298話 侵入者
ティアはその顔色を真っ青にして、疾風の如き速さで駆けていた。富士山麓までティアのステータスならばすぐに辿り着く。
朽ちた家屋、半壊したビルが並ぶ廃墟を駆け抜けて、放置された錆びている車両を踏み台に突き進む。森林へと入ると、タンと軽い音を立ててジャンプする。
聳え立つ木々の先端につま先をあてると、減速するどころか、速さを増して木々を揺らすこともなく、空を駆けるが如く走り抜ける。若芽が生え始めて、木の葉が緑色に染まっているが、少女が踏んでも潰れることはなく、散っていくこともなかった。
森林内に徘徊する魔物たちはティアの速さに、自身の真上を走っていっても気づくことはない。そうして、闇の世界を駆けていき、富士山麓まで辿り着く。恐るべき体術の持ち主、それがティアドロップである。
「やっぱりダンジョンが発生しているっす!」
恐れていたことが起こっていたと、ティアは顔を蒼白にして呟いた。富士山麓には巨大なる塔が立っていた。神級魔法の攻撃すら耐え抜く塔型ダンジョン。空を貫き、天へと通じる高さのバベルの塔だ。
10km四方を塔は土台として、天頂は確認できない遥か彼方の高さを持つ。空から侵入されないように、結界が張ってあり、地上の入り口からしか入れないティアが頭を捻って創り上げたダンジョンである。
見た目は古代のバベルの塔だ。石造りに見える土色の塔壁。だが、これだけの高さを持つ巨大な建造物だ。見た目通りの素材であるわけがない。神秘の力を持つダンジョンだ。
このダンジョンのランクはL。全ての魔物がSランクを超えるステータスの化け物である。そして、実はというと、この塔の魔物は全て総合ステータスがカンスト、即ち5万のステータスを誇り、様々な厄介極まるスキルを持っていた。
罠も致死性の高いものが、山と備えられており、難攻不落の攻略させるつもりのないダンジョンであった。人類が敗北を決定づけられている証左であるといえよう。自分のことしか考えていない卑怯なゲームマスターが創り上げた悪意しか存在しないダンジョンである。
ティアはこのダンジョンを発生させれば、勝利は確実だと考えていた。負けるとわかっていても、戦う。嫌々ながら戦う素振りを見せて、防人には命を懸けることもなく、適当に戦う素振りを見せて、内心はほくそ笑みながら遊んで暮らしていた。
だが、ティアは雫のコピーである。戦術、戦略において優れた才能を持ち、決して諦めることのない雫のコピーだ。シゼンちゃんには悪いが勝利を手にする気満々であった。
自信満々に時間稼ぎをのんべんだらりと過ごしながら暮らしていたのに、その自信は脆く砂のようにたった今崩れさろうとしていた。
タタタとざらりとした砂地を踏み、埃を巻き起こすこともなく、まるで羽の生えた鳥のように軽やかに進み、ダンジョンの入り口前に到達する。
そして、目の前の光景に顔を歪めて、忌々しそうに口を噛む。
「ケルベロスがやられている……。回復役の『砂に蠢くモノ』も殺されているっすね」
塔の巨大な入口には、10メートルはあるだろう巨体の犬が地に伏していた。3つの頭を持ち、その視線は石化から即死、そして麻痺を起こし、吐く息は焔、吹雪、雷とそれぞれ違う上に強力無比なものだった。
タフネスを売りにする地獄の番犬。有名すぎる魔物と、核を砕かれてその身をただの砂に変えているスライムは倒されていた。スライムは『雪に蠢くモノ』の上位版。宙に撒き散らす砂は味方にはナノマシンのように強力な回復を。敵には吸い込んだ体内から破壊をする化け物だ。
