297話 闇の世界
よく晴れた日であった。陽射しも暖かく、雲一つない空で気持ちが良い。
華はそよ風に煽られる髪を押さえて、急速に育つ稲を見ながら、のんびりとしていた。
だが、異変はすぐに、全ての人々がわかる形で現れた。空にポツリと小さな黒い雲が生まれたと思ったら、みるみるうちに広がって辺りを闇で覆ったのだ。
「な、なに、あれ?」
あまりにも禍々しい闇の雲。周囲は薄闇に覆われて、慌てて夜間警備用に設置されたライトにスイッチを入れる。ライトなしでもぼんやりと空は光っているが、それでもライトを点けないと暗かったからだ。
「なんだこりゃ?」
「おとーさん、怖いよぅ」
働いている人々が突然の異変に恐怖と混乱の声をあげる。無理もない、華自身も怖くてたまらない。なにか不吉なことが起きていると、先程までの温かみを感じる風から、生温い風に変わったことで、恐怖が心に忍び寄っていた。
だけど混乱と恐怖で周りの人たちが慌てるのを見て、グッと唇を噛んで頬をパンと叩く。
私がここの責任者なのだ。ここで責任者が慌てたらいけないと、心に忍び寄っていた恐怖を振り払うためにも、大声で叫ぶ。
「皆さん、慌てずに家に戻りましょう。空模様が悪くなった程度です。ですが、念の為に戻ることに決めます! 今日の給金は問題なく支払いますので」
華の言葉を耳に入れた人々は、自分たちよりも遥かに若い娘が恐怖に負けることなく、責任者としての役目を務めようとする姿を見て、恥ずかしく思い冷静さを取り戻す。
「そ、そうだよな。慌てることはなかったか」
一人が頬をかきながら、呟くように言うと、他の面々も気恥ずかしげに、落ち着きを取り戻す。
「少し暗くなっただけだもんな」
そうだなと皆が落ち着き、混乱が治まりつつあるのを華は見て安堵で胸をなでおろそうとするが、それは少し早かった。
「見て、真っ黒な柱が立ったよ!」
子供が驚きの声と共に指差す先、なにがあるのかと華は視線を向けて息を呑む。
そこには巨大な闇の柱があった。空から地へと降り注いでいた。そうして、地面が震動して揺れる。
「なにが? え? ダンジョン!」
闇の柱が降り注いでいた場所が盛り上がり、洞窟が生まれていた。洞窟といっても、巨大な穴であり、戦車が列を並べて入れる程に広い。
ダンジョンはダンジョンでも、危険度が高いダンジョンだとそれだけですぐに理解できた。最低でもCランク。もしかしたらAランクかもしれない。
靄がダンジョンの周囲に吹き出すと、急速に集まり受肉して魔物となる。
「グォォォ!」
それは20メートル程の背丈を持つ四足の魔物であった。全長は60メートルはあるだろう。紫色の捻れた角を額から生やして、その鱗は蛇のようで、ぬめって光っている。
突如として出現した魔物を前に呆然とする人々を見て、波動のように咆哮をあげる。
「ひ、ひぃ、ベヒモスだ!」
年寄りの男が腰を抜かして、へたり込み恐怖の声をあげる。彼は過去にベヒモスに襲われて生き残ったことがあったので、ひと目で魔物の正体に気づいた。そして、その恐るべき能力も。大地をひっくり返し、雷の雨を降らす街を簡単に破壊できる化け物なのだ。
しかも、周りにも何体も同じようにベヒモスが出現し始めていた。その姿を見て、人々は逃げることも無理だと悟り、子供を守ろうと覆い隠す親もいる。
「逃げて! 皆さん逃げてください! ここは私が時間を稼ぎますので!」
華は万が一のために側に常に置いてある槍を手にベヒモスの前に立ちはだかる。時間稼ぎができるかも分からない強大な敵だ。だが、この中では一番強く、そして責任者でもあるのだ。
「ごめんなさい、純ちゃん、皆のもとへ戻れないかもしれない」
悲壮な覚悟で、目つきを鋭くさせて華は岩山のような魔物ベヒモスを見上げて、戦う覚悟を決める。
ベヒモスは自身に比べるとアリのような存在である少女を睥睨して、路傍の石を踏み潰すように、足を踏み出そうとした。
強大な魔物に比べるとちっぽけな存在。気にすることも難しいと言えよう。
だが、足を踏み出そうとした時であった。異変が起きた。身体の力が抜けていく。あり得ない事象に、自らの身体を首をもたげて確認すると、信じられない光景が目に入った。
身体から漆黒の靄が抜けていっていた。抜けていくごとに自身の力は失われていく。まるで大穴の空いた風船から空気が抜けるように。
立つことも難しくなり、よろけてしまう。周囲のベヒモスも同様に力が抜けて、弱々しく身体を震わせている。
「え? なにが起こったの?」
ベヒモスたちの動きが止まり、先程の強大な力が失われていく姿に華は困惑する。いったいなにが起こったのだろうか?
