283話 剣聖
廃ビルは轟音と共に崩壊し、吹き上げる砂煙が天まで登り、破片が周囲へと散って、辺りのビルや家屋に瓦礫が落ちて穴を空け砕いていった。
その様子を少し離れた廃ビルの屋上にて信広は感慨なく眺めていた。
一見すると人の良さそうな穏やかな顔立ちに多少ふっくらとした体つきの信広は、ひとの良さそうなおじさんに見える。のんびりと散歩をすれば、誰も気にしないだろうし、迷子の子供が声をかけやすい穏やかな空気を普段は醸し出していた。
だが、今は猛禽のように目を細めて、廃ビルが消えていく様を眺めている。周囲に住んでいた人々が何事かと飛び出てきて大騒ぎにもなっている。
「同レベルの魔物よりもレベルが低い人間の方が戦いにくい。やっぱり知恵と経験の差はでかいよな」
後ろからのんびりとした男の声が聞こえてきたが、慌てる様子もなくゆっくりと信広は振り返り静かな声音で返答する。
「どうだろうな。力で抑えられる場合も多々ある」
片手に持ったブラスターを防人に向けて引き金を引く。赤い熱線は空気を歪めて貫くように防人へと命中した。先程、飛び加藤をあっさりと灰へと変えた熱線である。
だが、防人の身体に当たる寸前でブラスターは見えない壁に阻まれるかのように打ち消されて、防人には僅かな痛痒をも与えることはできなかった。
ヒビが入り、所々に穴も空き、どこからか飛んできたのか雑草が生えている古びたコンクリートの床に防人はのんびりと立っていた。
「やはりブラスターは通じぬか」
腰に隠していたホルスターにブラスターを仕舞う。予想通りだ。物理攻撃は効きにくい。
「よく調査をしているもんだぜ」
「君の噂はもはや調べなくても簡単に入る。有名人は大変だな」
「名前を知られないように頑張るあんたもな。苦労が偲ばれるもんだ」
軽口を叩き合い二人は睨み合い相手と対峙する。緊張と殺意の空気が辺りに広がり、屋上で休んでいた鳥が慌てて飛んでいく。
先に動いたのは信広だった。
『剣聖の鎧よ、在れ』
指に嵌めた指輪にマナを送ると起動させる。指輪が光り瞬時に信広に昔の剣士が羽織るような立派な羽織が装備されて、内包するマナにより仄かに光る。
『剣鬼変化』
そうして、信広の体が赤く光ると、その身体を変化させていく。ぽっちゃりとした腹は細く引き締まり筋肉の鎧になる。手足が丸太のように膨れ上がり筋肉の塊へと変わった。
そこには先程までのひとの良さそうなおじさんの姿はいなくなり、武人として強烈な覇気を醸し出す剣士の姿があった。
「カハァ〜。これが『剣聖』だ」
深く息を吐いて、日本刀を持つ手を軽く振るう。ヒュンと風が鳴り、刀身が陽射しに照らされてキラリと光る。
「この刀の銘は真ムラマサ。山を切り裂き天を分かつ逸品だ」
「饒舌だな、信広」
「久しぶりの戦闘なのでな」
二人の間合いは10メートル程度。その間合いの中で、信広は油断なく防人を見ながら、獣のように凶暴さを感じさせる笑みを見せる。
『一閃』
摺り足にて踏み込むと、疾風の如き速さを持って信広は上段から防人の頭へと刀を振り下ろす。
『超加速脚』
『対加速脚』
防人が加速の闘技を使用して、超スピードの世界へと入り込むと、信広も追随し加速する。防人の方が上位の闘技であり、信広では追いつけないことは明白であったが、冷静に次の闘技を使用する。
『二閃』
後ろへと下がる防人へと、間合いを詰めて刀を切り返して、斜め下から振り上げる。さらに加速して押し下がる防人だが、信広は逃さずに追撃する。
『三閃』
未だに追いつけずに、袈裟斬りからの攻撃は空振りしてしまう。
『四閃』
続いて体を捻り、横薙ぎに放つがやはり防人を捕まえることはできない。だが、屋上の縁まで防人は追い詰められて動きを鈍くする。
『五閃』
追撃は止まらずに、返す刀で横薙ぎにする。防人の体を刀が掠め、僅かに鮮血がその身体から噴き出す。