この2匹がダンジョンの最初の難関にして、防人たちでは勝利することも難しいはずであった。倒せても戦力は大幅に減少して、ダンジョン内では、同じような力を持つ魔物に削られて死ぬはずだった。戦力が減少して、撤退を決めれば、その時にはティアが介入して、殲滅する予定でもあった。ゲームではないのだ。勝てそうならば、ボスは魔物を率い勇者を全力で殺すのである。
盤石の体制であった。考え抜いたダンジョンであった。だが、ケルベロスたちはあっさりと殺されている。信じられないことだと思うが事実である。
いつの間にか額から汗が一筋流れるが、気にする余裕もなく、ティアはダンジョンに飛び込むように侵入をする。
「ああっ! やられている!」
中は広いホールとなっており、そこにも多くの魔物が潜んでいる予定だったのだが、たしかに潜んでいたのだろう。だが、今は屍を山と積まれていた。
塔内は今までと違うダンジョンであることを教えるためにも、魔物は厳選していた。異形種として。
魔物でも格好良い奴らはいる。だが、だからこそティアは違いを見せるために、塔内の魔物には凝った。人の内臓が寄り集まって人型をとっているカーズゾンビ。苦悶する人の顔をびっしりと肌に貼り付けている悪魔デスマスク。眼球が寄り集まって一つの魔物の形をとっている魔精霊百眼。
不気味にして、見た目は恐怖を誘い、怖気を感じさせる化け物の群れ。無論、それらの魔物たちは強力無比なスキル持ちだ。しかも、敵の消耗を狙う厄介な吸収系統、再生系統、分身などなど。
まさに最凶の魔物たちであるのに、全て倒されていた。しかも一撃で倒されたと思われる。大穴が胴体に空き、切り裂かれて細切れになっており、バラバラとなり原型すらも残っていない。
「まずい……。まずい!」
肉片のそばには、闇猫たちがいて、肉片をボールに見立てているのか転がしていた。だが、ティアの姿を見ると、爛々と黄金の瞳を輝かせて、牙を剥き出し襲いかかってきた。
「邪魔! 『不壊剣召喚』」
ティアはその手にデュランダルを喚びだすと、襲いかかってきた闇猫へと振るう。昨日までならば、一撃で倒せる相手であった。Sランクの力を持っていたとしても、ティアは余裕綽々で赤子の手を捻るが如くあっさりと倒せる相手であった。
しかし、苛立ちながら振るった剣を闇猫は宙を蹴ると、軌道を変えて回避する。
「な!」
ティアの振るった剣は使い魔如きには視認することも難しい速さを持っていた。その毛皮をあっさりと切り裂いて鮮血を撒き散らし闇猫は死ぬはずだった。なのに、闇猫はティアの動きを見切り躱してみせた。
苛立ちながら攻撃したので、たしかにいつもよりも甘い攻撃であったし、速さも本来よりも遅かった。しかしそれでも躱せるはずはなかったのだと、ティアは驚愕し目を見開き動揺してしまう。
「にゃん」
漆黒の風が左から襲いかかる。
「ふにゃー」
自分の影から闇猫が躍り出る。
「ふしゃー」
いつの間にか足に闇蛇が絡みつき、動きを止めて
「にゃんにゃん」
可愛らしい鳴き声で、恐ろしい速さで周囲からティアを覆い尽くすかのように新たに現れた使い魔たちが迫ってきていた。
ガガッと音を立てて、ティアの身体に衝撃が走る。次々と使い魔による攻撃を受けてよろめくティア。しかし、その身体は傷一つなく、服が多少破れるのみ。
そしてティアの怒りも買うこととなった。
「舐めるなよ、貴様ら! 使い魔如きが!」
ティアは怒りで顔を歪めて、怒気を纏わせて、咆哮する。空気が歪み、咆哮だけで使い魔たちが吹き飛ばされていった。
『嵐帝の剣舞』
怒りのままに闘技を使い、デュランダルを振るう。膨大なるマナが込められて、強大なる力にて振るわれた剣は、暴風と言うには生温い程の力を発揮する。
周囲の全てを生み出した嵐に巻き込み オリハルコンよりも硬い床も柱もボロボロにして、使い魔たちをすり潰すように細切れにして倒すのであった。
