252話 博多防衛
死を伴う舌が迫り、立花は目の前が真っ暗になった。死んだのだと、目の前が真っ暗になり確信した。冷たい闇の世界。こここそが地獄なのだろうと。多分痛みを感じる間もなく自分は死んだのだと、涙が浮かび、なぜか床に放り出された。
「ぐへっ」
コンクリートの床に叩きつけられて、息が吸えなくなるほどの衝撃にうめき声をあげてしまう。ガシャンと手にとった自動小銃が床に落ちて音を立てて、身体に走る痛みから、死んでいないと目を開く。
周りは炎によって、燃え盛っており、多くの兵士たちが黒焦げになり、倒れている。だが、自分は大丈夫みたいだと、身体をペタペタ触って安堵する。
いったい何が起こったのかと、慌てて立ち上がって銃を拾い、周りを見渡す。さっきまで自分が立っていた場所から少しだけ離れており、立花が急にいなくなったので、カメレオンが舌を引き戻して不思議そうに首を捻っていた。
「た、たすけ……」
「アァ……」
「あづい……うァァ」
黒焦げになって倒れている仲間が、か細い声で呻き声をあげるのを耳に入れて青褪める。この人たちはまだ死んでいない。服は燃えて、体に残り火が燻っているにもかかわらず生きている。
人間はそんなに簡単に死なないんだと、立花は倒れている仲間を見て思う。仲間は助けなくちゃと焦り、カメレオンの魔物をまずは倒さないとならないと、気を取り直す。
「何が起こったかはわからないけど、魔物を倒さなくちゃ!」
拾った自動小銃を構え直し、カメレオンの魔物に向けて引き金を引く。だが、激しい銃撃を喰らわせても、やはり銃弾はカメレオンの身体を素通りしてしまう。
バカでかいカメレオンはこちらに気づき、身体の向きを変えて向き直る。
「なんで銃弾が効かないんだ! この化け物め!」
涙目になって引き金を引き続けながら叫ぶ。早く倒れている仲間たちを助けないといけないのに、カメレオンへ銃弾が効かない。生き残りの仲間たちも銃弾を他のカメレオンに浴びせているが、同様に身体を透過していっていた。
マガジンの弾丸が空になり、混乱気味になっている立花はリロードすることも忘れて引き金を引き、カチカチと虚しい音を立てる。
カメレオンは人間の武器が効かないと理解しているのだろう。余裕の態度でゆっくりと近づいてくる。再び恐怖に襲われる立花であったが
「そいつは闘技か魔法しか効かないから下がっていなさい!」
空から少女の声が響き、立花の前になにかがトスンと降りてきた。
「え……虎とピエロ?」
目の前に降りてきたその姿を見て、立花は戸惑いの声をあげてしまう。それは漆黒の虎と、その上に跨がるピエロの格好をした少女であった。白すぎる白粉を顔に塗りたくり、片目の下には涙滴が描かれている。口元には塗りたくったかのように雑な装いの赤い唇。
「道化師と呼んでほしいですわ。ピエロよりも格好いいですし」
多少甲高い声をあげて、道化の少女は立花へとニコリと微笑む。なぜピエロがこんな所にと疑問に思うが、道化少女はそんな立花を気にすることはなく、手を広げると、パッと手品でも魅せるかのように、細長いナイフを取り出す。
『ジャグリングナイフ』
取り出した一本のナイフをお手玉する少女。手の中を行き来していくとナイフはその数をどんどんと増やしていき、たちまち数十本にまで増えると少女はカメレオンに投擲した。
細長い針のようなナイフは城壁の通路にいるカメレオンたちに向かって飛んでいく。カメレオンはナイフを脅威と感じたのか、床を蹴って躱そうとする。が、不思議なことに直線で飛んでいたナイフは、カメレオンを追尾するようにその軌道を変えて、突き刺さった。
「ギィィ」
ナイフなんかより、断然速く強力なはずの銃弾は通過したのに、少女の投擲したナイフによってカメレオンは傷つき、緑色の血を流して苦痛の声をあげる。
「たぁっ!」
道化師姿の少女は次々に不思議と尽きることのないナイフを投擲していき、兵士たちを襲うカメレオンたちに命中させていく。
「す、凄い!」
見かけとは違い、道化の少女は強いと立花は驚く。銃弾が効かない相手に着実にダメージを与えている。
「わたくしの『道化師』のレべルは4。ステータスもレベル4まではカンストしておりますの。Cランクの虹トカゲに負けはしませんわ」
自信たっぷりの言葉を紡ぎ、少女は得意げな表情となる。
「レイとメイドがポーションを10数本無理矢理一気飲みさせてきましたからね! わたくし、しばらく気持ち悪かったですわ!」
少し怒った顔で道化師の格好をしている少女は言い放ち、カメレオン、いや虹トカゲとかいう魔物たちと1人で互角に戦う。見かけと違って、凄く強い。
