264話 サンダルフォン
博多シティから遠く離れた森林。大人が10人囲んでも囲いきれない太さの幹を持つ、数十メートルの高さの巨木が並び立っている。冬なので、葉は落ちており、枯れ木のように立つその姿は巨木であるがゆえに、余計に寂寥感を与えてくる。
だが、巨木が聳え立つ中で、やけに白い巨木が震えた。いや、震えるのみならず動き出す。
それは歩き始めて、障害となる周りの巨木をマッチ棒でも折るように、ミシミシと音を立てながら簡単に砕いていく。
それはトーガを着込む、巨大な人間であった。いや、背中には白鳥のような真っ白の羽根を生やしており、神々しさを魅せていた。
それは天使であった。名はサンダルフォン。神の敵を封印して、牢獄に閉じ込めると言われている強力な天使サンダルフォンである。
巨人の顔立ちは生真面目そうであり、硬い顔をしており、厳格な雰囲気を醸し出している。
「ふむ……世界は美しい」
数十kmは離れている博多シティを、サンダルフォンは観察していた。サンダルフォンの瞳は牢獄に封印している悪魔を逃さないように、彼方を見通す力を持っている。その瞳にて観察をずっとしていた。
人間たちは魔物のスタンピードにも耐えて、儚い命で懸命に生きている。そのひ弱な身体ではこの世界では到底生き残ることは難しいはずなのに、諦めることなく。
天使として称賛の讃歌を贈りたいと、サンダルフォンは慈しみの表情を浮かべて、観察を続ける。今は、路地裏に座り込んでいる今にも死にそうに身体を震わせている子供に、少女が食べ物と毛布を手渡している姿を見ていた。
先程から観察をしている少女だ。困窮している者たちを助けていた。男たちに折角手に入れた食べ物などを奪われて、肩を落として絶望を抱く家族たちに優しく話しかけて、男たちに硬貨を叩きつけ蹴散らす。そうして、再び食べ物などを手渡していた。
そこには計算高い悪心などは感じられず、善なる心しか感じられない。しかしながら、完全なる善なる心の持ち主というわけでもなく、僅かに悪心も持っている。きっとその悪心を上手く使い、人々を救うために行動できるだろう。
「聖者は天使にとっては素晴らしい者ではあるが、人間にとっては毒でしかない。あの者は聖者でないからこそ、多くの人々を救済できるであろう」
聖者は多くの無垢なる者たちを惹きつけて、人々の心を救う。心に巣食い、善なる姿を魅せつけて、死後の世界での救済を謳う。そのこと自体は素晴らしいことではあるが、聖者は今を生きる人々の体は救わない。だが、人間は即物的なものであり、肉体を持つこの世界でこそ懸命に生きなくてはならないとサンダルフォンは考えていた。
即ち、美味しい物を食べて、安眠をして、愛する者と幸せに暮らすという俗物的な考えだ。天使にあるまじき考えであるが、所詮自分は人工的に創られたモノだ。自らがそのような思考をしても構わないだろうと、気にすることはなかった。
創造主だからと、人間を神と崇めて盲目的につき従うメタトロンよりはマシであろうと目を細める。
「人間たちはスタンピードに勝利した。オモイカネからは時間稼ぎをせよと命じられてはいるが、これ以上は必要あるまい」
巨大な手の中にあるちっぽけな水晶の山を見て呟く。ザラリと音をたてて山が崩れて、漆黒のオーラが僅かに周りへと漂っていく。
全てエレメントコアだ。これを使用して、大量のダンジョンを発生させて、魔物によるスタンピードをサンダルフォンは引き起こした。
創り出せるダンジョンはBランクが最高であったが、この世界の人間たちにとっては脅威の効果を発揮するはずであった。
