288話 買収
神代セリカ。若き天才。様々な発明をして資産を膨れ上がらせて、大金持ちとなった少女。その流れるような白銀の長髪とルビーのように紅い瞳は、人からかけ離れたような美貌をしており、小柄でありながらスタイルも良く、少女の幼さを併せ持ち可愛らしい。白磁の如き白き肌は輝くようで、誰もが羨むアルビノの美少女である。
セリカはそんな自分の容姿をよく理解していたし、類稀なる頭脳を使い、自らの力として存分に活用していた。
「で、この買収金額でよろしいかな?」
シンプルであるがゆえに上等な布地を使っている美しいドレスを着込み、小さなエメラルドを備えたネックレスを煌めかせて、セリカは足を組み、テーブル越しに座る男性たちへとニコリと可憐な微笑みを見せる。
スーツ姿の男性たちは汗を額にかいて、デスクに置いてある契約書を何度も見返していた。その様子を前にして余裕を示すようにセリカはゆったりした空気を醸し出していた。
今いる場所はセリカの屋敷の応接間だ。没落した家門から接収した、広大な土地と何個部屋があるかわからないまるでビクトリア宮殿のような屋敷、セリカが手に入れた成果の一つである屋敷の応接間にいた。
豪奢な応接間である。毛足の長いフカフカの絨毯が敷かれて、金糸の入った刺繍が光るように映えるソファに、アンティークの白と銀のコントラストが踊るテーブル、飾られている絵画は幾らであるかはわからない程の高価なもので、家具に始まり調度品の数々が上品に整えられている。
優雅なる美しき女主人が女王のように鎮座していた。相手はその空気に押し負けて、落ち着かない様子で額にかく汗を拭いていた。
しかしながら、相手も生き馬の目を抜く程の苛烈なる勢力争いの中で生きてきた男たちであった。深呼吸をすると気を取り直し、眼光鋭くセリカへと睨むように視線を向けると口を開く。
「この買収金額は低すぎる! 製粉企業は200億の価値はある。それをたったの20億などと……。足元を見すぎではないかな、セリカ嬢?」
契約書を片手でパンと叩くと男は話にならないとばかりに鼻を鳴らす。隣の男たちも、そうだと同意して、首を縦に振る。
男たちがセリカに売ろうとしているのは、日本各地に支店を持つ製粉会社だ。そこそこの価値があり、借入金もあまりなく、毎年黒字を計上している優良企業である。それなのに、あまりにも安い提示金額に、男はふざけるなとばかりに、憤慨しているような素振りを見せていた。
自分よりも何倍も歳上の男たちに対して、アルビノの美少女は恐れることもなく、余裕の態度でクスリと笑ってみせる。
「そこまで安く買い叩くつもりはないんだけどね。僕は極めて妥当な金額を提示しているつもりさ。なんなら後数日待つかい? 相場がどれぐらいか理解できるだろうよ」
「ぬぐっ………」
テーブルに置いてある白磁のカップを白魚のような細く美しい指で持つと口へと運びコクリと飲む。コーヒーを飲むだけでも絵になる年若き美少女に男たちは思わず顔を赤らめてしまう。
悔しさか、羞恥か、相手に追い詰められているにもかかわらず、自分たちが見惚れたことを誤魔化すように咳払いをする。
「明後日は天津ヶ原コーポレーションの小麦が内街に納入される日だったかな? その数量に注目している人たちがいるかもね。どれぐらいの量を扱えるか、既存の製粉会社を駆逐できるほどなのか? 質は? もしかしたら珍しい物もあるかも? とかさ」
薄ら笑いをしてセリカが手を小さくあげると、壁際に待機していた侍女が部屋から出ていき、ワゴンを押しながらすぐに戻ってくる。
カチャカチャと音を立てる皿に男たちはゴクリと喉を鳴らす。その上に乗っているものを信じたくない思いで見ていた。
「まぁまぁ、あまり話し込んでも疲れるだけさ。ここは一休みといこうじゃないか。お茶にしようよ。パンでも食べないかい?」
侍女が丁寧な所作で、セリカたちの前へと新しいコーヒーと、コッペパンを置く。ジャムを添えるのも忘れない。