「加速系闘技に慣れておらぬようだな。捉えたぞ!」
『閃光戦陣剣』
幾重にも信広の身体が残像となり、無数の光る軌跡が生まれ、逆巻く刀が嵐のように防人を襲う。
『暗黒糸』
防人も対抗するために手のひらを向けて暗黒魔法を使用する。複数の闇の糸が吐き出されて、信広の刀を奪おうとする。だが、信広はカッと目を見開くと、マナを刀に注ぎ込む。
『明鏡止水』
『残心虚影』
『鎧通し』
連続で闘技を使用すると、青白いオーラを纏わせて、信広は迫る糸を全て切り裂き消滅させていく。慌てるように防人が転移を使用して、その場からいなくなり、気配察知にて信広は反対側に身体を向けて刀を構える。
防人は珍しく驚いた顔をして口を開く。
「驚いたな。剣聖様は『闘気法中効率変換』を持っているな?」
連続して闘技を使用したことから、信広のスキルの正体を推測したのだろう。だが、それは半分しか当たっていない。もう一つ特殊スキルを信広は持っている。あらゆる他のスキルを持てない『剣聖』スキル。唯一その例外となったスキルだ。
「ふっ。『魔法中効率変換』も持っているぞ」
「なんとまぁ……強い強いとは思ったが、理想的なスキル構成をしているだろ? もしかしてレベル6か?」
レベル6。前人未到と言われている奇跡のレベルだ。今までは誰もそのレベルに到達したものはいないものだと言われていたレベル。Aクラスの魔物も倒せる強さを兼ね備えていると噂されているレベルだ。
『剣聖』スキルのデメリットはすぐに理解して残念だと考えたが、すぐにこのスキルの素晴らしいところに気づいた。スキルを入手できないデメリットはメリットとなった。なぜならば、ダンジョンコアを手に入れても他の人間のように必要ないスキルなどは取得しなかったのだから。力だけを、スキルだけを高めることができたのだ。
「そのとおりだ。私が東京最強、いや、単体では恐らくは世界最強であった。元となるだろうがな」
淡々と答える信広の言葉。その言葉には真実味があり、語る言葉を嘘だと思わせない強い力が籠もっていた。
「疑問に思うんだが、なぜその力を隠して生きてきたんだ? それだけの力があれば、もっと上を目指すことができたろうに」
「その答えは貴様も知っていよう。侮られて、たいした力を持たない人間と思われていた方がやりやすい。たしかにこの力は人を超えているが、ただそれだけだ。恐れられても、ミサイルにも敵わない。所詮児戯にすぎん」
「努力して最強を目指せば良かったんじゃ?」
「最強を目指しても、私の求めるものは手に入らない。私は武力ではなく権力が欲しかったのでね」
人間1人の力など、たかが知れている、刀を振り回しても、チンピラのボスになれるのが関の山だと信広は若き頃に知っていた。自分は日本を支配したいのだ。大きな権力を持ちたいと望み織田信広を名乗ることにした。目立たぬ男だと思われるように、敢えて信広を名乗ることにしたのだ。元の名前はとうに捨てた。
「権力は一朝一夕では手に入らぬ。長年水面下で動き、ようやく足利を潰せて、後は源家と平家を争わせ力を削ったあとに支配する予定であったのだ、それを貴様は全て無に帰してくれた!」
怒気を込めて、声を僅かに荒らげながら防人を睨む。万事順調であったはずなのに、天野防人が現れたことにより、水泡に帰した。
「クーデターが発生した当時、織田家は吹けば飛ぶような小さな家門であった。私は家族に刀一本で成り上がることを期待された。だが、私はその期待に応えるつもりはさらさらなかった。ともすれば使い捨ての道具として捨てられることが目に見えていたからだ」
『剣聖』スキル。当時のスキルへの期待は、よくその力が判明していなかったこともあり、あまり高くはなかった。それが信広を救った。皆はそれなりにしか期待しなかったのだ。刀の時代でもあるまいし、また兵器も潤沢にあったことで、『剣聖』スキルは物珍しい多少強いスキルとしか思われなかった。
