外伝 悪影響
天津ヶ原市場を離れた男は足早に、廃墟街を離れていった。向かう場所は外街だ。外街と天津ヶ原市場の間は以前と違い魔物も盗賊も駆逐されて安全であるために、警戒することもなく移動していた。
男の姿はよくよく見れば変である。なにが変かと言えば、廃墟街出身であれば着ている服は薄汚れており、体格も痩せ衰えているはずなのに、古着であるものの、洗われているので綺麗であり、その体格もがっちりとしている。明らかに廃墟街出身の者ではなかった。
廃ビルや荒れ果てた店舗、朽ちた家屋が建ち並ぶ中で、砕けて劣化したアスファルト舗装の道路を歩き続けて、外街の門へと辿り着く。
門番は近づく男を見て怪訝な表情となる。なぜならば、既に太陽は沈みかけており、オレンジ色の空へと変わっているからだ。朝には立ち並ぶ廃墟街の人間も、夕方には近寄らない。身分証明書がないために、夜になると叩き出されるからである。
「おい、お前。もう夜になるぞ? 身分証明書がない者は叩き出すが?」
叩き出すというセリフはまだ穏当なもので、実際は死んでもおかしくない暴力を振るわれる。本来は門番は声をかけることもない。鼻を鳴らして追い払うだけだ。だが、最近は天津ヶ原コーポレーションの者たちが頻繁に来るために、親切心を見せていた。袖の下が重くなっていることも理由の一つだが。
「あぁ、大丈夫だ。俺は外街の住人だから」
だが、門番の心配は杞憂であった。男は懐から身分証明書を取り出すと、しっかりと見せてくる。偽造ではないなと、門番は証明書を確認すると、横にどいて中へと入れるのであった。
「こんな時間に戻ってくるなんて珍しいな」
「そうだな。最近は天津ヶ原市場とか言うのが廃墟街にできたらしいからな。なにか買い込んできたんだろ」
「本当に廃墟街に市場なんてできたのかね?」
「さぁ? 噂だからな。俺たちは行くこともないだろ」
「違いねぇ。廃墟街なんぞで売られているものを買うことなんてないよな」
ゲラゲラと笑い合いながら、今日はどこの居酒屋に行くかと、仕事を終えたあとの話を門番たちは話し合い、通っていった男のことなどすっかり忘れてしまうのであった。
疾風が横を通り過ぎていったが、そのことにも気づかなかった。
足早に歩く男は陽が完全に落ちる前にと急ぐ。外街の中でも廃墟街に近い地区は魔物はおらずとも、強盗は虫のように現れるからだ。
皮肉なことに、廃墟街を歩くよりも警戒し、男はバラックの建ち並ぶ地区を通過すると、古ぼけてはいるが、一軒家や長屋が軒を並べる地区へと移動した。この地区はそこまで治安は悪くない。自警団はいるし、兵士も一応巡回しているからだ。
ホッと安堵の息を吐きながら、男はケバケバしいネオンが光る看板を掲げた店へと入っていく。店に入ると、耳が痛くなるほどの騒々しい音楽が鳴り、小さな舞台では半裸の女が踊っているのが目に入る。下卑た笑みで男たちが口笛を鳴らしてはやし立てているのを横目に奥へと進む。
VIPルームと書かれた重厚感のある扉の前に立つと、扉脇に立っていた黒スーツの男二人がちらりと見てくるが何も言わないので、鷹揚に手をあげて、中に入る。
扉が閉まると、先程まで煩かった音楽も人の喧騒も聞こえなくなる。反対に部屋の中から女性の媚びた笑いと、老年の男たちの声が聞こえてきた。
「ん? おぉ、山中じゃないか。遅かったな、もう始めているぞ?」
部屋は広く、ふかふかのソファに、様々な料理が並べられているテーブルが置かれており、上等な服装をした者たちが商売女を侍らせて酒を飲んでいた。
白髪混じりで、でっぷりと肥っている男がケバケバしい化粧をした商売女の肩に手を回して楽しそうに笑う。
「尼子さん。どうも遅れてすみませんね」
「気にするな。それよりも遅かったじゃないか。今日は月に一度の定例会だというのに」
