外伝 因果応報
自身の自宅、応接間にて、山中はぷるぷると肩を震わせて目の前の光景を見ていた。目の前には札束が置いてある。
明けて翌朝、陶がすぐに訪問に来て、借金を支払っていった。驚くべきことである。混ぜ物のパンを売るつもりでないのは明らかだ。なにせ、その顔は明るく、悲嘆している様子は微塵もなかったからだ。人の良い陶なら落ち込んでいるはずだった。
そして、その金の出所も想像がつく。
自分の金だ。いや、奪ったはずの金であった。昨日、酒を飲んで金を数えるかと懐にポケットを確認すると空であったのだ。チンピラたちも同様に、ポケットは空であった。慌てて探すがどこにもなかった。
陶が返しに来た時に、奪い返されたと悟ったが、まさかお前の金は俺たちが奪った金だとも言えず、悔しさで口を噛みながら受け取ったのだった。
「くそったれめ! いったいどうやって金を奪い返したんだ? スキルか? そんな能力があるのか?」
陶が去った後に、悔しさでテーブルを手が赤くなるほど強く叩き、痛みに顔を顰める。
「ちっ。昨日の奴らに注意をすることにするか。それと、こんな舐めたことをしやがった奴を殺すようにお願いをしておかないとな。………たしか、新しいボスは沼田とか言ってたな」
詳細は知らないが、この間、抗争で英体は死に、ナンバー2の沼田がこの区画のボスとなったはずだと、山中は立ち上がり、沼田への就任祝いとして、勿体ないが、かなりの額の札束を手にして、護衛を呼ぶと屋敷を出るのであった。
英体の後継となった沼田の拠点は雑居ビルだ。中流階級が住む区画と長屋が建ち並ぶ貧困層の境界線に建っている丸々一棟を自身の拠点としている。
裏ぶれて薄汚れたガラス窓には割れても破片が飛び散らないように、ガムテープが貼っており、階層ごとに人相の悪いチンピラが住んでおり、沼田は最上階に住んでいた。
ソファにテーブル、壁際には棚があり、なんの賞かわからないトロフィーや、安っぽい絵画がかけられている。全体的に安っぽい内装の部屋である。
その部屋で沼田はソファに座り、肩を縮めて座っていた。沼田の護衛たちは壁の汚れを取るために掃除をしていた。そして、沼田を訪れた山中はというと
「強盗にあったんだ! 本当だ! ここに来る間に挨拶代わりの金を全て奪われた!」
顔に青痣を作り、洋服は汚れて破れてもいる、見るも無残な格好で沼田の対面に座り、叫んでいた。
強盗にあったのかと、ウンウンと頷き沼田は自身の隣に座る男へと顔を向ける。
「あ〜、そりゃ残念だったな? そいつの姿は見たのか?」
探してやるよと、親切心を露わにするワイシャツにジーパンの中年のおっさんが脚を組んで座っていた。この区画のボスである沼田よりも偉そうだ。というか実際に偉い。名前は天野防人と言う。初夏となり暑いので、さすがに黒ずくめの格好をやめたおっさんだ。
誰だこいつはと、疑問顔になる山中だが、激昂してテーブルを叩く。
「わからない。後ろから襲われたんだ! 護衛たちも気づかないうちに倒されて気絶していた。なにかが起こったんだ」
「おいおい、気づかないうちにやられたなんて、あり得ないだろ? その護衛は強盗とグルだったんだろ。いや、お前もグルか? 新しいボスである沼田君への祝い金を払いたくないだけならそう言えよな。な、沼田君?」
「そ、そうですね。えぇ、そのとおりです。オゥオゥ、山中さんよ、俺を甘く見てもらったら困るな。なんだ、上納金を10倍にすりゃ、舐められなくなるのか? オゥオゥ」
防人はクククと嗤って、ソファに寄りかかり、沼田君はオットセイの演技が上手いねと感心した。そのセリフを聞いて、山中は青褪めてしまう。ここらへんを仕切るゴロツキに目を付けられたら生きてはいけない。
