260話 立場
博多シティの内街地区にて、迎賓館として建てられた建物がある。味のある古びた柱に、深い色合いの煉瓦造りの屋敷だ。年季が入っており、趣きがあるといえば聞こえは良いが、少々草臥れている。
その屋敷の一室、応接室にはアンティークなテーブルが置かれて、ソファが周りに配置されており、数人の少女たちが座っていた。
その中の一人、金髪碧眼の小柄な体の少女、平コノハはのんびりと優雅にお茶を飲んでいた。少し苦いが、お茶は苦手だけど、それを顔には出さない。御三家の次女は優雅に緑茶を楽しむものなのだ。
とっても苦いので、小さく舌を出して苦いですよアピールをするぐらいですわと、コノハはメイドに見えるように舌を出していた。淑女はお茶が苦いですよとは口にはしないものなのですわ。そろそろメイドが気を利かして、お茶を交換してくれないかしら。
「これ、渋すぎます。茶葉を入れすぎですよ、幼女でももっと美味しく淹れることができます」
淑女という言葉を知らない仮面を付けた少女は、あっさりとお茶をメイドに返していたが。そして、わたくしの苦いアピールを一顧だにしないメイドである。
「すみません、レイ様。とりあえず茶葉をたくさん入れれば美味しいとコノハ様が仰るので。今、淹れ直しますね」
しかも平気な顔で雇い主に冤罪をかけてくる。この娘は本当にメイドなのかしら。
「抹茶ラテ硬め、生クリームトッピング大盛り、チョコレートソースマシマシでお願いします」
「レイ様。もしかしたら最高のお茶を淹れることができるかもしれません。お茶についても天才だったのですね!」
ソファに深くもたれかかり、レイが湯呑み茶碗を持って、苦いですよと正直に言う。要求を聞くと、メイドは大袈裟に驚く演技をして、生クリームを山盛りに、チョコレートソースをたっぷり掛けた抹茶ラテを作り始める。
しっかりと業務用ホイップクリームを用意する準備万端ぶりだ。この二人は打ち合わせでも前もってしているかのように、息が合う。
平和な世界なら、この二人はきっとお笑い芸人になっていたに違いないとジト目で見ながら、苦すぎるお茶を再び飲んで、舌を出して苦いですよアピールをする。私にもそのお茶をくれないかしら。
「茶道でも抹茶ラテは採用されると思いますか、コノハ様? 私は抹茶の代わりにココアでお願い致します」
「茶道でココアは無理がありますことよ、風香様」
もう一人、ソファに座っている。笹のように長い耳を持つ、美術品のような美しい顔立ちのエルフの源風香だ。この人は同じ御三家なのに、体裁を気にしている様子がない。わたくしがココアで良いのかしらとツッコミを入れると、片眉をあげて、風香は薄っすらと笑みを浮かべてくる。エルフはただそれだけで美しいと、僅かに嫉妬をしてしまう。
「私はお茶は丁寧に淹れてもらえないと飲めないのです。貴女のメイドはどう見てもお茶を淹れる才能はなさそうですので、ココアなら誰が淹れても美味しいはずです」
軽く肩をすくめて、風香は丁寧な物言いで、嫌味なセリフを吐く。コノハのメイドがお茶を淹れるのが下手だとはっきり言ってきていた。実際に不真面目なやり方で淹れているようなので反論できない。うぬぬ。
「いえ、ココアにはココアの淹れ方があります。私は個人的には60度ぐらいに温めたホットミルクで溶いたココアが一番美味しいと思います」
めげないメイドが抗弁しながら、手際よくココアにホイップクリームを山盛りにして、風香に手渡す。お茶の時はバッサバッサと茶葉を入れていたのに、随分丁寧である。生クリームを山盛りにして入れなければ。
「一考の余地ありですね。たしかに美味しい」
「そのコップからは生クリームの味しかしませんわよ!」
ココアは生クリームで埋もれてしまい、風香は生クリームをペロペロと舐めながら感想を言うので、さすがにツッコミを入れてしまうコノハであった。
というか、源風香がいるのは極めて珍しいことである。夜会などでも顔を合わせたら、同じ御三家ということで、軽く挨拶はするがこれまでこんなに親しげに会話をしたことはない。
「なぜわたくしの部屋に訪問なさいましたの? 清お兄様と結婚を目指しているのでは?」
「あぁ、同じ文官になったからそう考えたのですね。たしかに清様は良い物件かもしれませんね。疵もなく綺麗な経歴、有能ですし、細目は腹黒いと思いますし」
「最後、よくわからないセリフを吐きましたわね?」
