275話 理
ゲートから現れた肉塊。体長1メートル少しの肉塊はピンク色の肌をしており、口らしきものだけが顔にあった。
脈打つ血管がびっしりと身体を這い、不規則に蠢くその姿は不気味であり、おぞましい化け物にしか見えない。
金属の床を歩くたびに、ねちゃねちゃと肉が床に貼り付く音をさせて、黄金の竜たちの前に行くと立ち止まる。
「ぬ。何者だ?」
竜たちは目の前に現れた肉塊を見て、顔を見合わせて戸惑う。人間には見えないので、魔物であろうが、あちらの世界からやってきたのであろうか? だが、今さっき、仲間の竜がくぐり抜けていったばかりだ。この魔物を無視したのだろうか?
肉塊はゆらゆらとミンチ肉の塊のような腕を軽く振って答えてくる。指もなく単なる肉の塊でしかない腕はぐにゃりと曲がり、竜人へと向けてくる。
「理を司る。自然を司るのではないのですね。ちなみに私は自然を司るつもりです」
淡々と呟くように告げてくる肉塊に、竜人は顔を近づける。
「魔物か? ぬぅ……」
黄金の竜人は縦に割れる爬虫類のような瞳を肉塊に向けて、解析を行おうとしてマナを集中させる。相手の正体がなんなのか、それはすぐに判明した。
「僅かながら理の力を感じるぞ! 我らと同じ存在か!」
驚きの声をあげる竜人に、肉塊は気にすることもなく、ゆらゆらと蠢く。
「自然の力を理と称し、自らに枠を作る。なぜなのですか?」
肉塊の顔に洞穴のように空いていた口らしきものが、パクパクと動く。いつの間にか真っ白な歯を生やしており、ピンク色に蠢く肉塊が変化して肌も色艶のある普通の皮膚が作り出されている。
だんだんと変化している肉塊の不思議そうな問いかけに、竜人はムッと僅かに顔をしかめる。
「我らは人類への試練という概念から生まれ、人類への災害という形をとり試練を人類へと課した。結果、人類は試練に失敗し、我らは自身の存在を常にそこにある存在、即ち自然と化したのだ。自然こそは神! 自然と化したことで、私たちは世界の神であるとの存在を確定させた。そうして世のあらゆる理を全て司ることにした。新たなる理を作ることこそが、我らの役目。完全なる我らがこの世界を導く新たなる神なのだ」
「結局、人類を滅ぼしたので、次代の支配者になりたいだけですよね。やけに人間臭い考えを持つ、作られた神にどれほどの価値があるのでしょうか。人間の想いから作られた神が完全なのですか? 1つの身体を分割されているにもかかわらず、完全なる神を名乗る? もしや、その頭にはトカゲの脳みそしかないのでは?」
じわじわと肉塊は人の身体に変化していた。艷やかな濡れ烏のような黒髪が生えて、床まで流れるように伸びて広がっていく。
黒曜石のように美しい瞳が作られて、小さな鼻に桜色の可愛らしい唇が、健康そうな生まれたての卵のようなツルンとした肌の中に作られていた。肉塊はその体つきもスタイルが良い小柄な少女へと変化していく。
しかして、その瞳は眠そうに半分閉じられて、僅かに首を傾げて竜人へと辛辣な質問をする。
竜人は目の前の少女を不快げに顔を歪めて見つめると、ワニのようにぞろりと生えた牙を剥く。
「不遜だな」
竜人の背丈は3メートル程、その身体は黄金の鱗に覆われており、マナを感知できるものがいれば、その強大さに目が潰れるか、恐怖と畏れで心が潰される程の力を宿している。その身体もはちきれんばかりの筋肉の鎧のようで、手足も丸太のように太い。
対して、目の前の少女は自分たちと比べると同じ力を持っているとはいえ、その内包する力は弱々しく比べ物にならない。背丈も1メートル30センチほどで、幼い人間の少女の姿となっている。
理を示し、世界を管理する我らに比べるとあまりにも矮小な存在に、同じ存在のようだからと、最後のチャンスを与えることにした。
「我らに従え。そちらの世界への扉を開く手伝いをせよ」
だが、少女に姿を変えた肉塊は、眠そうな瞳で竜人を仰ぎ見て、まったく興味がなさそうに答える。
「申し訳ありません。トカゲ語ってよくわからないんです」
「後悔せよっ!」
竜人は怒気を纏わせ、腕を振り上げると黄金の粒子で覆う。
『真理の拳』
