245話 年末
年末、そろそろ夕暮れ時に入ろうかと空がオレンジ色に変わる頃。天津ヶ原コーポレーション本社には唖然とするほど多くの人々がこの寒空の下に集まっていた。年末になり、防人が餅つきをしようとイベントを開催したからだ。
特区全てで餅つき大会は行われており、各地で大賑わいである。久しぶりの餅つきと聞き、人々は喜び勇んで集まっていた。
「よいしょぉ〜」
「ほりゃさっ」
周りの掛け声に合わせるように、杵を臼に勢いよく振り下ろし、ペタンと音を立てる大木君がいた。餅を作っているらしい。汗だくで杵を振るっており、おばさんが素早く臼に手を突っ込み餅をひっくり返す。できたての餅がすぐ隣のテーブルで丸くちぎられてお皿に乗せられている。餅が乗ったお皿を人々が受け取り、嬉しそうに頬張って、舌鼓をうっていた。
「お〜。餅なんて何年ぶりだよ!」
「本当ね、もう記憶から無くなりかけていたわ」
中年夫婦が懐かしいと、餅に醤油をつけて口に頬張り嬉しそうにする。その様子を普段着を着て防人は餅を食べながら見て頷く。それはそうだろう、俺だって久しぶりだ。餅米なんてこの10年、見たこともなかったからな。
大人の多くはまだ内街との壁ができる前は餅を食べたことがある。正月の風物詩だ。だいたいの日本人は餅を食べていただろう。
ようやく餅を食べることができる暮らしになったのだと、元廃墟街の人々は幸せそうな顔をしている。衣食足りて餅を知るってやつだ。少しは裕福になったよな。高度廃墟街成長期ってやつだ。
「なんかグネグネしてる? 変な感触」
「小さくして食べないと喉に詰まるから、気をつけるようにって言ってたよ」
「だ、だいし……で」
「ギャー! 命ちゃんが詰まらせているよ!」
「初級ポーションを飲ませると治るから飲ませて!」
子供たちの一人が早くも餅を詰まらせて苦しんでいた。新顔の一人で小柄な少女だ。どうもドジっ子らしいが大丈夫だ。なぜか多少の怪我と判断されて餅の詰まりは初級ポーションで治ってしまうので。掃除機を使わなくても、安心だ。魔法って、ここらへんが偉大だ。ダンジョンには感謝をしたくはないが、その力は認めざるを得ないぜ。
なぜ初級ポーションで治るか知っているかというと、率先して身を以て人体実験に参加してくれた植物系統の人間がいたからである。勇気ある者の名は伏せておく。「できたてってサイコーですね、兄貴!」と、俺が作った側から食いやがってとか恨んではいないぜ。
喉に詰らせた餅はあっさりとツルツルとなり胃の中に入っていくことがわかっている。餅の詰まりは僅かでも隙間が餅が詰まった食道に空けば大丈夫となる。即ち、初級ポーションの力、かすり傷を治すという理屈に当て嵌まるからではないかなぁと予測はしているが。なんにせよ、初級ポーションはお手軽に用意できるので安心だ。
「大発見! 初級ポーションを飲みながら、餅を食べると新食感なのです!」
「命ちゃんのお小遣いからポーション代は引いておくからね?」
餅を食べながら初級ポーションを飲むという馬鹿なことをし始めた少女に、華が怒るのを見て苦笑してしまう。ああいう食べ方とかって、必ず考えるお調子者っているよな。
『そうですね。私としてはマヨネーズを醤油の中に落として、そのままカツオを食べたら美味しかったという逸話は嘘だと思うんです。マヨラーがなんでもかんでもマヨネーズにつけて食べていたら、カツオが美味しかっただけだったのではないかなぁと推測します』
『カツオってマヨネーズつけたら美味いのか?』
『う〜ん、あれは食べ飽きるほどカツオを食べることが前提条件となると思うんですよね。後は外国人受けするとは思います。日本人だけだと彼は負けていましたね。個人的にはにんにく醤油がカツオには最高だと思いますし』
