外伝 借金
わぉーんと少女のような可愛らしい犬の遠吠えが響く中で、外街の繁華街から人々が三々五々、解散して自宅に帰っていく。その一人である山中は苛立ちながら、帰途についていた。
「短絡的な考えすぎる………。廃墟街の幽霊を殺していけば良いのか? それにあの女が親切心を見せるか?」
そんなに簡単に話が上手く進むとは、とてもではないが思えない。あの女はそこまで優しくない。3年前に手持ちの財産を駆使して、内街との繋がりを上手く使い外街の経営に食い込んできた女。山中はあの女をまったく信用していなかった。
「きっとなにか裏があるに決まってる。その前になにか対処をしなけりゃならんだろ」
夜半の道を歩き、外街では自宅である立派な屋敷に到着する。3メートルはある壁に囲まれて、広い庭には池もあり、屋敷は3階建ての豪邸だ。
鉄扉を開けて中に入ろうとすると、横合いからなにかが飛び出してくる。
「あの、山中さん!」
一瞬、殺し屋か強盗かとぎょっとした山中だが、その声と顔を見て安堵し、その後に怒りの顔へと変えると冷ややかな目つきとなった。
「なんだ、陶さんじゃないか。なんだいこんな夜中に?」
「頼みがあるんだ! 借金返済を一ヶ月延ばしてくれないだろうか」
中年の痩せた貧相な顔つきの男は、山中の前でアスファルトの道路に土下座をして、必死な顔でお願いをしてくる。その悲壮な様子を見て、山中はヘッと狐のような顔を醜悪に歪めて嘲笑う。
「おいおい、陶さん。あんたは俺に金を借りた。契約どおりに明日までに支払ってもらわないと困る。それに金は持っているだろ? わかってんだよ。あんた、いつも期限の一日前に支払いに来てたじゃないか」
男は陶という名のパン屋であった。パン屋を開く際に山中に小麦粉を融通してもらうために大金を支払う必要があったのだが、それを借金としたのだ。その借金を半年ごとにきっちりと返済している男だった。大金であるが、この男の焼くパンは好評で、いつもきっちりと金を返す優良客であった。
「あったんだ。今日返却する予定だった。だけど、ここに来る間に強盗にあっちまったんだ! 手持ちの残りの貯金を使うと、あんたから小麦粉を仕入れることもできなくなっちまう!」
その必死で泣きそうな中年の顔を見て、山中は気の毒に思うどころか、大笑いをしてしまった。ゲラゲラと腹を抱えて。
「あんた、強盗にあったのかよ! おいおい、月末払いは気をつけるもんだ。狙われて奪われても文句は言えねぇぞ? わかってるだろ?」
外街でも上流階級から中流階級の金のある人間が住むこの地区はたしかに治安は良い。だが、外街ではと注釈が付く。無防備に大金を持って、出歩いて良い場所ではない。馬鹿にされてもおかしくない。いや、間違いなく、馬鹿にされる。
「前までは井定さんが護衛についてくれていたんだ。でも、あの人は外街を追い出されたから、新しい護衛を雇ったんだが、強盗と組んでいて、俺の金を奪って逃げちまった………」
落ち込む陶に、そういや井定は外街を追い出されたんだと、山中は思い出す。気の良い奴だったが、その分、護衛などで暴利を貪る奴らから憎まれて、罠に嵌められて追い出されたと風の便りで聞いていた。俺の商売をたびたび邪魔していた奴でもあった。
「ハッ! そりゃ御愁傷様。井定のような人の良い凄腕はなかなかいなかったからな。あんたはこれまでは幸運だったが、ジョーカーを引いちまったわけだ。仕方ねえよな、諦めな。悪いがこれ以上金は貸せねえ」
「しかし金がないんだ!」
「いや、あるね。なに、簡単な話だ。まだまだ小麦粉は余ってんだろ? 混ぜ物のパンを焼けば良いんだ。な? あんた俺から買い取った純正品の小麦粉を馬鹿みたいに真面目に使っているらしいじゃないか。周りのパン屋からあんた恨まれているぜ?」
陶のパン屋が人気であるのは、クソ真面目に山中の純正品の小麦粉を全て使ってパンを焼いていることもある。他のパン屋は純正品のパンと誇称しつつも、混ぜ物を加えて焼いているのに、陶だけは違った。なので味が明らかに違うために、他のパン屋から憎まれていたのだ。
それを是正すれば良いと山中は薄汚い笑みを浮かべて、陶の肩に腕を回す。くそ真面目なパン屋などいらないのだ。多少変な味がしても外街の連中は喜んでパンを食べるのだから問題はない。
「………駄目だ。それは駄目だ。客を裏切ることになっちまう。分かった、金は明日持ってくる……」
腕を振り払い、顔を俯けて陶はとぼとぼと立ち去る。
「そうかい。それじゃ、明日な。まぁ、頑張って金策してくれよ?」
立ち去る陶をチッ、と舌打ちして忌々しげに見送る。腕は良いのだから、混ぜ物のパンでも問題は無いはずなのに、頑固なやつだと思いながら。どうせ他の所から借金をするつもりだろうが、その末路は火を見るより明らかだ。家族諸共路頭に迷うだろう。
陶がいなくなり、山中はその場で暫く待つことにした。キョロキョロと周りを窺うと、道路の角からチンピラ風の二人の男が姿を現す。予想通りだと山中はニヤリと嗤う。
「よう、景気が良いみたいだな? えぇ?」
「どうも山中さん。ヘヘッ。良い金稼ぎができましてね。これこの通り」
男の一人が下卑た笑みで、懐から札束を取り出す。かなりの金額で、チンピラが持つには似つかわしくない。
「陶の奴も馬鹿だな。大人しく混ぜ物のパンを焼けば良かったものを。嫌だねぇ、同業者の恨みってのは」
