300話 滅亡した世界
その世界に人はいなかった。嘗ては栄華を極めた星の支配者は、その存在を抹消されて、人類の横暴により滅びに向かっていた惑星は、いまや恐竜が遥か昔の支配者であるように、魔物が支配者として徘徊する世界となっていた。
天をつくような高層ビルが乱立し、娯楽を供する遊園地や映画館にスタジアム。それら文明の結晶は跡形もなく、ただ平原と森林が広がり、知性のない動植物が繁殖していた。もはや人類はいなくなったために、魔物は設定に従い徘徊するだけで、動物たちに襲いかかることもなく、また、動物たちも危機感を持たずにその横を通り過ぎる。
自然あふれる惑星地球。酸性雨が降ることもなく、汚染された土地もない。人類が存在しない世界は新たなる知性体が生まれるまでの間は、きっと平穏のまま時が過ぎていくだろう。
人類を復活させようとする者がいなければ。
地球から遥か彼方。海王星近くに築かれた元は人類最後の砦、宇宙要塞『アヴァロン』。全長100キロメートルを超える人類の英知の結晶にして、最後の人間たちが暮らしていた要塞。
緑溢れる公園や、様々な作物を作るバイオファクトリー。ネオンを灯し多くの品物を売る店舗。近くの資源衛星から鉱物を回収するための宇宙船を格納するための宇宙港。そして、リゾート地の別荘のように建ち並ぶ家屋。
生存に必要なコロニーは、いまやガランとしており寒々しい。生き物が存在しない人類の墓標となった要塞のスタジアムの真ん中に、椅子を置いて寝ている少女がいた。
彫像のようにピクリとも動かずに眠っていた少女は、ピクリと僅かに眉を動かすと、ゆっくりと目を開く。
はらりと艷やかな髪が顔を掠めて、邪魔だといわんばかりに少女は小さな手でかきあげると、桜色の唇を開く。
「どうやら来ましたか。予想通りとはいかなかったようですが。想定よりも遥かにやってくるのが早い。どうやらまだまだ過小評価をしていたようですね」
眠そうな目を前方に向けて、少女は楽しそうに僅かに口元を緩める。可愛らしい小柄な少女は、想定外とはなったが、驚くこともなく、反対に楽しそうな様子を見せていた。
自身の想定を大幅に超える敵の手腕に感心しつつ、これからの戦闘を期待して胸を躍らせていた。
なぜならば、この世界の支配者シゼンは最強を目指すものだからだ。
空中に紫電がバチバチと奔り、電光が瞬く。空気が焦げる音と共に空間が割れて丸い穴が開いた。
シゼンが視線を向けてその様子を眺めている中で、2人の男女が微かに足音をたてて空間が開いた先から歩み出てきた。
1人は黒ずくめのコートを着込んだ格好をしており、フードを被りマスクをして、恐怖を齎す昏く禍々しい光を宿す瞳のみが覗いている。完全に自身の力を掌握している証拠に、本来その男が持つはずの膨大なマナは欠片も感知できない。
人類の救世主にして、最初にして最後だろう世界の敵だ。名前を天野防人と言う。
もう一人は煌めく艷やかなセミロングの黒髪、おとなしそうな目つきと、ちょこんと小さな形の良いお鼻、桜のような色の可愛らしい唇、可愛らしい顔立ちの小柄な少女。やはり内包するマナを欠片も感じさせない強者である。
シゼンが今いるこの世界で創られた人工生命体の妖精機である天野雫。戦闘のスペシャリストだ。
2人はそのコンビネーションで、難敵を打ち破り、己が前に遂に到達した。理性では可能性は低いと思っていた。ティアに負ける可能性はあった。
だが、シゼンは彼等は必ずやってくると、確信に近い予想をしていたので、訪れた時間以外は驚きは持たない。
「ようこそといえば良いんでしょうか。貴方たちは死地に飛び込んできましたので、歓迎をしても良いか迷います」
策は成った。これまでの試練を彼らは越えて、シゼンが求める力の持ち主となっていた。即ち、最強を目指す自分の相手に相応しい。
