251話 博多
九州地方北部、博多地区はダンジョンが発生する前は大都市であった。過去から続く海洋貿易の中心であり、中国を始めとする様々な外国と取り引きを行なっている都市博多。多くの人々が訪れる観光地としても有名な都市であった。
あった、である。すでに過去形であり、ダンジョン発生後は他の都市と同じく内街、外街、廃墟街と壁を建設して、人々は暮らしていた。
暮らしていた、だ。これもやはり過去形であった。
なぜならば都市外縁に広がっていた廃墟街は既に瓦礫の山となっていた。半壊したビルや朽ちた家屋、荒れ果てた店舗が4年前までは存在しており、東京と同じような形で人々は住み分けていたのだ。
しかし、今は瓦礫の山である。廃墟街はもはや人間の住める土地ではなく、瓦礫の隙間をチョロチョロと大ネズミが通っていき、日向ぼっこをしている真っ赤な表皮のオオトカゲの姿も見える。多くの魔物が跳梁跋扈しており、瓦礫の山の所々に広がる不自然に存在する美しく咲き乱れる花畑が、不気味な風景を見せていた。
瓦礫の山が広がる土地の間で、冬の冷たい風の中でも、その花を枯らすことなく、炎のような紋をその花弁に浮かべる朝顔のような花々。その上空は空気が陽炎のようにゆらゆらと揺れている。花畑の中心の地面はポッカリと穴が空いているのでダンジョンだとわかる。
花畑は美しく、そして冬のさなかでも暖かさを感じるのだろう。一匹の大ねずみが花を齧りとろうと花畑に足を踏み入れる。と、途端にすぐそばの花の花芯がバチリと火花を散らすと、まるで火炎放射器から放たれるかのように業火が生まれて大ねずみに向かう。
「ちゅー!」
大ねずみは慌てて逃げようとするが遅かった。炎は蛇のように不自然に動き、大ねずみへと襲いかかると、あっという間に燃やし尽くす。大ねずみは断末魔をあげて黒焦げとなり倒れ伏し、その死体に花畑からグネグネと蔦が這って絡めとると、そのまま花畑の中に引きずっていくのであった。
残るのは先程と同じくそよそよと風に煽られて、花を揺らす一見穏やかそうな花畑だけだった。
その様子を外街の外壁の上に立つ兵士がつまらなそうに眺めて、ため息を吐いた。
頑丈そうな兵士用ヘルメットを頭にかぶり、泥だらけで薄汚れて、いったいいつ洗ったのかわからない戦闘服を着込んだ兵士である。戦闘服の所々はほつれており、破れて穴が空いている箇所も見える。
「見てくださいよ、あの花畑。暖かそうですね」
コンクリート製の分厚い外壁は、その横幅は10メートル程ある。そこには同じような格好の兵士たちが疲れ切った表情で座り込んでいる。この冬の寒空、10メートルはある高さの外壁の上で。寒風に晒されながら寒さに耐えながら。
「少しだけあの花畑に入ってみるか。きっと温かいぞ〜」
座り込んでいる兵士の1人が顔を上げて、疲れ切った顔をヘラリと笑みに変える。笑みなのだろうが、そこには希望はなく、泣いているようにも見える。
「あそこに入ったら、一瞬で燃え尽きる。簡単な自殺ができるよな」
「あ〜、天国はあるのかねぇ」
他の兵士たちもヘラヘラと笑って話に加わる。少しでも話をして、自分たちの状況を忘れたい。そのような感じを与えさせる光景であった。
「あ〜、寒い。焚き火でもつけたら駄目なのかねぇ」
「お前、この間のことを忘れたのか?」
「第6地区担当の兵士の話だろ? あれは運が悪かっただけだろ?」
「なら、1人でやれよ。俺達から離れた場所でな」
寒いと身体を縮こませて、愚痴を言う兵士たち。その中で焚き火が欲しいと言う男へと周りが非難の声をあげると、首を横に振って諦める。
沈黙が一瞬生まれると、兵士たちはまた顔を俯けてしまう。重苦しい沈黙が広がる中で、花畑を見ていた最初の兵士が躊躇いながらも再び口を開く。
「もう防壁も限界じゃないですかね? いつ支援が来ると思いますか?」
