外伝 依頼
これは俺の過去の話の一つだ。天野防人の過去の話だ。
つまらない、廃墟街ではよくある話の一つ。俺の記憶の片隅にあるだけの、誰にも語られない話だ。
それは梅雨入りする少し前、以前ならば黄金週間と呼ばれる社会人も堂々と休める日が終わった頃の季節の話だ。
もはや廃墟街では、そのような話を振っても年寄りは哀しき顔をして顔を俯け、若者は祝日とはなんだと不思議そうに聞いてくる。俺たちのような中年は、懐かしき平和な暮らしを思い出しつつ、休日の概念がなくなったこの世界で生き抜くために仕事をする。
天野防人。昔の名前はとうに忘れて、新しい名前を名乗りはや10数年。廃墟街の最強と呼ばれ始めて久しい俺の話だ。
もう少ししたら梅雨に入り、雨で行動が制限されると思いながら、当時の俺は廃墟ビルで仕事をしていた。周りに建ち並ぶ廃ビルの中でも、少しばかり瓦礫が多いビル。
風雨に晒されて、窓ガラスは黒く汚れて壁と同化しており、受付ロビーはなにがあったのか2階部分が崩れており、瓦礫に埋もれている。廊下はバリケードを作ろうとしたのか、防火シャッターが閉じており、ロッカーやビジネスデスクが積み重なっている。
エレベーターのドアは壊れて扉は開け放しで、エレベータ自体は地下まで落ちており、切れたワイヤーだけがブラリとエレベーターダクトの中で寂しく揺れていた。
障害物だらけで視界も悪い廃ビルで、俺はピアノ線を廊下に設置していた。手袋でピアノ線を強く握って壁に刺した釘に引っ掛けて固定する。瓦礫を廊下にバラバラと置いて、走るのが難しい地形へと変えると、その合間に釘を逆さまに備え付けた板を隠して置いていく。
かなりの重労働だと苦笑しながら、額の汗を拭う。右の踵が強く踏み込むとズキリと痛み、顔を僅かにしかめてしまう。最近、古傷が痛むことが多い。歳なのかと苦笑をしながら設置を終えて壁にもたれかかり、影法師で作り上げたマスクをずらして息を吐く。
「お疲れ様だにゃ、防人」
疲労をとっていると、汚れきった窓ガラスにより、日差しすらもなかなか入らずに薄暗い中で、廊下の奥からからかうような声が聞こえてきた。
「多少準備をしておかないとな。愛と勇気って名前の準備だ」
「随分物騒な愛と勇気だにゃん」
薄暗い廊下から姿を見せたのは、最近知り合った情報屋の花梨であった。まだその顔はあどけなさを残しているが、その笑顔に騙されると酷い目に遭うと専らの噂だ。
若い女性が弱肉強食の廃墟街で情報屋をやり、そして食い物にもされずに普通に暮らしていることから、この女の子が只者ではないことを示している。
廃墟街特有の貫頭衣と和服の合いの子のような服を着込み、トントンと軽やかに瓦礫を避けて、俺の設置した罠にも触れずにやってくる。
尻から生やした尻尾を揺らして、頭から生やした猫耳をピクピクと動かして機嫌良さそうに近づいてくるので、僅かに目を細めて俺は指を床に向けて忠告しておく。
「罠は全部回避しておけよ。俺はやり直すつもりはないからな」
ここ数日間はこの罠にかかりきりだったのだ。全部台無しにするのは勘弁してほしい。石ころを持ってくるのにも苦労したんだ。腰を壊すかと思ったぜ。
猫耳と猫の尻尾を生やす娘、花梨。以前にはいなかったダンジョンに創られし新しき種族。猫の身体能力を持ち、人間の知性を持つ者。
『猫化』のスキルを持つ少女はひょいと肩をすくめて、にゃふふと小さな牙を覗かせて笑う。
「そんなヘマはしないにゃよ。でも、こんなところに引き篭もって、何をしているんにゃ?」
猫の身軽さを持つ花梨は、廃墟街では珍しくおしゃれに着こなす和風テイストな服をひらひらと靡かせながら、危なげなく廊下を歩く。
「情報屋の花梨がそれを聞くか? ゴブリンの巣がこの近くに作られてな。近くの縄張りを持つ集団の依頼だ。危なかっしいから片付けてくれとさ」
「あぁ、ホブゴブリンがいないのに、やけに強い集団にゃね。あれをソロで受けたにゃんこ? 小さな巣らしいけど、退治しに行った連中は殆ど死体となったらしいにゃんよ?」
呆れた表情の花梨が、信じられないにゃとジト目となる。たしかにそのとおりだ。というか、花梨は俺がその依頼を受けたことも知っていただろ。
だが、その瞳の中に僅かに心配げな様子を見せるので、甘い奴だと思って薄っすらと優しく微笑む。情報屋はクールでビジネスライクに動けなければ、早死にする。それは今まで見てきた情報屋たちの末路を見てきたからこその判断だ。
花梨はまだまだ若いこともあって、つけこまれそうな隙を見せることがある。それでも生きているのだから、この少女は強いということを示しているのだが。守りの厳重な我が家に壁を登って入ってくるぐらいだしな。
「あまり表情に出すなよ花梨。それに、お前の言うとおりだから準備をしているんだよ。ゴブリンたちはそこそこ頭が良い分、罠に引っ掛かりやすい。考えて行動をするから誘導が簡単だ」
ワイヤーに釣りに使うテグス。その先に繋がるボウガン。祭りの準備は着々とできている。さて、ゴブリンがどの糸を引っ張ってくれるかね。今から楽しみだ。