山中と言われた男は眉を顰めてソファに座る。不機嫌な様子を見せる山中に、尼子と呼ばれた老人は怪訝な表情へと変える。周りで楽しんでいた者たちもその様子に怪訝に思う。
山中鹿之助と名乗る男は、忠誠心の塊であった武将の名前と違い享楽に走り、いつもは狡猾で内心を見せないように余裕の表情をしているからだ。あからさまな態度は珍しい。その態度に嫌な予感から尼子はなにがあったか、尋ねることに決めた。恐らくは自分たちも関係するだろうと考えて。
「どうかしたのか?」
「……天津ヶ原市場で、モンスターコアの新たな買い取りが始まった。今度はEコアだ。たしか一個300円だったな」
重大なことだと、苦々しい表情で言う山中。だが、ほとんどの者たちはそのセリフに肩透かしにあったかのように、緊張していた表情を和らげる。
「なんだ、そんなことか。なんだと思えば」
「大変なことが起きたと思っていましたよ」
「山中さんも人が悪い。私たちを驚かせるつもりでしたか?」
ワハハと笑い、山中の話した内容を一笑に付して、定例会という名の宴を楽しんでいた者たちは再び酒の入ったグラスを手に取ると、女を引き寄せて楽しみ始めた。
「コアストアになにが加わったんだ、山中?」
だが、その言葉の意味を悟った尼子は、真剣な表情となり問いかける。
「まさか………小麦粉か米がコアストアに加わったのか?」
コアストアは何故か外街にはない。そのために、廃墟街のコアストアが何を出すか確認しないといけないが、危険な廃墟街に向かうものなど極少数なので、尼子たちはどうしても情報が遅れているのだ。
小麦粉に米と聞いて、酒を飲み始めた男たちは飲む手を止める。まさかと山中の顔を注視する。
「いや、トウモロコシの種だ」
だが、山中の言葉に杞憂だったかと安堵の息を吐く。
なぜ、彼らが緊張していたかというと、この集まりは外街の問屋の集まりだからである。粉物問屋に米問屋、野菜問屋など食料品を扱っている者たちだ。この地域は穴山大尉が流通を取り仕切っているが、内街からの正規ルートで取引されている物を彼らは取り扱っていた。横流しを売る闇市を取り仕切る沼田とは違う正当なルートだ。
即ち、外街でも内街よりの金持ちや中層辺りの者を相手に商売をしている金持ちの問屋たちであった。
「なんだ、トウモロコシとは驚かせないでくださいよ」
山中へと徳利とお猪口を持って、一人の男が近寄り親しげに肩を叩く。小麦粉問屋の一人だ。若い男であり、つい先日父親が亡くなったために跡を継いだ若旦那だと山中は覚えている。
「小麦でなければ大丈夫だと思っておるのか、井筒さん?」
その気楽な様子に、苛立ちながら尼子は冷たい声音で口を挟むと、井筒という名の若旦那は年経た老獪の言葉に怯み、顔を引きつらせて弁明するように言葉を連ねる。
「だって、トウモロコシですよ? 焼きトウモロコシも茹でたトウモロコシも私は好きですが、そこまで需要は無いでしょう?」
短絡的なその馬鹿な言葉に、チッと舌打ちをして、テーブルにウィスキーグラスを叩きつけるように尼子は置く。ガシャンとグラスの中の氷が飛び跳ねる。
「わかっておらんようですな。じゃが芋に続き、トウモロコシですぞ? 次は小麦や米がコアストアに現れても、なんの不思議もない。今日はラインナップに出なかったが、明日はどうです? 私らは戦々恐々としながら商売を続けるつもりですか? それに問題はそこではないんだ!」
「しかし、コアストアを占有するのは無理ですよ? 今やそこらじゅうにあるんだ。国軍だって諦めているんですよ?」
今やコアストアは各所にある。まるで雨後の筍のように現れており、どれぐらいあるかわからなかった。というか、この若旦那は外街の人間なのでコアストア自体を見たことも無かったのだが。知ったかぶりというやつだ。
「コアストアが問題なんじゃない。あの販売機は実際はほとんどの人間に使えん」
「どういう意味ですか?」
