286話 妹
「いや〜、ありがとうございます。お風呂を貸してもらえるなんて思わなかったですよ〜」
バスタオルで頭を拭きながら、少女が笑みを浮かべてリビングルームに入ってきた。バスローブを着込んでいるが、なぜか結んでいる紐が緩んでおり、今にも解けそうだ。
「紐が緩んでおるのじゃ。どれ、雪花ちゃんが結び直してあげるぞ」
目敏く紐の緩みに気づいた雪花が紐を固く結び直す。かた結びなので、解けることはなさそうだ。というか、物凄く強く結んだので、苦しそうでもある。
「もう少し緩くしてくれない? あ、防人さん、少し紐を緩くしてもらえないっすかね〜?」
ソファに座り、俺がのんびりとコーヒーを飲んで、二人の様子を眺めていると、めげずに俺へとにじり寄ってくる少女。胸チラをするように腰をかがめて、近寄ってくるので、反対側に座るように言っておく。
「それよりも自己紹介といこうか。俺たちの名前は知っているだろうから、お前の名前を教えてくれないか?」
「えっと……。天津ヶ原コーポレーションの話は聞いているので、防人さんの名前は知っていますが、そこの胸がチラ見できる変態和服を着込む人と、仮面をつけたコスプレ少女は知らないんすよ」
「そうか。それじゃ自己紹介よろしく」
フワァと欠伸をして、俺は手をひらひらと振る。
現在俺たちは自宅に戻ってきている。親切心あふれる男なので、この少女も連れてきた。他には仮面をかぶった雫と、いつもの通り改造和服を着込む雪花がいる。
仮面の少女さんは早くもブチギレそうである。既にプチギレはしているのは、醸し出す空気からわかります。
「天才たる雪花ちゃんじゃ。よろしくの」
雪花は特に気にせずに普通に自己紹介をする。何を気にしないかは気づかないことにしておくぜ。
「ふっ。私は道化の騎士団副団長、奇跡を起こす少女レイ!」
ソファから立ち上がり、妖精以外は人払いをした意味を壊す雫さん。
「な、なに! まさかあのレイか! なぜこんなことをするんだ!」
「フハハ、知れたこと。我はダンジョンの支配から脱却するために戦うのだ!」
「こんなことをしても何もならないぞ!」
少女はノリノリで雫さんに付き合って、二人で茶番を始めた。不機嫌そうな雫は機嫌が良くなり、うははと演技を続ける。息のあった二人すぎる。
どうしようこれ? 止めなきゃいけないのか?
助けを求めて雪花を見ると死んだ目になり、二人を見ていた。俺も死んだ目で二人の茶番を見つめないといけないのか……。
雫は少女とノリノリで会話を続け、かけていないマントを翻すフリをして、パサァとか擬音を口にしています。
「さぁ、少女よ。我に名乗るが良い」
「わたしの名前はティア・ドロップ。謎の」
『超加速脚』
少女もノリノリでポーズをとって名乗ろうとして、瞬時に特技を使い、ソファの後ろへと加速して飛びのく。瞬間、少女が立っていた場所を白閃が通り過ぎて、真ムラマサを振り抜き、残心を保つ雫の姿が残っていた。
「む。この人、常在戦場の心を持っています。しかもかなりのステータスです」
「ずるい。ずるいよ、お姉ちゃん! 遊んでいる最中に攻撃をするなんて!」
「ノーカンノーカン。ノーカンと叫んでおけば良いですか? 敵地で遊ぶつもりのようなので、殺せるか試したんです」
ケロリと罪悪感の欠片もない表情で雫は答えると、刀を鞘へと仕舞い、壁へと放り投げ、ソファにストンと座った。
「それは私の力を知ってくれたようで嬉しいっすね。悪いけど、お姉ちゃんたちとは隔絶したステータスの差があるから傷一つ与え――」
『家帝ぱんち!』
「ぐふっ」
壁に窓程度のドアがパカリと開いて、小さな手が突き出されて、少女の横腹に突き刺さった。そのまま幼女が、んせとよじよじ這い出てきて、俺の膝に登ると、むふーっと得意げに頬を膨らませて息を吐く。
「ここから逃げることは可能だから。このビルを破壊して逃げ切るのは可能だからね!」