「気のせいでは? 清様はたしかに優良物件ですが、今はまだ気にする状況ではありません。それよりもコノハ様とレイ様と仲良くなろうかと訪れた次第です」
正直に言う風香の言葉に、コノハは照れてしまう。ここまで直球の言葉を言ってくれるのは、レイぐらいだから。
「この人は防人さんの味方です。私と縁を繋いでも、天秤の傾きはあまりにも変わらないでしょう。利益が大きく防人さん側に傾いていますからね」
あっさりとお友だちになれるかしらと希望を抱いたわたくしにレイが容赦なく現実を教えてくれる。うん、そう思ってましたわ。でも、少しは希望を持たせてほしかったのだけど。
「お互いがぶつかり合わない時がきっとくるはずです。その時に私は一助となれればと考えているんです」
「良い話に聞こえますけど、ようは天野防人社長と対立しない取引の時は一枚噛ませろというだけなのね。わたくしの周りに誠実な人はいないのかしら」
がっくりと肩を落として落胆してしまう。まぁ、予想はしてましたけどね。
「輝様の時はもう少し言葉を取り繕っていたので、少しは好意があると思ってください」
クスクスと可笑しそうに笑う風香様の様子に、疲れてため息を吐く。
「あ〜、そういうやり取りは疲れますわ。いちいち遠回しの言い回しを使わないお友だちが欲しいですわ」
ソファにわたくしももたれかかり、つまらなそうにフンと鼻を鳴らして湯呑みをメイドに手渡す。
「そういう人間こそ警戒するのではないかと、我は思うのだがな。ククク」
「演技が入った人間よりはマシかもですわね、ベーっですわ」
まったくわざとらしいですわと、含み笑いをするレイに小さく舌を出して、顔を顰めさせる。たしかにそのとおりですけど、認めるのは少し悔しい。それと、なぜ、メイドは私だけ苦いお茶を淹れて手渡してくるのかしら。やはり生クリームのトッピングのお願いからした方が良いのかしら。
「まぁ、そんなことよりもっと重要なことがあると思いますが?」
真面目に戻ったレイがわたくしを見てくるので、いよいよ顔を顰めてみせる。わかっている、わたくしも愚かではない。そして、いつも急に真面目になるのは止めてほしい。切り替える方は大変なのですが。
「このお屋敷。アンティークといえば聞こえは良いですが、たんに劣化している古びたお屋敷です。こんな建物にコノハ様を押し込めるとは神経を疑います。もしかしたら不能かもしれませんね」
風香様がソファを撫でて、目をスッと細めて不愉快そうに顔を顰める。擦り切れてはいないが、色は落ちて、テカっている。これでは単に古いソファであって、趣きのあるアンティークとはとても言えない。
絨毯もそうだ。毛がへにゃへにゃですぐに破れそうな薄くて安っぽい絨毯だし、壁紙もお客が滞在するからと、急遽貼り直したと見える。調度品も壺や絵画も買い手のつかないだろう、そこらのお店で二束三文で売っていそうなものばかり。到底、重鎮を滞在させるための屋敷とは思えない作りだ。
「風香様の滞在先も同じ感じですの?」
わたくしが尋ねると、小首を傾げて風香様は不思議そうにする。
「ええ。正直に言いますと他の方々の宿も気になったんです。なのでコノハ様の所に急ぎやってきました」
訪問が急だったので驚いたが、そういう事情があったらしい。この数日は騎士団に指示を出すために忙しかったのでわたくしはあまり気にしなかった。風香様も仕事が忙しくて、滞在先を気にする余裕がなかったのだろう。
落ち着いてから、おかしいと思ったに違いない。
「それで答えはどうだったんですか? 同じ感じでしたか?」
「防人様はここよりも酷い宿舎でしたね。とはいえ、文句をつけにくいレベルの屋敷でした。嫌がらせと考えると上手いやり方です」
やはりわたくしの所に来る前に、風香様は天野防人の元へと足を運んでいたらしい。だが言い回しが微妙ではないかしら。
「ということは、九鬼少将たちは違った?」
わたくしはその言い回しに疑問に思って尋ねる。と、風香様はコクリと頷き、再び首を傾げた。
「レイさんの仰るとおり、九鬼少将たちはこことは比べ物にならないメンテナンスの行き届いた立派なホテルに宿泊していました」
「それは……なぜ博多の救世主は扱いが雑なのかしら?」
普通は反対ではなかろうか? わたくしを雑に扱う理由がわからない。なぜなのだろう? 魔物の大群から、スタンピードから博多シティを守ったのは、対外的にはわたくしなのに、おかしくないだろうか?
