282話 没落
コンクリートに囲まれた窓もない部屋を蛍光灯の灯りがぼんやりと照らす。コンクリート打ちっぱなしで、内装には手を加えられておらず、殺風景な部屋だ。
春に入ったが、寒さで天井が結露しており、ぴちょんと水滴が時折落ちる。この部屋はビルの地下に作られている部屋であるが、結露をする程の手抜き工事だと、建物が倒れないか不安になる。
古いビジネスデスクにチェアが1つ。ただそれだけの部屋だ。その唯一の椅子に1人の中年の男性が座っており、壁に妖艶な女性が腕を組んでもたれかかっていた。
「えぇ、えぇ……。はい、大丈夫でしょう。上手く行くと思います。はい、うまく行ったときにはよろしくお願いしますよ」
男性はテーブルに置いてある手のひらサイズの水晶玉に話しかけている。仄かに光る水晶玉からは音声だけが返ってきている。
「本当に大丈夫なんでしょうな?」
「バズーカを街中で撃った人間はもちろん、命じた家門も証拠を取り揃えてあるんでしょう? 後は捕縛して、有能さをアピールするだけです」
トントンと机を指で叩きながら、男性は椅子にもたれかかる。ギイと椅子が軋み、古ぼけた椅子であることを示していた。
「そうだな……。そのとおりだ。徳川連合を潰し我らの功績とできれば、御三家、特に源家を攻撃できる理由にもなる。テロリストのような私兵の暴走を防げなかったとな」
「そのとおりです。街中での派手な戦闘。しかも天津ヶ原コーポレーションを攻撃するなどと、内街にとっても危険な話だ。三好さんたちが、復興できる契機となるでしょう」
今の天津ヶ原コーポレーションの武力は危険極まりない。天野防人は利益を考える男なので、内街にその力は向かないだろうが、それは全体的にはというだけだ。一部の人間にその力が向かうことは充分にある。
いつ爆発するかわからない相手を相手に火遊びをするのは許されないことなのである。
落ちぶれた私兵たちが自分の力をアピールする方法としては考える限り最悪だ。
三好と呼ばれた相手は、うむと不安を消すように強気の口調で返してくる。
「トカゲの尻尾にしては金をかけすぎたが、その分の見返りは期待できるように動くつもりだ」
「徳川連合を潰した暁にはよろしくお願いしますよ」
「あぁ、わかった。天海君には充分な見返りを約束する」
「期待していますよ」
くくくとほくそ笑む男に、水晶玉から聞こえる声からも含み笑いが聞こえてきて、会話は終了し水晶玉は光を失った。
男は冷徹な眼差しを水晶玉に向けて、フンと鼻を鳴らす。
「この作戦にはかなりの金を費やしている。うまくいかないと困るのだ」
「相変わらずたいした男だねぇ。呆れちまうよ。織田家はいまだに健在といったところかね?」
からかうように、壁にもたれかかっていた女性が言うので、片眉をあげてつまらなそうに嘆息しつつ、また指でテーブルをトントンと叩く。
「準備期間が短すぎる。証拠を残さないように活動するには少し不安な仕事だ。飛び加藤たる貴様が手伝ってくれなかったら、気づかれていてもおかしくない」
「報酬が良かったからねぇ。陽子は再起を目指して、あたしを雇うどころじゃないし、金を貰えるならなんでもやるさ」
ニヤリと妖艶な笑みを浮かべてくる女性は通称飛び加藤。名前の通りの忍びだ。過去の飛び加藤と違いこちらは女性なのだが。織田陽子の手の者でもあるが、織田陽子が仕事を振らなくなったので、男の仕事を引き受けた。
男の名前は織田信広。地球連邦軍のフォーチュンの運命操作に操られ、いいように使われた挙げ句に、娘に裏切られて没落した織田家の元当主だ。
没落した織田家を復興させるべく、娘の陽子とは違う方向で活動をしていた。
「徳川連合。没落した家門の中でも、頭の悪いコネだけで生き残ってきた奴らが集まって作った連合。そんな危険なグループは駆逐せんとな」