『樹帝槍地』
戸惑う華に聞いたことのない少女の声が耳に入る。そうして、ベヒモスたちの足元から樹木の槍が生えて、瞬きをする間に育つと、その身体を貫く。
全てのベヒモスたちが同じように樹木の槍に貫かれて息絶える。
「その勇気は褒めてしんぜましょう」
涼やかな声音と共に、華の隣にふわりと巫女服を着込み、狐のお面をしている少女が降り立つと、にこりと可憐なる微笑みをかけてくれる。
「あの……助けてくれてありがとうございます。貴女はいったい?」
「ふふ。わたくしは道化の騎士団の樹。発生したダンジョンを破壊しに来ました。この猫さんたちと一緒に」
「みゃー」
上品な所作で頭を下げて自己紹介をしてくれる樹さんに、華も慌てて頭を下げて挨拶を返す。それを樹の足元にいつの間にかいた黒猫がニャアと鳴いて眺めていた。
「えっと……ダンジョンの破壊ですか?」
「えぇ。ぼーなすすてーじとか言うらしいですよ。今の魔物たちは本来の10%程度しか力を出せない程に弱体化しているらしいので」
おっとりと頬に手を添えて、ふふっと微笑む樹さん。どうやら冗談ではないらしい。
「では行ってきますね」
「は、はぁ。行ってらっしゃい?」
華はなぜか疑問符をつけて答える。そうして樹さんが数匹の黒猫と一緒に風のような速さでダンジョンに入っていくのを見送るのであった。
闇の柱が天から降り注ぎ、ダンジョンと魔物が現れる事象は、各地にて確認された。全て同様に都市の目の前、もしくは都市内に。
いずれもAランクのダンジョンと強大な魔物たちである。
だが、同様に待ち構えていたかのように、道化の騎士団たちと、天津ヶ原コーポレーションの使い魔たちがあっさりと倒していくのであった。
「ちょっと、なんですのこの魔物たちは! 見た目詐欺ですわ!」
内街の中心部に現れたダンジョンと魔物たち。それを倒さんとコノハは決死の覚悟で向かったのであるが、予想もしていなかった結果に戸惑っていた。
竜人たちがダンジョン発生と同時に溢れ出すように出現したのだ。以前のCランクのドラグーンの上位版。Aランクの魔物グレータードラグーンである。背丈は3メートル程で黄金の鱗を持ち、黄金のハルバードをその手に装備している美しくも恐ろしい魔物であった。
1体でも、周囲は阿鼻叫喚の地獄絵図となり、内街は滅亡する可能性も高い魔物たちに、コノハは対抗するべくメイドと一緒に戦いを挑んだのだが、コノハでも苦戦することなく倒せて拍子抜けしていた。
何しろ強き魔物のはずなのに、身体から闇が靄のように漏れていて、ハルバードを杖にして倒れないようにしているだけなので。反撃をしてくるものもいたが、コノハのステータスなら簡単にいなすことが可能な程にヘロヘロとした攻撃であった。
「まぁまぁ、団長。良いじゃねぇか」
「そーそー。てきとーに倒そーよ。格好良くて見栄えの良い技で」
そして、なぜか道化の騎士団を名乗る少女たちと共に、コノハは『道化』に変身して戦っていた。やけに馴れ馴れしい少女たちで、レイを彷彿させるが、その力もやはりレイと同様に凄まじい力を発揮している。
今にも死にそうな魔物たちだが、それでも硬そうであり、軍の兵士たちのAP弾は弾いている。バズーカでなんとか倒せる程度。防御力は健在らしい。コノハたちでようやくその防御力を突破できるといったところか。
