280話 車
春となり陽射しも暖かくなり、眠気を誘う気持ちの良い風が肌を撫でる。冬が終わり生命が産まれる季節である。
春は好きだ。凍死者が今年はいないようだし、仕事もしやすい。
防人は天津ヶ原コーポレーション本社前で大きく深呼吸をして満面の笑みを浮かべた。
「そんなに怒らないほうが良いよ、防人?」
怒っていないのに、隣に立つセリカが俺の頬をつんつんつつきながら、宥めてくる。いや、本当に怒っていないんだが。
「申し訳ありません社長。俺が少し甘かったようです」
「いや俺は怒ってないぜ?」
申し訳なさそうに勝頼が頭を下げてくるが本当に怒っていないんだが。
現在、本社玄関前に防人、セリカ、花梨、雪花、アレスに勝頼、信玄、純に大木と集まっている。遠巻きに大勢の人々も集まって、こちらを眺めていた。
正確に言うと、俺たちではなく、目の前にある黒焦げの新車を見ていた。黒塗りのリムジン風の新車から、黒焦げの廃車へと早変わりである。
「まっ黒焦げりゅ!」
てしてしと幼女が廃車を叩いて、ほへーと口を開けていた。物珍しいらしく、何度もてしてしと叩いて、手を真っ黒にしている。
「でも中身は大丈夫でしたよ、兄貴」
大木が額に冷や汗をかいて、俺へと傷がないことを告げてくる。たしかに傷一つないようだ。
「俺、こんな凄いの作ったんだ! でも危なかったです……」
純が嬉しがって良いか迷う素振りを見せるが、普通に喜んで良いと思うぜ。
なにしろバズーカ砲の攻撃を受けたのだから。
「まぁ、全員生きていて何よりだ。大木以外は頭や心臓を破壊されたら死ぬもんな」
「俺も死にますよ? 植物扱いが最近多いような感じがするんですが?」
「それよりもこの廃車を片付けるのは後にして、話を聞こうか」
新潟シティから帰還したら、新車が黒焦げになったと報告を受けたのだ。びっくりするだろ、まったく。
とりあえず、事情を聞くためにも、俺の家に行こうぜと皆を連れていくのであった。大木が出前を頼んできますとスキップしながら、最近開店したレストランに向かったが、俺はサンドイッチで良いや。
最上階のペントハウスに戻り、各々寛ぎながら話を聞くことにした。
「はい、こちらサンドイッチ、そっちが天津丼、これがオムライスに生姜焼き定食、刺身定食にお好み焼き、天麩羅蕎麦と。アイスは3つだっけ? シェイクは4つ? プリンアラモードが1つね。後は日本酒にエール、燻製肉のおつまみにいちごジュースと」
ラッキースマイルの店長である理子という料理の天才が何人かの店員と共に出前を置いていく。まるで統一性のない注文に対応するとはかなりの腕前である。料理特化分体なだけはあるな。
赤毛のポニーテールの少女は手際よく他の店員と共にテーブルへと料理を乗せていく。
「えへへ。理子さん、俺も手伝いますよ」
「ありがとうなっ、大木さん! 助かるよっ」
「いやぁ、たいしたことないですよ。うはは」
「少し哀れじゃの……」
顔を赤らめながら大木が下心丸出しで手伝いを買ってでる。正体を知っている俺や雪花、アレスは可哀想な視線を向けるが、幼女はもちろん気にせずにシェイクをコクコクと飲み始めるし、理子は快活な笑みで大木へとお礼を言う。分体には罪悪感とかないらしい。まぁ、振られればまたすぐに他の女を探すだろ。
テーブルに並んだ飯を手にそれぞれ食べ始めながら事情を聞くことにする。腹が減ってはなんとやらだ。あ、俺の燻製肉は花梨にあげるぜ。サンドイッチだけでお腹いっぱいなんだ。
「………このシェイクは完璧にゃん! シャリッとした歯ざわりがあり、それでいて喉越しが良い滑らかさもあるにゃん!」
ピーンと尻尾を伸ばして、シェイクの美味さに感涙しながら、ごくごくと飲む食通猫娘。たしかにサンドイッチも美味い。スクランブルエッグに分けた白身と黄身を炒めて混ぜてあるのか歯ざわりが良いし味が濃い。ハムサンドは……大丈夫だよな? 信じているぜ。
『さすがは料理特化ですね。料理スキル持ちが霞んでしまう味では? 私もイリュージョニストレイとして、突如として煙と共に現れて良いと思いませんか?』
『後で注文してやるから我慢してくれ』
幽体の雫さんが、美味しそうに皆が食べているので、私も食べたいですとお願いをしてくるが、我慢してほしい。俺とレイは勢力争いをしているらしいからな。
「防人、あ〜ん」
