外伝 暗闇
男たちは『猫化』などの獣変化系のスキルを持つ者たちと対峙したことはなかった。なぜならば、獣人たちは内街において、その身体能力の高さから重宝されるし、外街で産まれても、内街に伝手がある者が高値で買っていく。
彼らは内街の魔道具の実験部隊だが、所詮は外街の人間。汚い仕事を行うために作られたトカゲの尻尾のような部隊だ。なので、獣人は身体能力が高いと言われているが、眉唾ものだと思っていた。その珍しい姿格好から、金持ちたちの慰み者となる者たちだという認識だった。
そのために花梨という獣人を前にして、幸運だと考えていた。もてあそんだ後は捕まえて、内街に売り捌くつもりだった。ボスたる帰蝶も同じ考えであった。しかし一つ忘れていた。彼らが地獄と称する人が住めないごみ溜めのような廃墟街で、怪我一つ負わずに美少女が情報屋を続けることができているということを。
そして、今その考えが大きなツケとなり返済を求められていた。
目の前の存在は先程まではたんなる売り物にしか見えなかった。事実、金を払うふりをして弄んだ後に売るつもりだと教えて嘲笑ってやるつもりであった。
しかし、今はニコニコと愛嬌のある笑みを浮かべていた美少女は、冷徹な瞳に猛獣の凶暴な空気を纏い立っている。その側には殺された同僚が地に伏せてピクリとも動かない。
魂を鷲掴みにされたような、ウサギが狼に狙われているような恐怖を覚え、冷や汗をかきつつも、鍛えられた兵士として、手に持つボウガンを向ける。
「舐めやがって! 死ね!」
二人はボウガンのトリガーを引く。狙い違わず花梨の胴体へと向かうが、冷笑を浮かべて花梨は床を蹴り飛翔した。人間ならばジャンプをしても回避することなど不可能だ。
「な!」
しかし獣人の身体能力は男たちの予想を遥かに上回っていた。駐車場の天井は低いが、それでも5メートルはある。だが、花梨は助走もつけずにジャンプし、天井に貼り付く。矢はあっさりと躱されて、男たちは現実離れした身体能力を見て、目を剥き驚愕した。
「お前ら、獣人を甘く見てるにゃ」
牙を剝いて、花梨は嗤いながら、天井と床を飛び交う。その動きは猿の如き速さで、男たちは目で追うこともできない。
床と天井を蹴る音だけが響き、ボウガンを構えて新しい矢を番えるが、花梨に狙いをつけることなどできず、彷徨うだけであった。
「にゃーん」
からかうように嗤いながら、花梨は身を翻し、手に持つガラスの針を投擲する。鋭い振りにより針は男たちへと飛んでいく。
「ガッ」
「グッ」
針は防弾チョッキをあっさりと貫き、身体に深く刺さり呻き声をあげる。男たちは痛みをこらえ、なんとか花梨を倒そうとボウガンを向けて撃つ。
「くそっ!」
風斬り音を響かせながら矢が飛んでいくが、花梨は身体を反らし、ひらひらと躱す。見切っているのか、命中する寸前で躱し、からかうように嗤いながら、針を次々と投擲する。
空気に煌めきが光るごとに、男たちの身体に刺さる針は増えていき、花梨にかすり傷も与えることもできずに、やがてハリネズミのようになった男たちは苦悶の表情で息絶えるのであった。
男たちが息絶えたことを確認し、花梨は床に足を着けると馬鹿にしたように、死体へと目を向ける。
「やっちゃったけど文句はないよにゃ? 自分たちでしつこく誘ってきたんだしにゃ」
鼻で笑い冷たく告げると、発電機に近寄る。
「まったく防人も酷いにゃ。あちしが発電機を止めることができなかったらどうするつもりだったのかにゃ」
そうして、発電機のボタンを押下する。振動していた発電機は動きを止めて、地下駐車場を照らしていた裸電球は消灯していく。暗闇が支配する世界へと変わった地下駐車場。陰に隠れていたシャドウスパイダーがざわざわと蠢き始める。
「これで借り一つ返済とは酷くにゃいかな? まぁ、これで魔道具『踊る鎧』は行方不明。そういうことになるから良いんだけどにゃ」
発電機の上で花梨の戦いを見ていた黒猫の鼻を人差し指でツンとつついて悪戯そうに笑うのであった。