「答えは簡単だ。大友宗麟はちっともコノハさんを敬っていない。目くらましのスケープゴートだと考えているのさ」
やけに気取った物言いで、レイが作ってもらった生クリームの塊を掲げて、フッと可笑しそうに笑う。その答えは意外なものだった。わたくしがやったと信じていない? タイミング的にはバッチリだと思ったのだけど。
「私兵が博多シティの支援のためにやってくる。もちろん正規兵も混じっている。いざ戦闘となったら私兵の団長が魔物の群れをあっという間に片付けた。理想すぎる英雄譚だ。えっと、だからこそ大友宗麟たちは疑問に思ったのだよ。コノハが囮だと考えたらしい」
「あぁ、内街の軍隊が本当は片付けたと。秘匿兵器なので、カモフラージュにコノハ様を使ったということですか。それにしても、こちらが秘匿している兵器だと考えるなら、話に合わせてコノハ様や私たちを饗さないといけないと思います」
レイの言葉に、なるほどと風香は半分納得した。残りの半分は、なぜ饗さないかだ。たしかにそうですねと、3人とも頭を捻り疑問に思う。有能な人間ならば、風香の言うとおりだからだ。
だが、予想外の人物が口を挟んできたが、その言葉で納得した。
「お嬢様はつい先日まで役立たずの『道化』と呼ばれていました。そして、天津ヶ原コーポレーションも道化の騎士団も廃墟街の者たち。きっと使い捨ての私兵だと思われているかと。そして、それら使い捨ての私兵と共にいる方々も下に見られたのでは?」
メイドがお菓子をテーブルに置きながら、教えてくれたのだ。博多シティだと、たしかに情報が伝わるのが遅い。勘違いをしたのだろう。昔のコノハの噂を聞いているのだ。それならば意味が通る。
「あぁ、九鬼少将への賄賂を変な風にとられましたか。最初の取り分を確保しただけで、天野社長からの賄賂だと思わなかったんですね。たぶん使い走りだとでも思ったんですよ」
ポムと手を打って風香様もなぜこんなことになったのか理解した。その言葉にレイも苦笑を浮かべる。
たしかに僅か2年足らずで廃墟街の会社が御三家も顔色を窺わなくてはならない程の力を持つとは予想だにしないだろう。常識的に考えれば無理だ。きっと御三家が共同で設立したペーパーカンパニーに見えるに違いない。
「それだともてなしが悪いと文句をつけにくいですね。さぞかし九鬼少将も慌てているでしょうが」
面白そうにレイが生クリームラテを飲みながら笑う。もう生クリームしか見えないから、生クリームラテでいいと思う。
「疑問が解消されて、なによりですわね。真実を知った大友宗麟の顔を見るのが楽しみとだけ思っておきましょう」
手をひらひらと振って、この待遇の悪さを諦める。悪いと言っても、それは本来の御三家に対する扱いと比較してだ。普通ならば文句はつけにくいレベルだ。
「………いえ、これはまずいですよ。こんな状況を防人様が利用しない訳が……」
顔色を変えて風香様が立ち上がると同時に、ドアがトントンとノックされた。メイドがドアを開き用件を聞くと、わたくしにどことなく不審げな様子で報告してくる。
「風魔大佐と華様、その他大勢がいらっしゃいました」
風魔大佐たちが? とわたくしは首を傾げて、なんの用かしらと不思議に思うのだった。




