307話 現状
ケーキを片手に、以前よりも遥かに広々とした敷地を持つ冒険者ギルドに到着する。学舎やグラウンドがいくつも併設されている全周数キロにも及ぶ敷地を持つ冒険者ギルド本部だ。
「元気に働いているか〜」
「はたらいていまりゅか〜」
本部のドアを潜り中に入ると、俺の後ろからケーキ屋の店員がケーキを詰めた大箱をいくつも重ねて持ちながら後に続く。俺の後に誰かの声も聞こえたりした。
「天野社長、こんにちは。これは?」
「考えてみれば差し入れするにも本部の人間は多いからな。店のケーキを全て買い占めてきた。足りるか?」
受付嬢が俺に気づいて挨拶をしながらも、不思議そうにするので、片手に持ったケーキを渡しながら教えてやる。やっぱり全員に食べてほしいし。
「今日は近場のケーキ屋はこれで店じまいですよ。声をかけて、全部持ってきたので」
「わ、ホントですか! ありがとうございます!」
大箱をカウンターに置きながらケーキ屋の店員がホクホク顔で言う。受付嬢たちはそれを聞いて満面の笑みで喝采する。社長の差し入れは受けが良い。部下は気を使ってもらえていると思うからだ。まぁ、全てがそうなるわけじゃないが、ケーキはハズレが無い。甘味は平和になった今でも元廃墟街の人々には老若男女大人気だ。
「クッキーも全部買い占めたりゅ!」
二段目の箱から幼女がにゅっと出てくると、その両手にクッキーの箱を抱えて、んせんせと出てくる。日持ちがするものをまずは確保した模様。
なぜか何人も幼女が出てくる。全てのクッキーを確保する模様。こういうことに分体を使うとは。おやつに目がない幼女である。幼女だから仕方ないか。
てこてことクッキーを持って、幼女たちは整列して低学年の部へと歩いていく。おやつとして配りに行くのだろう。冒険者ギルドの低学年の部は孤児が多い。幸はその子らと仲が良い。
「あたちもお友だちに差し入れしてくりゅ!」
「お〜。了解だ」
後でなと、幸に手を振り、大箱にいつの間に入ったのか、首を傾げる店員を横目に中を歩いていく。今はもはや以前のように俺に気づいて道を空ける人もいない。黒ずくめの格好ではないし、完全にマナを抑えているので、一般人にしか見えないからだ。
「どうも、天野社長」
通りすがりの職員は俺の顔を知っているので、挨拶を返してくるが。
「あ、天野社長ですね、こんにちは」
革の鎧に槍を担いでいる集団が俺の顔を見て挨拶をしてくるが、顔を知っているからだ。両手を腰の横にビシッと揃えて、全員が深く頭を下げてくる。
「こぇー。初めて見たけど、やっぱり風格というか、恐ろしさがあるな」
「シッ。黙ってろ。殺されるぞ」
きっと知っているからだ。初めて見る顔だが、テレビか雑誌で見たに違いない。もはや俺はマナを抑えて黒ずくめの格好も止めたから、どこからどう見ても普通の人にしか見えないからな。
目的地はすぐだ。冒険者ギルド農業部である。冒険者ギルドは今や多角的に仕事を斡旋して、職業訓練もしている。農業は一攫千金とはいかないが、ほとんど危険もなく安定した職業だ。特に魔法の作物を栽培する魔法農業が人気が高い。美味い魔法の作物は温度管理や、肥料、種を植える時期など、かなり育生が難しい分、実入りが良いからだ。
今日は魔法の作物を育てるための、魔法具の説明をしているはずだ。研修室に入ると、大勢の人々が教官の説明を熱心に聞いていた。
「このシルクピーチの苗を植えるのは、この栽培用機械を使って、正確な間隔で植えないと駄目なんだ。1度この機械から取り出すと劣化し始めるから、すぐに根を土の中に入れる必要がある。気をつけて取り扱う必要があります」
