244話 クリスマス
ジングルベルと口ずさみ、風魔花梨は天津ヶ原特区を歩いていた。シャリシャリと多少溶けた雪の音を聞きながらのんびりと。道行く先の道路は薄っすらと雪で覆われて、まだ誰も踏んでいない。
都内なので、たまにしか大雪などは降りはしない。いつも薄っすらと積もるだけが多い。1月から2月はかなり積もることも多いが、今月は大丈夫そうだ。今日は雪は降っておらず空は冬に相応しく曇天の空で、僅かな人々が寒いと呟きながら、肩を縮こませて足早に歩いているのが目に入る。
更地が多くなり、新しい建物が急ピッチで建てられているとはいえ、まだまだ特区は廃墟が広がっている。焼け焦げた後を残し、瓦礫の中にある半壊したビルや、ドアが壊れて、窓ガラスもない、家の中は荒れ果てて住む人のいない家屋が多く残っている。
しかし、雪が積もっていることにより、その光景は白さで染まり、いつもよりは気が休まるので、実のところ花梨は雪が好きだ。特区のほとんどの人は雪は嫌いだと嫌悪の表情で返してくるだろうが。
何しろ雪が降れば凍死者がでる。春になれば魔物たちが死体を貪り食うなんてのは、風物詩となっている。だからこそ、廃墟街の人々は雪が大嫌いだった。自分たちが生きていたという証明すら、雪でかき消されるようで。
たまに、こういった感覚の違いから花梨は自分が恵まれていると、廃墟街の人々との隔たりがあると思ってしまう。贅沢な考えなのはわかるが、活気溢れる元廃墟街の人々の働く姿を見ると少し寂しく思ってしまうのだった。自分は決して廃墟街の人々とわかりあえない壁があるのだと。
天野防人が住む本社があるから、天野地区。別名影の内街。最近人々の間で使われる名称だ。
影ってなんだにゃと、その別名を友人から聞いた時に思ったが、日本を支配する真の支配者が住む地区だからだとか。はぁ、そうなのかとその時は口をぽかんと開けてしまった。
まぁ、防人は強いし僅か1年で広大な土地と多くの兵士を持つ特区を構えるまでに至った。御三家すらも、防人の顔色を窺わないといけないのだと、ここに住む人々は誇らしげに思っている。
楽観的な思考だが、自分たちのトップがそれだけ偉いと思いたいのだろう。気持ちはなんとなくわかる。元廃墟街の人々にとっては、誰しも悲惨な暮らしから脱却させてくれた防人が誇らしいのだ。英雄視するのは当然だろう。
花梨はというと、御三家はそこまで甘くはないと答えるつもりだ。たしかに主導権は今は防人が握っているが、御三家の力は簡単に盤上をひっくり返すことができるだろう。
まぁ、そんなことにはならないと思うが。盤上をひっくり返せば、それなりに痛い目に遭うだろうし、防人は慎重に動いている。常に敵に備えて行動しているのだ。習志野シティとの同盟も結んでいるし、俺に手を出せば大火傷するぜと、いつもアピールしている。
御三家が足並み揃えて戦うことはないし、一家が手を出せば、他の2家はここぞとばかりに大火傷した一家を助けにまわるに違いない。介抱するから、自分の屋敷に来ないかと言って。優しい微笑みの陰に狡猾なる笑みを隠して。
仲良しこよしは、権力が絡むとすぐに失われるのだ。もはや修復は不可能だろう。互いに争うのみだ。だからこそ、防人やセリカは成り上がってこられたのだが。
冬の冷たい風が道行く花梨を通り過ぎ、その寒さに身を縮めながら本社へと進む。
「ジングルベ〜ル、ジングルベ〜ル。ここじゃ、虚しいだけにゃね」
虚しく自分の鼻歌は廃墟に消えていくので、口ずさむのをやめる。ジングルベルの意味は花梨も知らない。クリスマスにはお決まりの歌らしいが。まぁ、廃墟街の子供たちの年代はクリスマスすら知らないのだから、意味がわからないだろう。
昨日は少し華をからかいすぎたかもしれない。まさか麺類だと勘違いするとは思わなかったので、ついつい嘘を教えてしまった。純たちが仕事場でクリスマスの意味を聞いてきたのも誤算だったが。華は真っ赤な顔をして怒っていた。少しだけ反省する。
