277話 有能社員
春うらら。雪解けは終わりを告げて、緑が生い茂る春の季節。博多シティのスタンピード攻防戦から3ヶ月が経過していた。
天津ヶ原コーポレーションは躍進の時へと突入した。博多シティでの実績を手に、日本に残る各地のシティへも冒険者ギルドを開店。スキル結晶や作物などを輸出して、多大な利益を得て、ダンジョンの攻略を進めることにより、その名が知られ始めていた。
まぁ、あくまでも知られ始めたというレベルだが。
変わり始めた日本の中で、一人の男がいた。
武田勝頼。あぁ、戦国時代の武将、とかその名を聞いた人は以前は答えただろうが、天津ヶ原コーポレーション周りの人々は違った答えを返すであろう。
あぁ、あの苦労人の幹部さんだねと。
少なくとも、勝頼自身はそう思う。思いたい。皆がそう思ってくれると良いなぁと、儚い想いを抱いている。
なぜならば、仕事が多いからだ。多い上に、最近はちっとも進まないからだ。書類は山となり、折角設置してもらったパソコンも、電力が使えない時を考慮すると、あまり重要なデータは置けないことに気づき、あまり有効活用をしているとは言い難かった。
簿記のフォームや図面の作成などで使用できるので、以前よりは多少マシではあるが。昔、全てを電子に変える試みが政府や企業では流行ったらしいが、そいつらは電力が使えなくなるという想定をしたことがあるのだろうかと、疑問に思うことが時折ある。
電力がないと、パソコンは粗大ごみにしかならないのだが。しかも決して開けられない金庫の役割を果たすことにもなるが。なにしろたとえパスワードがあっても、そもそも電力がないと動かすことはできないのだから。
なので、最近までは紙の書類に埋もれて勝頼は朝から晩まで働いていた。
朝8時に出勤し、今日の予定を確認しつつ、最近本社内にオープンした元気な赤毛娘が経営するレストラン「ラッキースマイル」で買ったホットドッグとカフェオレで朝食を取る。新しく開店したレストランは味も良く朝からテイクアウトもやっていて、とても助かる。少しして、秘書が出勤してきて、挨拶を交わしつつ、仕事に取り掛かる。
勝頼が確認するのは、売り上げと輸出入の流れ全般。新しい取引先である博多を始めとして、各地方シティへ正常に物資が届き、金が振り込まれているか確認するのだ。だいたいおかしな金の流れがあるので、部下に調査するように指示を出す。
それで午前中は終わりである。社長が出勤してきて手伝ってくれると、結構簡単に終わるが、だいたい何人かが辞職するか減俸になる。酷い時には命も終わる。
昼近くになると、他の企業との食事会が結構ある。これがまた面倒くさい。海千山千の経営者たちは、なんとかこちらの利権を奪おうとしてくるからだ。その中でもっとも簡単なのは勝頼を取り込むことなので、いつの間にか見合いになっていたパターンもある。
社長が代わりに出てくれる時もあるが、その場合、相手の利権をふんだくってくるので、後処理で忙しい。
昼を過ぎると、3日に1回は親父がUSBメモリと書類の束と酒を持ってやってくる。冒険者ギルドの出納帳だ。さすがにパソコンで纏められてデータ化しているが、最終確認をするのはギルド長たる信玄。即ち俺の親父である。
確認をしても漏れがあると、自分の能力を悪い意味で信じているので、俺に最終確認の確認を求めてくる。最近は各地のシティに冒険者ギルドの支店を置き始めているので、確認も大変だ。
所詮成り上がりの廃墟街出の企業だと馬鹿にして、だいたい不正をされているので、対応するのが大変である。特に忙しいと愚痴りながら酒を飲む親父が隣にいると、ストレスがマッハで溜まる。そろそろ廃墟街のボスから、大企業の幹部へと気を変えてほしい。
社長も一緒に見てくれる時があるが、その日は誰かしらの事故死が増えることがある。事故死を減らしたいもんだと、スローガンにしようかと社長は考えるが、事故死が減ることはないだろう。
