246話 北海道
ダンジョンの侵攻に敗れて、魔物の跳梁跋扈を許すことになった日本……。多くの街がダンジョン発生から始まり、溢れ出た魔物によるスタンピードを受けて崩壊し滅び、大勢の人間が死んでいった。
だが、東京を始めとする大都市は街を囲む壁を建設。なんとか魔物からの攻勢を防ぎ、日本に住む人類は辛うじて命脈を保っていた。
生き残っていた街の中には北海道もある。函館である。大都市であるのと、近辺の自衛隊が函館に合流したことにより、北海道全体から見るとクッキーの欠片のような小さき領土を壁を囲んで守っている。
しかし北海道の土地のほとんどは放置されており、誰も人間の住まない場所へと変わっていた。
………先日までは。
北海道の中でも神が住むと呼ばれる小島が湖内にある土地。そこには観光用のかつての展望台を含む建設物が残っている。とはいえ、人がいなくなりダンジョンがそのそばに生まれたために、放棄された10数年の間に、急速に自然の侵攻を受けて建物は緑で覆われていた。
真っ黒に汚れてもはや窓ガラスとはわからない物には蔦がびっしりと張り付き、かつては土産物屋として多くの観光客を迎え入れていた建物内は、棚はコンクリートが砕けて、大地から生えた木々に押しやられて苔に覆われており、洞窟のようにしか見えない。
コンクリートの壁が辛うじて、昔は人工物であったと、考古学者が語るであろう。繁茂する植物により、その地は自然へと還ろうとしていた。
このまま放置されて、後10年経てば、跡形もなく消えたであろう建物であったのだが、今はかつての姿を取り戻し始めていた。
1月に入ったばかりの北海道は数メートルは雪が降り積もり、作業などできる環境ではあり得ないはずなのに、その地は雪の残骸もなく、春のような陽気だ。少し離れた場所は一面の雪模様なので、どれほどこの区域が異質であるかわかるであろう。
異様なる環境にて、黙々と無言で活動する集団が建物内を掃除している。他者が見たら異様に思えるだろう光景だ。なにしろ、建物を覆う植物を駆除している人たちは能面のようにその表情をピクリとも変えることなく働いているのだから。
能面のような表情の男たちは、棚を埋め尽くし繁茂する苔へと手を翳す。
『生命吸収』
男たちは魔法を発動する。その手がマナの光を放つと、オーラのようなものが吸い出されて、灰色になり苔は崩れ去る。コンクリートの床を砕いて生える木々も、壁にびっしりと張り付く蔦も同様の魔法で駆除をしていった。
跡に残った残骸を、麻袋に放り入れると、外に出て撒いて捨てる。先程から、その繰り返しの作業を延々と行なっており、観光用の施設はみるみるうちに、以前の姿を取り戻していた。とはいえ、荒廃してはいるが。
「素晴らしいものだ。これがダンジョン技術の成果なのですかな?」
建物の外、少し離れた場所に男たちが立って、黙々と仕事をする者たちを眺めていた。その中で人当たりの良さそうな優しい目つきをした、ふくよかな中年の男がその光景を見ながら隣の男へと尋ねる。
「そうなんだ。ダンジョン技術というか、おっさんたちが頑張って作り上げた技術の成果だよね。少し皆を弄ったんだ」
「素晴らしいですな。いやぁ、その技術、私たちにもご教授願えればと愚考します」
ヘラヘラとよれよれのスーツを着た男が、その問いかけに答えるのを、うんうんと頷き返す。その技術を寄越せと直球で要求しながら。
「いやぁ、おっさんも教えてあげたいんだけどね? これがなかなか難しいんだ。ほら、おっさんは軍人なわけで。上からの許可がないとねぇ、織田さん」
「もちろんそうでしょうとも。それまでの間は織田家が支援しますのでご安心を。新参者とはなりますが、救国のために頑張る貴方たちの一員としてね」
人の良さそうな男、見た目はあまり有能そうには見えない男の名は織田信広。内街のナンバー4の家門である、織田家の当主である。信広は目を細めて、人の良さそうな顔つきには合わない鋭い視線をヘラヘラと笑う男へと伝える。
「オモイカネ殿、貴方たちの苦労はわかります。資金も資材もなく、食料すらなく、ここまで暮らしていたのですから」
いかにも相手のことを思いやっているかのように、しかして言外に自分の支援がなければやっていけまいと伝えながら、ニコリと顔を笑顔へと変えて信広はオモイカネを見る。