横腹を押さえて、少女はよろよろと痛そうに顔を歪めてソファに座る。
なんだかなぁ……。一見するとコメディみたいなやり取りだけど……。
「幸、今どれぐらいの力を込めた?」
「全力りゅ! びーくらすの魔物なら、致命的なダメージになりゅ!」
全然コメディじゃなかった。雫さんが舌打ちをしておとなしく座り、幸へとナイスですと親指を立ててみせるので、連携をしていた模様。真面目に殺そうとしていたんだろう。そして、その攻撃は失敗した。
脇腹を押さえて少女、ティアは苦しげにしているが
「演技かよ。硬いのは理解したぜ」
雫が追撃を仕掛けない点から、演技だと理解できる。非力とはいえ、幸の全力ぱんちを不意打ちで食らっているのに、雫が追撃をしても無駄だと考える程度にダメージを受けていないとはな。こいつ強いぞ。
「まったく、信じられないよ。普通、可愛らしい少女が敵とはいえ現れたら、Aパートは仲良くなるシーンでしょ。Bパートで記憶を取り戻すために、デストロイするから戦うんじゃないっすか?」
ブチブチと怒り気味にティアが文句を口にすると、雫が真剣な表情で身を乗り出してティアへと顔を近づける。
「それ、ごっちゃになってますよ。記憶を取り戻すために戦うのは、リメイク前のアニメのヒロインです」
「ええっ! そうだっけ? 私はお姉ちゃんのコピーのはずなんだけど、記憶関連に誤差があるのかなぁ」
雫が丁寧にティアへとなにかよくわからん注意をして、ティアはそうなんだと頷いて、あれはなんだっけ、リメイク版は……とか熱心に話し込み始めた。
さて、俺はコーヒーを淹れ直すかね。少なくとも、コピーとか不穏な言葉の内容を確認しないとな。なんだか、とても疲れた気がするのは気のせいかね。
満足げにする雫さんとティア。仮面は取り外して、雫さんは寛ぎモードでコーヒーを飲んでいる。仲が良くなった模様で良かった良かった。良かったかどうかはわからんけど。
「で、お前は何者だ? 雫のコピー?」
「そうだよ。私は天野雫のコピー。う〜ん。創造主によって、天野防人を殺すように命じられた人間モドキかな。天野防人には肉塊ちゃんといえばわかるかな?」
「肉塊? ……あぁ、ダンジョンを創造できるスライムモドキか」
肉塊なんて、思い出すのはあいつだけだ。やはり俺を目の敵にしていやがるのか。
「包帯はいりますか?」
「でも、私は3人目じゃないし、そのネタは微妙じゃない?」
仲の良い姉妹は再び謎の会話をし始める。アホそうだなぁ……。俺をあまり目の敵にしていないのかもなぁ。
とはいえ、それは見た目だけだろ。
「真ムラマサを持っていけば、怪しまれると理解してただろ?」
「もちろん。その可能性は予想していたし、でもとっても必要なことをしなくちゃいけなかったから」
ソファにゴロンと寝っ転がり、下半身が見えるほどに足を上げてくるティア。
「必要なことってのはなんだ?」
こんな態度をとっても、雫が攻撃をしないということは逃げに入られたら、かなりの力を持っており倒せないことを示している。こいつは極めて厄介だ。
「それはっすね〜」
ヨガでもするようにますます足を持ち上げるティアを真面目に見つめると、あれぇと小首を傾げてきた。
「見ちゃ駄目ですとか、お姉ちゃんたちは天野防人の目を突いたり、目隠しをしたりしないんすか?」
「貴女を殺せる機会を狙っているんです。そんな愚かなことはしません」
「あぁ〜。そうなんだ。肝心な所では全然ブレないね。来て良かったよ」
寝っ転がるのを止めて、ティアは起き上がり座り直して俺を見つめて楽しげに獰猛そうな獣のように笑う。
「実は肉塊ちゃん、シゼンちゃんと言うんだけど、彼女からは貴方を殺すように命じられているんだ。だから私が負けた時に、殺さないでねとお願いしに来たの」
「殺しに来る奴を殺さない理由はないと思うぜ?」
空気が殺気立ち、ピリピリとし始める。その中で動じずに平然とした顔でティアは告げてくる。