『その人は誰かと戦っていたのかい?』
グルメな食通の父親と戦っていたんですと、幽体の雫さんがくるくると宙を舞う。まぁ、そのなんだ、面白い食べ方をする人は多いってことだよな、たぶん。
楽しそうな空気に雫さんもご機嫌だ。俺も目の前の光景を見て嬉しく思う。わずか2年足らずで、我ながらよくここまで発展させたものだ。俺だけではなく、これは皆のお陰だ。
『随分殊勝なことですね、防人さん。年末なので、煩悩を打ち消すつもりですか? 私は高速で鐘を叩けますよ。雫名人の16連射を見せてあげましょう』
『防人の煩悩よりも先に鐘が壊れそうだね』
アチョーと腕を振るう雫さんに、新たに思念が届く。それと共に、俺の側にリムジンがドカンと横付けされた。ドカンはリムジンが壁にぶつかったものである。下手くそな運転に周りが注目する中で、運転席から猫娘が転がり出てきた。
「あだっ! このリムジン走破性を求めて馬力を上げすぎにゃんこ! 運転しにくいったらないにゃん」
「戦車並みに馬力を上げたからね。少しやりすぎかもしれない。失敗したかな?」
猫娘がにゃんにゃんと文句をつけながら、リムジンのドアを開けると、しずしずと上品な所作でセリカが出てきた。着物を着ており、このまま初詣に行くつもりの模様。
この廃墟街にはお寺はないけど。初詣って神社だっけか? お賽銭箱なんか置いたら箱ごと無くなる地域だから仕方ないが、もう10年以上初詣は行っていない。
「えへへ。どうかな、この着物? 似合ってるかなぁ?」
俺の前で着物の裾を持ち、くるりと回転するセリカ。アルビノの少女と着物という組み合わせは、意外と似合っていて美しい。
白銀のように煌めく髪をたなびかせて、幼い顔立ちを笑顔に変えて聞いてくるセリカ。着ている着物は深い蒼色に染められており、精緻な鶴が描かれて高そうだ。美術館辺りで飾られていてもおかしくない。
「胸があっても、着物って似合うのな。美しいぞ、セリカ。その着物って幾らした?」
胸の谷間が気になるが、それ以上に着物の値段が気になります。ハウマッチ?
「ふふっ。褒めながらも、金額を聞いてくるとは防人らしいね。ほんの1本だから安いものさ」
褒めてみると、セリカははにかみながら、頬を薄っすらと赤く染めて嬉しそうにする。が、俺としては1本の桁を知りたいんだが。いくらなんだ?
花梨へと視線を向けると、首を横に振って聞いてくるにゃと、その顔が語っているので100万円というわけではなさそう。もしかして……1億円か? 聞かないことにしておくぜ。
「主様よ。華麗にして天才の雪花ちゃんの和服もなかなかのものじゃ」
「おぉ、それは普通の着物か? 似合っているぞ、雪花」
同じく着物を着た雪花がいつもとは違うおとなしい所作でしゃなりしゃなりと歩いてきた。いつもの改造和服ではない。普通の着物だ。その隣にてこてこと幼女も着物を着て笑顔で俺を見てくる。よじ登ろうと手を伸ばすが、着物姿だとさすがに無理だと、雪花が押し留める。
「きものきたりゅ!」
幼女が手をあげて挨拶をしてくるので、頭を優しく撫でてやる。ふんわりとした髪の感触が返ってきて、幼女は気持ち良さそうに目を瞑るので、俺の心が癒やされるぜ。
「可愛らしいぞ、よしよし。皆で着物か?」
幼女を撫でながら尋ねると、雪花がジト目になる。
「雪花ちゃんはいつの間にか警視総監になったからの。貰った給与を全額つぎ込んだのじゃ」
「へー。警視総監って高給取りだもんな。それは良かった」
明後日の方向を眺めながら答える。うん、警視総監になって楽しそうだな。
「あたちはつくったりゅ! ていやーって『夜なべ妖精』でつくったりゅ!」
身振り手振りで手足を振って、元気よく教えてくれる幼女だが、『夜なべ妖精』ってなんだ?