オモイカネが命じた天野防人たちの足止め。しばらくは確実に足止めをできるはずの作戦。正直、人間たちを守護するために創造された機天部隊にとっては、断りたい内容であったのだが、悔しいことに創造主には逆らえない。なので、苦々しく思いながらも、エレメントコアを使用して禁忌であるはずのダンジョン大量発生をしたのである。
まさかあっさりと片付けられるとは思わなかったが、天野防人はそのまま博多シティに留まった。スキルによる妨害があったために、天野防人当人を監視するのではなく、少し離れた場所を監視して、行動予測をして観察をしていた。
そうしたところ、あの見るからに邪悪なる男は、この地に留まった。理由は簡単に推測できた。恐らくはこの地で金を稼ぎ勢力を伸ばすためだ。それは魔法など力ずくではできないことであると、サンダルフォンは理解している。
人間たちは話し合いを行い、利益を求めるための妥協点を見つけるのだ。その話し合いはすぐには終わらないはず。サンダルフォンがなにも手を出さずとも、天野防人たちはこの地にしばらくは留まるであろうことは間違いない。
『フォーチュンよ。聞こえるか? この地での時間稼ぎは問題はない。こちらは帰還する予定だ』
思念による通信を行うと、すぐにフォーチュンの思念が返ってくる。
『下準備は万端なのです。既に結界による転移阻害の準備は完了。アレスとメタトロンと共に天津ヶ原コーポレーションの本社に乗り込む予定なのですよ。この任務は大成功間違いなしなのです』
『過剰戦力だとは思うが了解した。では、こちらは引き上げて構わないか? そなたはオモイカネから管理者代行の命を受けているはずだ』
世界が違っても、これ以上守るべきはずの人間たちを攻撃するのはお断りだと、言外に含める。オモイカネに聞いても、念の為にと、さらにスタンピードを起こせと気軽に命令をしてくるだろうから、フォーチュンへとサンダルフォンは確認をしていた。フォーチュンから了解を得れば、のんびりと時間をたっぷりとかけて、北海道まで帰還する予定だ。
『了解なのです。サンダルフォンの任務は終了したと考えます。帰還の――』
「駄目だよぉ〜。折角面白いことをしているんだから、最後までやらないと。君の創造主もがっかりしちゃうんじゃないかな?」
「む!」
思念が唐突に途切れて、後ろから少女の軽そうな声が聞こえてきたために、サンダルフォンは素早く前へと飛び上がりながら振り向く。
前へと飛び退ったサンダルフォンの巨体により、巨木は押し倒されて、轟音と共に砂埃が舞い、小鳥や動物たちが逃げ惑う。
サンダルフォンは目を細めて険しい声で、後ろにいる者へと尋ねる。高レベルの気配感知スキルを持つ自分がまったく気配を感じなかったことに、内心で動揺していた。
「何者だ! いつの間に我が後ろをとった!」
巨人の誰何する声量は大きく、音の震えだけで木の枝は揺れて、砂埃が弾ける。
「へろー、へろー。うしし、びっくりさせちゃったかな? ごめんね〜」
サンダルフォンの音波攻撃とも言える大音量の問い掛けを、そよ風のように受け流して軽く返してきた。
それは、その者は巨木の頂上、その先端に爪先をつけて立っていた。不安定どころか、常人では絶対に立つことも不可能な場所で、身体を揺らすこともなく、自然な姿で立っていた。
ゆったりとしたパーカーを羽織り、スカートを履いている。フードを深くかぶっているが、顔は判別できる。灰色の髪の毛に、灰色の瞳をした可愛らしい少女だった。悪戯そうに桜色の唇を曲げて、目をクリクリと面白そうに光らせていた。背丈は140センチ程度、小柄であるのに、やけに胸が大きい美少女である。パーカーが大きいために、裾に手が隠れており、指先しか出ていない。
その手をひらひらと少女は振って、自分よりも遥かに巨大なサンダルフォンに物怖じすることもなく告げてくる。
