293話 妖精女王
エレベーターシャフトを潜り抜けると、グラウンドであった。雪国では残念ながらなかった。それどころか、エレベーターホールでもなかった。
目の前には獅子がいた。金色の獅子だ。堂々たる王者の風格で四肢を大地につけて、美しい黄金のような毛皮とたてがみを持ち、爪は名刀よりも切れ味が良さそうに冷たく恐ろしく輝いていた。
どうやら転移させられたらしい。数センチ程度の刈り揃えられた青々しい芝生が目の前にはある。芝生はどこまでも広がっており、一見すると果てがないようだ。どうやら俺は普通の他の場所に転移をさせられたわけではないのだろう。
罠であれば、俺の罠感知と幸や命の能力で気づけたはずなのに、まったく気づけなかった。それが意味するところは、単純な転移系罠ではない。なにかもっと別のものなのだ。
その正体を探るべく防人は肩の力を抜くと、目の前の獅子にヘラリと笑ってみせると、口を開こうとした。
仲間がやってくるまでの時間稼ぎでもある。予想通りなら、この目の前の獅子は妖精の女王であるはず。見極めようと敵の様子に警戒しつつ、情報を得ようとしたのだが
「グアッ」
口を開こうとした瞬間、強く地に叩きつけられた。何が起こったのかわからないままに、身体全体に強く衝撃が奔り、苦痛が襲ってくる。左肩が焼きごてでも当てられたように痛く、そして熱い。
『闇帝障壁』
現状が把握できてはいなかったが、俺は全身を覆う防御魔法を使う。いかなる透視系統のスキルも、実際の敵の視線を阻む闇のドームだ。
次の瞬間、漆黒のドームに衝撃が入る。だが、なんとか攻撃を防げたようで、障壁は歪むだけだった。
『暗黒反応装甲』
『闇の衣』
敵の攻撃エネルギーを一部吸収して、爆発と弾き返す闇の障壁をもう一枚作り出し、さらに光以外の全ての攻撃に耐性を持つ闇のマントを創造する。獅子はきっと俺の姿を確認できないであろう。闇のマントは俺の気配も朧気にするからだ。
幾重もの防御系統を使うと、肩の痛みに顔を顰めさせて、ちらりと横目で見る。
「あまりに痛いと熱さしか感じないか」
左肩は新装備ごとごっそりと肉を大きく抉られていた。骨の一部も持っていかれたので、砕けた骨も血と肉の惨状の中で覗いている。
『雫、敵の攻撃の正体はなんだ? まったくわからなかった。気がついたら攻撃を受けて地に吹き飛ばされていたぜ?』
たとえ加速系統の闘技を使っても、俺も対抗闘技を使用済みだ。それに高速で動く敵を見失うことも今のステータスではないはずだった。敵の攻撃の種類がわからなければまずい。再び障壁が揺らぎ、敵の攻撃により消滅するのを感じとり、再度同じ闇帝障壁を作り出しながら尋ねる。
だが、いつもならばすぐに返ってくるはずの思念は何も返ってこなかった。他の妖精たちと違い、俺と雫は魂同士が繫がっている存在だ。いかに全機召喚で雫が離れているとはいえ、あり得ないことであった。
驚きで目を見開き、動揺してしまう。この6年間俺が雫の存在を感じ取れないことなどなかったために、孤独感が俺の心に襲いかかってきていた。
緊張を誤魔化すように唇を舌で舐めて、腰に下げたポーチから上級ポーションを取り出すと、一息でグイッと飲み干す。これでポーションは明日まで使えなくなった。
身体が仄かに光ると抉られた肩の骨が作り出されて、肉が覆うと肌が元に戻り回復した。初撃でポーションを使っちまったと舌打ちしたいが、必要だった。苦痛もあるが、左腕は使えそうになかったからだ。
流れた血でビシャビシャになっている裾が気持ち悪いと思いながら、深呼吸をする。ファーストアタックを敵にやられるとは予想外だった。
再び障壁が揺らぎ消滅するので、千日手のようにもう一枚障壁を作る。マナが尽きるまで時間稼ぎができそうだ。敵も警戒しているのか、闘技を使って力押しはしてこないし。まぁ、それでもあと数回防がれればやり方を変えるだろう。