自分たちが座っている外壁を指しながら、僅かに恐怖をその声音に混ぜて。ヘルメットから覗くその顔は幼く少年のものであった。
外壁は充分に強固なものだ。横幅10メートルの鉄筋コンクリートの壁は、土の上に石をかぶせたような大昔の城壁とは違う。頑丈極まりないものであり、多少の砲撃にも耐えられるものであった。だが、その防壁は所々大きく崩れており、瓦礫の山となっている。
瓦礫の山は片付けられることもなく、その上にさらに瓦礫を積み重ねられて、バリケードとしていた。既に博多地区が余裕がないとわかる証左であった。
「立花………お前の持っているものはなんだ? それが支援だよ。もう支援はきているんだ。弾丸があるだけマシなんだよ」
「あ………そうなんだ……。これが支援だったんですか」
立花と呼ばれた少年はしょんぼりとして、自身の持つ自動小銃を見る。いつ整備したかも思い出せない。今度整備しないといけないとは思うが、そんな余裕はない。勤務時間が終われば寒さで冷えた身体を抱えて、コッペパンとじゃが芋のスープを食べて、疲れ切った身体でベッドに倒れ込み、泥のように眠るだけだ。
自動小銃が支援物資だったのかと納得する。この武器がなければ、魔物を倒すことは不可能だ。だが、他の支援はと尋ねようとしてパクパクと口を動かして、結局閉じる。
今は博多内街の兵士も加わっている。博多内街自体ももはや限界なのだ。
なにしろ博多廃墟街は滅び、博多外街どころか博多内街にも今や被害が出ているのだから。
「あ〜、早く勤務時間終わらねぇかな。もう寒くって限界だぜ」
舌打ちをして苛立ちながら立ち上がる兵士。立花よりも少しだけ年上の男だ。髪の毛が斑に茶色であり、染めていた髪の色が落ちてきている。
染めていたことから、裕福な家の者なのだろうなと立花は思って見ていると、男は周りに当たり散らすように声を張り上げる。
「限界だぜ。俺はこれでも博多内街出身なんだぞ? なんでこんな所で歩哨をしなけりゃならないんだ、ちくしょうめ」
「そんな奴らは周りにいくらでもいるぞ小僧。聞いてみるが良い」
初老の男が、喚く若い男を馬鹿にするように周りへと手を振ってみせる。たしかにそのとおりだと立花も思う。なんだか、態度が偉そうな人は博多内街出身な場合が多い。たぶんプライドというものがあるんだろうなぁと思っている。
最初は元気に偉ぶっているけど、すぐにおとなしくなるんだ。魔物はお金持ちでも、貧乏人でも平等に殺すから、力を合わせないと死んじゃうんだと理解して。
この人は一昨日配備されたばかりの人だ。博多内街出身だったんだ。だけど、そんなことはもう珍しくもなんともない。
「金さえ……金さえあれば……ちくしょう。親父め、なんで俺の分の兵士代行税を支払ってくれないんだよ」
顔を恐怖の色に染めて、男は蹲る。見慣れた光景だと立花はぼんやりと見ていた。博多は度重なる戦闘により減少した兵士を補充するために徴兵し始めている。
表向きは志願者という形をとっているが、志願しない場合は対魔物特別税を支払わなければならない。別名兵士代行税。徴兵を逃れるためにはお金を積まなくてはならない。その金額は数億円と言われており、博多内街の人間でも、支払うことが難しい。この人のために家族は税を支払うことはしなかったということだ。
こういった場合に宥めるのは隊長の役目だ。初老の男が仕方ねぇなぁと、首を横に振って立ち上がり、蹲る若い男に近寄ると、肩をぽんと叩く。
「大丈夫だ、小僧。魔物の攻撃は連携もとれておらず、たまにバラバラに攻撃してくるだけ。安心しろ、簡単には死なねぇよ」
「ほ、本当か? 死なないのか? 俺は死なないのか?」
隊長の言葉を聞いて、顔を持ち上げる若い男。そこまでメンタルは弱くはなさそうだなぁと、立花はホッと胸をなでおろす。歳も近そうだし友だちになれるかもとも思う。