「私の名前はね〜、どうしよっかな〜。ここは教えるべきかな? それとも謎の美少女ということで教えない方が良いかな? ねね、どう思う? よくあるテンプレだと、名前を教えてもバレないって、油断をしていると、相手はダイニングメッセージを残したりするんだよね。今日はカレーとか書き残すの! ダイニングメッセージだから」
クフフと口元を押さえて肩を揺らして楽しそうに笑う少女を見て、その体内に眠るマナの膨大さから、サンダルフォンは理解した。こやつは人間ではないと。
「汝を敵と判断したぞ!」
『天拳』
腕に白きオーラを纏わせると、サンダルフォンは少女へと拳を振るう。巨大な拳を繰り出すことにより、突風が巻き起こり、木々が弾けて空気が轟音を響かせる。
『柳風体』
少女は闘技を使い、ふわりと枝の先端から浮き上がるように飛び立つ。身体をしならせて、迫るサンダルフォンの拳を躱そうとする。が、サンダルフォンの天拳は白きオーラに見えるが、その正体は超高熱の雷である。触れれば死を齎す神の雷。
柳風体では防げまいと、闘技の効果を知るサンダルフォンは勝利を確信した。が、次の瞬間に瞠目してしまう。
サンダルフォンの拳を少女は柳に風とするりと躱して、腕に添うように身体を翻してきた。だが、そこまでは予想通りだった。それこそが『柳風体』の効果だからだ。しかし、腕に纏う雷は回避できないはずであった。雷のオーラに少女は焼かれて、黒焦げとなるはずであった。
だのに、少女の身体を雷のオーラは通過していった。触れることなく、まるでその身体に障壁でもあるように、雷は不自然な軌道で、少女を避けていった。
『加速脚』
するすると腕を登ってくる少女に焦りを覚えて、サンダルフォンはすぐさま後ろに飛びのく。巨体であるにもかかわらず、加速の闘技にてサンダルフォンは残像を残して、高速で後ろへと下がった。一瞬の内に少女と100メートルほどの間合いが生まれる。
間合いをとって、自らの瞳で相手を解析しなければ、この少女は危険だと判断したのだ。少女は薄い笑みを浮かべて、再び巨木の先端へと爪先をつけて降り立つ。
「『柳風体』で、なぜ雷を防げる?」
動揺から声を険しく変えてサンダルフォンが尋ねると、少女はパタリと両手をくっつけて、小首を僅かに傾けると笑みで返す。
「ごっめーん。今の闘技名は嘘でした〜。本当に使用した闘技は『風神体』。自らの身体を風へと変えて、あらゆる攻撃を回避できるかもしれない技だったんだ。騙されちゃった? ごめんね〜」
悪戯大成功と、クスクスと笑う少女。今、この場でなければ、軽い悪戯をしてきた愛らしい少女だと誰もが思うに違いない。それほど、自然な空気を纏わせており、戦闘をしている緊張感を欠片も少女は見せていなかった。
「闘技名はただの言葉ではない。思念から生まれる真名のはず。偽れば、その効果は発動しないか、効果が大幅に下がるはず……。だが、今の闘技に効果の減少は見られなかった。貴様、何者だ!」
あり得ない現象だと、少女の脅威度を跳ね上げて、サンダルフォンは尋ねる。
「さっすが天使〜。博識なんだね〜、ほうほう〜。フクロウはホウホウだっけ? ホウホウ〜」
両手をパタパタと羽のように振って、あくまでも巫山戯る少女に苛立ち、サンダルフォンは怒りを覚えて身構える。
サンダルフォンに比べると、少女の体躯は指の大きさにも満たない。叩き潰してやると、怒気を纏わせて、マナを体内に満たす。
空気が変わったことを少女は感じて、手を振るのをやめてサンダルフォンへと視線を向ける。
「ふふ〜ん。初戦で天使狩りとは面白いよ。マスターに感謝しなきゃね〜」
目に冷酷なる光を覗かせて、少女は楽しそうに嗤う。それは先程と違い、ゾクリと泡立つ恐怖を覚えさせるような嗤いであった。