黒猫は小首を傾げて、何も言わなかった。
防人は地下駐車場の灯りが消えて、真っ暗闇となったことにニヤリと笑う。どうやら花梨は期待通りにやってくれたようだ。
「なにをしたんだい、天野防人!」
「発電機の軽油をケチったんじゃないのか?」
「ふざけやがって!」
暗闇の中に帰蝶の怒鳴り声が響く。連中が混乱している声が行き交う。
「畜生! あの猫娘、なんかしたね!」
帰蝶は思い通りにならないことに苛立ちを覚えながら空薬莢を捨てて、新たな弾丸を籠める。天野防人の姿はまったく見えない。懐中電灯の灯りを部下たちがつけて、光のビームが暗闇を切り裂くように行き交う。
「落ち着くんだよ! 3人一組になるんだ、それなら不意打ちでも対抗できる!」
練度の高い部下たちは指示どおりにチームを組んで、天野防人の攻撃に備える。これならば暗闇は不利だが、人数の差で押し潰せるだろう。
しかし、予想と違い大きな損害が出ていたことに怒りを覚える。アラクネに拠点を守っていた者たちを殺されて、今回は廃墟街のゴミごときに部下を多く殺されている。部下を育てるのには長い期間と金がかかるのに、とんだ出費だ。
廃墟街の最強と言われる男、天野防人。だが、帰蝶はたいした男には見えなかった。黒ずくめの変な格好をして、ハッタリでもつけているのだろうと考えていた。多少魔法が使えても、あっさりと殺せる。その認識だった。
今まで使い捨てにしてきた廃墟街のゴミたちと同様だ。端金で雇い、そして使い倒して殺す。魔道具の実験を100万で請け負い、廃墟街の連中に千円で使用させる。未知の魔道具は副作用があることが多い。あっさりと死ぬパターンも多いのだ。
なので、内街の者たちは魔道具の人体実験を求める。しかし人体実験など、非道なことをして、他の者たちに非難されてつけこむ隙を作りたくない。なので下請けとして、人体実験をしても追及されないように『油売り』を使う。そして、『油売り』は廃墟街の連中を使うという食物連鎖のようなピラミッドを作っていたのだが、今回は予想を超えていた。
「廃墟街のゴミが! あたしらに逆らうなんて生意気な! あっさりと死んじまえばいいものを!」
自己中心的な考えで帰蝶は叫び、天野防人の姿を探す。だが、あの黒ずくめの男は闇に隠れて、その姿を確認できない。暗闇ではあの男と相性が悪すぎると悔しさで口を歪める。
「たしかに数の差を覆すのは難しい」
どこからか、天野防人の声が聞こえてくる。地下駐車場に声は反響して、部下たちは懐中電灯で辺りを照らすが、どこにいるのかさっぱりわからない。
「なので、救援を求めることにする。なに、お前らなら簡単に倒せるだろうよ」
からかう声が聞こえてくる。救援とはなんだと帰蝶は怪訝に思う。この拠点は他の拠点から離れている。救援など来るはずもない。
だが、なにかが聞こえてくる。なにか小さな音が。
「なんだい? なんの音が?」
カサカサと音がする。なにかが蠢く音が。部下の一人が懐中電灯を音のする方向に向けると
「にゃん」
可愛らしい鳴き声をあげて、黒猫が照らされた明かりの中に入ってくる。何匹も同じように黒猫が走り抜けていく。なぜ黒猫がと疑問に思うが、すぐに考える暇もなくなった。
黒猫の後を大量のシャドウスパイダーが追いかけてきたのだ。懐中電灯の灯りから漏れた暗闇にもざわざわと蠢いているのが辛うじてわかる。
「ひいっ!」
「来るなぁ、来るなぁ!」
「離れろこいつ!」
大量のシャドウスパイダーは懐中電灯をつけている部下たちに群がっていく。ボウガンを苦し紛れに撃つが、焼け石に水であり、あっという間にシャドウスパイダーに埋もれていく。
「な、魔物たちを連れてきたのかい!」
あの黒猫は天野防人のペットなのだと悟り、その狂った計画に信じられないと言葉を失う。黒猫を使い、魔物たちを引き連れてきたのだ。こんな危険な真似をすれば、自分も巻き込まれて死ぬ可能性が高いのに。
慌てて点けていた懐中電灯を消して、帰蝶は口を閉じる。
「助けてくれ、姐さん!」