「凄い! 凄いよ!」
その戦いぶりに感動して、拳を握りしめて、目を輝かせて称賛する。
「あの虎凄く強い!」
漆黒の虎が強いと。
少女は互角の力を見せていたが、漆黒の虎は瞬きする間に虹トカゲへと間合いを詰めて、凶悪に光る爪の一撃であっさりと切り裂いていた。強すぎる虎だと、感激する立花である。
「助けてもらって失礼な子供ですわね。まぁ、否定はしませんけど」
「あ、ごめんなさい」
手の中でナイフを弄びながら、少女は不満そうにぷくっと頬を膨らませて立花を見てくるので、慌てて頭を下げる。たしかにそうだ。あの虎はきっと少女の使役している獣に違いない。命を助けてもらったのに失礼な態度だった。
「良いのです。あの方は道化の騎士団団長、平コノハ。英雄たちを率いる英雄の中の英雄ですので、これぐらいでは機嫌を損ねません」
また、空から漆黒の虎に乗って人が降り立った。なぜかメイド姿の女の人で、何を考えているのかわからない無表情な顔を見せて淡々と告げてくる。
この人は平コノハさんというのかと、道化師の少女へと視線を向けると、はぁ、とため息を吐き平静な表情に変えてきた。
「そのとおりですわ。それに先行してどうやら正解だったようですわね」
コノハさんが目を細めて、都市の外へと視線を向ける。釣られて立花も外縁へと顔を向けて、目の前に広がる光景に焦ってしまう。
「こ、こんなに魔物が! どうして!」
いつの間にか、瓦礫の山となっている廃墟に無数のトカゲが現れていて、立花は後退って悲鳴をあげてしまう。瓦礫の山は現れたトカゲの魔物に埋め尽くされており、しかも一種類ではない。
ヒキ蛙のように胴体を膨らませた5メートルはある体躯の赤黒い肌のトカゲ、ボルケーノリザード。迫撃砲のように口から溶岩弾を吐き出して、壁を越えて攻撃ができる魔物だ。
体に炎を纏わせて、歩いたあとには焦げ跡を残し、物理的攻撃が効きにくい炎のトカゲ、兵士たちが恐怖するサラマンダー。
二本足でチョロチョロと走る1メートル程度のトカゲ、噛み付かれると麻痺毒により動けなくなり、その凶悪な牙で生きながら食べられてしまう、ポイズンコンピー。
戦車砲にも耐える鋼鉄の装甲で覆われて、額に生やした3本角での突撃はコンクリートの壁をも簡単に砕く、全長10メートルの体躯を持つ恐竜と呼ばれる姿を模したアーマードトリケラトプス。
他にも様々なトカゲ系統の魔物が押し寄せてきていた。初めて目にするスタンピードの光景を見ながら、僕は震える足を押さえて、なんとか言葉を絞り出す。
「た、戦わなくちゃ。倒れている人たちも助けなきゃ。衛生兵を呼ばないと」
自分のいた隊は全滅して、黒焦げになって倒れている。なにをすればよいか考えて、自分のできることをしようと動こうとする。まずは黒焦げでも生きている人たちを助けないといけない。もう手遅れかも知れないが、さっきまでは普通に話していたのだ。
『範囲高位治癒』
よろめきながら歩き出そうとすると、美しい女性の声が福音のように聞こえてきて、純白の巨大な魔法陣が宙に描かれた。純白の粒子が降り注ぎ、倒れている人々を包む。
パアッと倒れている人々が光ると、みるみるうちに焦げた皮膚が剥がれ落ちて、健康な皮膚が現れた。黒焦げになっていた人たちは起き上がり、不思議そうに身体をペタペタと触ると喜びの笑顔になる。
「治った! 治ったぞ!」
「信じられない!」
「死んだかと思ったのに!」
ざわざわと喜びの声をあげる人たち。僕も死ぬのを待つだけだと考えていたので、目を見開いて驚いてしまう。
「死者はほとんど出なかったようですが、もう少し早く到着できれば良かったです」
やはり空から漆黒の虎に乗って、優しそうな美女が降りてきた。だけどその顔は憂いを帯びていて、助けられなかった人を見て悔やんでいるようだった。
たしかに治らずに黒焦げで倒れたままの人たちもいる。たぶん今の魔法を受ける前に息を引き取った人だ。
「助けられた人たちがいたんですよ。大したものですぜ、結城さん!」
またも空から漆黒の虎に乗って、ガチガチの全身鎧を着た大柄な男の人が降りてくる。
「ありがとうございます、大木君さん」
「このパーフェクト本多忠勝が結城さんをお守りするので、ガンガン治癒魔法を使ってくれていいですぜ!」
僅かに影を残し、ふんわりとした笑みを見せる結城さん?に、パーフェクト?本多忠勝大木君さんが分厚そうな鎧の胸を叩いている。鎧の男の人、名前が長すぎる。
治癒魔法。初めて見たけど凄い威力だ。前に見たポーションでの治癒も驚いたけど、それとはレベルが違った。