聞き慣れない果物の名前を言いながら、純がガラスのカプセルが先端に付いた機械の説明をしている。今や純は立派な青年……になるには少し幼いが、それでも大人たちの前で堂々たる態度で説明をしており、聞いている者たちも侮るような態度はとっていない。
「土と言っても、マナの濃度が3以上じゃないと駄目なんです。マナ濃度を上げるには、神代コーポレーションで制作した魔法の土が必要です。正規品以外を使用すると、大体育生に失敗するので、高くても神代コーポレーションの物が良いです。それと『初級農業』が必要なので、余裕のある方のみにお勧めしています」
美しい少女となった華が、花のような笑みを浮かべて説明を続ける。美少女に説明を受けた大人たちは、その微笑みに見惚れながら説明を……いや、真面目な顔で聞いているな。金がかかる物だからそんな余裕はないのだろう。
「いや、華は有名だからね。雪花の弟子『槍華』として恐れられているから、誰もふざけないのさ」
隣に来た少女が可笑しそうに教えてくる。なるほど、華が恐れられているのか。そういえば、この間、オーガのダンジョンが湧いた時に素手で殴り殺していたな。周囲の冒険者はドン引きしていたっけか。華……才能ありすぎだ。
「セリカか。来ていたんだな」
「うん。魔法具の取り扱いと、ここにいる人々が成功したら、金蔓コホン。上客になるから顔見せさ」
美しい白銀の髪とルビーのような紅い宝石のような瞳。純白の肌を持つ美少女。初めて出会った時から、ちっとも変わらない。
相変わらずの狡猾なところも。
「地道な営業だな。お疲れ様」
「いやいや、こうすれば僕の疲れもとれるというものさ」
セリカはふざけるように俺へと力を込めて抱きついてくる。わざと胸を押し付けるように、そして皆へと見せつけるように。本当に色々と地道な営業をする少女である。
乗ってやるかと、悪戯心を見せて、俺も手を広げて抱きしめ返してやる。周りの職員や研修員、特に女性が喜ぶようにキャアと顔を赤らめる。
柔らかい横腹をくすぐるように、ぎゅうぎゅうと背中を優しく撫でながら抱きしめる。そうして、耳元に息がかかるほど口を近づけてやると
「ホンギャー! そこは照れるところだろ! なんで皆の前でも照れないのさ!」
羞恥が限界を超えたセリカは、俺を突き飛ばし、両手で顔を押さえながら床にゴロゴロ転がった。ヘタレっぷりも3年前と変わらない残念美少女である。自分から仕掛けてきたくせに仕方のない娘じゃんね。
周りの人々は男性は嫉妬の視線を、女性は良いものを見たと大騒ぎだ。どうでも良い視線だが、華と純の視線は痛い。説明の邪魔をするなという視線である。
「あんまり妻をいじめるなよ、防人」
「爺さんも来てたのか」
「もう当主も譲ったし、後は安穏と営業でもしようかと思ってな」
神出鬼没な足利の爺さんだと、声をかけてきた相手を見て苦笑してしまう。のんびりとした口調で、引退後の軽い仕事だというが、俺は知っている。この爺さん、当主を引退したあとの方が精力的に動いていることを。元気すぎる爺さんだこと。
「ここらへんの価格帯の魔法具が一番売れ線だからだろ。歳を考えろ、歳を」
「天津ヶ原コーポレーションの連中は成金が多いからなぁ。その金はしっかりと世間に回さないといけないだろうが。溜め込むだけじゃ、周りは幸せにならねぇからな」
歳は否定しないんだなと、爺さんを見て苦笑をしてしまうが、そのとおりだし、別に良いか。金だけが財産というわけじゃないしな。金を魔法具に変えることも良いことだ。
よくよく見ると、尊氏の爺さんだけではなくて、セールスのために何人ものスーツ姿の人たちも目をギラつかせて壁際に立っている。獲物を狙う肉食動物のような奴らである。ここは狩人の狩場かな?