襲いかかってきた使い魔たちを倒し終わり、冷え冷えとした目でティアはあたりを見渡すと、剣をひと振りすると、鞘を生み出して仕舞う。
すぅはぁと深呼吸をして、気を落ち着けると、チッと舌打ちをして、今の使い魔たちの強さを解析する。
「あり得ない強さを誇っていたっす」
予想通りだ。この事態が発生して、すぐにどうなるのか予想をしていたが予想通りだ。
「ダンジョンの強度も恐ろしく下がっているっすね」
本来ならば、引っかき傷程度しか入らない硬度を持つはずのダンジョンの柱や壁は神級の攻撃でもないのに、深く切り裂かれて、今にも崩れそうである。
最悪の予想。考えたこともなかった。こんなことになるなんて。恐らくは、ダンジョンの魔物は全て倒されている。ダンジョンの強度も恐ろしく低くなっていることから、罠もマトモには作動するまい。
「なんで私が最上階を目指さないといけないんっすか」
愚痴りながらも脇目も振らずに再びティアは走り始め目的地まで移動する。目的地は無数にある玄室の1つだ。なんの変哲もない玄室であり、ガランとしており、周りに存在する玄室と同じような部屋であった。
ティアは辿り着くと壁に手を当てる。ゴウンと壁が左右に開いた。緊急用の最奥まで最短ショートカットができる秘密のエレベーターだ。
中に飛び込むと、壁のスイッチを押す。いくつものボタンがあるが、迷わず1番上のスイッチをティアは叩き壊す勢いで押下した。ガコンと音がして扉が閉まると、上へと移動し始める。
「卑怯な………卑怯すぎるっすよ」
憎々しげに爪を噛みながら、イライラと貧乏ゆすりをして呟く。まさかこんな結果になるとは思いもしなかった。
エレベーターが揺れ、到着したので扉が開く。開き切るのを待つこともせずに、ティアは駆け出して、ボスの広間前に辿り着く。オリハルコン製の扉はそれだけでも神々しいし、複雑ななにか戦いを描く彫刻が彫られており、最後の扉とひと目で否が応でも理解させた。
番人もいたはずだが、血が床を汚し、肉片が散らばっているところから、戦闘は終わったことを示している。しかも両開きの扉は開いたままだ。
息を整えて、ゆっくりと警戒しながら部屋に入る。
と、広々としたホール、赤いカーペットが敷かれており、奥には玉座がある最後のボス部屋。本来はそこはティアが座る場所であったのだが、先客が座っていた。
「裏技すぎないっすか?」
ずるいと口を尖らせて、非難の声をティアは玉座に座る男へとあげる。
肘掛けに肘をつき、酷薄な冷たい視線をティアに向けて、先客はニヤリと禍々しい笑みを浮かべて答えた。
「現実は世知辛い。そうそう上手くはいかないんだぜティア」
玉座には天野防人が座っていた。その横に雫を侍らせながら。まるで大魔王のように存在していた。
「大魔王ティアよ! 勇者夫婦が貴女を倒します。子供たちは使わなかったので、馬車に仕舞っておきました! 夫婦縛りです! 私はお金持ちのヒロイン役ですね、社長の妻なので」
雫がティアに悪戯そうに口元をニマニマさせて指差して告げてくる。
「どこの世界に勇者が玉座に座って大魔王を待ち構えているんっすか」
ハァ〜と、深く溜息をティアは吐く。心底疲れた様子を見せて、項垂れてしまう。
だが、フゥ〜と息を全て吐くかのように長い溜息を吐き終わると、顔をあげて防人たちを憎々しげに睨みつける。
「ここまでコケにしてくれるとは思わなかったっすよ。いったいなにをしたんすか? 油断はしていなかったっすけど。そもそもティターニアを仲間にするために『奈落』に向かったんじゃ?」
「それじゃ、答え合わせをしようか? せっかくだしな」
ニヤリと嗤う防人に、ティアは厳しい目つきを向けて、厄介なことになったと舌を巻くのであった。