だが、少女たちは全て一撃で倒していた。ハルバードを出鱈目に振ってくるグレータードラグーンを兵士たちが遠巻きに効果のない自動小銃を撃ちまくっているが、その中に突撃すると片腕を振り抜くだけで、紙のようにその身体を引き裂いていっていた。
兵士たちはといえば、なんだか様子のおかしい魔物たちであるが、それでも自分たちでは倒すのも難しいので、少女たちの活躍に称賛の声をあげている。
「道化の騎士団だ!」
「助かった、道化の騎士団!」
「ありがとうございます、平様!」
戦闘が終われば拍手喝采でもありそうな感じである。少女たちは皆、可愛らしかったり、美しかったりしているのも、称賛に拍車をかけていた。
「なんだかこんなことで良いのかしら?」
「大丈夫ですよ、お嬢様。どうやらこれで道化の騎士団の名前は不動のものとなるでしょう」
メイドが盾でグレータードラグーンのハルバードを防ぎ、短剣でその首を切り裂きながら言う。たしかにそうかもしれないですわと、コノハはどこか納得できない表情で、同じようにグレータードラグーンを退治していくのであった。
天津ヶ原特区内でもやはり同じようにダンジョンは発生していた。こちらは黄金の肌の大ねずみだ。最低ランクの大ねずみではない。光を操る神聖鼠であり、その能力は本来はAランクにして、簡単に人間たちを光熱で焼き尽くす力を持っていた。しかし今はよろよろとよろけて死にそうな感じだ。
「にゃー。この鼠たち見かけだけにゃん。なにか死にかけにゃんこ?」
「いや、恐るべき敵だ。剣聖であるこの私の攻撃を耐えるぞ。だが、この織田陽子。皆を護るため、この命を懸けて貴様らを殲滅する! この織田陽子が!」
「いやぁ、耐久力だけはあるよっ! ほら、がんばろー」
花梨と陽子が突如として現れた仮面の少女と共に魔物を撃退していた。陽子は敵が弱っていると悟ると、見栄えの良い技を使い、自身の名前を連呼していたりもした。倒された鼠はそばにいた人が運んでいく。なぜ運んでいくのかは不明だ。燻製の用意をしなきゃとか、子供が呟いていたが不明だ。
日本各地で同様のことが起きていた。現れる高レベルダンジョン。その周囲に現れる魔物たち。
初めてダンジョンが発生した過去と同じような光景であった。このまま都市が破壊されて、人々は逃げ惑う。過去と同様のことが起きるかと思われたが、その様相はまったく違った。
道化の騎士団を名乗る仮面を被った少女たちと、黒猫や鴉、蛇が圧倒的な力でなぜか死にかけていた魔物たちを駆逐していき、ダンジョンへと侵入して、短時間で攻略していった。
ダンジョンのいくつかはSランクであり、危険な敵のはずであったが、全て出現したと思ったら、死にかけているほどに弱りきっており、あっさりと倒されていった。
禍々しい闇の空。恐怖を感じさせ、世界の終わりを嫌でも痛感させるはずの光景。闇の力を得て現れたダンジョンたちは、なぜかその力は失われており、弱々しく、あっさりと駆逐された。
後には道化の騎士団と、天津ヶ原コーポレーションの使い魔を称賛する、危機を回避してくれた救世主たちに対しての人々の声が鳴り響くのみであった。
そして、後にこの異変で手に入れた高レベルのモンスターコアによる未曾有の好景気が始まったりもしたのだった。




