30話 市場事前準備
青空が広がり、そろそろ梅雨明けとなりそうだと、陽射しに目を細めて、防人は眼下の様子を見る。
窓ガラスは割れるか、ないか、汚れて透明度がまったくない廃墟ビル。その中は埃が積もり、黒い染みが残っていたりして、混乱した昔を思い出すように、乱雑に椅子やらビジネスデスクやらが転がっている。
家屋は過去の火事にて燃え尽きて、焦げて半ばから折れた柱だけが侘しく残っているものや、残っていても玄関扉はなく、床には雑草が生い茂り、もはや床か地面かも判別できない物が多数だ。
コンビニなどの店舗は商品などあるわけがなく、ステンレス製の棚だけが倒れ積み重なっており、なにもない。
時折、ネズミが顔を出して、チョロチョロと走り回っているのが見え、草むらからは虫の姿もある。その陰には魔物の爛々と光る目が見える。この光景を見て、かつての東京だと信じる者はいないだろう。もはや、昔のダンジョンが現れる前の姿を知るものも少なくなったが。
廃ビルの屋上にて、それらの見慣れた光景を眺めると、防人はフッと笑って降りてゆく。屋上にいた理由はもちろんハードボイルドなおっさんなので。屋上で崩壊した街並みを見ながら佇むおっさんって、ハードボイルドだよな。
「さて、すこしでも変われば良いんだけどな」
これから、市場を建設するのだ。きっと面白いことになるだろう。
『大丈夫ですよ、防人さんが考えたことですから』
「根拠なき信頼は信用できないぜ」
『その根拠はこれから見せてくれると信じています』
「順番が逆ですよ、雫さんや」
ふわりと浮いて悪戯そうに微笑む雫と軽口を叩きながら、降りきってビルから出る。外には遠目に見えた人気のない廃墟と違い、別の光景があった。
活気のある人々が忙しく働いている姿が。元駅ビルの廃墟に集まっていた。
「棚はこれを持ってくれば良いのか?」
「幟って、これで良いの?」
「商品って並べる? 並べないのか?」
店舗の壁の汚れを取り、中では埃を箒で片付けて、雑巾でせっせと拭く人々。倒れた棚を外に運び出す。市場を作るという目的で皆は笑顔で働いていた。
そろそろ初夏に入る中で、暑さに汗をかいて嬉しげに。
「大木君。この棚をお願いね」
「この机も運んでくれ」
「放置自動車をどけておいて」
「俺は大木じゃねえし、自動車は一人じゃ無理だから!」
どこかの大柄な男が皆にこき使われていたが、気にすることはない。この間のスタンピードの罰として信玄がきつい仕事を割り当てているのは知っているしな。あいつ、かなりきつい仕事をやらされているけど意外と体力あるが、なんのスキル持ちなんだか。
活気が廃墟街にあるなど初めて見たかもしれないと、多少喜ぶ。この店舗内には偶然にもコアストアが見つかったので、ここを市場の初めの場所とすることにしたのだ。
信玄コミュニティと防人のビルの途上にあるので、緊急拠点として建設もしている。
「よう防人。順調に市場はできているぞ」
「場内市場なら、雨が降っても大丈夫だしな。順調で何よりだ」
今日は現場監督な作業ヘルメットを被っている信玄が手をあげて挨拶をしてくるので、挨拶を返しながら、順調な建設を見て嬉しく思う。
元々巨大な駅ビルだ。来ない電車を待つ錆びた線路が放置されて、階層の多い巨大な駅ビルは、かつての混乱を示すように、バリケードが作られている。ほんの少し前までは、多くの物陰や奥まった通路に凶悪な魔物たちが潜んでいる、危険極まりない場所だった。
現在は武装した部下と影虎たちが見廻って根こそぎ掃討しており、安全を確保しようとしている。駅ビルは敷地面積が広く市場とするにはちょうどよい。
「さて、物は用意してあるのか?」
片付けられていく店舗を横目に見ながら、相変わらずの黒づくめの姿で歩いていく。
「社長どーも」
「おはようございます」
「今日はすいとんですよ」
周りの人たちが挨拶をしてくるのを、適当に手を振りながら歩いていく。倉庫として区切られている場所に着くと、段ボール箱がいくつも積み重なっており、人々がその中身を確認している。
痩せた野菜たちだ。萎びた白菜やキャベツに、ゴボウと見間違う人参や、大根。謎の燻製肉はラインナップから外してほしいです。
廃墟街にしては大量の食料品だ。その横にゆらゆらと尻尾を揺らす猫娘が立っている。
「お、来たな、防人。あちしの腕前を見たか! こーんなにたくさんの食料品を買い込んできたにゃ」
手を広げて自慢げに猫耳をピクピクさせる花梨に、肩をすくめて返す。今回のじゃが芋は全て食料品に変えたのである。花梨にそうするとお願いしたのだ。
「かなりの量だな。よくこんなに集めたもんだ。外街に流す予定だったやつか?」
24万円にしてはかなりの量だ。予想よりも2倍近い数の段ボール箱が積み重なっている。その全てが野菜と塩なのだろう。
質は悪いが。昔ならば捨てられる質だが、今は貴重な品だ。
「こっちは本来は捨てられるはずの野菜だにゃ。少し融通しても問題ないレベルにゃんこ」
「言い方が微妙だな。本来は外街の顔役に流される予定だったんじゃないのか?」
