外伝 パン屋
外街のパン屋にもランクがある。一つは怪し気なパンしか売っていない所。黒パンであり、発酵もしていない堅いではなく、硬いパンだ。カチカチでシチューに浸さないと食べられないパンである。だいたいそのような店は他にも怪し気な出所不明な食料品を売っている。
次が混ぜ物を使っているパン屋だが、酵母による発酵をして、バターやミルクに卵と、適量ではないが使用しているパン屋。外街のだいたいのパン屋に当て嵌まる。ジャリジャリしていたり、やけに粉っぽい味がするし、身体に悪い物も入っている場合もあるが、安いのでほとんどの住人が買っていた。
最後が純正品の小麦粉を使って、しっかりとミルクにバター、卵を使って、じっくりと発酵させたふかふかの白パンだ。外街でも金持ち相手のパン屋が多い。このご時世にミルクやバターを揃えるのは極めて大変だから、パンの値段もかなりのものになるからだった。
陶家のパン屋『厳島』は、最高のランクのパン屋であったが、薄利多売と中層階級でも毎日買える値段設定にしている優しいパン屋であった。
そのパン屋だが、一ヶ月前から様相を変えており、そのためにただでさえ人気店であったのが、行列ができる大人気店となっていた。
古着ではあるが、小綺麗でこざっぱりとしている人々が初夏の陽射しの中で、汗を多少かいても気にしないと、パン屋『厳島』の前に行列を為していた。
「おかーさん、たのしみだね! パン屋さんって初めて!」
「そうね。何を食べたいかしら?」
「今日は少し贅沢にいこう」
期待に満ちた顔でふんふんと鼻息荒くわくわくして何を買おうかと話している娘へと、母が優しく撫でる。腹が空いたと、少し贅沢にいこうと考えて、身体を揺らしている男の姿もある。皆は早く自分たちの番が来ないかと、ソワソワと待っていた。
「早く私の番も来ないでしょうか。そこらへんにいる美少女Aさんが待っているんですが」
他の人たち同様に、最近はちこっと市場などにも顔を見せる美少女Aちゃんは、爪先をたてて背のびをして、先頭を確認しながら、ふんすふんすと待っていた。
『厳島』は庶民のお財布の味方と言われて、大人気となり、待ち時間も長くなっている。自分の番が来たら、サッと買って、サッと帰るのが暗黙の了解だ。
ようやく自分の番が来そうですと、扉を通り、てこてこと扉を潜って中に入る。ひんやりと冷気が漂う店内で、接客をしていた店員が入店してきた私へと笑顔で出迎える。各所に氷の柱が立てられており、冷気が漂っていた。
「いらっしゃいませ! 『厳島2号店』へようこそ!」
2号店。そうはっきりと店員は口にして、接客に戻るのであった。
そう、外街にある『厳島本店』は様相を変えて、大人気だが、ここは2号店。実は天津ヶ原市場に作られた初めてのパン屋である。
「純正品のパンですよ〜。焼き立てですよ〜。お値段は優しく、バターやミルクは使っておりませんが、ふわふわのパンもあります。もちろん、バターやミルクを使ったパンもありますよ!」
パン屋と言っても、壁ができる前のような自分でお盆に乗せて買うセルフサービスのパン屋ではなく、ガラスケースに並べられたパンを買うシステムだ。まぁ、廃墟街なので仕方ない。手癖の悪い人間はいくらでもいるので。
しかしながら、外街のパン屋が天津ヶ原市場に店を開いたのである。廃墟街の人々は喜び勇んで集まっていた。
何しろEランクコアが解放されて、買い取りも始まったし、田畑での仕事から、魔物狩りまで仕事はたくさんあり、お金も財布に入っている。裕福とはとてもでないが言うことはできないが、それでも人々は変わっていた。
コアストアで交換した木の棒を薪にして、水を温めて銭湯モドキを始める人。手直しした古着が飛ぶように売れると、人々へと売るお店もあり、廃墟街の人々は洗濯などしたこともなかった服を古着に変えて、身体を洗い小綺麗となり、外街の貧困層と、いや、恐らくはそれよりもマシな生活を始めていたのだ。
そこへパン屋が開店すると聞いて、我先にと集まっていた。コッペパンは美味しいが、やはりパン屋となると別格だ。
「このフランスパンくださいな」
「はい! 一本2000円です」
廃墟街のパンにしてはかなり値段が高いが、喜んで注文をした女性は買う。
「ふふっ。これで家族で数日は食べられるわね」
フランスパンは昔々にフランスで作られたスタイルだ。即ち長大で女子供では持つのも大変な大きさである。このパン一つでお腹いっぱいになるように焼かれた物だ。食べやすいようにどんどん短くなっていったのだが、時代に逆行して廃墟街専用として焼かれた。