なので、スキル登録をして暫くしてから、『剣聖』スキル持ちは死んだことにして登録を密かに抹消したのだ。魔物が尽きることなく現れることで、不穏な空気を感じた信広は最前線に送られないように手を打っておいたのである。
「そうして、私は平凡なお人好しを装うことにした。幸いにして『変装』と『隠形』の魔道具も手に入れたので、造作もないことであった。私は短絡的な武力による栄華ではなく、長期的な栄華を求め、この数十年頑張ってきた。わかるか、防人?」
わかると答えても、わからないと答えても鼻で笑いながら、小馬鹿にしてやろうと考えていた信広であったが、防人の言葉は違った。
「レベル6まで上げておいて、よくそんなことを言えるな。武力に頼りたい気持ちがあったからだろう? 神に愛されたスキル構成。それでもレベルは1からだったはずだ。お前は密かに鍛え続けた。バレないように鍛え続けたのは拍手を送るが、俺ならもっとうまくやるぜ」
手をひらひらと振って、防人はニヤリとその顔を狡猾そうに変えて告げてくる。
「それにライバルが現れるのは当然の話だ。邪魔をされたからと怒るのは、自分は天才だからと自負している証明だ。プライドが許さなかったか? 数十年の積み重ねが崩れる可能性を考慮するべきだったんだ」
その言葉に、信広は虚をつかれて、目を見開き……そして楽しげに笑った。
「そのとおりだ。自分でも気づかぬうちに傲慢になっていたか。気づかせてもらってありがとう」
「そうか、気にするなよ」
「で、反省した私は足利家にでも寄って、許しを請おうと思うのだが?」
防人は利害を計算できる男だ。足利家が仲介をすれば、信広を許すしかなくなるだろう。今までは逃げきれば、なんとでもなるのだ。
「駄目だ。あんたは危険な上に厄介だ、放置はできないんだな、これが」
「だろうな。私でも同じ立場なら逃さぬ。であれば、押し通るのみ。この間合いでは、剣士には勝てぬよ、魔法使い殿」
予想通りの返答に、気を落とすことなく、真剣な表情となって信広は刀を構え直す。
「どうだろうな。あんたは選択肢を誤った。ただそれだけの結果になるだろうよ」
「それが真実になるか、試してみよう」
トンと床を軽く蹴り、間合いを詰めるべく闘技を使用する。足の指先から、髪の毛一本まで、マナを巡らせて闘気を練る。
『転移封じ起動』
ポケットから取り出して嵌めておいた指輪の一つを使用する。指輪は光り周辺にノイズの如き乱れたマナの波長を広げる。
『闇蝶』
防人が手のひらから、小さな漆黒の蝶を生み出して後ろに下がる。ひらひらと漆黒の蝶は羽ばたき、1匹が2匹、2匹が4匹と増えていく。あっという間に信広の前を埋め尽くすかのように広がって、壁の如く防人の姿を隠す。
『化鳥斬り』
信広はヒュンと軽く刀を横薙ぎに振るう。と、刀が風を切り振動を波紋と変えて、周囲へと広がると、その波紋に触れた禍々しい蝶は溶けるように消えていき、防人の姿が露わになる。
『暗黒矢』
「フンッ!」
『矢落とし』
手を翳し暗黒の矢をガトリング砲のように防人は撃ち放ち、対抗する信広は闘技で迎え撃つ。そのまま別の指輪を防人に向けるとマナを注ぐ。
『無の灰色蜂起動』
『反応漆黒障壁』
無の灰色蜂。魔法で作り出すこの灰色の蜂は刺した相手のマナを乱し、魔法の発動を妨げる効果がある。しかも蜂は数百匹おり、その大きさは10センチにすぎない。通常の魔法使いならば防ぎきれずに倒すことができる性能であるが、障壁に針を刺すと爆発して消えていった、
「刀で戦ってくれよ。いったい何個魔道具を用意してたんだ?」
「目ぼしい物は持ってきた。最近は物騒だからな」
「わかるぜ。本当に最近は物騒だから気をつけないと事故死する」
防人の呆れた声音での問いかけに、信広はからかうように告げて、お互いの戦闘はますます激しくなっていくのであった、