周りは静かなものだ。雪はやんでおり、多少歩きにくいがそれだけだ。内街なら大勢の人々が出歩いているのに、特区はほとんど歩く者はいない。
廃墟街の人々は、身に沁みて冬の恐ろしさを知っている。寒さが体温を奪い、飢えが体力を削る。そうして、春まで見つからない眠る人と変わるわけなのだ。
だから、この寒さの中で出歩くのを忌避してしまう。暖かい家の中に閉じこもって暮らすつもりだ。それはきっと本能に近いに違いない。
自宅からここまで、内街から外街を通過してここまで歩いてきたが、外街でも内街に近い内環までは、そこそこ小金持ちが多いので、小金持ち相手の店ではジングルベルと音楽が店頭で鳴っていた。
だが、外街もバラックが多くなってくると、静かなものだ。新年のための準備をしようとおばちゃんたちが闇市で買い物をしているが、クリスマスの話など、欠片も漏れ聞こえてこなかった。付き添いの荷物持ちの子供もプレゼントを強請るわけでもなく、寒さを耐えるために忙しなく足踏みをしながら、母親の荷物持ちをしている。
きっと天津ヶ原市場も同じ感じだろう。店舗はクリスマスセールどころか、クリスマスすら知らないで普通に店を営んでいるに違いない。
こうやって歩いていると、まざまざと格差を感じてあまり良い気分ではない。だからたまには自分から近づいても良いだろうと、肩に担ぐリュックを揺する。重そうにガサガサと音を立てるリュックの中には七面鳥が入っている。10万円もしたボッタクリ値段だがたまには良いだろう。
内街出身の花梨だが、下流階級出身であり、金はあまり使わないようにしている。今は億万長者になっており、銀行員が揉み手をしながら家に何か御用はありませんかと、訪問してくるほどの立場だが、生来の貧乏性は治っていない。なので、この七面鳥を買うにはかなり勇気が必要だったのだ。
肉屋に並ぶ七面鳥を指差そうとして、隣の鶏肉に何度人差し指が向かおうとしたことか。だが、買ったのだ。勇者花梨ここに誕生とまで思っていたりもした。
「クリスマスってのを、みんなに教えてやるにゃ。防人もあちしの猫耳を触らないと約束すれば誘ってもいいにゃんね」
変わり者の友人を思い出し、にゃふふと笑う。出会った当時を思い出すと、ここまで友人として付き合ってこれたのは奇跡のようだと思う。あの頃は防人はすぐに死ぬだろうと思っていたものだ。ダンジョン狂いなんて、そんな奴らばっかりだったから。
過去の思い出を記憶から掘り返しつつ、嘆息をして立ち止まる。周りは白く染まった廃墟で、一見すると誰もいないように思えるが……。
「馬鹿な奴らってのは、いくらでもいるもんにゃしな」
『暗器』
手の中にガラスの長針を生み出し、スッと目を細めて、冷酷なる目つきへと花梨は変える。そこにはいつものお茶目な猫娘は存在しておらず、人を躊躇いなく殺せる本来の花梨がいた。
廃ビルの陰に何者かがいるのを感知していた。どうやら隠れることに慣れているようで、それなりにできる人間だと推測する。3人が隠れていることを感知して、せっかくのクリスマスなのにと小さく舌打ちをして、自然な様子に見えるように再び歩きだした。
攻撃をしてきたら、すぐに風魔花梨の名前を教えてやると思いつつ、隠れている廃ビルの側を通り過ぎようとする。
「や、やぁ〜。え〜と……コスプレか、な?」
と、廃ビルの陰から素直に姿を現して、口籠りながら片手をあげて挨拶をしてくるので面食らう。そこそこ体格の良さそうな体躯と足運びが、訓練された人間であると推測させる男3人だ。軽い口調で挨拶をしてくるので、油断させるつもりだろうかと、疑問に思ったが……すぐに霧散してしまった。
「なんだにゃん、お前ら。廃墟街で挨拶をする時は注意した方がいいにゃんね。サプライズは殺されてもおかしくないにゃよ。お前たちがサプライズを食らうことになるにゃんこ」
呆れた口調で警戒を解く。なにせ目の前の男たちは白いボンボンの付いた帽子に、目立ちまくる暖かそうなもこもこの真っ赤な服装をしているからだ。即ち、クリスマスに合わせたサンタの格好をしていた。サンタの格好で廃墟街を練り歩く馬鹿はいない。黒ずくめや鎧武者の格好で練り歩く男はいるが。