外街には多くの力を持つ集団がある。昔はヤがつく集団であったが、単純な暴力集団はあっという間に雨後の筍のように生まれて、入れ替わり喰らい合って新たなる集団となった。戦国時代のように部下を集めて、縄張りを形成している。
彼らは内街から流される物のいくつかを支配している。本来は受け取る予定であった食料品が手に入らなかったら、きっと良くない反応を返してくるに違いない。
「外街に流される物は膨大な量だし、予定量も有って無いもんだにゃ。そんなに気にすることはないと思うにゃよ」
頭の後ろ手に組んで、簡単に言う猫娘に苦笑をしてしまう。
「だと良いんだけどな。市場を荒らされるのは困る」
花梨は気楽に言うが、どうかな。ここから一番近い外街の縄張りを持つ奴らは面子を潰されたと考えるか、自分の物だと考えてちょっかいをかけてきそうな予感がする。
「チンピラ程度なら、廃墟街のやり方を見せりゃ良いだろうが、考えても仕方ないことだよな。それは後で考えればいいだろ?」
信玄も気楽そうに段ボール箱の中を覗きながら言ってくるが、花梨と同じ意見か。
「……そうだな。廃墟街のやり方が外街とは違うことを教えてやるとするか」
外街の奴らならたいしたことないだろうし、問題ないか。……考えすぎかぁ? だが、外街とは潜ってきた修羅場が違うと自信を持ちすぎるのは危険だ。
「よし、それじゃあ市場を開く。宣伝よろしく」
「了解だ」
「にひひ。楽しみだにゃん」
周囲で働く人々もこちらを注視してくるので、肩をすくめて周りを見る。初めての廃墟街の市場だ。人が集まれば良いけどなぁ。監視の黒猫増やしておくか。念の為の保険はいくらあっても良いからな。
一週間後……。
3人の人間が廃墟街を歩いていた。中年の男女と幼い女の子だ。普通なら出歩く場所ではない、魔物や盗賊が歩き回る世界で。
廃墟街とは、食い物を奪い合い、命も奪い合う。倒れていたら、身ぐるみはいで、暴力が支配する単純な弱肉強食な世界だ。
なので、そこに住まう人々は警戒心強く、人をなかなか信用しない。そんな人々だが、最近は少し変化があった。
綺麗な水が手に入るようになったのだ。スライムを倒すことにより、コアストアから手に入るようになった。今までは雨水を沸騰させて飲んでいたのだが、それでも雨水なんか溜めるのにも限界がある。病気にならないように祈りながら汚水を濾過して飲んでいたのだから、大きな変化だ。
大鼠を倒すことにより、コッペパンまでもが手に入るようになった。多少は食べ物を手に入れることが可能となり暮らしは楽になった。あくまでも多少だが。
汚れた服を着込む男は子供の手を引き、キョロキョロと忙しなく辺りを見渡して、噂の場所に行く。最近、そこかしこで噂されており、真偽は定かではないが、行ってみようと決意した。
「あなた、本当にここに市場なんかあるの? 外街でもないのに」
不安そうに尋ねてくる妻に、自分自身半信半疑だと顔を歪める。
「わからないが、本当かどうかは確かめにいかないと。コアを交換してくれるらしいからな」
大鼠を倒せると言っても、たまに一匹倒せれば良いぐらい。スライムは比較的簡単に倒せるが水だけでは腹は膨れない。
「この間、解体工事で仲間が死んじまったから、あの現場にはしばらくは近づかないようにしないといけないしな。噂が本当なら飯が食えるぞ」
外街で1日配給券一枚でビルの解体工事を男はしていたが、雑に解体工事をしていたので、ビルは崩壊。仲間の何人かは潰された。なので、男は急いで逃げ出した。なぜ、逃げ出したのかというと、隣の家屋も崩落に巻き込んだからだ。
その場合、どうなるか? 答えは簡単だ。廃墟街の連中にその責任を押し付ける。自分たちで雇っておきながら、不法侵入した者たちとして犯罪者として、スケープゴートにして、捕まえさせて……あとは悲惨な結末へと至る。侵入した魔物を殺す際の囮から、強制的な奴隷のような仕事、非合法な仕事まで。命がいくつあっても足りなくなる。廃墟街の人間のせいではないと理解していても、身分証明書のない人間は暗黙の了解で最後まで利用されるのだ。
そのため、解体工事の現場からは潮を引くように、廃墟街の人々は逃げ出してしまった。そうして噂を聞いた男は、この場所に恐る恐る来た。
元駅ビルを市場へと改装したらしい。ハブステーションとしてかつては栄えていた駅ビルは周辺にビルが立ち並んでいる。そのビルを利用して簡易的な壁を築いて、拠点としているようだった。
ちいさな廃墟ビルの屋上では弓を持つ兵が見張りをしており、薄い鉄板の扉が駅ビルへの道を塞いでいる。
だが、その扉は開いており、自分たちと同じような立場の奴らがキョロキョロと警戒しながら中へと入っていく。
男は再度警戒心を強く持ちながら、同じように中へ入っていく。金目の物など僅かしか持っていないが、それを狙うのが廃墟街の住人なのだから。
門番はこちらをちらりと見るだけで、誰何をするわけでもなく立ったままだった。
そうして、中にはいると……。
「あなた、これ?」
「あぁ、なんだこれは」
扉を越えた先には、目の前には、活気溢れる人々が歩き回る姿があった。
廃墟街ではあり得ない光景。この世界の片隅に生きる人々には縁のない世界がそこにはあった。




