284話 天才
天野防人と織田信広の戦いは、かなり離れたビルの屋上からも視認できた。何しろ廃ビルが爆発すると倒壊し砂煙で周囲を覆い、家屋が潰れ店舗が崩壊しているのだから。
廃ビルが途中からずれて、瓦礫となって落ちていく中で、信じられないことに、宙にある瓦礫を踏み台に人間が二人、高速で動きながら戦闘をしていた。
炎が逆巻き、風が空気を切り裂き、雷が落ちる。いくつもの瓦礫が振動で粉砕されて細かな砂に変わり、漆黒の蛇が砂煙を貪欲に呑み込んでいく。
誰も彼もがこの異常な現象に巻き込まれまいと逃げる中で、少女が二人、その様子を離れた廃ビルの屋上の錆びた柵の上に立ち、眺めていた。
狐耳と尻尾を生やす少女の瞳に映る感情はなんなのかはわからない。悲しみなのか諦めなのか呆れなのか、それとも他の何かなのか。
「止めなくていいにゃ?」
狐娘の隣で同じように戦闘を眺めている猫耳と尻尾を生やす少女が尋ねてくるが、頭を横に振り止める気はないと伝える。
「私では止めることは叶わない。防人はそれほど甘い人間ではないだろう?」
「陽子の言うとおりにゃね。見せしめのためにも、天津ヶ原コーポレーションの人間を殺そうとした人間は殺す必要があるにゃん」
猫娘、風魔花梨が感情を乗せないで淡々と告げてくる内容に、狐娘の織田陽子はそうだろうと口には出さずに同意した。
天津ヶ原コーポレーションは廃墟街からの成り上がり者だ。妬むものも、憎む者も数え切れない程にいる。ここで簡単に部下を殺されては、甘く見られて今後も襲撃を受け被害は大きくなるに違いない。迂闊にも手を出した者は死ななければならないのだ。
「姿を現さない凄腕の人物ということで特定されるとは………我が父親ながら皮肉と言うしかない」
口元を歪めて皮肉げに呟く。父上が今回のことで暗躍していることはすぐにわかった。手掛かりがなさすぎたのだ。陽子にも言わずに動いていたので、まったく情報が掴めなかった。
見つけたのは花梨である。この少女は飛び加藤が絡んでいることを知り、後は天野防人の使い魔海戦術で周囲を調べたのだ。特定されてしまえば、後は薄っすらと手掛かりが見つかる。そして天野防人にとっては、それだけで充分だったのだ。
「あれで防人は凄い怒っているからにゃ。子供にも容赦なくバズーカを撃ち込む敵に容赦はしないにゃんよ」
長い付き合いだから、わかるにゃんよと花梨が話すのを聞きながら、戦闘の様子を見る。
「父上は戦闘の天才であった。天才であるゆえに、個人の戦闘力に見切りをつけて暗躍することにしたのだ」
『剣聖』スキル。幼い頃に見せてもらった技の冴えに陽子は憧れて摸倣することにした。刀を振るう美しさに見惚れた。自分には無い力だった。防人にも父上が『剣聖』であることは黙っていたが、見抜かれたらしい。
「天才が故に、限界を知ってしまったのだが……最後は刀を手にして死んでゆく。父上もきっと満足だろう」
くるりと踵を返して、陽子は歩き始める。その様子を見て、花梨が目を細める。
「最後まで見ていかないのかにゃ?」
「勝敗はわかっている。最初に逃げられなかった時点で父上の負けだ。私は織田家の資産を纏めなければならない」
凛とした姿で振り向くことなく陽子は言葉を紡ぐ。
「父上は病死した。あそこにいるのは、名も知らぬ赤の他人だ」
それが天野防人の温情であった。名も知らぬ男が死んでゆく。織田家には関わりはなく、その資産も没収はされない。マフラー料金にしては、破格の報酬だ。
ではな、と去っていく陽子を見て、軽く嘆息しつつ花梨は再び戦闘の様子を見る。
「天才っていうのはなりたくないにゃあ。織田信広も防人のように泥だらけになり、血反吐を吐きながら強くなっていくんだったら、なにか変わったのかもしれないにゃん」
簡単に強くなれるから、先が視えたなどと言う輩の気持ちはわからない。花梨もまた天才ではないからだ。
唯一理解できるのは、天才は努力家には敵わないといったところだろうか。