「その……違うんだ。今は手持ちが無くて……」
「そうか、それは残念だったな、なぁ、ボスの沼田さん? 残念なことになりそうだよな?」
「オゥオゥ、そのとおりです、オゥオゥ」
ますますオットセイ化が進む沼田君。護衛は壁を磨くのに、洗剤が必要かなと、棚やロッカーに頭を突っ込んで探していた。
その様子に、さすがに変だと山中は思って、腫れた顔を俺へと向けてくると、恐る恐る尋ねてくる。
「え〜、貴方はいったいどこの方なのでしょうか? 申し訳ありません。知らないもので……」
「黒ずくめの格好をしていないから、わからなかったか。そりゃすまない。俺の名前は天野防人。天津ヶ原コーポレーションという名の会社の社長をしている」
優しくニヤリと嗤ってやると、山中は息を呑み、気絶しそうな程に身体を震わして絶叫する。
「まさか………外街に既に手を伸ばしていたのか!」
「いやいや、俺と沼田君は親友なんだ。な? 何でもしてくれる親友なんだよな?」
「そのとおりです。親友、親友なんですよ! オゥオゥオゥオゥ、山中さん、俺は天野さんと親友なんだよ!」
沼田君も親友だと認めてくれる。うん、俺たちは親友なんだ。
「さて、沼田君のオットセイ語はわかりにくいと思うから、俺から話をさせてもらおうか?」
「は、は……い」
僅かに闘気を込めて睨むと、ガタガタと震えて山中は素直に頷く。外街に親友がいる俺へとちょっかいをかけるとどうなるか、よーく教えてやらないとな。
「山中君、君はこの外街では良心的にも純正品の小麦粉を売っている。これからもその値段でやってくれ。それと、借金も問題はない。相場どおりだ。山中君もその地位につくのは大変だったろうしな。小麦粉を流すための金額も当然だろう」
「えあ、は、はい、そうです。俺はこの界隈じゃ有名なお人好しなんですよ、あはは」
「そうか、これからはあんたに借金を返そうとする人間が強盗に襲われることは少ないと思うが、このまま頑張ってくれ。それじゃ帰っていいよ。あ、上納金は後で持ってきてくれ」
俺の言葉に山中は拍子抜けした顔となる。もっと無理難題をふっかけられると考えていたのだろう。
「そ、それで良いんですか?」
「あぁ、沼田君は優しいしな。な、沼田君? これで良いよな?」
「へい。そのとおりです。それで良いかと」
今度は水飲み鳥の玩具の真似をする沼田君。なかなか芸に通じている男だねと微笑みを見せて、腰を浮かして帰ろうとする山中へと見送りの言葉をかける。
「人の好い山中君のことだ。最近強盗にあった者たちの借金は棒引きしてくれると信じているぜ。陶さんも強盗にあったらしいから、その分も合わせてな」
「そ、それは………」
「さすがは山中君。次は殺人鬼に遭うかもしれないしな。善行を積んでおかないと、危険かもしれないぜ?」
「わ、わかりました……すぐにその分の借金は棒引きします……アハハハハ」
さすがは人の好い山中君。当然ですよとにこやかに笑う。そうして朝から酔っているのか、覚束ない足取りで部屋を出ていくのであった。
フンと鼻で笑って、ソファに凭れかかる。朝から疲れたよ、まったく。善人同士のやり取りとはいえ、お金や取り引きの話は難しい。
『善人な防人さん。あの男はあれで良かったんですか? 破滅させたり、事故死になったりしなくて良いんですか?』
『雫さんや、俺は善人だから物騒なことは考えないの』
俺をなんだと思っているのかなと、フヨフヨ浮く雫さんへ視線を向ける。仰向けに空に浮いて雫はつまらなそうに口を尖らせて言う。どうやら不燃焼な模様。
『強敵とチーンジャラジャラーと戦って、最後の一千万で沼田さんに勝つ展開を想像していたんですが。フェニックスモード! 3億円は頂いた!』