隊長の言うとおりだ。僕も配備された当時は魔物と毎日戦って、簡単に死んじゃうんだと絶望していたが、それは間違っていた。
一斉に魔物たちが群れを成して攻めてくるというわけではない。連携もなく散発的に攻めてくるだけだ。自動小銃があれば倒せる。壁があるし、周囲は瓦礫の山と変わっているので見通しは良い。充分な距離をとって、銃で狙えばほとんどは倒せる。
たまに強い魔物がいて、兵士たちが殺される。その繰り返しにより、兵士たちは擦り減らされているので、僕たちのような子供も配備されることになったのだが。
「あぁ、つえー敵なら戦車もヘリもある。そんな簡単には」
死なねぇよと、初老の隊長が若い男の肩をぽんと叩いて安心させるように、不器用な笑いを見せる。それがいつもの光景であったのだが。
ボヒュと音がしたと思ったら、ビシャリと何かが立花に降りかかってきた。
なんだろうと思い……立花は首を傾げる。なにかが降ってきて身体が濡れている。ツト指で触るとぬるっとした感触が返ってくる。
なぜ、隊長の上半身がないのだろう。
なぜ、指が真っ赤なのか。
立花は下半身のみとなった隊長がドサリと床に倒れるのをぼんやりと眺めていた。酷く現実感のない光景であった。
「ひ、ひぃぁぁぁ」
立ち直りそうだった若い男が真っ赤な姿と変わり、倒れた隊長から離れるためにズリズリと後退る。
「敵襲!」
すぐそばで険しい声をあげて同僚の兵士たちが自動小銃を構えて、壁際に銃口を向ける。
「て、敵?」
見張りから注意を促す声は聞こえなかったのにと、慌てて立花も自動小銃を皆が向けてる方向へと向けた。
外壁にいたのはカメレオンであった。虹色の体表を持ち、3メートル程度の体躯のカメレオンであった。
ギョロリとした大きな目玉を持ち、ゾロリと生やした小さな牙を口内から覗かせて、ヌラリ光る長い舌をちらつかせて、いつの間にかそこにカメレオンの化け物はいた。
「隊長は死亡! 以降は副隊長の俺が隊を仕切る! 目標新型魔物、撃て撃て!」
「りゃ、りょ、了解!」
鋭い声音で副隊長が指示を出す。その指示に従い、立花は慌てて引き金を引く。他の皆も険しい顔で頷き、銃弾を撃ち放つ。
タララと銃音が響き、無数の銃弾がカメレオンの魔物に向かう。周囲からも同様に銃声が響いてくる。
どうやら周りにも同じ魔物が現れたのだと立花は思いながらも、引き金を引き続ける。3メートル程度の大きさの魔物ならば簡単に倒せると考えていたのだが、カメレオンに銃弾が命中した結果を見て、目を見開き驚く。
銃弾はカメレオンにたしかに命中した。その虹色の体表に。
だが、その虹色の体表に命中したが、抵抗なく貫通して銃弾は後ろの壁に穴を開けた。ヂインと音がして砕かれた石の破片が床に落ちる。
「な、なんだこいつ? AP弾に切り替えろ!」
傷一つ与えられないことに驚愕しつつ、副隊長は指示を出す。立花は思考を停止させて、指示のままにマガジンをAP弾へと入れ替える。
『炎息吹』
「な、がぁぁ」
カメレオンは口内に炎を集めると、ゴウッと猛火を吐き出す。炎の舌は舐めるように副隊長を通り過ぎて、周りを薙ぐ。
「ヒィィ」
副隊長が枯れ木のように燃えていくのを横目で見ながら、立花は銃を投げ捨てて慌てて地に伏せる。その少し後に炎が立花の上を通り過ぎていった。
間一髪だった。見ると、周りの仲間たちは燃えて床に転がって苦しみの声をあげている。人が焼けていく臭いが鼻につき、気持ち悪さで青褪めてしまう。
が、助かったと思うのは早かった。ブレスを回避しただけであった。
「キィ」
カメレオンの魔物は炎の息吹を止めると、こちらへとノシノシと歩いてくる。
「なんだこいつ!」
恐怖で顔を引きつらせながら慌てて捨てた銃を拾おうとする立花へと、槍のような舌が飛んできた。
迫る槍のような舌を見て、立花は自分の死を目の前にするのであった。