「ですね。そんなつまんないことで、家族を喪うことになるとは、あの男も思いもしなかったでしょうよ。これは取り決めの半分です、山中さん」
取り出した金の半分を手渡すと、山中は躊躇いなく受け取り、機嫌良さそうにポケットにしまうと頷く。
「あぁ、間違いなく受け取った」
チンピラたちはこの界隈を支配する裏稼業の集団の部下であった。山中は多少の守り代を支払い、強盗などに襲われないようにしているうえに
「今どき、こんな罠に引っかかる奴がいるとは思わなかったな」
「本当ですよ。笑いが止まりませんでした。でも、あいつだけでなく、井定が受け持っていた奴は結構いるんで、そいつらも鴨にできますぜ」
強盗たちと組んでいた。いつ金を持ってくるか、集団に常に情報を流し、陥れる奴を狙い撃ち、金を奪う。金は折半にして、金が支払えない奴はますます借金漬けになるという寸法だ。
このカラクリがあるからこそ、利息は普通、返済期限も相場で山中は金を貸していた。裏がない優しい男だと周りから思われるわけだ。
これは真面目な奴、人の良い奴ほど引っかかり、良い儲けになっていた。井定だけはこのからくりに乗ることはなかったので、目の上のたんこぶとなっていたが、いなくなったので、稼ぎ放題というわけたった。
「さて、奴はきっと借金を重ねようと言ってくるはずだ。その際には……そうだなあいつの娘はちょうど年頃だった。いや、もっと良い使いみちもあるか?」
返済を待つ代わりに、天津ヶ原市場に火をつけさせるというのはどうだろうかと山中は思いつく。所詮、廃墟街だ。罪にはならないと、説得すればどうだろうかと考える。
「これは良い考えかもな。放火をして、上手くすれば食料品やコアを焼くことができるかもしれない。いや、あいつらの田畑を嫌がらせに燃やしてやってもいいぞ」
「どうしたんですか、山中さん?」
「いや、なんでもねえ。お前らお疲れさん。一杯やってくか?」
「へい。ご馳走になります」
これは良い考えかもなと山中は薄笑いを浮かべながら、チンピラたちと共に邸へと入っていくのであった。
『加速脚』
なにか影が後ろを通り過ぎていったが、風のような速さのために気づくことはなかった。
陶は肩を落として、夜半の道路を歩いていた。住宅街のために、家々からは明かりが漏れて、家族の声が聞こえてくる。
「皆、ご飯よ〜」
「今日のご飯はな〜に?」
「酒でも飲むか」
外街でも裕福な区画のために、家々から漏れ聞こえる声も明るい。陶は明るい声とは正反対にその心は重く暗い。
「どうすりゃいいんだ………。小麦粉を混ぜ物にする? そんなことできるわけがない……」
混ぜ物と一口で言うが、食べ物ではない物を入れているパン屋もあるのだ。それに味も明らかに悪くなる。安全で美味しいと信用してくれる客を裏切ることなど、陶にはできなかった。
だが、このままでは借金返済ができない。いや、借金は返済できるが、いつもの量の小麦粉は仕入れることはできない。売上も減少し半年後の借金を支払うこともできなくなるだろう。
どうしようかと思い悩み、とぼとぼと歩く中で、フト前方に目をやる。そこには電柱に付けられた電灯の下で、ゴミ箱に座ってプラプラと足を振っている少女がいた。小柄で可愛らしい少女だ。ここらへんでは見たことのない露出多めの服装をしているが、幼気な容姿なので一部が似合っていない。しかしながら、こんな夜半に外にいて良い娘ではない。
「ねぇ、君? こんな夜中に危ないよ? 早くお家に帰りなさい」
持ち前のお人好しさを発揮して、陶は心配げに声をかけると、少女は手を額に乗せて、肩を震わして笑う。
「ゴゴゴゴ。大家さん、私は家賃が支払えないわけではないんです。ゴゴゴゴ」
見惚れるような容姿なのに、意味不明なセリフを返してきた。擬音まで口にしてアホっぽい。
「えっと……。大家に家賃を支払えずに追い出されたのかい?」
「そんなことはありませんよ。もちろん支払う気でしたよ、大家さん。ゴゴゴゴ」
なんだか話が通じない娘だなぁと、口元を引きつらせてしまう。だが、次の言動に目を見張ることになる。
「これだけあれば大丈夫ですかね、大家さん?」
そう答えて、スッと取り出したのは札束であった。少女が持つには大金すぎる。いや、その金には見覚えがあった。
「ま、まさかそれは私が奪われた金では?」
札束の汚れ具合、折れ方、その数には見覚えがありすぎた。何しろ数時間前まで持っていた物なのだから見間違えるなどあり得ない。
「ふふっ。このお金で返済可能でしょうか?」
「え、えぇ。いいのかい? これをどこで? いや、ありがとう? 君はいったい?」
震える手で受け取り、信じられない思いで少女を見つめる。まさか返ってくるとは思いもよらなかった。
「ここを支配している沼田さんにはお仕置きをしておきますので、安心して受け取ってください」
「あ、ありがとう、ありがとう! このお礼は何をすれば良い?」
その容姿に騙されたが、彼女は見かけと違うと陶は悟り、頭を深く下げて礼を言う。これがあれば、家族も助かるし、パン屋も続けられると目を潤ませる。
「お礼は簡単です。まず私のことは他言無用。そして、貴方に取り扱ってほしい物があるんですよ」
謎めいた少女はアホっぽい演技をやめて、ミステリアスな笑みを浮かべる。どのような取り引きなのかと問う陶に、少女は驚くべき提案をしてきたのだった。