「あ〜……驚かすつもりはなかったんだよ。道に迷っちゃってほとほと困っていたんだよ。天津ヶ原本社ってのどこにあるのかな〜? なぜか俺たちの姿を見ると、皆逃げちゃうんだよね〜」
軽薄そうな口調で、真ん中の男が困った困ったと頭をかき、かぶっていたサンタ帽がずり落ちそうになる。残りの二人も白い大袋を担ぎながら不思議そうに首を傾げていた。当たり前にゃ。この廃墟街では危険を避けて、近寄る方が馬鹿と言われるだろうから。
「サンタの格好なんて、ここじゃ怪しいだけにゃん。なんでそんな格好をしているにゃんこ?」
「おっ。この格好がサンタだとわかるなんて嬉しいね〜。君の猫のコスプレも似合っているよ?」
サンタの格好だとわかったのが嬉しいのだろう。それはそうだ。この地でサンタの格好は大人しかわかるまい。そして大人は近づかない。
さらにあちしは、猫のコスプレをしてはいない。むかっときて、牙を剥くと僅かに腰を落とす。
「あちしの可愛らしい猫耳と猫の尻尾をコスプレ呼ばわりとよく言ったもんにゃね」
蹴りを叩き込んでやろうと、腰を落とし足に力を込める。廃墟街のやり方ってのを教えてあげるとしよう。
だが、男たちは花梨の危険にいち早く気づいたようだった。慌てて手を振って後ろへと下がる。どうやら勘は鋭いらしい。
「ごめんごめん。ほら、俺たちここでは新参者だからさ。同じコスプレ仲間がいて嬉しかったんだよ。これから君も本社のクリスマスパーティーに出席するつもりだろ?」
「クリスマスパーティー? なんのことにゃん? あちしは聞いていないにゃ?」
そんなパーティーがあれば、あちしの耳に入らないことなんかないはずなのにと怪訝に思い問い返すと、男たちはお互いの顔を見合わせて、不思議そうにしてみせる。嘘は言っていないようだと、真偽看破でわかるが、どういうことなのだろうか?
「俺たちが金を出し合って、クリスマスってのやってみようと思ってね。こう、パーッと楽しもうと有志で金を出し合ったんだ。決まったのは昨日」
「昨日? アホにゃね……それなら聞かなかったのもわかるにゃ」
唐突すぎる。防人はよく許可を出したなと呆れてしまう。こういう突発的な祭りなど防人は好きではなかったはずだが。
たぶん元自衛隊員たちの発案だから、許可をしたに違いない。こいつらの半分は気落ちしているらしいから、なにか発奮する方法を考えているのだろう。いつものことだ。きっと一石百鳥ぐらいの謀略を練っているのだろうと予想しようとして。相手が変なことを口にしたことに気がつく。
「お前らが自主的に金を出したにゃん?」
「あぁ。ほら、俺たちは新参者なのに、その、な。手厚く支援を受けているからな。結局全員給料貰っているし、俺たちにできることを考えたんだよ」
「あの少女には負けてられないしな」
「そうそう。俺たちがこの時代に来た理由があるかもしれないし」
気まずそうに、頬をかく男たちだが、自主的に金を出すとはなかなかできるものじゃないと、にゃふふと機嫌が良くなり花梨は微笑む。どうやらこの3人組みはお人好しらしい。
「そうか、そうか。お前らなかなか良い奴らだにゃん。いいにゃんね、あちしが案内するにゃんね。あ、あちしの名前は風魔花梨にゃ」
男の肩をバンと叩くと案内をするべく手をひらひらと振る。少しだけ機嫌が良くなって足取りが軽くなる。もしかしたら、あちしと同じ境遇の人が増えるかもしれない。
「お。俺の名は真鍋だ」
「俺は酢焼」
「二人揃ってすき焼き鍋と呼ばれていたよな。あ、俺は牛山」
「トリオですき焼き鍋にゃんね?」
からかいながら、このお人好しどもがいれば、天津ヶ原特区の人たちと感じる溝が少しだけ縮まるかもしれないと思いながら、花梨は3人を案内するのであった。
その後、クリスマスをクッキーとシェイクを配る日となぜか勘違いされたが………集められた子供たちは喜んでくれたので問題はなかっただろう。




