248話 新年会
新年会。内街では正月は忙しい。暇なのは元旦だけで、後は年始の挨拶をしに分家やら他の家門やら、それはもう様々な者たちが挨拶に来る。
いつもならば、それでも私はそこそこ暇だったのですがと、ベッドに横たわりながら、枕に顔を押し付けてグリグリと動かす。低反発枕の冷たく柔らかい感触が返ってきて、その気持ち良さに現実逃避をしようと平コノハはぼんやりと思う。
まぁ、無理なのだが。
「お嬢様。そろそろ休憩はおしまいです。崩れた顔も直さないといけませんし、そろそろ起きてください」
「そこは、崩れた化粧でしたと言い直すところではなくて? あ〜、まだ挨拶は続くの?」
うんざりとしながら、仰向けにひっくり返り、忠実なメイドへと答える。挨拶が多すぎて、化粧を直すのでと、おホホホと自身の部屋に逃げてきたのだ。が、メイドは情け容赦ない。
「ここは変装して、貴女が出てくれない? 報酬は用意しますわ」
「了解しました。当主様からも言われておりますので大丈夫です」
素直に了解と答えるメイド。その素直さに、ジト目となりコノハはメイドへと尋ねる。怪しい。怪しすぎる。
「お母様が言ったのはそれだけではないでしょう? 続きは?」
「好きな人と婚約しても構わないと。安心してください、メイドへ太っ腹な給料を支払ってくれる人を選びますので」
入れ替わりを悪用する気満々の忠義溢れるメイドだった。
「さて、化粧を直して新年会に戻りますわ。手伝ってくれる?」
ガバリと起き上がり、諦めと共に新年会へと戻ることにする。お母様がそんなに甘いはずはないとは予想していたが、読まれていたらしい。
縁談が山のように舞い込んでいるのだ。次期当主になるのではとも噂され始めているので、入り婿でも良いと言う者たちばかりだが。
自分としてはとんでもない話だ。皆は何歳だと思っているのかしら。婚約者なんて風習はとっくに廃れているのに。廃れた理由は、それぞれの家門は自身の力を信じているからである。
だが、天津ヶ原コーポレーションの存在で全てが変わった。多くの家門が没落し、新しい家門が台頭してきている。そうして不安定な情勢の中でも、御三家は勢力を拡げているのだからして。
弱体化した家門がそれぞれ、生き残るための伝手を作りたいからと、入り婿を差し出してきたのだ。平家の庇護を得るための人質とも言う。
道化の騎士団の団長。今や私兵の中では圧倒的な力を持つ道化の騎士団のトップ。平コノハへと。
厄介なことに。面倒くさいので隠れたい気分である。
「お嬢様。皺の部分をアイロンがけします」
失礼しますと、アイロンをスカートに押し付けてくるメイド。ジュゥと湯気がたち、スカートの皺がなくなる。
「もう少し躊躇いを持ってくれないかしら? 私の足を土台にされると怖いんですけど?」
「お嬢様のステータスなら、もうアイロンがけでは火傷をしないはずです」
「理性と感情は一緒の方向を向いていないんですのよ? 貴女、わたくしを敬ってます?」
乙女の柔肌を土台にスイスイとアイロンがけをするメイドに、罪悪感とかはまったくなさそうである。それどころか、鼻歌を歌って、楽しそうでもある。確かにステータス的には火傷もつけられないだろうが、怖いんですけどと、コノハは相変わらずのメイドの態度に嘆息して、アイロンがけが終わるのを待つのであった。
平家の新年会は立食パーティー形式だ。これは挨拶をしやすくするためである。畳だと、ぞろぞろと行列を作って、順番に人々が挨拶をしてくるのだが、時間の無駄ねと、平政子がバッサリと悪しき風習と断ち切って、いっぺんに挨拶が終わるようにしたからである。
この方法は単純であるが好評で、深い付き合いを求める人は上手く会話を進めていき、集団の主導権を握ろうとするし、反対におとなしくしておきたい人間は少し離れて距離を取る。