「そう言ってもらえるとありがたいですよ。おっさん、経営とか部隊を率いるのが苦手でね〜。信広さんとお知り合いになれて、本当に助かってます。いや、本当に」
ペコペコと恐縮しきりですと、ありがとうございますと下っ端サラリーマンのように頭を下げる中年のおっさん。よれよれのスーツを着込み、軽そうな笑みを浮かべる痩身の男だ。その名前はオモイカネ。神話の神の名前を男は名乗っていた。
信広は当初、神の名を名乗る傲岸不遜な男だと、コンタクトをとってきた男からその名前を聞いて予想したが、予想に反してオモイカネは腰が低かった。どこぞの予算に困る小さな研究所の所長といったところであろう。
正直拍子抜けだった。コンタクトをとってきたのは、三好家のクーデター未遂後。すぐに何者なのか見当をつけて、精神耐性を持つ護符を密かに身に着けつつ、話に乗ることにした。三好家の当主は精神を操作されていたとの情報を既に聞いていたからだ。
オモイカネの求めるところは単純明快だった。金を払うので、食料その他を密かに売ってほしい。ただそれだけであった。
「お気になさらずに。それよりも少しでも早くお仲間の方々をお呼びできればと、私も貴方の研究が成功することを祈っております」
「そこは大丈夫。すぐに検証ができますよ。地形を入れ替える2つのゲートクリスタル。その空間転移が重なるように近くに設置すると、自由に行き来できるゲートが生まれる。そこまでは完成しているから。期待していてくださいよ」
「信用しております。なにせオモイカネさんはあの空飛ぶ戦艦を稼働させることができるぐらいですからな」
ヘラヘラと笑うオモイカネを見ながら、信広は信用をしていますよと態度で表すように、にこやかに言う。借金する際の身元保証人をあっさりと引き受けるようなお人好しのふりをする信広に、オモイカネはまたもやペコペコと頭を下げて任せてくださいと胸を叩くのであった。
信広が資材と食料を融通したおかげで、修復が進む施設周りには、大量のコンテナが置かれている。密かに貿易用と名をつけて持ち出した物だ。
クレーン車もないのに、数トンはあるコンテナが辺りには積み重なっている。その中には鉄鋼を始めとする金属や様々なコンピュータ製品類、建物を作るためのセメント、そして大量の小麦粉や米、食料品が入っていた。
コンテナ1つで1億には届くだろう。そのコンテナが積み重なっており、その横に何人かの天使の翼を生やした男たちがいる。
天使たちは手を繋ぎあい、サークルを作りながら、聖歌を歌うかのように声を唱和している。
「ラ・ラ・ラララァ〜」
澄んだ綺麗な声音に合わせるように唄う天使たち。サークルの中心にマナが唱和された歌に紡がれるかのように、空中に魔法陣が描かれて、その中から新たなるコンテナがズズッと現れて地面に置かれる。
『小転移』
『唱和』
天使たちの協力魔法により増幅され、本来は小さな物しか運べないはずの『小転移』は数トンのコンテナを織田家の倉庫から次々と運び出していた。
信広も初めて見る魔法だ。最初に見たときには、目を見開いて驚愕したものだ。この魔法があれば流通が大きく変わることだろう。
………非人道的であることに目を瞑ればだが。恐らくは彼らは改造されている。どんな改造かはわからないが、人の感情を代償にする非道なものなのかは馬鹿でもわかる。
「あ、おっさんは忙しいので、そろそろ艦内に戻ります。適当にそこらの奴に帰りのタクシーは頼んでおいてよ。それじゃあね〜」
「わかりました。作戦の成功をお祈りします」
オモイカネが手を振ると、護衛だろうギリシャ彫刻のような顔つきの男があとに続く。信広の横を通り過ぎる際に、こちらをちらりと見てくるので、にこやかな笑みは崩さずに信広は見送る。男はそんな信広を見て、僅かに眉をピクリと動かすがなにも言わずに去っていった、
オモイカネが去っていき、奴が機天部隊と呼ぶ、感情を現さない連中のみになると、後ろから土を踏む足音が聞こえてくる。誰が近づいているかは、信広はわかっているので振り向くことはしない。
「父上、良いのですか? 素性もわからぬあのような奴らに加担して?」
「良い。なにしろ国連の秘密部隊だからな」