『落ち着け。こちらを気にするな』
ほんの僅かだけマナを込めて呟くと、皆は夢でも醒めたかのように純たちの説明に戻る。
「おい、精神魔法耐性の指輪が光ったぞ」
「魔法具のテストができて良かったな。一番売れ線の魔法具だろ」
混乱や魅了、恐怖に怯懦など精神魔法を使用する魔物は多い。その効果時間は最高レベルでも10分程度。しかし、疑り深い金持ちたちは冒険者よりも遥かに多くの魔法具を買い占めている。不思議だよな。セリカがどのような営業をしたんだか。
「威圧魔法以外で、人間で精神魔法を使える奴はお前以外に見たことねぇがな。その割りに上等な魔法具は物凄く高い」
「買うの止めろって。もったいなくないか」
ダンジョンマスターが請け負う。精神魔法で人間が使えるやつには危険なものはないと。そういう設定にしておいたし。まぁ、教えることはないんだが。
「お前からその言葉を聞くと、もっと必要だと思うのは気のせいかね?」
じろりと俺を睨む尊氏の爺さん。風評被害も良いところだ。俺は正しいことしか言っていないのにな。まぁ、好きに受け取ってくれ。
説明が終わると、華と純がこちらへと駆け寄ってきて、セリカと爺さんが集まっている成金農家へとにこやかな笑みで挨拶をしにいった。
「防人さん、こんにちは」
「今日はどうしたんですか?」
「ふたりともしっかりとしているんだな。感心した。あれだけ堂々としたレクチャーをしているとは思わなかったぜ」
ふたりの成長を喜びながら褒める。もう背も高くなり頭を撫でてあげる歳でもない。そのことに僅かに寂しく思いながらも、立派になったその姿が寂しさ以上に嬉しい。
「ありがとうございます防人さん。作業の説明は何回もしていますからね。慣れました!」
純が鼻をこすり、照れ笑いを浮かべる。随分と逞しく育った。今や孤児の希望と呼ばれる男の子だ。なにしろ天津ヶ原コーポレーションの役員で億万長者だからな。
「今度新しい車を出すんです。耕運機と兼用できる変形機能を普通車につけたんですよ。売れると思います!」
「10台ぐらいにしておけよ? たぶん売れないから」
「皆買うと思うんですが……うーん」
自分で車を作れる男の子にもなっていたが、車のセンスはない。耕運機に変形できても喜ぶのは子供だけだから。大人たちは普通車は普通車で乗りたいんだよ。泥だらけの耕運機を普通車にしても、洗車が大変すぎだろ。
次々と迷車を作るマッドサイエンティスト的な純はうーんと首を傾げて不満そうにしていたが、そこは譲らないからな。無理にオリジナリティを出そうとするんじゃない。
「もぉ〜。純ちゃんはへんてこなものばかり作るんだから。地道にいかないとだめだよ〜。私は普通に稲作をするのが好きかなぁ」
華が呆れた様子で腰に手を当てて笑う。
「黄金稲を植えると、大雀が食べに来るから撃退するのも楽しいし。あの魔物は鋭い空中機動をするから倒しにくいの」
むんと腕を曲げて力瘤を笑顔で作る華。一見すると華奢な腕だ。ステータスの反映は見た目に関係しないからな。だがその精神は違う。
「高ランクの魔法の作物を植えると、高確率でFランクのダンジョンが湧くしな」
逞しくなりすぎな華から、そっと目を逸らす。雪花め、鍛えすぎだろ。頭が脳筋になっていないか?
「っと、雪花はどこにいる?」
セリカと会えたから後は雪花だけだ。
「あ、訓練所で見ましたよ」
「オーケー、ありがとうな。それじゃ少し会いに行くか」
元気に逞しく育ったふたりへと軽く手をあげて去る。セリカには後でなと思念で告げておく。
さて、あいつは何をしているのかなっと。
書籍化します。詳しくは活動報告にて。