「う〜ん、20体程度らしいから、たしかに防人なら倒せるにゃんね」
迷いながらも、冷静な判断を下す猫娘。ここで危険だからやめるように説得してこないところが花梨の良いところだ。俺のような人間にとっては危険な仕事こそ、儲け話なのだから。生きるってのは大変なんだぜ。
「で? 何をしにきたんだ?」
手袋に付いた汚れを指を擦って落としつつ、花梨へと尋ね返す。廊下には埃の中に点々と俺と花梨の足跡が残っている。
「まぁ、ここにあちしが来たことで、お察しにゃんね。この仕事より楽な仕事にゃんよ」
「手数料が幾らかは教えてくれるんだろうな?」
「それは乙女の秘密にゃ」
パチリとウィンクして、猫招きのように手を振ってくる花梨だが、さて楽な仕事とはどのような仕事なのかね。
「斎藤? あぁ、『油売り』の集団か」
まだまだゴブリンの巣を駆逐するための準備は終わっていないし、駆逐するまでの契約期間もまだ余裕がある。ひと仕事しても良いだろうと、花梨の話を聞くことに俺は決めたのだった。
罠だらけの廃ビルを出て、依頼主へと案内される途上で、花梨の話を聞いて意外に思う。
「あいつら、ここらへんを彷徨いてたのか」
「やっぱり知ってたにゃんね?」
「あぁ、『油売り』はここらへんじゃ珍しい集団だからな」
使い魔である黒猫を先行させて、魔物がいないことを確認させながら、廃墟を進む。放置されてシャーシのみとなった錆びた車を避けて、燃え尽きた家屋の横を通り過ぎる。
「そのボスの帰蝶から依頼にゃんよ。凄腕に依頼したいとの話にゃ」
頭の後ろで手を組みながら、石ころを蹴りながら猫娘はスキップをして、俺へと話をしてくる。飛んでいった石ころが壁に当たり、びっくりした鼠が走り去っていく。
「ふむ………それはおかしいぞ花梨。だってあいつらは『外街』の連中だぜ?」
怪訝に思い、俺は顔を顰めて不思議に思う。
『油売り』。そう呼ばれる集団は、廃墟街でも耳の良い人間なら必ず聞いたことがある集団だ。そいつらは廃墟街に拠点を持たずに、うろうろと徘徊する。
その集団は20数人。多過ぎず少なすぎず。襲おうと考えても難しい人数だ。『油売り』と呼ばれる集団はその人数で廃墟街を彷徨いていた。
拠点を持たない理由は簡単だ。その集団は廃墟街の住人ではないからだ。
『外街』
比較的安全な住まいだ。魔物から身を守る壁に囲まれて、警察により治安を守られている、人が人らしく生きられる場所のことだ。
危険極まる廃墟街には訪れることのない人間たち。本来はいないはずの人間たちのはずであった。
「連中は廃墟街の俺達とは違い装備を整えている。軍の払い下げの戦闘服に、多数のボウガン。外街の連中なら俺を雇う必要はないし、反対に邪魔をされるのを恐れるだろ?」
「『油売り』は油を売って、お宝を得るからにゃあ。たしかにそのとおりにゃ。手癖の悪い廃墟街の人間を雇い入れても良いことなんかないはずにゃんにゃん」
指を曲げて、ふざけるようににゃんにゃんと猫招きの真似をする花梨。やはりこの話に違和感を持っていやがるな。分かっていながら、俺に話を持ってきたのか。実に花梨らしい。
「『油売り』は廃墟街に眠る貴金属や美術品狙いの現代版盗掘屋と呼ばれているにゃんね。精鋭部隊だし、防人を雇う必要はないにゃ」
「凄腕という条件じゃなかったのか? あぁ、その時点で名指しも同然か」
ソロで廃墟街で仕事を請け負う人間。ここらへんじゃ、俺以外にはいないわな。
「相変わらず頭の回りは速いみたいで、何よりにゃん。そのとおり、あちしは『油売り』のボス、帰蝶から依頼を受けたにゃんよ」
「仕事の内容を教えてほしいんだが?」
「それは本人に聞いてほしいにゃん。はい、到着〜」
足を止めると花梨はくるりと身体を回転させて、ふふっと笑う。手を掲げて指差す先には、小学校があった。昔に避難所として使用されて、とうに放棄されて久しい建物が目の前にあった。
ダンジョン発生当時に建てられた学校だと、記憶に薄っすらとある。当時の個人情報保護法、そして子供たちを守るためという名目で最新の施設として建てられた。
3メートルはある壁、その壁に囲まれて窓には鉄格子が鉄格子には見えないように、模様のように美しく作られており、内壁は分厚いコンクリート製、金属製の門は施設を守るべく設置されている。
到着と言われて周りを見渡すと、あちこちに払い下げの軍の戦闘服を着込み、ボウガンを構えている者たちが警戒している。
薄汚れた服を着込み、腹を空かせて痩せぎすの廃墟街の面々とはその服装や体格からして違う。
「俺を使い捨ての捨てゴマにする依頼じゃなければ良いんだけどな?」
言外にそんな依頼ならば、酷い目に遭わせると意思を込めて。
「それは防人の愛と勇気で解決するんじゃないのかにゃ?」
「愛と勇気は全てを解決してくれるらしいからなぁ」
花梨がニヒヒと悪戯そうな笑顔でやり返してくるので、苦笑交じりに肩を竦めて、警戒をしている男に声をかける。
さて、面白い話だと嬉しいんだけどな。