「『夜なべ妖精』は靴を作りながら寝てしまった靴職人が起きたら、靴ができていたというお伽噺の能力だね。ほら、妖精が靴職人が寝ている間に、手伝うってあれさ」
セリカがさり気なく俺へと頭を突き出しながら説明をしてくる。頭を撫でろという意味だな、これは。
たしかに昔そんなお伽噺を聞いた覚えがある。なるほど、あれはたしかブラウニーだっけか? よしよしセリカ、可愛らしいぞ。
「ぬのをよーいして、あたちはおふとんでねりゅの! おきたらできていりゅの。ごはんたべたら、よいこだからねまりゅ!」
えぇ……と、幼女の説明にドン引きである。それって作ろうともしていないじゃん。オートモードか………分体がたくさん現れて、ワチャワチャと裁縫をしているのかね。便利すぎるだろ。
「俺も家事を覚えたくなってきたぜ。で、色々と材料だけテーブルに置いておくんだ」
「深夜勤務は別料金になりそうだけどね」
「それは困るな、格安でお願い申し上げるぜ」
セリカがちょこんと俺の隣に座って、膝の上には幼女が乗る。反対側に雪花が座り、花梨がいつの間にかカメラを向けてきていた。
「ハーレムな防人、はい、チーズにゃん」
「ハーレムねぇ。あまり好きじゃないな」
パシャリと写真を撮る花梨へと苦笑いで答える。ハーレムって、維持するのも面倒くさいし、俺には無理だ。見かけはハーレムに見えるか。
「写真になにか映し出されても気にすんなよ」
俺の後ろには般若がいると思うんだ。たぶん般若。
『防人さん、私は見えないふりをしても誤魔化されません。というか、あざとい、あざといですよ! 皆で着物なんて! 私の分は?』
『用意してあるさ。着付けを手伝おうか?』
『さすがはセリカちゃん! 心の友よ! 劇場版のいじめっ子モードで喜んじゃいます!』
むがーと、地団駄を踏んで怒る雫へとセリカが珍しく気を使う。それを聞いて小躍りをし始める手のひら返しマスター雫。それじゃあレイとして楽しんでくれと密かに自宅に『全機召喚』をしておく。
ハリーハリーと雫が思念で急かすので、セリカが苦笑をしてビルに入っていく。雪花も幼女も一緒についていって、俺の周りは一気に寂しくなってしまった。
「記念撮影で集まっただけだったにゃんね、残念でしたにゃんこ」
「まぁ、こんなもんだろ。後でカメラを貸してくれ、撮りたいものがあるんでな」
雫も一緒に写った写真もないとな。それに信玄たちも混ぜないと。
「それは年が明けてからにするにゃんね」
「だな。さて、俺はおっさん連中の所に行くか」
よいせと立ち上がり、伸びをする。信玄たちが居る場所はわかる。天幕の下で酒盛りをしている騒がしい集団だろ。
「あちしも行くにゃんね」
花梨もカメラを首にぶら下げて、後ろ手にしながらついてくる。天幕の下には長机とパイプ椅子が並んでおり、信玄たちが酒盛りをして騒いでいた。
「よう酒盛りじゃねえか。ヒック。なんだ早くも振られたか?」
「若い連中にはついていけないなと答えれば良いのか? だいぶ酔っているようじゃないか。俺の名前は防人だ」
俺に気づいた信玄が赤ら顔で聞いてくるので、ニヤリと笑い返してやる。酒盛りをするには、やはり気楽なおっさんたちとじゃないとな。
「親父の奴、だいぶ酒が入っていますからね。皆と共にこんな気楽に酒が飲めることが嬉しいんですよ」
どうぞと、俺に勝頼がエールの入ったコップを渡してくれる。
「昔は信玄はいっつも難しい顔をして、缶詰の数や金を数えていたからにゃ。こ〜んな顔にゃ。あちしは初めて会った時には少し引いていたにゃん」
両手で自身の目を吊り上げながら、信玄の物真似をする花梨。
「あ〜、花梨を紹介された時、そうだったな」
たしかにそうだった。信玄は常に倉庫の食料の数を数えていたもんだ。懐かしい。その時は花梨を怪しい奴とも思ったものだ。なにしろ持ってきた情報が………まぁ、いいけど。
今は書類の数は数えているかもしれないが、もう缶詰の数は数えていない。余裕ができたのだ。
昔はピリピリしながら、俺を警戒して遠巻きに見てきていた信玄の取り巻きも、俺を警戒することもなく、酒を飲んで騒いでいる。
そこにはたしかに俺のやってきた成果があった。顔見知りの連中が変わっていることから実感できる。
「来年は今年よりも良い年になるように頑張るぞ! カンパーイ!」
何度目ですかと、信玄が部下にツッコまれていたが、気にすることなくコップを信玄は掲げて、音頭をとる。
「来年も良い年にするつもりだ。乾杯」
俺は皆の幸せそうな笑みを見ながら、エールを飲み干すのであった。