触れられれば砕けるという理を纏わせて、竜人が拳を振るう。疾風のような拳速により腕が消え、少女を襲う。
パシッ
だが、その拳はあっさりと少女が翳した手のひらに受け止められた。完全に威力を失い、少女の体幹は揺らぐこともなく、その身体を押し下げることもない。
「な」
「シッ」
驚く竜人に鋭い踏み込みで懐に入ると、少女は右拳を繰り出す。キュンと風が鳴り、小さな拳は竜人の胴体に命中する。
と、竜人の胴体は少女の拳を受けた箇所から振動が巡り始めて膨れ上がる。振動のエネルギーは竜人の体内で暴れまわると、内部からボンと爆発し、バラバラの肉片へと変えて撒き散らす。後には拳を繰り出した体勢で少女が呼気を吐いていた。
「こやつ!」
「我らを倒すとは!」
「理を崩すか!」
3人の竜人は、仲間が一撃で倒されたことに驚きつつも、少女を倒すべく飛びかかる。
竜人たちは左右から挟み込むように2体が迫り、正面から1体が両手を鉤爪のように曲げて少女へと襲いかかる。いずれも超高ステータスの者たちだ。風のように一瞬で迫り少女を倒そうとする。
少女はタンと床を蹴ると左右の竜人を無視して、正面の竜人へと立ち向かう。竜人は鉤爪のように変えた手で少女を引き裂こうと、掴みかかるようにして手を突き出すが、少女は自身の腕を螺旋のように回して、竜人の腕に当てると、その軌道をずらす。
竜人の腕をかいくぐり懐に入り込むと、胴体にその小さな拳を捻るように突きこむ。黄金の鱗に覆われた竜人の胴体をまるでガラスのように砕き、肉を抉り大穴を開けた。
そのまま左足を支点に、床をキュッと踏みしめると回転して腰を屈める。頭上を2体の竜人が振るう腕が通り過ぎ、少女の長い髪が風に煽られてなびく。
まるで黒いカーテンのように、黒髪が竜人たちの視界を阻み、僅かに動きを止めると、その隙を狙いすまして、片方の竜人へとバネのように伸び上がりアッパーを喰らわす。
竜人の頭が吹き飛びグラリと揺れて倒れ伏すのを見ることなく、もう1体の竜人へと宙で回転してサマーソルトキックを叩きつける。
その蹴りは鋭く、まるで剣のような切れ味を見せて、竜人を真っ二つにした。
「弱い」
ドシャリと音を立てて、一瞬の内に3体の竜人を倒した少女はつま先からトンと床に降り立つと、つまらなそうに呟く。
「なぜだっ?」
この世界で最強を誇り、世界の理を司る予定であった竜人と竜は動揺を隠せずに少女を見つめる。
「馬鹿なっ! なぜ、貴様程度の力で我らを一撃で倒せる?」
「ありえぬ。理に反する!」
騒ぎ立てる竜人たちをつまらなそうな顔で、少女は見つめ返すと、手をゆらゆら揺らす。
「自身の力を隠していないのは、相手を威圧するためではなく、ただ隠せるほどの技を持っていないだけだったのですね。がっかりです。やはりけろけろと鳴くだけのトカゲでしたか」
強者と戦えるかと期待していたのですがと、少女は肩を落として明らかに落胆を見せる。
「自然ではない。理などは貴方たちトカゲ族が決めた単なるルールにすぎない。井戸の中にもうお帰りください」
「な、なにを……」
竜人たちを嘲る言葉を受けても、竜人たちは怒ることもなく、少女から離れようと後退る。
フッとその様子を見て、馬鹿にしたように少女は鼻で笑う。
「貴方たちの理というのはその程度なのですね。敵が強者であると悟れば後退る程度の理。簡単に下がる理なんですね。やはりトカゲ。神とはもしかして紙のことですか。紙で書かれたトカゲさんのルールでしたか」
「ぐっ! 皆でかかるぞっ! こやつは普通ではない!」
竜人の1人が叫ぶと、全員が息のあった動きで手を突き出すと魔法を発動させる。
『真理炎』
触れれば燃え尽きる理を持つ炎を。
『真理氷』
触れれば凍りつく理を持つ氷を。
この世界において絶対の理。無敵の力を発動させた。
猛火と氷風を回避されないように、逃げ道を塞ぐように放つ竜人たち。後方にいる竜が口内にマナを凝集して、様子を見る。
少女は動くこともなく、つまらなそうな瞳で迫る魔法を眺め、その身体は猛火と氷風で覆われた。本来ならば相殺される炎と氷はお互いの理に干渉することなく、少女を燃やし凍らせようとする。
だが、絶対の理による魔法を受けても、少女はまったく動じておらず、その裸体は燃えることも凍ることもなかった。