「たんに酒を飲んで愚痴る集団だった覚えもあるけどねぇ。兵器を手に入れて、要人を何人か殺して、いつの間にか、裏世界の犯罪者集団になっていたね」
クックと笑う飛び加藤へと、フンと鼻を鳴らして信広も頷く。
「没落した家門の中でもクズだったからな。それらしい目標を作って、兵器を手にして、要人を殺すことができれば簡単に犯罪者集団になるだろうよ」
まったく困ったものだ。兵器などどこで手に入れたやら。不思議なことである。
「没落した家門の中でも、そこそこ有能な奴らがそれらを取り締まれば、再起のきっかけになるだろう。今頃は摘発に動いているはずだ」
「お手伝い賃はいかほどで?」
「表の徳川連合の名簿と拠点と引き換えだったが、それなりに良い。織田家も一服できる」
ニヤニヤと厭らしそうに笑って、指で丸を作る飛び加藤に、顎を擦りながら答える。資金調達も厳しい。没落した家門とはいえ、まだ資産は残っている奴らだ。信広の財布は多少は重くなるに違いない。
「裏の徳川連合は?」
「裏などはいないが、それなりに使える奴らだ。徳川連合と距離をとっている奴らは織田家が吸収すれば良い」
「酷い話だねぇ。呆れちまうよ。表の連中は可哀想に骨までしゃぶられて、ポイ捨てと」
「引っかかった彼らは勧善懲悪のわかりやすい世界にいる。是非とも派手に死んでもらおうじゃねえか」
表ではこの事件を契機に復興し始める予定の三好家たちから資金調達。裏では、小さな家門の有能な人間を吸収する。短期間で画策したにしては良い策だろうと信広は自画自賛して、薄く笑いを浮かべた。
「全ては偶然だ。今回のことに私の名前はまったく出ていない」
「そうだね。それぞれの勢力に違う名前で話を持っていっているから証拠は残らないはずさ。あたしも今回の事件じゃかなり儲け――」
ニヤニヤと笑いながら、飛び加藤は満足そうに言ってくるが、そのセリフの途中で、突然ビジネステーブルの中を貫いた赤い光線が身体を貫く。
瞬きする間もない一瞬の出来事であった。飛び加藤は笑った顔のまま灰へと変わり床に散らばった。
ザザッと灰が舞い散り、地下室が多少暑くなる中で、信広はビジネステーブルを蹴り飛ばすと己から距離をとる。
ビジネステーブルは真っ赤に燃えて光線が貫いた箇所を中心にドロリと溶けていた。
「最後の証拠たる君が死ねば、後は何も残らない。すまないな飛び加藤。君は前世と同じ死に方をしたわけだが、私を恨まないでほしい」
信広は淡々と言いながら、その手にある小型ブラスターを見下ろす。超高熱を放つ信広の切り札の一つだ。人間など簡単に灰にできる。
「昔も君の幻術が効かない相手に殺されたんだろう。もう少し仕事は選ぶべきだったな」
幻術により逃げられたとか、そんな間抜けなこともない。信広の看破からは飛び加藤の幻術では逃れられないのだ。
これで安心だ。後の繋ぎは他の人間に任せれば良い。簡単に尻尾切りができる人間の人選はできている。謀略と暴力の世界に生きてきたのだ。飛び加藤は死んで文句は言えない。フリーの工作員は常にクライアントからの裏切りに備えなくてはならないのだから。たとえそれが親友たる娘の親であっても。
「さて、撤収するか」
念の為にこの拠点も破棄し、他の場所へと移動するかと立ち上がり
「娘と同じようなことをしているんだな。血の繋がりって奴を感じるぜ」
部屋のどこからか聞こえてきた男の声に動きを止める。周りを見渡すと、ドアの隙間から細長い蛇の影だけがスルスルと部屋に入ってきていた。
部屋に入ってきていた影からぬるりと漆黒の蛇が抜き出てきて実体化する。そうしてチロチロと舌を出して、信広を見上げてくる。
「………天野防人か。随分早いな、ここは神奈川の廃墟街ビルなのだが」
「驚かないんだな」
「充分に驚いている。で、ご用件はなにかな?」