男たちは資産家であり、贅沢三昧をしてきた。美食を楽しみ、珍味を味わってきた。その男たちへと、コッペパンを勧めるとは馬鹿にしていると思われても仕方ない。
激昂するふりをして、男たちは席を立ってもおかしくない程だ。内街の人間に対するもてなしとしては最悪であると言えよう。
だが、セリカは余裕の笑みを崩さずに、男たちも怒ることもなく、ゴクリと喉を鳴らし目の前のコッペパンを眺めていた。
最近噂になっているコッペパンではないかと、内心で恐れているのだ。ちらりとアルビノの美少女を盗み見ると、目があってニコリと微笑まれた。その態度から噂は真実だったのかと思いながら、恐る恐るコッペパンを手にする。
多少柔らかいだろうか? だがなんの変哲もないコッペパンに見える。なんの変哲もないコッペパンであってくれと、馬鹿にされているだけだと、内心ではそんなことはないと悟りつつ、かぶりついた。
口の中に入れた途端に、パンは消えた。いや、消えたかのように溶けるように喉を通っていった。まるでムースのようであった。手に持った時には、多少柔らかいだけのコッペパンにすぎなかったのに、不思議なことに口の中に入れた途端に消えていった。
溶けるような感触と、微かな甘さに陶然としてしまう。このコッペパンはコッペパンではないと悟る。ジャムを付けなくとも、デザートとして充分な味をしていた。
「美味しいかな? それは天津ヶ原コーポレーションの新商品、『淡雪』という品種の小麦らしいよ。不思議なことに口に入れると淡雪のように溶けて消える魔法の小麦だね」
化学という理を無視した小麦だ。普段は普通の小麦で、口の中に入れると溶けるような反応をする小麦などあるわけはない。そんな反応をするのは魔法以外にあり得なかった。
「他にも肉料理に合うずっしりとした小麦もあったかな? 単純に品質が最高の物もあったように思えるよ。一口食べただけで、頬がとろける程の美味しさの小麦」
最高級の小麦。それも魔法の小麦であると男たちは知っていた。噂を聞いて伝手を利用して食べたことがある。手に入れた時には、多少美味い程度だと考えていた。食通がようやくその味の違いに気づく。その程度の物だと考えていた。
その考えは甘かった。その味は天上の物とも言える味であった。この小麦で作ったパンを一度食べれば、二度と他のパンは食べられない。そんな感覚を齎す味であった。魔法の世界となったこの時代の最高級とはどんなものかを痛感したものだ。
「しかしながら……これだけの物はそれなりに高いのでは?」
「通常価格の5倍程度かな。たしかに高価だよね。あまり売れないんじゃないかなぁと、僕も心配しているよ。ようやく数を揃えることができるようになったのにさ」
飄々とした態度で首を振って肩をすくめるセリカの言葉に絶望を覚える。たったの5倍。この小麦には様々な使い道がある。料理人は新たなる可能性を開くこの小麦に騒然となるだろう。一般人も驚くに違いない。5倍程度では飛ぶように売れるのは目に見えていた。
天津ヶ原コーポレーションでは、コアストアの解析が進み、今や恐ろしい速さで様々な品物がラインナップに増えている。
既存の物とあまりかぶらないように、コアストアで手に入る小麦などは魔法の効果を持ち、値段も高くしている。もちろんF1種であり、なおかつ天津ヶ原コーポレーションの持つコアストアからしか手に入らないようになっていた。
だが、品物がかぶらないからといって、まったく違うものではないのだ。『淡雪』を買った店や人々はこれだけの物を売る会社なら普通の小麦粉も美味しいのだろうと期待して、その会社の小麦粉を買うようになるだろう。既存の製粉会社は倒産の危機になる。
数を揃えることができるようになった。即ち明後日には倉庫に小麦粉が納入される。意図的であろう噂話は広がっており、調べなくとも自分たちの耳に入ってきた。そして、それに合わせるように、神代セリカから買収の提案があったのだ。