「いや、防人は狂っているにゃん。努力家とはまた違う人種かもにゃ」
戦闘はますます激しくなり、ビルも家屋もなくなり、被害が拡大していくのを見ながら皮肉げに花梨は口元を歪めた。
初めて出会った少女を見て、殺すか殺さないかを考える用心深くそれでいて大胆な男。狡猾にして容赦のない男。その本質はきっと……。
「ダンジョンに魅せられた狂人にゃんよ。戦いに魅せられた人間から外れた男にゃん」
長い付き合いの花梨は防人をそう評して、ゆらりと尻尾を揺らすのだった。
砂煙の中、ビルが倒壊して空から落ちてくる瓦礫に防人は乗り、疲れたように呟く。
「あいつ強いな。内街では最強だったろうに」
『たしかに強いです。あんな人間が隠れていたなんて驚きですよ』
手のひらをひらひらと振り、魔法を発動させる。狙うは防人と同じように瓦礫を足場にして移動する信広の周囲だ。
『暗黒地雷』
手のひらサイズの漆黒の球体が無数に生まれて、飛んでいく。宙に留まり信広の動きを制限する。落ちていく瓦礫に触れると、黒き光を放ち一瞬のうちに砂へと変える。
剣聖はその様子を見ても平然とした顔で刀にマナを込めていく。
『陽光剣風』
太陽の光を宿すかのように刀は輝き、『暗黒地雷』を切り裂き消滅させる。レベルも魔力も防人が上回っているにもかかわらず、そのひと振りは暗黒魔法を打ち破っていった。
『これはどういうことだ? 俺の魔法をこうも簡単に破れる敵は久しぶりだぜ』
『敵の動きを見極める闘技『心眼』と、相手の弱点となる攻撃を一撃必殺の特効にする『首切り』を使用しているんですよ。『剣聖』の厄介な力ですね』
『だがこれだけ強いスキルなら弱点もあるだろ? それに首切りで特効とか酷いな』
『本来はこんな使い方はしないんです。大型の魔物を倒すために使用するぐらいなのに、使い方が裏技っぽくて、誰かを思い出しますね』
ダンジョンの与えるスキルってのは、そういうもんだ。なにかしらの弱点があるはず。
『剣以外の武器は扱えませんし、魔法も使えません。厄介ですが与し易いはずなのに、この男は魔道具を使い、弱点をカバーしています。強敵と言えるでしょう。戦闘センスの高さを見るに天才という感じですね』
雫が感心しながら説明をしてくる。それだけ強いのかと、信広を見る。たしかに俺と戦える時点で人間を超えているよな。仕方ないので別のアプローチをすることにする。
『炎帝大蛇』
ゴウッと俺の手から猛火が生まれ、途上にある瓦礫をその高熱で溶かし、燃やし尽くしながら、大蛇の形をとって信広に襲いかかる。
陽光により暗黒が打ち破られるなら、炎で攻撃を試す。予想通りだと、面倒なのだが
『凍結の太刀』
信広は予想通りに、刀の属性を切り替えて、氷の凍てつく息吹を纏わせると、火炎の大蛇をあっさりと切り裂く。空気は白く凍りつき、炎はキラキラと雪のように輝くと消えていく。
『魔法剣も剣聖の技かよ。デメリットが無いように一見思えるな』
魔法に対して、対抗できる闘技があるならば『剣聖』は弱点が無いように思える。チートなスキルというわけだ。あらゆる武器を使えるが魔法に弱い『武王』とは違うというわけか。
『彼はスキルの使い方が上手いですね。変わりましょうか? 格闘戦ならば、私なら勝てます』
『……いや、止めておこう。きっとこれは俺のやることだからな』
俺に手を出すのは良い。襲われることで、なにかしら利用できるチャンスも生まれるからだ。だが、身内は違う。純たちは護衛がいるが、護衛がいない社員はいくらでもいる。手を出したらどうなるか周りにわからせる必要がある。それが部下の親でも例外はない。
だが、身内の親を部下に殺すように命令を下したくはない。これは俺のエゴである。責任はきっちりととらないとな。
「剣士として互角以上に戦える相手は初めてだ」
落下していく瓦礫を踏み台に超人的な動きで信広は迫りながら、楽しげに猛禽のような笑みを浮かべる。俺としては全然楽しくない。魔法使いはやはり距離をとって戦うべきだよな。
『騒乱剣』