生姜焼きを箸で摘んで食べさせようと、蕩けるような甘える顔でセリカが俺の口へと運んでくるので、パクリと食べて安堵する。うん、これは普通の豚肉だ。猪とか、槍を持った猪とかではないな、うん。
「少し照れてくれても良いんだよ?」
「この肉の正体の方が気になったんだ」
ご不満なのかプクリと頬を膨らませるので、指でつついておいて、周りを見る。特に周りの皆は気にすることもなく飯を食べている。食べられない人間だけが、ゴゴゴと口に出しているが。
『俺には幽霊が取り憑いている! 牢屋なんか簡単に抜け出しちゃいます! ゴゴゴ』
『自分で幽霊って言うなよ』
学ランと帽子が必要ですと呟く妖精さんだが、最近会っていなかったから、セリカは甘えたいらしいんだ。許してやれよ。俺の気遣いを無駄にするように、煽るように雫へとニヤニヤと笑って、再び生姜焼きを箸で摘もうとしているので、セリカも妖精だとつくづく思う。まぁ、可愛らしいからいいんだが。
各地へと飛び回って、忙しかったから、皆で騒がしくしながら食事を取ることに嬉しさを感じる。やはり癒やしは必要だ。こういった騒がしい食事は殺伐とした心を癒やしてくれる。多分だが。
収拾がとれなくなる前に、とりあえずは本題に移すことにする。信玄はコップに日本酒を注いでやがるからな。飲みすぎだ爺さん。
「で、何があったんだ? 勝頼たちは大口の取引に行ったんじゃないのか?」
「練馬研究所に行って、剛性魔法麻繊維のライセンス契約を結びました。金額は売上利益の3%です」
「戦闘服の素材だったか?」
最近真面目に忙しくて、書類を見ている暇があまりないんだよ。各地に冒険者ギルドと天津ヶ原コーポレーションの支店を作るのは大変なんだ。とりあえず土地と建物だけ買って、少しだけ営業を開始してはいるんだが。
そのことを勝頼も理解しているので、簡単に説明をしてくれる。
「そうです。で、所長はこちらへと何やら画策していたようでして。俺は少し冷静さを失いましたが、アレスに助けられました」
「それは良かった。……で、ライセンス契約料って、普通は3%なのか?」
よくわからないな、そのへんは。セリカどうなん? ライセンス契約料とかって、それぐらいなのか?
「そうだね。少し安いぐらいで相場だよ。ただし昔の相場。今の時代だと格安だね。今は30%は取るからね〜」
口をもぐもぐと動かしながら、箸を振ってくるセリカ。なるほど。
「相場なら良かった。で?」
相場なのか。なら問題はないな。まったくない。ないったら無い。そう決めた。
「そこでイザコザがありまして……」
気まずそうに勝頼は教えてくれるが、廃墟街の人々のことを言われて怒ったと。なら仕方ない面もあるな。アレスがいてちょうど良かったぜ。
取引を諦めると告げた途端に、相手は下手に出たらしい。無理もない。何百万着もの儲けがふいになるんだからな。だが、よくそんな特許内容に気づけたな、俺でも気づくのは難しいかもしれん。
「あ〜、そういえば、僕が研究所にいた時にそんな特許内容にした覚えがあるよ。当時は魔法麻繊維なんて見向きもされなかったんだけどさ」
食べ終わったセリカが伸びをして、俺の膝に頭を乗せて気持ち良さそうに寝そべりながら言ってくる。麻繊維……なんかよく燃えそうな素材じゃんね。
セリカは俺の膝の上でゴロゴロしながら、むっつりとした顔になる。
「燃えやすい麻繊維を特殊な薬品に漬けて灰で覆ったんだ。3つの魔法付与をしていてね。燃えにくく軽く防刃性能も高い素材のはずだったんだけど、麻という素材の名前が悪かったし、天才の僕を潰そうとする人たちが多かったからお蔵入りになった素材なんだ」
「そんな素材をよく見つけたな」
「フォー、ではなく、命が見つけたんだよ。彼女は失せ物、捜し物、安い物を探す能力を持つ天性の占い師だからさ。僕もすっかり忘れていた代物だったんだけど」
「ほぉ〜。あの少女はそんなに凄かったのか」
見た目からはわからなかったが、有能だったんだな。
「親のような仲間が死んだので、孔明の言うとおりに、親が死んだので1年は仕事をしないで喪に服すのです。儒教というものなのです。なので、休職手当を1年間欲しいのですよ」
とか、3か月前は言ってたんだがな。儒教は孔明じゃないだろ。誰だかは忘れたけど、似たような名前の奴が作ったんじゃなかったか?
