31話 市場
活気のある世界。廃墟街では見ることができないと思われた光景。人々が歩き回る姿がそこにはあった。笑顔とはいかないが、それでも疲れた顔ではなく、次なる行動を考える余裕がある表情があった。
妻と幼い子供を連れた男は恐る恐る周りを窺う。廃墟ビルの瓦礫に座っている人々が銅の器に入っているスープを食べてお喋りをしている。外で飯を食べるには、腕で隠して顔を俯けて、誰にも食べられないよう警戒しながらなのが普通であるはずなのに。
「普通じゃないぞ? ここは」
「あなた、あそこが市場じゃないの?」
駅ビルは目と鼻の先、駅前の通りを抜けた場所にある。数十年経過して古い建物ではあるものの建物自体がしっかりとしており、崩れることはない。火災などの被害は受けなかったのだろう。元は宣伝用の幟だったのだろう黒い布切れが虚しくはためいている。
もはや使う者はおらずに、人の出入りはなく、ただ墓標のように聳え立つだけのはずであったのに、人の出入りがある。
幟が入口に立っており、荷物を持って人々が出入りしている。野菜がちらりとその荷物から覗いて見えて、そそくさと近くのビルに移動していた。どうやらそこに住んでいるみたいだ。
幟には「コアの買い取りします」と書いてある。
「あそこがそうなのか?」
「そうみたいね、行ってみましょうよ」
中に入ると、大勢の人が並んでいる。コアを抱えている者が大半だ。円と交換もしているのが目に入る。廃墟街では珍しい。その周りには野菜や燻製肉を売っている店主がいる。
しばらく待つと、自分の番が来てニコニコと笑顔で受付の女性が頭を下げてくる。受付といっても、フロアの奥に組み立て用の長机が置いてあるだけの貧相なものだ。パイプ椅子に座っている受付の女性が、コアの買い付けをしてくれているようだ。
「ようこそ、天津ヶ原市場へ。コアの買い取りですか?」
「あ、はい。コアの買い取りをお願いします」
背に背負ったナップサックから、コアを取り出す。スライムや大鼠のコアだ。結構たくさんある。この市場でコア交換ができると聞いて、ここに来る前に妻と力を合わせて集めたのだ。
だが、どの程度交換してくれるか不明だ。何しろ、そこらへんを探せばすぐに見つけることができるスライムや大鼠のコアだ。コアストアで交換できる物でもあるが、値段がつくとは思えない。
「Gランクコア1個で5円。Fランクコア1個30円となります。交換を致しますか?」
どうやら交換できるらしい。横にいる妻へと顔を向けるとコクコクと焦ったように頷き、早く交換してと、アイコンタクトをしてくる。早く交換しないと、コアの交換をしてくれなくなると思うように。
「はい。全部交換でお願いします!」
本当に交換できるらしい。妻の同意も得られたので、リュックからコアを取り出す。ザラザラとコアを積むと、受付嬢はニコリと小首を傾げて、手に取って手早く数え始める。
「えっと、Gランクコア122個610円、Fランクコア11個で330円で940円となります」
ジャラリと小銭が差し出される。500円玉1枚、100円玉4枚、10円玉4枚。
おぉ、久しぶりに見た通貨に慌てて受け取り、小袋に仕舞う。この4日間で稼いだにしては、かなりの稼ぎだ。
そそくさと小袋を握りしめて立ち去る。周りを見て、このお金が奪われないようにと注意するが、同じように交換している人たちは大勢おり、自分自身を注視していないことにホッと安堵する。
このお金は何に使おうかと、戸惑いながら歩く。手の中に握りしめている小袋が熱く感じるぐらいに大事に思う。
「何に使うの、あなた?」
「うん……何に使おうか?」
お金を持っていると知られれば、奪われる可能性がある。こっそりと隠しておくか……。
「おとーさん。お腹空いた」
ずっと静かにしていた娘が、珍しく裾を引っ張ってお願いを口にする。危険なので、人がいる間は声を出さずにひっそりと隠れるようにしておくよう言い聞かせていたのに珍しい。
「おとーさん、周りの人たち、皆なにか食べてるよ」
まだ6歳になったばかりの、こんな廃墟街で奇跡のような確率で育っている愛しい娘が、キョロキョロと周りを見て言ってくる。
そこで改めて周りを見る。視野狭窄になっていたのか、少し離れた所で人が集まっているのに気づく。皆はワイワイと屈託なく笑顔で何かを食べていた。離れた場所では、何か呼び込みをしている。野菜などが売っているだけではないらしい。
「すいとんですよ〜。一杯50円。すいとんですよ〜」
「お好み焼き〜。キャベツチビッと、ソースもチビッとですがお好み焼き一枚で100円〜」
なるほど店だ。寸胴鍋にグラグラとすいとんが煮られており、鉄板の上ではお好み焼きが焼かれていて、ソースの匂いが漂ってくる。子供の頃は嗅いだことのある懐かしい匂いだ。
「あなた……」
「おと〜さん?」
妻と子供が期待の目を向けてくるが、貴重なお金なのでどうしようか………。迷ってしまうが……。
「大鼠の退治ツアーに行きまーす。参加費用は300円でーす。報酬は1日で20個〜。参加費用は稼いだあとのコアからの払いも可能でーす。各エリアに10人で狩りをしますので安心安全でーす。魔物香はこちら持ちでーす。危険な敵は当社のボディーガードが倒しますので大丈夫なのでーす」
女の子が声を張り上げて、周囲へと呼び掛けており、ボディーガードなのだろう、大柄の男が筋肉を見せつけるようにサムズアップしてニカリと暑苦しい笑顔を浮かべていた。