こんな方法で成り上がるとは、鬼畜な奴めと内心でアルビノの少女を罵りながらも、この提案に乗るしかないとも理解していた。それなりに大きな製粉会社なのだ。これから先、赤字経営となり負債となるのは避けねばならなかった。
「30億でどうでしょうか? それと役員の地位の保障をしてほしい」
「話は決まったね! 良いよ、それでいこうじゃないか。お互いに良い取引をできたようで嬉しいよ」
パンと手を打ち、桜が満開に咲くような微笑みを浮かべる神代セリカは、だからこそ悪魔のように見えて、男たちは項垂れて契約書にサインをするのであった。
男たちが悲壮な表情で去っていったのを、セリカは冷え冷えとした表情で見送った。コーヒーを口にすると生温く冷めていたために、侍女が淹れ直してくれる。
「良いのですか、ご主人様? 彼らからかなりの恨みを買いましたよ?」
「格安で買い取ってあげたよ。彼らも満足だったと思うよ。それよりも、製粉会社を手に入れたから、これで小麦粉類も安心して売り捌ける。防人は喜んでくれるかなぁ」
エヘヘと頬に手をあてて、照れるように身体をくねらせるセリカを侍女は優しげな目つきで見る。彼女は内街から追い出される寸前にセリカに雇われて助かった女性であった。数年前にダンジョン発生による魔物の出現により夫が殺されて、貯金を崩しながら産まれたばかりの赤ん坊と暮らしていた。
自分が外街では生きてはいけないだろうと、予測して絶望していたところをセリカに雇われたのである。とても感謝をしているし、年若きアルビノの少女を娘のようにも思っていた。
セリカは天野防人と出会う前は、表面上はにこやかで優しげに見えるが、その内心は冷たく合理的であり、寂しい少女であったことを侍女は知っていた。
なので、最近は表情豊かで楽しそうなセリカに嬉しく思う。幸せになってほしい。天野防人は年上すぎるので、正直に言うと同年代の男を見つけてほしいとも思うが、本人が幸せそうなので口に出すことではないだろう。男と女の関係は難しいものだし、恋愛とは止めろと言われて止めるようなものではない。
「余裕を見せて、君たちの製粉会社なんか簡単に潰せるんだよとは遠回しに言ったけど、売りさばくルートが無かったから無理だったんだ。製粉会社が一致団結して追い出そうとすれば、そう簡単には潰されなかったろうに。これでルートは手に入れたから、もはや他の会社の妨害を受けても大丈夫」
発明家として天才と呼ばれる少女は、経営者としても天才であった。この2年で数百倍に資産を増やしている。勢力争いを続けている家門の間を上手く立ち回り、内街のナンバー4となるだろう。
もはや一生贅沢三昧しても使い切れない資産を持っている。
「次の予定はなんだっけ?」
喜びの笑みを浮かべて、契約書を金庫に仕舞うと、セリカは首を傾げて侍女に尋ねる。
「午後は平コノハ様と武田信玄様との会合が予定されております」
「あぁ、保存食の話だっけ。あれにも一枚噛まないとね」
クフフと笑うセリカに侍女は少しだけ不思議に思うことを口にする。
「ご主人様は、その……天野防人を気に入っているのですか? その場合、ご主人様が加わらない方が天津ヶ原コーポレーションは利益を出せるのでは?」
さすがに愛していますかとは聞けなかったので、遠回しに質問をする。天野防人を好きなのは明らかだが、それなのに天津ヶ原コーポレーションが手に入れるはずだった会社や発明をいくつも奪っているのが不思議だったのだ。
だが、セリカはその質問に一瞬キョトンとすると、ケラケラと笑い始めた。
「もちろん僕は天野防人を愛しているさ。でも、ビジネスはビジネス。お金儲けに恋愛は絡めないよ」
「そんなものですか」
「そんなものさ。防人もその点は理解しているしね。さて、お昼にしようじゃないか。このパンはお腹にたまらないから、もう少し重めな料理でよろしくね」
やはり男女の関係は難しいと、苦笑をしつつ侍女は厨房のコックに昼ご飯を頼みに向かうのであった。