コスパ抜群のフランスパンはパリパリと外側が焼けており、中はふんわりとしており腹持ちも良く、大人気商品となっていた。
「それと、チョココッペパンも2つくださいな」
「はい、合わせて2800円となります」
娘連れの女性の注文を聞いて、素早くゴワゴワした紙包みで包装して店員は手渡す。この紙袋はコアストアで交換した木の棒から取り出した繊維で作られており、書くには粗い目のために使えないが、包装紙には使えていた。最近はどんどん人々はコアストアの商品の使い道を考えているのだ。
それはおいておいて、チョコが薄く塗られているコッペパンを受け取ると、母娘は笑顔で店を出ていくと、パン屋の前に並べられている卓の一つに座り食べ始める。
「これがちょこ? まっくろ!」
「そうよ、食べてご覧なさい?」
「うん!」
チョコなんて初めて見る食べ物だと、娘はそおっとコッペパンを手に取る。真っ黒だが美味しいのかなぁと不安げにしながらも、好奇心は抑えられずに、パクリとかぶりつき
「あまーい! おかーさん、あまいよ!」
こんなに美味しいものは初めてだと目を輝かすのであった。そうして夢中になって食べ始める。チョコで手のひらが真っ黒になり、口の周りもベタベタにして、あっという間に食べてしまい、もう無くなっちゃったと寂しそうな顔になってしまう。
母親はその様子を見て、微かに目元を潤ませながら、自分のコッペパンを半分に割ると、娘に手渡す。廃墟街に住んで10年以上経つが、娘にチョコを食べさせることができる日が来るなんてと、喜びで心は埋め尽くされていた。
コッペパンに薄く塗られたチョコは、正直に言うと、そこまで甘くはない。だが、生まれてから娘は白いパンも食べたこともなく、ましてや甘い物など口にしたこともなかった。そのため初めての甘味にキャッキャッと野花のような素朴で幸せそうな笑みを浮かべて、その様子を母親は涙混じりに見守るのであった。
「今度は落ち着いて食べなさい?」
「はーい! おとーさんの分は?」
「おとーさんは良いの。武田様の付き合いだと言ってお酒を飲んできているしね。だから私たちも少し美味しいものを食べて良いの」
ちょっぴり怒っている母親だった。どんなに世界が変わろうとも、父親の立場は変わらないようだった。
雫はその様子を見て、フフッと穏やかな笑みを浮かべる。
『私、私がこのお店を誘致したんです。サポート役として完璧ではないですか?』
『まぁ、上手いこといったよな。それは認めるぜ』
フフンと胸を張る雫に幽体モードの防人は苦笑しつつ褒めてやる。このパン屋、奪われた金を返す代わりに、開店してもらったのだ。
パン屋は常に店主がいないと回らないお店ではない。本店で朝早くに焼いたパンを運べば良いだけだ。いずれは、パン屋のノウハウも誰かに教えてもらいたいが、今は廃墟街に初のパン屋が開店したことを喜ぼう。
「店主〜。俺俺、俺だよ、井定だよ! 行列で待つの面倒なんだけど? 優先して通してくれないか?」
なにやら後ろでだみ声が聞こえてきて、大柄な男が手を振っていた。行列の皆は迷惑そうにしており、店内に入って、もうそろそろ自分の番だとソワソワしていた雫は目を細めて呟く。
『防人さん、俺俺俺だよ詐欺です。植物生命体が人間に擬態しようとしています。魔物は排除しましょう』
『あいよ』
剣呑な雰囲気の雫に、仕方ねぇなと防人は苦笑しながら思念を送る。
「あれぇ? なんで俺は運ばれてるんですか?」
ヒョイと、大木君の襟を咥えて、巡回していた影虎が運んでいく。
「駄目だぞ、大木君。人の名前を騙ったら」
「虎様がお怒りじゃて」
「ほら、仕事があるだろ」
「ほら、ダンジョンツアーの護衛に行くぞ。人が足りないから帰りの護衛に合流してくれ」
影虎と一緒に巡回していた兵士が笑いながら、運ばれていく大木君についていく。どうやら俺俺俺だよ詐欺は未然に防げた模様。
雫はもう詐欺未遂のことは忘れて、自分の番が来たので、ガラスケースを眺める。珍しい所では、廃墟街で収穫できたために、格安のトウモロコシパンにコロッケパン、謎肉を挟んだコッペパンがあるが、雫の目的は一つだけだ。
「チョココッペパンを10個ください」
私の食べる物は常に甘味ですと、キラリと目を輝かせてほっそりとした指を指し示し、ムフンと息を吐くのであった。
コッペパンを買い込んで、テーブルに座ると雫はニマニマとご機嫌な笑みになる。
「廃墟街でチョコ菓子が食べられる日がくるとは思いませんでした。さすが防人さん。さすもりですね。ですが、私は探求者。ここで満足する気は毛頭ありません。人類を救うためにも!」