以前はこの方式はコノハにとって助かるものであり、悔しい気分に陥らせるものであった。コノハは相手にされておらず、挨拶をしてくる人間はほとんどいなかったから。
なにせ、廃墟街の人々を助けようと、内街の人間にとっては一文の価値もないことを声高に叫ぶ厄介な少女だったのだから。空気のように扱われて、いないものとして見られることも多々あった。平家の一員なので、学生とは違いあからさまではないが、それでも見下されることもあった。
だが今や先見の明がある才女とまで呼ばれている。廃墟街の人々を助けるとは、すなわち天津ヶ原コーポレーションと手を組むためのカモフラージュであり、水面下で道化の騎士団を作ろうと画策していたと噂されているからだった。
なので、砂糖に群がる蟻のように、人々はコノハへと集まってくる。面倒くさいことこの上ない。
ホールへと進んでいくと、シャンデリアがホールを照らし、テーブルには様々な料理が並んでいる、いつもの見慣れた光景が目に入る。平家の新年会に相応しい豪華で贅沢なパーティーだ。だが、1つ大きな違いがあった。
いつもは限られたパイを奪い合おうと画策する人々の様子が少し違う。
「やぁ、鉱山への投資には一口のれたかい?」
「あぁ、君のお陰だ。稼働させるまでに鉱山都市への移住者を募らなくてはいけない」
「こちらは充分な数の資材の調達準備を進めておりますぞ」
ハッハッハと、スーツ姿の男たちが談笑をしている。それ自体はおかしくないいつもの光景であるが、その口調には余裕があった。
いつもは内街の中で、どうやって金を稼ぐかと皆は考えて、飢えた狼のように相手の利益を狙っていたのだが、今年は大鉱山が見つかったことにより、その開発をと先々の採掘の権益に夢中になっていた。
「そういえば、天津ヶ原コーポレーションは鉄工所を建設し始めたとか」
「中古品を集めて、自前で機械を作ろうと準備をしているらしいですぞ」
「私は天津ヶ原コーポレーションに投資をすることに決めました。これからはあの特区は人口も大幅に増えるでしょうし、特区も拡大していくでしょうからな」
「ほぉ〜。天野社長に伝手がお有りで?」
「神代社長とは縁がありまして」
そして、天津ヶ原コーポレーションへの投資も始まっている。足りない資材を率先して譲ろうとする家門が出始めた。
この先、採掘権も数%あり、大規模な耕作地も手に入れている天津ヶ原コーポレーションの持つ特区は新たなる市場として期待されていた。少し前は存在しない幽霊と暗喩して蔑んでいたのに、調子の良いことですわと呆れてしまう。
流れに乗るために、外街は疎か内街の人々ですら天津ヶ原特区へと移住をしようとする者たちが多くなっている。
「懸命さはなくなりましたけど、やっていることは変わりなさそうね」
コノハは大勢の人々のそんな姿を見て、内心顔をしかめる。懸命さはなくなったが、それだけ金を求める人たちは多くなった。
目がギラついているのだ。日本の復興を目指して外に目を向け、希望に燃える目ではない。金と権力を手にしようと欲望に満ちた醜悪な目だ。
去年よりはマシなのかもしれないし、そうではないかもしれない。確実に言えることは変革の風が嵐になって襲い掛かってくるということだ。嵐に飲み込まれてどうなるかは誰も今はわからない。
一つ言えることは気に食わないということかしらと、微かに唇を噛みしめる。元廃墟街の人々に今頃目を向けようなどとは、調子が良すぎると思うのだ。
大勢の人々がコノハに気づいて集まってくる。
「こんにちは、平コノハ様。明けましておめでとうございます。さらに美しさに磨きがかかりましたな」
同じ年ぐらいの若い男が、にこやかに挨拶してくる。