だが、その僅かな時間が俺には必要だった。肺に酸素が入り、脳が落ち着きを取り戻す。ゆっくりと気が落ち着き冷静さが戻ってきた。
「人類は滅亡する。既に敗北を決定づけられているのだ。足掻くのは止めておくがよい」
ようやく声が聞こえてきた。低音であるが女性の声音であり、重々しく威厳を持っている。
「歓迎ありがとう。まさか妖精が創り出したどこかに存在するという妖精の国に招待してもらえるとは思いもよらなかったので嬉しい限りだ。残念だがカメラを忘れてね。取りに戻ってもいいか?」
「軽口を叩ける余裕を持っているようだな。この地は招かれた者以外には入れない『妖精の国ティルナノーグ』。お前が連れてきた妖精機や神機でも、ここには入ることは敵わない」
「それじゃ、この国を維持するマナが尽きるまで、観光していて良いか? 観光スポットを教えてくれよ。昼飯ぐらいなら奢るぜ。夜は奮発するから良いレストランで俺持ちで。どうだ?」
「人間であるのに、その内包した力はたいしたものだ。その力が余裕を生み出しているのか? だが残念だがこの国は1週間は軽く維持できる。絶望させて悪いが」
妖精の女王はまったく話に乗ってこなかった。惑わされることもなく、再び攻撃をしたので障壁が揺れる。
「少しは会話のキャッチボールをしようぜ。俺の名前は天野防人だ。小さい会社の社長をやっている」
ふざけるように言いながらも、俺は考えていた。ティターニアの前情報は聞いていたので、その前情報と現在のティターニアとの会話で疑問の答え合わせをするつもりだ。
雫は言っていた。「ティターニアは全ての妖精の力を70%ほどに低下させて使用できる『妖精女王』のスキル持ちなんです」と。デメリットは言うまでもない。劣化したスキル持ちとなるだろう。劣化となれば運命系統スキルは当たるかどうか、自分自身に跳ね返ってくる可能性もあるので使えない。そして他も使えても、オリジナルより弱いと。
だが、その中で一つ。ティターニアが得意として、厄介極まるスキルがあるらしい。『妖精の国ティルナノーグ』。亜空間に土地を創り出すことができるというものだ。そこは外界から完全に遮断された世界となるらしい。家屋の中の空間を歪める幸の能力とほとんど同じだ。違うのは完全に新しい空間を作り出すことができるというところである。
もちろん維持する間もマナが消耗される。しかも戦闘にもマナが必要となるので、マナが尽きるまで時間はだいたい1時間程度といったところか。相手には知らないふりをしたけどな。
疑問の一つは解消された。たんに新たなる空間をエレベーターの扉に仕掛けておいたのだ。罠とは認識されなかったのだろう。単なる家のドアだと認識された模様。タイミングが良すぎるのは、もしかして幸の劣化能力を使ったか?
とすると、こいつはこれしか勝ち目がないと思ったに違いない。使えないスキルを使うとはな。なかなかのギャンブラーだぜ、まったく。
思念が送れず、罠としても感知できなかった理由はわかった。あとの疑問は戦いながら解消するとしよう。
ティターニアの次の攻撃はマナを溜めているために、強力であることを理解して、俺も迎撃手段を用意する。
『獅子閃光爪』
『4元核魔法槍』
あっさりと闇の障壁に穴を空けて、獅子が神々しく輝く爪を突き出して突進してくる。俺は人差し指をタクトのように振るい、騎馬隊を倒すかのように、4本の魔法で創った槍を前に突き出す。
俺の槍は宙を奔り、砲弾となって高速で敵へと向かう。獅子は迫る槍に貫かれるかと思ったが、タンと地を蹴ると、横へと滑るように移動して自身の毛皮を削られながらもぎりぎりに回避した。
獅子はそのまま最短距離で俺との間合いを詰めてきて、輝く爪を振るってくる。
『核暗黒糸』
両手を翳し、手の指から俺は核化した暗黒の糸を無数に生み出す。光さえも吸い込むような漆黒の糸はティターニアの前に網のように広がる。
触れればそれだけで斬ることができる名刀よりも切れ味が良い糸だ。これで獅子は一旦後ろに下がるだろう。そう思っていたが甘かった。