なにせ廃墟街の連中を使い捨てにしようとする奴らが事故死するのである。勝頼としても問題はない。
落ち着いたら、作物とコア、そして様々なスキル結晶や魔法具の販売量などを決めたりする。取引先の沼田や穴山少将を始めとする多くの人々と会談して決めるので、終わるのはだいたい22時頃。ようやく帰途につける。
夜までやっていて頼もしい「ラッキースマイル」で食事をとって帰宅することが多い。あそこはお茶漬けから、ステーキまで和洋中全ての料理を豪華な物から家庭のいわゆるお袋の味まで用意してくれて、勝頼のお気に入りである。
もはや毎日使っているかもしれない。赤毛娘は元気いっぱいだし、見ているとこちらも元気になる感じがすることだし。大木が花束を贈っているところを見たことがあるので、早くも惚れたらしい。気の多い男だ。大木だけに。
そうして風呂に入り、少し寛ぐと明日に備えて寝るのが勝頼の1日の流れである。
「いや、もう少し人を使え。なぜ自分で全てをチェックするのだ? 不正をせずにチェックを行える人材はいるだろう?」
ガタガタと揺れる車内で、勝頼は柔らかいソファのような椅子にもたれかかりながら、自身の仕事の内容を語ると、正面に座る男が呆れた口調でつっこんできた。
先日、社長が仲間にした男だ。昔に国連主導で設立された特殊部隊出身らしい。筋骨隆々の身体と顔立ちがギリシャ彫刻のように2枚目の男だ。名前はアレス。由来は戦の神アレスらしい。偽名を名乗るにしても、もう少しまともな名前にすれば良いのにと、自己紹介時に苦笑いしたものだ。
モテるかと聞かれれば、顔の彫りが深く日本人に馴染みにくい顔立ちなので、微妙に答えに迷うところだ。
「俺もそう思いますよ。だが、不正をしない有能な人材が一番厄介なんです」
ムスッと顔をしかめて見せると嘆息する。ただ、それだけの答えであったのに、目の前の男はなるほどとあっさりと見抜いてきた。
「貴様の有能な部下はほとんどが紐付きなのか」
「俺の話だけで、その結論に至ることができて助かります。たとえば、蕎麦粉を100トン仙台シティに運ぶように指示を出しますよね。有能な俺の部下は素直に指示どおりに仙台へと輸送指示を出す。なぜか2回も」
自身の家門への連絡もついでにするのである。その物資が重要品であればあるほど、連絡は活発になる。忠誠度が高くて本当に助かる。泣けてくるほどだ。
「もちろん重要な品であるほど、なぜかタイミング良く他の企業からの面会の事前予約が増えます。この間、微風の盾を500個売り払ったときには、しつこく絡む会社もいるんですよ」
「ふん。まるで豊臣秀吉だな。百姓上がりの猿は出世しすぎて、親族がいなくて苦労したらしいからな」
鼻で笑うアレスだが、こちらは苦労をしているのだ。豊臣秀吉はいい得て妙だとは思うが。
「俺は不思議なんですが、そもそも加藤清正とか福島正則とか、若い連中を秀吉はどこから連れてきたのかわからない。俺も伝手が欲しいところだ」
廃墟街の仲間は実務経験が乏しい。1年の実務経験で処理できるほど簡単な仕事ではなくなったので、どうしても外街や内街の連中を雇うことになった。馬場が敵意を剥き出しにして派閥争いをしようとしているので、悩んでもいる。伝手があればと何度思ったことか。
もちろん廃墟街の人々を育成するように優遇しているのだが。まだまだ使える人材になるのは時間がかかるだろう。廃墟街出身であるのに、天津ヶ原コーポレーションの最高幹部として活躍できる勝頼が異常なのである。
「たしかにな。字も読めず、戦うこともしたことのない若い連中が大名になれたのはおかしな話だな」
そうだろう? と同意を求めてくる勝頼にアレスは肩をすくめて返す。たしかに謎ではあるなと苦笑をするアレスに、勝頼は僅かに口端を吊り上げる。