『相手が違うだろ』
ビシと空に手を翳してポーズをとる訳のわからないパートナーである。3億円ってなんだ? 相変わらずのアホ可愛い少女だよ、まったく。
『それに、あいつがいなくなるとまずい。表向きはまともな商売をしていたからな。小麦粉が出回らないと困るパン屋さんはたくさんいるだろ?』
『防人さんは、勧善懲悪の主人公、黄門様とかにはなれないですね。利益ばっかり追求しちゃうんですから』
『冒険野郎黄門様か、懐かしいな。色々黄門様がアイテムを作って解決するんだよな』
『なにそれ、詳しく教えてください』
うふふと口元を小さな手で押さえて、悪戯そうに笑う雫だが、時代劇に興味があるらしく、すぐに興味津々の好奇心溢れる顔になる。後で教えてあげるとするか。
「しかし、外街にも良心的な奴がいたんだな。井定とかいう奴には会ってみたかった」
「あ〜……そうですね、ボス」
沼田君が頬をかいて、気まずそうな顔をするが知り合いなのかな? 何故か部屋に設置してある観葉植物っぽい物が俺の前をウロウロと徘徊する。
「まぁ、護衛の件は普通にやっても小遣い稼ぎにはなるだろ? 井定という立派な男にならなくてもいいから、これからは少し真面目に護衛をしろと周知しておけ。闇市でかなり稼いでいるだろ? あまり欲張るとナンバー2を俺は探したくなるかもしれないし」
良い人材って、どこにでも隠れていると思うんだよね。
「へいっ! すぐに周知しておきます! オゥオゥ、お前ら、今の言葉を聞いたな? 俺たちは仁義溢れる集団になるんだ! ほら、さっさと皆に伝えに行け!」
「了解です! すぐに行ってきます!」
ドヤドヤと扉を押し合いへし合いしながら、部屋にいた者たちのほとんどは去っていく。これなら大丈夫だろうよ。
「それじゃ、後は粉物問屋の対応か………どうやら市場に手を出すつもりらしいんだよなぁ」
子犬な雫さんが山中を尾行して、こっそりと店に忍びこんで盗み聞きしたところ、怪し気な取り引きがあったらしい。その時、俺は寝てたんだよ。起こしてくれても良かったのに。悪戯好きな雫は黙っていたんだ。
「ボス。粉問屋に兵を使ってカチコミさせやしょうか?」
コーヒーを持ってきてくれながら、俺の呟きを聞いた沼田君が真剣な表情で尋ねてくるが、かぶりを振って却下する。
「どうやるか興味があるし、失敗すれば見せしめにもなるだろうから、後手を取ることにする。少し情報を集めないとな。とりあえずパン屋に顔を出すかな………っと、大木君、なんかあるのか?」
さっきから、観葉植物のフリをして俺の前を彷徨く大木君へと声をかける。なにか言いたいことでもあるのか?
大木君はようやく気づいてくれたかと、ヘヘッと鼻を擦る。
「えへん、おほん、えっと実はですね兄貴。俺の名前は井定って言うんでさ!」
得意げに胸を張って、大木君は告げてくる。よほど嬉しいのか、フンカフンカと鼻息が荒い。
「さて、俺はもう帰る。それじゃ沼田君、またな」
「へいっ。お見送りいたしやす! お前ら、ボスのお帰りだ!」
輝くような笑みとなり、沼田君は俺へと頭を下げる。外に待機していた連中もドアを開けて頭を一斉に下げてきた。
『なんか恐れられているよ?』
『アサルトライフルに勝ちましたからね。当然かと』
そんなもんかねぇと、俺は外に出ることにするのであった。
『やれやれ、こんなに優しい俺をわかってくれないとは、現実は世知辛い』
物語だと力を見せつけたあとに優しくすれば、崇拝してくれる展開じゃないかなぁと悲しく思いながら階段を降りるのであった。
「兄貴? 俺が井定なんですって。俺がナイスガイな井定なんです!」
「他人の名前を騙るなよ、大木君」
まったく大木君にも困ったもんだぜ。




