを持ってきて、氷を魔法で作り入れて花梨に渡す。花梨はそのコップを見て、コテンと首を傾げて不思議そうにする。
「水ないにゃ?」
『熱波』
氷に指を突きつけて、熱を内部へと送り込むと、サラサラと崩れてシャーベット状に変わった。俺はシャーベットを口の中に放り込む。うん、氷よりも美味いな。
「……もう防人のやることは驚かないにゃ」
シャリシャリとして美味しいにゃんねと、花梨がシャーベットを食べて二人でまったりと寛ぐ。
『そういう熟年夫婦みたいな行動は私とだけでお願いします』
雫が膝の上に乗ってきて、細っこい足をパタつかせながら、口を尖らせて上目遣いで抗議してくる。生身でないから良いものを、そうじゃなかったら俺の性的嗜好を怪しまれるだろ。可愛らしいけど。
『大丈夫ですよ。外交官と結婚する12歳の異世界人もいるんですから。あの外交官のキャリアはあそこで止まったと見てて思いましたけど』
『そんな外交官がいたら教えてくれ。ご教授願うから』
『真珠のネックレスを私にプレゼントしてください。それでフラグは立ちます』
『へーへー。さよけ』
思念で軽口を言い合い、花梨があくびをしたのを見て、話を切り出すことに決める。こいつ子猫のように昼寝する可能性があるからな。
「花梨、これが今月の売上だ。実際は3週間だが、月末区切りでいいだろ」
「拝見するにゃん」
バサリと資料の紙束を花梨へと渡すと、真剣な表情となって手に取り、猫娘は尻尾をゆらりゆらりと揺らしながら見始める。
「利益率……低いニャンね? 2割にゃん。でも売上高は鰻登りにゃ。当初聞いた時はコアの買い取りなんかしても誰も売らないと思ってたけど、皆売りにくるにゃんね」
問いかけるように俺をちらりと見てくるので、肩をすくめる。そんなの当たり前だろ。売りに来ない理由がないぜ。
「個人だとコアを集めてストアの品と交換して商売できるほど数は集まらない。コッペパンだけで生きるのは難しいしな。金と交換できるなら喜んでするのさ。漁師が仲介を通さずに客に直接売るのは難しいだろ?」
「まぁ、そうにゃんね。仲介が多ければ多いほど、儲かるにゃんし」
ニャフフと俺との取引で臨時収入が入っている花梨はほくそ笑む。が、すぐに困ったように眉根を寄せる。
「でも予想以上に売れ行きが良すぎにゃ。あちし、このペースで売上高が上がると、流せる野菜が足りなくなるにゃん」
「やはりそうか。なんとかできないか?」
資料にはこの3週間の売上高が記載されている。1週目売上高62万、2週目93万、3週目152万。これはコアの買い取り額と人件費を引き、狩場ツアーの参加費用。料理、野菜などの売上が加算されている。雇っている人間は日給500〜2000円也。最後に買付費用からの謝礼に花梨に2割と。純利益は2割程度。
今、手元には70万ほどの金がプールされており、残りは花梨に野菜や小麦粉を買い付けるように渡してある。持ち逃げされたら、その時はその時だ。花梨にとって残念なことになるだろうし、それを花梨は理解していると信じたいところだな。
「天津ヶ原コーポレーションの周辺。魔物被害がおさまって、盗賊も巡回している社員さんがいるから、あまり出現しないにゃ。そして、どんどん廃墟街の市場の噂は広がっているにゃ。あちしの力量だと、週に200万円分が限界。それ以上はちっと目をつけられるからまずいにゃん」
「それだと、もうまずい水域じゃねぇか。どうにかならんかね?」
ソファに凭れかかり、難しい表情へと変える。これは極めてまずい状況だ。
「種や苗なら融通できるから、畑を増やして収穫するしかないニャンよ」
「それだと間に合わねぇだろ?」
「なら、答えはわかっているにゃん。この近くの外街の奴らに流されている小麦粉や野菜。それらを流している役人から買い付ければいいにゃ。調べたところ、防人の方が遥かに高くあちしから買い付けているにゃんからね。おっと、これは余計なことだったにゃん」
ニャフフと口元を隠して、誤魔化すように笑うが、この問答は予想されていたはず。と、すると次の問答はというと、だ。
「あちしからその役人に紹介してもいいにゃん。その代わり、買い付け時の5%をあちしに欲しいにゃ。この先、金額でかくなりそうだし、妥当な金額設定にゃん。不労所得って素敵だと思わにゃいか?」
ウインクする花梨に目を細めて頷き返す。仕事の早いやつだ。
「良いだろう。紹介しろよ」
「即断即決ありがとうございますにゃん。実はもう当たりはつけているにゃ。……外街の顔役に睨まれても平気にゃね?」
「どうせこの先避けては通れない道なんだ。問題ない」
この取引で伝手を作っておく。そして、ストアはその少し後にラインナップを増やす。俺が市場を始めて、食料品の調達に困った途端にラインナップが増えるのは怪しまれるからな。取引が成立した少し後が望ましい。
さて、久しぶりに外街に行くか。きっと面白いことが待っているだろう。