「ありがとうございます。せっかくの新年なので、少しおしゃれに気合を入れたのです」
「今年は最終学年ですか。やはり大学に?」
私の進路を聞いてくるが、答えは知っているはず。その先の話を期待しているのは明らかだ。期待の籠もった表情を隠せない男ねと、コノハはこの男を見ながら思い出す。たしか道化、道化と馬鹿にしてきたクラスメイトの兄だ。弟とは関係はないとばかりの態度に少し呆れてしまう。
「ええ。ただ仕事も疎かにはできませんので、注意しませんと」
「やはり両立は難しいでしょう。コノハ様はこの先日本の未来を背負う方。そのためにも学業に専念することも必要かと。私は非才な身でありますが、お声をかけていただければ、すぐにご助力をいたします」
わかっております、そのご苦労はと言わんばかりに深く頷く男。コノハのためを思って提案していますといった演技が極めて嘘くさい。嘘だろうし。
ここで、考えておきますとか、検討しますといった玉虫色の答えは無しだ。そんな答えをしたら、この男は周りにまるで事実のように吹聴するに違いない。内街は油断ならない都市であり、平家の新年会に来る者たちは魔物よりも酷い人間たちなのだから。
「私の仲間は優秀な人材が多数おりますので、お手を煩わすことはありませんわ。おホホホ」
というわけで、ざっくりと話を切る。相手も予想はしていたのだろう。にこやかな笑みは崩さない。他のアプローチをするつもりなのだろう。口を開こうとして
「優秀な人材が道化の騎士団には多い。たしかにそのとおりだな。さすがは団長様だ。よくわかっていらっしゃる」
まるで体を斬られたような感覚を与えてくる重々しい声に身体が一瞬硬直する。見れば周りの人々も身体を強張らせていた。
このような威圧を与えてくる人は誰かしらと振り向き、予想していなかった人が立っていたので言葉を失う。
そこには台風の目となっている話題の男。天野防人がシワ一つないスーツ姿で立っていた。ナイフのように鋭い目つきの男は今しがた来たのだろう。天野防人の片腕にそっと手を添えて微笑むアルビノの美少女、神代セリカもいる。振り袖がよく似合っていた。
コノハを囲んでいた人々は顔を強張らせて、二人から離れる。スキルなどによる威圧されるような力は感じない。狡猾そうな男に見えるが、ただそれだけなはずなのに、なぜか緊張して畏れを覚えてしまう。素の威圧感を、カリスマを持っている男なのだ。
本能が危険だと叫んでいるのだろうか。まるでお伽噺の魔王のようだと思ってしまう。魔王と悪に堕ちた姫様といった感じだ。
魔王と悪堕ちした姫といった二人に、逆らい難い悪の魅力ともいうものなのだろうか、思わず注視して見惚れてしまうが、ハッと気を取り直す。
予想外の人間が招待に訪れている。たしかに招待状は出しているが、レイは来るかもしれないとは思っていたが、天野防人が招待に乗るなどとは考えてもいなかった。
「天野防人様、神代セリカ様。明けましておめでとうございます。歓迎いたしますわ」
顔が引きつらないように気をつけながら挨拶をする。お母様たちはどこかしらと、助けを求めるが、母も兄も姉も離れた場所で談笑している。絶対に気づいているはずなので、様子を見るための餌にされたようだと、むぅと僅かに頬を膨らませる。
「明けましておめでとうございます、平コノハさん。先程、政子さんには挨拶をしたが、やはり道化の騎士団の団長様にも挨拶をしておかないと、と思いまして」
「それはありがとうございます。団長としての責務を今年も粉骨砕身の精神で頑張るつもりですわ」
「それは期待できますな。副団長のレイもコノハさんには信頼を寄せているようですしね」
フッと、ニヒルに笑う天野防人。なにが目的か聞かなくてはと、内心で気合を入れるコノハであった。