「指示を出してくれ!」
「ギャアー」
辺りに悲鳴が響き渡る中で、帰蝶はジッとしていた。シャドウスパイダーの習性は調べてきたのだ。奴らは影に潜み、人に襲いかかる。しかし、その行動は視覚によるものではない。音によるものだ。なので息を潜めて、音をたてずに上の階層に逃げれば良い。
部下たちの何人かもそのことに気づいて、ジッとしており、音をたてない。生き残った者たちと上に逃げることはできる。天野防人が逃げていれば、追いついて殺す。そう強く誓って、部下が死んでいくのを眺めていたが
天井からガランガランとなにかが降ってきた。駐車場に騒音を撒き散らし、帰蝶たち、動かなかった者たちにもその何かは当たり、音を立ててしまう。シャドウスパイダーはその音に反応して蠢き始める。
「なんだい、こりゃ?」
カランカランと乾いた音に目を向けると、倒れた男の懐中電灯の光に照らされて、その姿がわかった。
たんなる木の棒だった。乾いた棒。どこにでもあるなんの変哲もない木の棒であった。しかし、辺り一面に木の棒は転がっており、カランカランと鳴子のように音を立てていた。
「どうやってこんな多くの木の棒を!」
耐えきれずに口走ると天野防人の飄々とした声が聞こえてくる。
「店で買ったんだ。使い道がなくてな。お前らにやるよ。あの世への餞別だ」
「な、ふざけやがってぇぇぇ! 殺してやる! 復讐してやる、覚えときな、天野防人!」
「整理券を受け取るところから始めてくれ。俺に復讐したい奴は多いんでな。それじゃあ、良かったら次の仕事も依頼してくれ。さようなら」
怒りに怒鳴る帰蝶に、天野防人は答えるとその気配を消す。帰蝶は辺りにカランカランと鳴る木の棒に群がっていき、部下たちにも噛みついてくるシャドウスパイダーを見て歯ぎしりをする。
「覚えておきな、天野防人。必ず復讐してやるからね!」
自分の足元にもシャドウスパイダーが迫る中で、帰蝶は大声で叫ぶのであった。
『影法師』と使い魔の先導。それだけで暗闇は俺の味方だ。行きと違いシャドウスパイダーに出会うこともなく、俺はあっさりと外に出ることができた。
駐車場の入口を出ると日差しが眩しくて目を細める。
「お、帰ってきたにゃんね」
停止した発電機の上に影猫を抱いて遊んでいた花梨が俺に気づくと、降りてくる。
「あぁ、仕事は終わりだ。そっちはどうだった?」
倒れ伏している男たちを見ながら尋ねると、花梨は顔に手を当てて、メソメソと泣き真似をし始める。
「あちし、襲われそうだったにゃん。男たちはお互いに争って相打ちで死んだにゃんこ」
「へー。それは危ないところだったな」
死因は相打ち。そういうことにしておこうと、肩を竦めて、歩兵輸送用トラックに向かうと運転席に座る。鍵は挿しっぱなしで運転に問題はない。
「帰蝶たちはどうしたにゃん?」
「アラクネが途上で現れてな。残念なことになった」
想定外だったんだ。アラクネがいるなんて。俺の答えに花梨は気にすることはというと
「後金貰ったにゃ?」
金の話だった。実に花梨らしいと笑い、パチリと指を鳴らす。トラックの窓から影猫が飛び込んで、口に咥えた財布を落とす。
「気前の良いクライアントだったな」
「おぉ、10万はあるにゃんね。半分ずつでいいにゃん?」
猫じゃらしを見つけたかのように、花梨は素早く財布を拾い上げて中身を確認し破顔する。
「まぁ、良いだろう。お前の企みの分、引いてもらうがな。さて、家に帰るとするか。少し疲れた」
「もう歳かにゃ? 可哀想だから、あちしは1割でいいにゃん」
そっぽを向いて惚ける猫娘。今回の依頼、誰が依頼主だったのかね。まぁ、金になったから良いとするか。
「まだまだ俺は現役だ」
笑いながらアクセルを踏み、トラックを発進させる。排気ガスを吹きつつトラックは出発して、後には静まり返ったアミューズメントパークが残るのであった。
虚実入り乱れて、誰が味方か敵なのか、裏切りは当たり前、明日には死体となって転がっていてもおかしくない。廃墟街の一日だった。