「さぁ、皆さんは後ろに下がってください。少し見られない姿ですし。ここは私たちが敵を防ぎます」
平コノハさんが声をあげると、治った人たちは服までは治っていないことに気づいて、顔を真っ赤にして街へと向かって走り出す。毛布とか身体を隠す物なんかないんだ。ごめんなさい。
そうして、空から次々と漆黒の虎に乗った人たちが降りてくる。どこから現れるのかと空を見上げて、言葉を失う。
「カァ」
鴉が鳴き声をあげて空を飛んでいた。ただ大きさが鴉ではなかった。100メートルはある巨大な鴉だった。毛先が半透明の水晶のように変わっており、艷やかな黒い羽を広げて悠々と飛んでいた。
あんなに巨大な鴉になぜ誰も気づかなかったのだろうと不思議に思い、それどころではないと気を取り直す。
外壁の虹トカゲは駆逐したが、他の魔物は続々と外壁へと向かってきている。
固定されている重機関銃に無事だった兵士たちが取り付き、外に配置されていた戦車が戦車砲を放ち轟音と共に瓦礫の山を走ってくる魔物を吹き飛ばす。
だが、魔物の中で突進してくるものがいた。アーマードトリケラトプスだ。その角は戦車の装甲を貫いて、ひっくり返してくる。前面からの攻撃に対して、強固な守りを見せる戦車キラーと呼ばれる魔物だ。
「バズーカを持ってこい! 側面に何人か戦車の支援に行くぞ!」
どこかの隊長が戦車に向かっていくアーマードトリケラトプスを迎撃するべく、金切り声で指示を出してくる。
「大丈夫ですわ! 我ら道化の騎士団に任せなさい!」
平コノハさんが落ち着いた声音で言って、向かってくるアーマードトリケラトプスに指を指し示す。その数は20匹近い。横一列になって砂煙をあげながら突進してくる姿は脅威そのものなのだ。戦車がアーマードトリケラトプスの突進に気づいて戦車砲を放つが、アーマードトリケラトプスはあっさりと弾き返してしまう。
「猫?」
だが、僕からは小さな粒のようにしか見えない、20匹程度の黒猫たちがいつの間にか戦車の前に整列していた。なぜあんなところに黒猫がと首を傾げて不思議に思う。
シテテと黒猫たちは走り出して、アーマードトリケラトプスへと向かっていく。
「無茶だ!」
あんなに小さな黒猫だ。アーマードトリケラトプスと比べると、アリと象だ。踏み潰されおしまいだと思って、そのようすを見ていると
アーマードトリケラトプスとぶつかったと思ったら岩にでも衝突したかのように、その巨体は黒猫に足を引っ掛けられてひっくり返る。
「にゃあにゃあ」
可愛らしい子猫の鳴き声が聞こえて、倒れたアーマードトリケラトプスに漆黒の風が通り過ぎる。
漆黒の風が通り過ぎると、アーマードトリケラトプスの胴体はぱっくりと斬られて、夥しい鮮血を噴き出し息絶えた。側面からバズーカを数発撃ち込んでも生きているタフな魔物であるのに。
子猫のような黒猫がその胴体を通り過ぎただけで簡単に息絶えた。他のアーマードトリケラトプスも同様に黒猫に襲われて倒されていった。
「へ?」
信じられないと僕は呆然と口を開く。あり得ない光景だった。何、あの黒猫?
「さぁ、防衛戦を始めますわよ! この平コノハに任せなさい!」
平コノハさんが手を振り上げて、自信満々に宣言する。
と、同時に闇の世界が発生した。
音もなく、兆候もなく、世界がいきなり目の前が真っ暗になった。光差し込まない世界が廃墟に発生した。目に入る全ての世界が暗黒に支配されていた。圧力すら感じられる暗黒だった。
心が恐怖で震え、魂が闇を畏れて、身体が動かなくなった。
時間にして10秒程度だったろうか。不安と恐怖を覚えて身体を震わせていると、不意に闇が霧散して元の世界に戻った廃墟の様子に安堵する。地獄にでもなったかと心底怖かった。
あれだけいた魔物は影も形もなかった。キラリと光るモンスターコアが財宝のように瓦礫の上に山となって日差しに照らされて輝いていた。どうやら闇により全て倒されたらしい。戦車は無事なので魔物だけ消えたみたいだ。
誰がやったかは明らかだった。腕を振り下ろした体勢の平コノハ様へと、こわごわと視線を向けて拍手する。
「す、凄いです。平コノハ様」
「救世主様、ありがとうございます」
「バンザイ、平コノハ様!」
皆もパチパチと拍手する。少しだけ恐怖が交じる拍手に、片手をあげる平コノハ様。
「お、ほほほ。ぼ、防衛戦はこれでおしまいですわね!」
なぜか引きつった顔で、平コノハ様は戦いが終わったことを宣言する。道化の騎士団団長って、あんなに強いんだと僕はめいっぱい拍手をして感激するのであった。