「まぁ、だからこそアレスには助かっています。紐付きではないし、仕事も早い。言うことなしですからね」
アレスは勝頼の褒め言葉に対して嬉しがることもなく、軽く笑みを見せるだけに留める。勘違いされやすいが、アレスは戦争の神である。
戦争の神とは武力が高いだけではない。それでは戦いの神となる。
戦争の神とはどういう意味か? 軍費の調達から、兵糧の管理。平時においては戦争に勝利するための事前準備をするための、政治における根回しや、田畑を増やすための活動も含んでいるのだ。
即ち、戦いにしか能のないどこかの洗濯板娘とは違い、内政関係も卒なくできる有能な男なのである。
勝頼はアレスが有能な人材だとわかり、殊の外喜んでいた。というか、一番喜んでいた。
嫌がらせを受けても、余裕でやり返す腕っぷしも持っており、部下へ気前よく酒を奢るきっぷの良い性格もしている。馬場は自身の派閥に入れようと企てているし、先輩であるはずの大木は奢ってもらってご機嫌だ。勝頼自身も右腕として早くも重用し始めている。
「フッ。報酬も良いし、仕事も面白い。それに人間が明日への希望に目を輝かせて生き生きとしている姿は見ていて嬉しいしな」
「聖人みたいなことを言うんですね」
「高い報酬が余裕を持たせるのだ」
「たしかに、金があれば余裕は生まれます」
ニヤリと笑うアレスに、勝頼も同意して笑い返す。廃墟街出身の自分だ。金の有難みはよく知っている。貧乏でも心は錦と言うつもりはない。もちろんそういう本当に聖人のような者はいるのだろう。だが、金があれば余裕が生まれて、相手を気遣うことをする人間がいるのは確かなのだと思う。
そして自分は後者側の人間なのだ。
お互いに、ひとしきり笑い合う中で、アレスがガタガタ揺れる車を気にして、車内を見回す。
「この車、内装は豪華だが、なぜここまで揺れるのだ?」
車窓から外を眺めると、既に外街だ。アスファルトは一応舗装されており、ここまで揺れるのは変だとアレスは疑問を口にする。
見かけはリムジンのようだが、どうもシャーシから歪んでいるのでは無かろうか? 事故車か?
「あ〜。それは僕のせいです。この車は僕が作ったんですよ! 試運転が足りませんでした。ごめんなさい」
助手席に座る子供が振り返って、気まずそうに頬をかく。作ったと聞いてアレスは僅かに驚き、勝頼を見てくるので、そのとおりだと頷く。
「鉄工所が稼働し始めて、純は車が作れないかと試したんですよ。折角リムジン風の豪華な外見になったんだ。使用しないと勿体ない」
明後日の方向を向きながら、早口で勝頼は答える。リムジンを入手するのは大変なのだ。自前で用意できるなら、それに越したことはない。黒塗りで長い車体だ。外見が似ているから問題ないと思いたい。
「えへへ。次はもっと良い車を作ります!」
「そうか。やるな少年」
アレスは少年の瞳に、希望を見て優しく微笑む。年若い子供がそのような瞳を持つのだ。この世界は希望を持てるのかもしれない。
怒りださないアレスに勝頼はホッと安心する。純には希望を持ってほしい。
そうして、ガタガタと揺れる車に乗りながら外街を通過して、内街の門前に到達する。
「ここから先は伏魔殿となります。気をつけて行きましょう」
「あぁ、人間の中では度し難い者もいるものだ」
勝頼は気合を入れて、アレスへと注意を促す。今日は内街の奴らと大口の取引をするための会議だ。社長が来てくれれば良いが、現在各地のシティに大きなカラスに乗って文字通り飛び回っている。
なので、自分が頑張らなければならないと気合を込めるのであった。
「なぁ、純? ブレーキとアクセル、位置が反対じゃね?」
「オリジナリティを出そうと思ったんです、大木君さん」
「そういうオリジナリティはいらねえよ! 運転の仕様関係は変えたら駄目だから!」
運転席で運転手が叫んでいたりもした。