年若い娘の声は、否定的な声音を感じさせる。まぁ、当然だろうと口元を曲げて、隣に来た娘に視線を向けて答える。
「陽子。たしかにあいつらは怪しい。が、毒を以て毒を制すというだろう?」
狐人である陽子は不機嫌そうに狐耳をピクリと動かして目を細めてみせる。あからさまな態度は抗議の印だ。が、信広としては譲る気はない。
「毒……天津ヶ原コーポレーションですね。たしかにあいつらは毒ですが、薬でもあります。我らの行なっていることを知られれば他の家門に叩かれるかと」
「お前の言うことももっともだ。だが、今の内街は安定してきている。近年にない好景気が来ようとしている。いや、近年は右肩下がりで、着実に凋落していたから、ダンジョン発生以来、初かもしれぬ」
今までは手に入る資源は年々少なくなっていき、作物も段々と手には入りにくくなってきていた。内街の中でも権力者たちはこのままいけばジリ貧とは理解していた。
それでも権力争いをやめることができないのは人の業とでも言うのか。枯渇し始めたら、さらに内街を縮小させる計画もちらほらと噂になるぐらいの状況になっていた。
「人々は浮かれている。が、最近の出来事は巧妙なるかな御三家の地盤を強くしたが、天津ヶ原コーポレーションの力ももはや無視できぬ。少し弱めても良い頃合いだ」
「あの者たちをぶつけるつもりと?」
「あのオモイカネとかいう研究員。地球連邦軍とやらが残る島へのゲートを開くつもりとか。数万人はいるらしいぞ? 兵士だけでも1万人と聞いている。しかもほとんどが改造した強化人間たちとか」
機械のように働く通称エンジェルと呼ばれるロボトミー手術でも受けたかのような連中を蔑みの視線で見返す。
「非人道的な研究により、多くのスキル持ちを抱え込んでいる上に、我らを遥かに上回る未知の技術も持っている。このまま内街に受け入れるには、危険すぎるのだ。なので、多少なりとも減ってもらえれば、あとの交渉はうまく行くに違いない」
「強大になった天津ヶ原コーポレーションとぶつけるつもりと……。怪しげなあいつらの兵士も減らせて、天津ヶ原コーポレーションも痛手を受ける。なるほど、それならば吸収できるかもしれません」
「特区とコアストア解析技術、そして地球連邦軍が持つ技術も手に入れることができるかもしれない……。御三家はもとより、他の家門も犯人探しよりも、切り分けたパイを奪い合うのに懸命になると思わないか?」
そのとおりだと信広は頷く。さすがは娘である。簡単に信広の狙いを看破してきた。そのとおりである。そして特区の技術が手に入るなら誰も彼も文句は言うまい。
「だが、素直にぶつけるつもりですか? 天津ヶ原コーポレーションの防人は狡猾です。きっと矢面には立ちますまい」
陽子は防人が簡単に戦うことはないと理解している。きっと内街の部隊を前面に押し出す謀略をたてるだろうと、苦々しい顔になってしまう。防人に織田が関わっているとバレれば自分は酷い目に遭うかもしれないと、ブルリと体を震わせる。今度は首輪をかけられるかもしれない。
「わかっている。だから、改造人間を何人かオモイカネから借りる。そして、平コノハを狙わせる。さて、道化の騎士団団長を襲ってきたのは、元自分たちのいた部隊だとわかれば、レイはどう考えるかな? 対抗するべく動くかもな?」
その点は信広も考慮済みだ。天野防人は頭の良すぎる危険な男だ。だが、ライバルのレイはそこまでではなさそうだ。力で解決することを得意としているらしい。
そして、あの改造人間たちは軍の不利益になることでも、気にせずに忠実に行動するだろう。自我のない人間の弱点だ。
脱走兵狩りと思ったら、きっと道化の騎士団のレイ派閥は迎え撃つ。そこが勝負どころだ。
「この策は上手くいかせねばならぬ。きっとな。そうしなければ御三家も天津ヶ原コーポレーションも止められぬ」
信広は厳しい目つきで呟くように言うと、危機的状況を打破する作戦を練り始めるのであった。バレたときに織田家が関わっているとわかるのはまずいし、自分のスタイルとは違うが、もはや操れそうなちょうど良い家門はいない。だが、方法はある。
この勝負には負けるわけにはいかぬ。あの無能そうな研究員を上手く誘導して戦わせることにしよう。
そのための策を考えて、口元を信広は歪めるのであった。