強者との戦いに期待して、知らず、零れ落ちた柔らかな笑みを浮かべるシゼンに、防人たちは歩いてくると、ニヒルに笑い飄々とした口調で返す。
「お互いに不完全な力を持っているからな。俺の持っている力と君の持っている力。お互いにベットして勝負といこうぜ」
「賭け金に違いがあるようですが良いでしょう。この世界の完全なる力を手に入れるには、お互いの力を合わせなければなりませんし」
シゼンはゆっくりと立ち上がると、賭けに乗ることにする。シゼンが回収したこの世界の力は完全ではなかった。過去に最後の人類の希望となった戦士が倒した竜の始原の力が防人に移っている。
始原の力。創造と破壊を司る神の力。なぜそのような力を持つ者が過去に滅んだのかは分からない。だが、いまや自分がほとんどの力を掌握しており、同様に防人も持っている。
防人が持つのは僅かなる力だ。創造も破壊もたいしたことはない。1割にも満たない力であるが、それでも防人が持っている以上、シゼンは完全にこの世界の始原の力を掌握できていない。防人から奪い取る必要があった。
それに増えないはずの力を他の力を手に入れて増やして変化していた。シゼンにとって恐怖を齎すものであり、そして可能性を齎す興味深い力でもあった。
その名は『等価交換ストア』。変化した始原の力。元の世界の人の意思を吸収し、もはや始原の力も届かない異形となって変化した力の欠片。
なぜ変化したのかは分からない。だが始原の力に対抗できる唯一の力だ。そして、その力。『成長』する力をシゼンは欲しかった。完全なる力、上限を決められた力ではなく、その殻を超える可能性を持つ力を。
「俺の方が賭け金が高い。これは不公平だ」
「……そうかもしれません。ですが、私の後ろには人類の魂が。最後の希望が待っています。公平であると考えます」
自分の方が賭け金が大きいと嘯く防人に、シゼンは素直に肯定する。自身がどちらかを選べと言われたら、間違いなく防人の力を選ぶからだ。たとえ世界を動かせる力でも、上限が存在するのならば、蛍の光のように心細い力であろうとも成長する可能性がある力であるならば、迷うことなくシゼンはそちらを選ぶ。
「蘇らせることができると、貴女は言うんですね?」
ティアから奪い取ったのか、『不壊剣』を片手に持って、僅かに目を細めて厳しい声音で雫が尋ねてくる。
「私がどう答えようとも、貴女は信ずる道を歩むだけでは? それとも手をとって懐中電灯で道を照らしてあげなければ、歩みを止めるとでも?」
無意味なる質問だ。彼女は決意している。覚悟を決めている。彼女は己の任務を全うしようとしている。答えがどうあろうと、否定の言葉を耳にしても止まることはないとシゼンは理解している。
「むぅ、いちいち煽りの言葉を入れる娘ですね! 私は防人さんに手をとってもらい、防人さんに道を案内されて、ラブラブに未来に歩む予定なので、貴女の助けはいりません」
甘々なセリフであるのに、淡々とした感情の籠もらない声音で返す雫。油断を欠片もしておらず、戦闘準備は万端な様子だ。
「これまで長い旅路だったと言いたいが、これからも人生は続くんでな。明日にはいい思い出だったと、過去話にする予定だ。お話のようにめでたしめでたしでは終われない。世界ってのは本当に世知辛い。そうも思うぜ」
「私を倒せれば、この世界の人類の復活のために暫くは忙しいでしょう。ここで負けて死ねば、冥府の空間で揺蕩い微睡みの中で過ごせますよ?」
最後の慈悲だ。人類への救済措置。絶望を感じることも、希望を持つこともなく、ただ魂となって世界を漂えば良い。
「悪い。俺はワーカーホリックなんだ。そんな退屈な生活はごめんこうむるぜ」