「こちらはダンジョンでゴブリン狩りでーす! ボディガードがいますので、アーチャーは問題なし。参加費用300円〜。多少危険はありますが定員5人で半日で1人30個の報酬〜」
どうやら狩りをする人間を集めているらしい。1日で300円の儲けとなるのか……。大勢の人々が並んでいる。各エリアに狩場が用意されているのだろう。ダンジョンにも潜るみたいだ……。アーチャーが怖くないというのはどういう意味かわからないが、その肩に漆黒の蛇を乗せて男の子が人を集めていた。
まだ人がそんなに集まってはいないようだ。ゴブリン相手だと恐ろしい。確かに集まりにくいかもしれない。
再度、妻と子供へと顔を向けると男は決断して通貨の入った小袋を握りしめる。
「よし! ご飯を食べようか!」
「はい、あなた!」
「わ〜い!」
妻も子供も笑顔となり、店へと歩いていく。多くの人々がワイワイと楽しそうにお喋りをしてご飯を食べている。
「すまない。えーと、すいとんを3杯とお好み焼きを一枚ください!」
「はい。お買い上げありがとうございます! ちょっとお待ちくださいね」
手慣れているのか、サッと木の器にすいとんをよそい、隣のお好み焼きを焼いていた男が、あいよっと威勢の良い声と共に木の板にお好み焼きを乗せて渡してくれる。水っぽいソースに見えるが、いつ嗅いだかも忘れそうな記憶の片隅にある懐かしい匂いが鼻をくすぐる。
「箸と器は回収しますので、そこの回収用の箱に入れてくださいね」
「あぁ、ありがとう」
ありがとうなんて、最後に言ったのはいつだったろうかと思いながら、金を払い熱々のすいとんとお好み焼きを受け取ると、妻と子供と食事用の椅子の場所に移動して、料理を置く。
「それじゃあ、頂こうか」
「ええ」
「いただきまーす」
笑顔を浮かべて、すいとんを口にする。野菜くずと小麦粉の塊だが、結構たっぷり入っており美味い。塩味が多少薄いが、熱々の食べ物をゆっくりと食べられること自体久しぶりだ。
妻がお好み焼きを切り分けて、娘に渡している。ほとんど小麦粉だけのものだが、娘はかぶりついて目を丸くした。
「おいしー。これ、なぁに?」
「お好み焼きっていうのよ」
美味しい美味しいと娘が喜んで食べている。いつもはカチカチの黴そうなパンや、野菜くずすらほとんど入っていないスープ。スープがあれば良いほうかもしれない。冷たい食事が日に一度だ。
幸せそうに笑顔で食べる娘に、優しい笑みを妻が浮かべている。男もお好み焼きを口にして、口にいっぱいに広がるソースの味に胸がいっぱいになり、涙が知らずに一筋流れる。
「あぁ、本当に美味いなぁ」
「えぇ、本当に」
妻も涙目となり頷く。こんなに安心した気分で食事をできたのはいつの頃だろうか。
「ここは住むことができるのか、確認するか」
ここはもしかしたら、廃墟街でも安心して住めるところになるかもしれない。男は周囲の活気溢れる騒がしさに希望の光を見て、そっと夢中になってお好み焼きを食べている娘の頭を優しく撫でるのであった。
市場と言うには、少々寂しいが、人々の騒がしさを耳にして、お喋りに興じる笑顔を見て、防人は腕組みをして、壁によりかかりながら、フッと微かに口元を曲げる。
『とりあえず、幸せそうで何よりだ』
『そうですね、スタートにしてはまぁまぁだと思いますよ?』
『雫さんは手厳しい』
目の前を機嫌よく飛ぶ雫の言葉に苦笑いを浮かべてしまう。たしかにまぁまぁなスタートだ。もっと悪いパターンも考えていたのだが、問題なさそうだ。
「今のところは、順調に客は増えている。住人も増えているからな、壁を広げないといけないかもなぁ」
一度来た廃墟街の住人はここに住み着くか、近くの信玄コミュニティ、そして俺の住居の近くに住まいを構える。まぁ、他の場所が酷すぎるのだ。当たり前と言えよう。
『僅か一週間で増え過ぎだとも思いますが?』
からかうように雫がこちらを見てくるが、そのセリフの中には懸念の気持ちが入り混じっていることに俺は気づく。たしかに順調すぎるスタートだ。
多くの人々が売られているすいとんや、お好み焼きを食べている。正直多すぎるのだ。なぜならば、信玄コミュニティは1000人程度の人口だ。だが、ここには100人ほどが集まっていた。狩場ツアーに参加している者たちもいる。
コミュニティでスライム狩りをしている者たちや、田畑を耕している者たちもいるのだ。もちろん子供たちも家にいるだろう。それを考慮すると100人がここで食い物を食べているのは、まだ昼間なのにちょっとおかしい。
『まだ一週間でこの多さ。一ヶ月経てば、かなり増えているかもな』
『野菜の横流しもそこまで多くはならないと思いますよ?』
『市場を作って、一ヶ月で物不足は勘弁だな。さて、花梨にどれぐらい融通できるか聞いてみるか』
花梨は持ってきた野菜くずなどにまったく興味を持っていないことに俺は気づいていた。小麦粉の融通の時は渋っていたから、あいつにとってはゴミなのだ。だからいくらでも融通はできるだろうが、集めるのにも限界はあるだろう。
と、するとだ。
『新たなるラインナップを増やすんですね?』
『あぁ、しかし難しい話でもある。考慮しなくちゃならんことはたくさんあるからな』
そう言うと、ローブを翻して漆黒の男は自宅に帰る。活気ある人々に背を向けて。
ハードボイルドだろ?