「もちろん手加減は期待していないよ。でも、私があからさまに戦闘不能となったら助けてほしいんす。私も命が惜しいんすよ」
「良いでしょう。その時に微かでも息があったら、見逃しましょう」
雫が口を挟み了承する。俺は雫をチラ見して無言で了承をしておく。雫がそう言うならメリットがあることなんだろう。温情で動くパートナーではないことを知っているからな。
ティアは嬉しそうにパンと手を打つ。
「やった。ありがとうお姉ちゃん、天野防人。勝った暁には私の身体を自由にしていいすよ。勝利者の報酬ということで」
「負けることを考えるとは、随分ネガティブだな。理由があるのか?」
「シゼンちゃんは天野防人が私を倒して力を得て、自分の所に来るのを待っている。好敵手との最後の決戦をワクワクと待ちながら寝ていると思うよ」
それはまぁ……随分と俺は信頼されているな。彼女は踏み台になる可能性が極めて高いと認識しているのか。
「まぁ、私も負けるつもりはないんだけどね。仕込みは終わったし」
「仕込み?」
「うん。富士山に最高ランクのダンジョンが発生するように仕掛けておいたんだよ。年末には発生するようにしたんだ。それに日本の各都市の前にもドーンとSランクのダンジョンが発生するようにしたんです。同時に発生するようにしたから、皆バラバラに行動しないと無理すよ。他にもA、Bランクダンジョンも発生するように仕掛けておいたし」
「それは豪勢極まるパーティーだな。涙が出てくるぜ」
「でしょう? もちろん最高ランクのボス部屋には私がいるすよ。私を見事倒したら、きっと天野防人は最高ランク9に到達。そして最後の決戦、シゼンちゃんが待つお姉ちゃんたちのいた元の世界に旅立つっす」
再び寝っ転がりながら、ティアはウシシと悪戯そうに笑う。その笑みはなるほど雫とそっくりだ。
「雫たちのいた元の世界にいる?」
「そうっす。もう人類は滅びていたんですけど、その世界の力はシゼンちゃんが吸収したので、最後の決戦になるっすよ」
「お前を倒してハッピーエンドで良いな。行く必要はないぜ。人類滅亡したのはとても残念だ。とても残念だが俺には関係ない。たまに手紙を出すからよろしく言っておいてくれ」
俺が向かうメリットゼロである。人類滅亡したのなら、ますます行く理由は……。
「倒せば、その世界の管理者権限取得。そして膨大な力も手に入るす。それが必要な人がどこかにいるんじゃないっすかね?」
ウシシと笑い続けるティアへ向けている顔を雫に向けると、凍りついたような表情をしていた。見たことがない顔だ。緊張がその顔には走っている。
「ウシシ。なぜ人々が戦国武将の名前を名乗りだしたか知っているっすか? 前世があり転生しているとの概念が産まれているっすよ。死んだ人間を復活させる奇跡の概念が。どこの誰が広めたんすかねぇ。そして、それを必要としている人がいると思いまーす」
……そういうことか。そういえば、ダンジョンが発生してからだったな、権力者がなぜか戦国武将の名前を名乗り始めたのは。
不思議な流行だと疑問に思ったことがある。なぜ金を持つと誰も彼もが戦国武将の名前に改名するのか、疑問だったんだ。
噂は聞いたことがあった。本当に昔の有名な人間が転生したとのくだらない噂だ。真実ではないが、信憑性が少しだけあるのではと人類は考えたか。なるほどな、それで『輪廻転生』の概念が生まれたのか。
そうか、『森羅万象』のあの男はいくつもの保険をかけていたわけか。人類が復興できる術をいくつも用意していたのか。なぜ雫たちより過去に来れたのかはわからない。だが、ダンジョン発生前にきたのは、いくつもの作戦を持っていたからだったのか。
作戦とも言えない作戦。誰かが利用できるかもわからない作戦。
『輪廻転生』の概念を作り出すために、なにかをしたのだろう。全ての人類を復活させることが可能かも知れない奇跡の概念だ。
そして、雫はその概念を使い、元の世界の人類を復活させたいんだな。なるほどね。