「そうですね。やはり肉体を持っていちゃいちゃする予定なんです。セリカちゃんに負けている感じがしますし」
「では戦いましょう」
受け入れることなど毛頭ないだろうことはわかっていた。だが、会話をする必要があったのだ。雫はシゼンが求める言葉をくれた。もう充分だ。
「私はシゼン。『闘争』を司り最強を求める者。僅かなる出会いとなりましたが、貴方たちの雄姿は記憶の片隅に覚えておくことにします」
すいっと流れるように胸の前に拳をあげて、シゼンは半身となり身構える。その自然体からなる動きに淀みはなく、力を周囲に漏れ出すこともしない。
完全に自身の力を掌握している少女がそこにはいた。膨大なる力を内包し、しかして欠片もその力を感じさせない、それでいて隙の欠片も見せない戦士が存在していた。
「俺の名前は天野防人。天津ヶ原コーポレーションの社長にして、今回手に入れたコアの買取資金に困っている男だ」
「私の名前は天野雫。今こそ人類を復活させる任務を全うします。では、参りますね」
防人は悠然としており、内心は読めないが外からは悠然とした姿を見せて、僅かに気負っているのか雫は剣呑な顔つきで剣を構える。
3人は睨み合うように構える。空気が熱せられたように揺らぐ。
『超加速脚』
雫が加速の闘技を使用して、その姿を消したかのように高速でシゼンへと迫る。
『超加速脚』
シゼンも雫に合わせて加速をし、その姿をかき消すように移動を開始する。
突風が巻き起こり、お互いの髪がなびき、服がはためく。
「シッ」
雫が剣を振り下ろす。ピィと風斬り音が響くとシゼンへと刃が迫る。シゼンは右足を僅かに摺り、右手の甲を剣身にそっと添えると、その軌道を変化させて受け流そうとする。
だが、雫も予想をしており、引き戻すと力のない剣撃を連続で繰り出す。右からの袈裟斬りから始まり、左の横薙ぎ、切り上げてからの縦斬りと、止まらずに攻撃を仕掛けてきた。
「ヒュッ」
短く呼気を吐き、シゼンは両手を前に突き出して、迫る連撃をするりするりと受け流す。まるで滑らかなる空気の層でもあるかのように、雫の攻撃を躱すシゼン。
『踊れ、使い魔たちよ』
間合いをとるために、後ろに下がっていた防人が手を翳すと、雫の影から闇猫や闇鴉、闇蛇が飛び出してきて、牙をむく。
「ふぅぅ〜」
シゼンは指を鉤爪のように変えて、猫の頭を掴むと鴉へと放り投げる。蛇をロープのように持ち、ヒュンと鞭のように振るうと、他の使い魔を叩き、怯む様子を見せると、タンと軽やかに蹴りを繰り出し雫の剣撃の軌道へと盾のように弾く。
「む」
雫は自身の攻撃を阻まれたことに、顔を顰めるが
『嵐帝の剣舞』
シゼンとの視界も僅かに阻まれたことに対して、闘技を放つ。嵐が巻き起こり、使い魔ごと躊躇いなく切り裂きながら、シゼンへと攻撃を仕掛ける。
その行動に満足げに薄く笑い、シゼンも闘技を放つ。
『乱』
シゼンの拳がゆらりと揺れて空気を歪めると、嵐と化した雫の剣撃は消え去った。お互いの間に僅かに衝撃が起こり空気が弾けると、2人の少女は下がって間合いをとる。
「見事です、雫さん。躊躇いなく使い魔を倒すその思い切りの良さに称賛を。貴女の軽い攻撃に、使い魔による数の暴力。私に少しずつ傷を与えて弱める作戦をすぐに放棄するとは、なかなかできないことです」
「それはどうも。貴女の体術が予想を超えていたので諦めました」
シゼンは雫の行動を称賛した。が、雫は嬉しがることはなく、平坦なる口調で冷静に間合いを測り、その後方で無言にて防人も隙を狙う。
「ラストバトルに相応しい相手だな、少し手加減を希望しても良いかね?」
「残念ながらその言葉は私の辞書にないんです。特に強敵相手には」
防人の言葉に、喜びを含めた声音で答えて構え直す。
今の私は自由となった。後は最強を目指すだけだ。