「なんとなくわかります。私を創ったのは貴方たちの1人。ですが、既にお互いに袂を分かっており、異なる世界にいます。それに言ったでしょう? 私はトカゲ語ができないんです。貴方たちのルールはわかりません」
ふいっと軽く腕を振るうと、少女を押し包もうとする魔法はあっさりとそよ風のようにかき消えた。小首を傾げて少女はニコリと邪気のない笑みを見せる。
「なので、ルールに頼ることなく、純粋な戦闘力を見せてください。まさか自分たちに都合の良いルールに頼りっぱなしで、戦えないなどということはないですよね?」
「ググ……」
『管理者権限発動。存在の消去を実行』
『対象への消去無効』
竜人の一人が直接少女を消去しようと、世界の理を変えようとする。が、少女は消え去ることなく、つまらなそうな目で見つめて鼻で笑う。
「そのルールは私には適用されません。そうですか、自我を持った結果はチートコードを使うだけのトカゲさんに成り果てましたか。残念です。自我を持たない貴方たちと戦った方が純粋な戦闘を楽しめたでしょう」
「そ、それは……」
先程まで自信に満ち溢れている姿を見せていたはずの竜人たちは、口籠りさらに後退る。少女が腕を振るった瞬間に放った力を見て、自分たちとは比べ物にならない力を感じたのだ。そして少女の言葉にも言い返せなかった。
自我を持った後は、理により攻撃をすればそれで敵を倒せたのだ。自我を持たなかった1体は過去に人間に倒されたようだが、それは人間の最後の足掻き。ようやっと全ての力を集めた人間たちの最後の反撃だったのだ。
他では負けることなどないし、同じような力の人間がいた場合に倒せるようにと、残りの全員で集まってもいたのだ。
頼れる理の力を抜きにして、戦闘などしたことはない。頼りっぱなしの自己中心的ルールを使い勝利してきたのだ。通じないパターンなどは考えたこともなかった。
「どうやら、図星だったようですね。子供が自分ルールでゲームを楽しんでいただけでしたか」
はぁ、と今度こそ落胆を見せて、少女はつまらなそうな瞳を向ける。
「その創造の力、貴方たちには勿体ないと思います。では、さようなら」
『核加速脚』
その一言と共に少女の姿はかき消える。いや、竜人たちが反応できない程の超高速で目の前に移動してきていた。
少女は手の指をピッと揃えると、髪をなびかせて、舞うように黄金の粒子を纏う腕を振るい身体を回転させる。手刀であるのに、その舞は剣舞のように激しく、その切れ味は剣のように、やすやすと竜たちを切り裂く。
『拳舞』
一瞬で白金の軌跡が竜人を通り過ぎ、その身体を分断させて鮮血と肉片へと変える。ただ一言から成る闘技。初級の闘技に見えるが、その威力は絶大であった。
「おのれっ!」
『神炎の息吹』
理での攻撃は通じぬと判断して、神級へと切り替えて、白金の炎を竜が吐く。少女は薄く笑い身体を翻し、宙に逆立ちに浮くと回転して炎を躱す。マナを手に集めて、白金の炎に触れるとそのまま滑るように竜へと迫る。
息吹を吐いており、動けない竜の頭をそっと手で掴むと、静かな瞳で見つめて嗤う。
「どうやら、貴方たちでは私の敵にはならないようですね」
『首捻』
竜の頭を掴んだまま逆立ちになり、竜巻のように身体を急回転させると、巨大な竜の首を捻じり引きちぎる。ビリビリと首と共に脊髄が体から引きちぎられて、竜は断末魔をあげて倒れ伏すのであった。
噴き出す返り血に、少女の裸体が染まる中で、トンと軽やかに床に脚をつける。
「所詮、自身のルールだけで遊んでいたトカゲです。つまらない戦いでした。がっかりです」
スイッと腕を振るうと少女の身体は仄かに光り、返り血は消えて、元の美しい姿に戻る。
「私が眺めてきた世界の自然は闘争。闘争こそは私の自然……」
倒れ伏した竜人と竜から黄金の粒子が漏れ出して、少女へと吸収されていく。体内に満ちていく力を感じても、少女は嬉しそうな顔をすることもなく呟く。
「そういえば、竜の死体を残してしまいましたが、彼は有効活用してくれるでしょうか。楽しみです」
クスリと花のような可憐な笑みを見せて、少女は倒した竜の代わりにこの世界の掌握を始めるのであった。