仲間を救えなかったのは残念だったなと、外食も禁止だと思うので、周辺の食べ物屋に入店禁止の通達をしておいてやると伝えたら、現代では1日喪に服せば良いのですと気を変えた小娘だったんだが。占い師で稼いでいるのかよ。
『未来予知はしないように説得しておきました。そういうことをすると、宇宙人の端末になって無口キャラにならないといけないですよと伝えたら、自分の金儲けにしか使わないと了承してくれました』
『一番駄目な使い方じゃねーかよ』
ふんすふんすと鼻息荒く胸を張る雫さんだが、説得の方向が間違っていると思います。あと、なんで宇宙人?
「命という少女。その子が思いついて、仲間の子供たちに伝えて試作品を作ったんですよ。それが殊の外優秀な戦闘服になったわけでして。これは売れると考えました」
「そうだな。あの戦闘服には儂も驚いたもんだ。内街の連中はよく放置していたもんだ」
勝頼と共に性能を確認していた信玄が日本酒をグビグビと飲みながら言ってくる。アーチャーの攻撃に対して打撲で済むのはかなり助かる。矢傷というのはそれだけ厄介なものだと信玄は理解していた。
アーチャーの使う汚い矢じりが身体に食いこめば破傷風や病気への感染もあるので、下手をしたら銃弾よりも厄介な武器となる。初めて見たときは、これがあれば冒険者の死亡率が大幅に下がると信玄は嬉しく思ったものだ。
「占い料金は、利益の0.01%で良いのですとも言ってきたので、それは断りましたが。その代わりに1000万で手を打ってもらいました」
えげつない稼ぎ方をする少女であると、呆れてしまうが、まぁ、価値を考えると安いものか。勝頼の交渉勝ちの模様。
「で、ライセンス契約を結びに行った帰りに、バズーカ砲を撃ち込まれました」
「えへへ。ミスリル合金って凄いんですね、防人さん!」
バズーカを撃ち込まれたよりも、防いだ自分の車の性能が純は嬉しいらしい。なかなか強い肝っ玉をしている。
「新しい合金だからな。ミスリルの良い宣伝になったぜ」
『ミスリル合金10キロ:モンスターコアA3個』
新たなるコアストアの商品だ。魔法の銀は、通常の銀のように柔らかいが、マナを込めて加工をすると、物理耐性と魔法耐性という不思議性能を持つ合金となるのである。バズーカ砲の攻撃にも耐えたらしい。
純が自前の車を作った理由だ。早くもその性能をお披露目してしまったな。ちなみにミスリル合金10キロで3億円です。リムジン風の車の要所をミスリル合金にしたので、だいたい100億程の金額となった。もっと装甲は薄く作れるはずなので、10億円ぐらいには抑えられるかもな。
「危機を察して、すぐに暗殺者を用意できたのはおかしいぞボス」
「だな。これは少し問題だぜ」
アレスが腕組みをして、真剣な表情で警告してくるが、俺も問題だと思う。所長の思い切りの良さは褒めるが、簡単に暗殺者を用意できたのはおかしい。
『今頃になって裏社会の殺し屋とか出てきてもらっても困りますよね。防人さんは核ミサイルの直撃を受けないと傷を負いませんし』
『強くなりすぎた感じはするが、核ミサイルならたぶん大怪我を負うぞ』
買いかぶりすぎだと、雫の言葉に苦笑しつつ、セリカの柔らかい髪を撫でながら考える。俺はもう大丈夫だが、どうやら部下が狙われるようになったらしい。
現実は世知辛い。どいつもこいつも、恐怖に慄いて静かにしてくれはしないらしい。仕方ない。もう少し働くとしますか。