爆発するかのように信広の持つ刀がマナの光を放ち、風切り音と共に空間を切り裂く光る軌道が曲線を描き何本も俺に迫る。
『超加速脚』
俺は加速の闘技を使用して、信広の攻撃を逃れようと瓦礫を蹴って廃ビルの中階に飛び込む。時間の流れから逃れたかのように世界の動きが止まり、静寂の支配する中で一気に加速して、汚れで真っ黒な窓ガラスを突き破り、元オフィスであろう部屋に飛び込む。
ガシャンと騒音をたてて、埃だらけの机を吹き飛ばしゴロゴロと転がる。
「グエッ。これ移動するのは無理だな」
体の節々をぶつけて痛みを感じながら苦笑いをすると立ち上がる。加速系統の闘技は使えるが超人的な体術を持たない俺は加速する思考に身体が追いつかない。加速した世界で魔法は使えても、動くのは無理。ハンドルのないスーパーカーのアクセルをベタ踏みして運転するようなもんである。
だが一瞬の間合いを作ることはできた。トンと身体を翻し体勢を立て直し
『斬馬剣』
廃ビルの壁をバターのように切り裂き、光の剣が横薙ぎに迫ってくる。その力はさすがレベル6と言えよう。
『4元核魔法槍』
だが、ビルを切り裂く程度なら問題ない。俺の魔法槍で対抗できる。4本の核魔法槍を生み出すと、光の刀身を迎え撃つ。
『加速脚』
この程度の加速闘技ならばなんとか操れる。槍と刀がぶつかり合いバリバリとお互いを打ち消す光を欠片のように撒き散らすのを横目に、廃ビルの壁をぶち破り反対側に飛び出す。
『暗黒翼』
ゴゴゴと音を立てて廃ビルが刀に切られて崩壊していくのを、暗黒の翼を生やして空に浮きながら見つめる。
「次の選択でわかるな」
呟きながら、信広がどうするかを見つめる。だがどうするのかは、予想していた。
予想通りに崩壊して砂煙に覆われるビルを貫いて、信広が現れた。
「我が剣は虚実の剣。殺気の剣と、真実の剣を見極められるか!」
膨大な闘気を刀に宿して、信広が闘技を放とうと刀を突き出す。恐らくは残りのマナを全て注ぎ込んでいる。これが決着の一撃との震えるほどの気迫を見せて。
『剣聖の太刀』
信広が闘技を放った瞬間に、空間を無数の剣が埋め尽くす。びっしりと埋め尽くされた剣を回避するのは不可能だ。恐らくは障壁すらも貫く効果を付与してある。
剣聖の太刀。最後にして最強の剣聖の奥義なのだろう。
俺の命を奪うことのできる攻撃が迫る中で、平然と平静と、そして僅かに哀れみを込めて俺は人差し指を信広に向ける。
「逃げるべきだったな信広。お前は選択肢を誤った。剣士であることに拘ってしまった」
回避不能の太刀が俺を貫く。本物の太刀は俺の心臓を貫き、鋭い痛みを与えてくる。だが、この程度、問題はない。急所への致命的なダメージはマナが代わりに受け持ってくれる。ぐんぐんマナが消耗するが耐えきれる程度だ。死ななければ、どんな痛みを受けても耐えられる。
どうやら複数の攻撃であったようで、体の各所を貫かれて、鮮血が噴き出すが対価が敵の隙なら儲けもの。残心のままに硬直する信広へと魔法を放つ。隙ありだ。
『闇よ穿て』
人差し指からチュインと一条の漆黒の光が放たれて、なぜ俺が死なないのか驚愕する信広の心臓を貫く。
『闇神弾』
片手を振りかざすと、ポゥと漆黒の球体が俺の目の前に生まれる。全ての光を吸収するかのような禍々しい漆黒の球体。神級の単体魔法。
ぐらりと身体を揺らせて、地に落ちていく信広に追撃をする。信広は躱すこともできずに漆黒の球体に覆われて消えていく。消える寸前にニヤリと俺を見て笑いながら。
「どちらつかずであった。やはり信長と名乗るべきだったな」
一言呟くと、漆黒の球体にその身体を消滅されて、なにも後には残さずに消えていくのであった。
「刀一本で支配を目指す方法も、あんたならあったと思うぜ」
地へと降り立ちながら俺は肩をすくめる。急所以外にも攻撃を受けて極めて痛い。聖を呼ぶとするかと、嘆息する。
そうして、人間最強であったろう剣聖織田信広との戦いは終わりを告げるのであった。
 