暗黒糸が網の形に展開する前に、獅子はグンとさらなる加速をして突進してきたのだ。恐るべき速さで迫る獅子は糸により毛を斬られ、肌が傷ついても止まることがない。
「ちっ、浅いか」
糸による攻撃は失敗した。獅子の爪は正確無比な一撃で喉笛を切り裂く。激痛が奔り、マナ変換の発動によりマナがグングン失われていくのを感じながら、俺はさらなる魔法を発動させる。
『闇帝地雷』
獅子の着地地点に魔法の地雷を設置する。触れたものを地獄に誘う魔法の地雷が合わせて6個、回避不能な場所に生み出された。
普通ならどう回避しようか、一瞬でも考えるはず。しかして獅子は戸惑うことなく、一つの地雷に突撃すると爆発させる。
漆黒が空間を染め上げる。その闇に侵食されて身体をチーズでも切ったかのように綺麗に削られる獅子であるがその反動で宙に浮くと、空気層を壁のように蹴って間合いをとった。
やるなと、苦笑を浮かべた瞬間、俺はまた地面に吹き飛ばされていた。ドンと衝撃が奔り、身体全体に痛みを感じるが、もっとも強い苦痛は左手からであった。
獅子に倒されたのだ。すぐに立ち上がり左手を見ると肘から先が存在していない。血が壊れた蛇口から漏れるように噴き出して、地面へと血溜まりをつくる。
『炎よ。焼け』
欠損した左手に右手を翳すと、炎で焼いておく。ジュッと音がして、黒焦げになり出血は止まり、俺はニヤリと面白そうに笑う。
「なるほどねぇ、また疑問が解消されたぜ」
「……貴様……痛覚がないのか?」
初めてティターニアは会話のキャッチボールをするようになったらしく、俺を見て驚きの声音で返してきた。
「ないわけ無いだろ。俺の額の脂汗を見ろよ。痩せ我慢ってわけだ」
片手をあげて、大げさに戯けるように答えながらまわりを確認する。人工的なサバンナのような、延々と芝生が続く平原を確認する。一見すると、隠れるところもなく、俺と獅子しかいないように見える空間だ。
「だが、疑問の答えは出たしな。目に見えない攻撃と見える攻撃の正体。俺が息を吐き瞼を閉じるその瞬間を狙って攻撃するとは、なるほど、なかなか考えている」
激痛が左手から頭に流れ込み、苦痛が意識を手放せと命じるが我慢する。左手を失った代わりに、敵の攻撃の正体はわかった。そして、わかったと告げたことにより、獅子はもう同じ攻撃は止めるはず。俺がわざと隙を作る可能性もあるからな。
「それはともかくありがとうよ」
「ぬ? なぜ礼を口にする?」
俺と獅子は相手の隙をつかんと、お互いにぐるぐると時計回りに歩きながら話す。
「油断と慢心。知らないうちにまずいことに心に持っていたらしい。常にそばにいるパートナーや、頼もしい仲間が増えたことにより、この戦闘も楽だと無意識に思っていたんだ。そんな訳はない。相手は妖精の女王で、一人で戦う強者だ。ホームグラウンドでの有利さもあるのに」
すぅと息を吸い、マナの残量を確認する。残りは6200。まだまだ余裕はある。
「身体的に強くはなったが、心は弱くなっていた。魔法使いとして後衛で戦えば良いなんて甘いことを思っていたんだ」
「なにが言いたい?」
「昔を思い出して戦おうってやつだ。俺一人で戦っていた頃をな」
右手をひらひらと、俺は眼差しを鋭く変えると獅子へと告げる。
『再生』
獅子は治癒魔法を使い、淡く白い光に包まれて、受けていたダメージのほとんどが治っていった。傷ついた表皮も毛皮ごと元に戻り、抉られた肉も元に戻った。
「残念だが勝ち目はない。いくら攻撃を重ねても、私は回復するし、貴様が致命的攻撃しか防げないことはその左手で証明されたからな」
「『妖精女王』。あらゆる妖精のスキルを使えるからか? たしかに『配下のスキル共有』はチートレベルだ」
俺はにやりと凄みを見せるように嗤う。
「だが、俺はお手を仕込んでみせるからよろしくな」
そう答えると、お互いのマナは膨れ上がり戦闘が再開するのであった。