肩をすくめてかぶりを振ってみせる。2メートル程の全長の小さな蛇は、その図体からは考えられない威圧を感じさせてきたが、信広はそよ風でも受けたように、動揺も恐れも見せていなかった。
「用件はわかっているはずだ。マッチポンプにしても酷すぎないか?」
蛇が爬虫類特有の縦長の瞳を光らせながら言ってくる。ゾクリとするほどの冷たい瞳と人間ではない生き物が人語を口にするその姿は漆黒の胴体も合わさって禍々しい。
「証拠は? なにか私に繋がる証拠はあったかね?」
「ざっと調べた限りにはなかったぜ。徳川連合は本気でスキル持ちを倒そうとする支援者から兵器や資金を支援してもらっていると思っているしな。支援者の名前が足利おじさんは少し笑ったよ」
「ほう。洒落の利いている名前だ。足利家が密かに支援をしているのではないか?」
飄々とした態度で信広は答える。そうだろう、証拠などはどこにもない。たった今最後の証拠も処分したのだ。
「三好家たちも酷いもんだ。他の有象無象の家門を一掃できて、新興の家門にも罪を着せるつもりらしい」
「成功して大金を手に入れた輩の次に欲しいものは箔だからな。潰れそうな家門を爆弾とも知らずに呑み込んでいるのだから仕方あるまいよ。バブル景気ならぬ爆弾景気だったわけだ」
「潰れたあとの会社の株を二束三文で買い取る予定の奴がいるらしいしな」
続けられる会話の内容に、多少驚く。その話まで掴んでいるとは思わなかった。襲撃事件から調査をしたにしては早すぎる。
信広の驚きを見抜いたのか、蛇はゆらゆらとその身体を愉快そうに揺らす。窓一つない地下の部屋に蛇の影が一際大きくなり揺れた感じを与えてくる。
「今のは予想だ。きっとそこまでやるだろうと予測したんだよ。あんたは俺と同類みたいだからな」
せせら笑う蛇をジッと信広は見据える。たしかにそのとおりなのだろう。自分が他の立場なら、予想して然るべき内容だった。
「知っているだろうが、今や私の資産は大きく目減りしていてね。投資家として成功するべく、今も懸命に奮闘中だ。で、話は以上かね? そろそろ私もお暇したいのだが?」
言外に証拠はないだろうとの意味を含ませて、部屋を出ようとするが蛇はドアの前から動かずに、その頭をもたげてきた。
「実は俺は少し酷い男でな。思い込みで行動することも多々ある。裁判官でも刑事でも検察でもないんでな」
「………そうか。ならば仕方あるまいよ。どこかの家門に助けを求めることにしよう」
「思い切りが良いな。だが、偶然にも蛇に噛まれて死亡する男には無理だと思うぜ」
「私は君が愛人としている娘の親だが?」
「とても残念だ。香典は弾むとしよう」
お互いに睨み合い、数瞬の静寂が訪れて
『陽光の太刀』
スーツ姿であった信広の姿がかき消えると、漆黒の蛇はその首を切り落とされて宙に舞っていた。いつの間にか、信広の手には太陽の光のように温かみを感じさせる輝く日本刀があった。
「驚いた。その蛇は簡単には倒せないんだが」
「だろう。だが、致命的な弱点もあるようだ」
平静を保ちながら信広はその場を動かずに、素早く刀を数回振るう。風切り音と共に再び蛇の頭が宙に舞い、地へと胴体が落ちていった。
ドアがギィと錆びた音を立てて開く。信広は視線をそちらに向けて目を細める。
カツカツと足音を立てて、ナイフのように切れ味鋭い目つきをした悪人顔の男が感心したように口元を歪めて入ってくると口を開く。
「東京四天王ってのは、最後の一人は誰なのか気になっていたんだ。疑問が解けたよ。誰も知らないはずだ」
「自ら来るとは、随分不用心だな天野防人」
「まぁ、使い魔を通して殺すのも陽子に不義理のような感じもするしな。そうか、陽子がなぜ『剣聖』の技を知っていたか不思議だったんだが」
魔王と呼ばれる男は、信広を見て僅かに真剣な口調となり告げる。
「あんたが『剣聖』だったんだな。織田信広」
「そうだ」
自身の正体を認め、頷くと同時に地下室が爆発を起こし崩壊した。