小さなナイフを取り出して雫はチョココッペパンを横に切っていく。
「私ならば、もっと上に、さらに上へと目指せるはずです」
『そういうの良いから。いらないぜ』
防人さんの応援を胸に、私は横に割ったコッペパンをさらに6等分に切っていくと、切り札を取り出す。
「ジャジャーン! いたーちょーこ」
腰に下げた袋から、とっておきの板チョコを取り出すと、むふふと顔を綻ばせて含み笑いをして、小さく砕いていく。
「この分割したコッペパンに砕いた板チョコを挟む! まさに悪魔的、悪魔的な考え! 一日交代券を50万ペソカで交換した甲斐があります」
挟んだ板チョコが甘さを増して、最高の菓子パンになると、微少女は笑って、どんどん板チョコを挟んで、横に置いていく。何しろコッペパンは10個。6分割するから60個もハイパーチョココッペパンを作る必要があると、せっせと作業を続ける。まずは板チョコを削るところからですと、慎重に作業を行なっていく。
「なにしてりゅの?」
「最優先事項です」
横の椅子にうんせと幼女が座ったが気にしない。今の雫はパティスリーなのだ。もはや誰にも止められない。防人はあくびをして目を瞑って寝ていたりもした。
少しして、小さなハイパーチョココッペパンの小山ができて、ふぅと汗を拭う。手の温度で溶けないように細心の注意を払ったのだ。体術スキルを駆使して、先日倒した蛟戦よりも緊張して作業をした雫さんである。
「できました。ですが、貴女の分はありません。作ったパンはまず自分が食べるんです」
ふふふとドケチなことを幼女に宣う甘味についてはセコい美少女。
さて、食べますかと、ハイパーチョココッペパンに手を伸ばして、ぴたりとその手が止まる。
『アラームキャットが装甲車とトラックを数台確認したな』
寝ていたはずの防人は目を細めて真剣な表情で告げてくる。
『むむむ………これはあれですか……襲撃ですね? 今頃来たんですか!』
そういえば襲撃計画があったっけと、口を噛む雫。
『だな。どうやら準備が整ったらしい。歓迎しに行くぞパートナー』
『くっ……まだ一口も食べていないのですが……』
うぅ、と呻いて悔しがるが、すぐに気を取り直して真剣な表情となると立ち上がる。
「このコッペパンを見張っていてください。一個ご褒美にあげますので」
「あい!」
元気よくちっこいおててをあげて返事をする幼女に頷き、雫は後ろ髪を引かれながらも、感知された場所へと向かうのであった。
残された幼女はハイパーチョココッペパンの小山を見て、う〜んと悩む。お願いの意味を考えていたのだ。しんゆーのお願いはできるだけ叶えりゅのだ。
「探したぞ! 何してるんだよ」
買い物をしていて、いつの間にかはぐれた幼女を探していた純たちが気づいて近寄ってくるので、ハイパーチョココッペパンへと手を向ける。
「みながらたべてって、いわれたの!」
たしかそんな感じだったよねと、幼女は一個手に持つと小さい口を開けてかぶりつく。細かく砕いた板チョコがパンの柔らかさと共に甘く広がり、びっくりした。
「あま〜い! たべてたべて」
こんなに美味しいのは初めてと、口元をチョコでベタベタにしながら、みんなも食べようよと、ニパッと可愛らしいスマイルで勧めちゃう。美味しい物は皆でたべりゅのだ。
「えと、本当に食べていいよって言われたの?」
華が周りを見渡すが、持ち主はいなさそうだ。
「うん!」
幼女はまだ数を知らなかった。全部ご褒美にくれたのと満面の笑みである。
「このパン、そこのパン屋さんで売っている物だよね……」
「ごほうびっていわれたの!」
たしか見てればご褒美を貰えると、良い子な幼女は覚えていた。うん、まちがいないりゅ。
「なにか良いことでもしたのか? それじゃ僕たちも貰おうか? 間違ってたら、そこのパン屋で買えば良いよ」
純がハイパーチョココッペパンを一つ手にとってかぶりつく。まだ買ったことがないために、純は普通にパン屋で売っているものだと勘違いした。
「お、うまい! これ凄い美味いよ!」
「それじゃ私ももらおうかな〜」
甘い甘いと叫ぶ純の様子に興味を持って、華たちも食べ始める。
「たべてたべて! あっちのひとにもぷれぜんと!」
ハイパーチョココッペパンを手に持って、周りの子供たちへも配っちゃう幼女。少しして、美味しいと幸せそうな笑みが花咲くようにパン屋の周りで広がって、こんな素晴らしいパンを試食に配るなんて太っ腹だと勘違いされ、幸運にもパン屋はますます大人気となるのであった。