「言ったとおりだ。あれらは有用に見えて有用ではない。水など私らには必要ない。コッペパンだってそうだ。手に入れようと思えば簡単に手に入る。種芋やトウモロコシもそうだ。価値のあるものなどない」
単価にすると価値のない物だと尼子は忌々しそうに口にする。価値のない物だと言いながらも、その表情が言葉を裏切っていた。
「要は数なのだ。人なのだよ。多くの人間を動かしているからこそ、価値がない物を価値あるものへと変えている。コアを交換して、コッペパン10個を手に入れたとしよう。それは数日食べられる程度だ。しかし、コアを売って1500円を手にしたらどうするね? 明日の仕事のために、古着を買って、クズ野菜を買ってシチューを作り、口にする。節約もできるし、準備のための貯金もできる。未来というものが幽霊にも見えてくるわけだ」
外街では不可能なこと。たった一個30円ほどのコアのために働くような者を大勢抱え込んで、勢力を拡大させている天津ヶ原市場に苛立ちと憎しみを持つ。その将来性にもだ。
「コアを買い取り、勢力を拡大しているあいつらは、小麦や米がコアストアに出るまでもなく、廃墟街の市場は大きくなる。そこに小麦や米がコアストアに出たら、資金が豊富になった奴らは外街に影響を与えてくるさね?」
奥に座っていたぶかぶかのコートを着込みフードを被って顔が見えない者が、金属の光沢を見せる腕を軋ませて、ウィスキーグラスを口に運ぶ。多少嗄れてはいるが女性の声だ。
「そのとおりだ。その時になって慌てても遅い。この外街は金と権力、武力が物を言うんだ。私らは駆逐されてもおかしくない。私らは真っ当な商人だからね」
密かに混ぜ物を横流ししている尼子は、表情を変えずに話を続ける。
「ならどうするんだい、尼子さん? 酒組合の諏訪でも巻き込むかね? 危機感を煽って動かすんだ。そして、廃墟街のゴミ箱のような市場を潰そうじゃないか」
酒組合の諏訪は軍と繋がりがあるとの噂だ。なので、頼ってみようと一人の男が提案してくる。だが、皆はその提案に顔を顰める。諏訪の悪どさは知っているからだ。提案したら最後、骨までしゃぶり尽くされてもおかしくない。
「おいおい、あんたらは潰すことだけを考えているのかい? そうじゃなくて、大量にモンスターコアを手に入れれば良いんじゃないかい? コアを大量に抱え込んで、買い取りができない程にすりゃ良い。ついでにコアを集めている奴らも殺しちまえば良い。そうすりゃ、天野は困ることだろうよ」
「コアを集める? 廃墟街に行ってですか? そいつは私たちには無理では? 兵士も必要ですよね?」
「大丈夫さね。あんたらは借金塗れのもんを少し用立ててくれりゃ良い。いるだろう? あくどい利息で金を貸して破滅させて奴隷のように使っている奴ら。そいつらを兵士に変えてやろうじゃないか」
尼子たちはその言葉に思い悩む。たしかに借金奴隷はいる。外街では税金の支払いに苦心して、借金をして返済不可となる者が多い。少なからず、そのような者たちを抱え込んでいる。
「用意はできる。だが、あいつらに銃でも渡すのかね? 借金で動けなくしているとはいえ、銃を手にしたら、その場で強盗に変わってもおかしくないぞ?」
拘束しているわけではないのだ。反乱を起こしてもおかしくない。
「安心おしよ。そこは上手くやるさね」
自信たっぷりのセリフに、問屋の者たちはお互い顔を見合わせて、コクリと頷く。
「それなら頼もうじゃないか、本当にモンスターコアを集められるのかい?」
「そこは用心棒をしているあたしらに任せておきなよ。蛇の道は蛇ってやつだからね。ついでに、廃墟街のコアを集めている連中も殺していけば、潮が引くように市場には人がいなくなるだろうさ」
「そうか………それなら頼んだよ」
「くくく。安心しなよ。少し時間をくれればなんとかしようじゃないか」
フードの奥でギラリと目を輝かして、女は口を歪めるのであった。




