240話 戦果
もはや木々に葉はついておらず、涼し気なというより、寒風が吹きすさび、人々が冬籠りの準備を始めようと忙しく走り回る師走という月の意味を思い出してきた今日この頃。
天津ヶ原特区と名前を変えた天野防人が支配する関東北東部。その中でも信玄が住んでいるので信玄地区という安直な名前のついたエリア。その中にある居酒屋で大勢の人々がテーブルに置かれた料理を食べながら、酒の入ったグラスを片手に新聞を読んでいた。
元信玄の居城「風林火山」だ。単なる元大手チェーン店の居酒屋ともいう。その居酒屋の中で、酒を飲みながら人々は珍しく新聞を読んでいた。普通は酒を飲みながら、新聞は読まない。それだけ珍しいことがあったのだ。
「号外、号外だよ〜っ! ダンジョンで見つかった捕虜の引き取りが決まったよ。号外だよ〜」
ハンチング帽をかぶって、毛皮を鞣したコートを着込んだ少年が肩に新聞の束を担いで、手に持った号外を掲げて大ニュースだと売り子をしていた。珍しく面白そうな記事に、少なくない客が新聞を買っていく。
その売れっぷりに、ニコニコと笑顔が自然に浮かぶご機嫌な売り子に奥で座っていた男が声をかける。
「童、新聞を一部くれ」
「はい、毎度あり〜。500円でーす」
もはや忙しい信玄はここにはおらず、今では普通に冒険者の屯している居酒屋だ。本来の施設へと戻った居酒屋で、冒険者が手をあげると売り子はスキップでもするような足取りで近づく。
500円は少し高くないかと、冒険者が眉を顰めながら通貨を渡すと、ニカリと嬉しそうに笑って元気にお礼を言って手渡してくる。
「なんて書いてあるんだ?」
隣の大柄な男がグラスを手に、新聞を買い取った男に顔を寄せて覗き見ようとする。それに男は嫌そうな顔で手を振って突き放す。
「大木、自分で買え。金はあるであろうが?」
「いや、馬場が買えば、あとは回し読みをすればいいんじゃね?」
「そういう人が多いから、新聞が高いんだよ、大木君さん」
大柄な男、大木が頭をかいて、ウヘヘとセコいことを口にして、そのセリフを聞き咎めた新聞売りの男の子が口を尖らす。大勢の人々が買えば安くできるのにと。薄利多売はこの天津ヶ原特区では無理なのだ。皆が大木君と同じ考えなので、なかなかそんな販売方法はできない。今日は皆の懐が暖かいので別だが。
というか、大木は魔物線要塞の攻略で大金を稼いだのにもかかわらず、変なところで相変わらずせこかった。そして、新聞を買ったのは馬場である。
もう少し住人たちが裕福にならないと薄利多売は無理だろうなと、馬場は笑って新聞を読み始める。大木君が新聞を見ようと顔を伸ばしてくるのでウザいと押し退けながら。
「ほう。見ろよ、ダンジョンに囚われていた大勢の人々は天津ヶ原特区に移住することになったようだぞ」
「5000人近い軍人さんを内街は引き受けなかったのか? あと、そろそろ馬場はござるって語尾にしないか?」
「らしいぞ。そして、ござるはなしだ。お前は時代劇でござるって語尾を付けて人々が喋るのを見たことがあるか? ないであろう? それと近頃は皆の視線が辛くなってきたのだ。普通に戻そうか迷っている」
「人が多くなってきたもんな。俺の生存者スタイルはアイドルみたいに皆に人気だけど」
つまんねえのと山賊スタイルの大木君が肩をすくめて、馬場は新聞の内容を口にしながら、その決定に多少驚く。
先日のことだ。魔物線要塞を攻略していった際に砦の最奥、玉座の後ろに隠されていた隠し階段の奥にあった地下の祭壇。そこには大勢の人々が氷に覆われて封印されていた。どうやら、なにかの生贄にでも使おうとしたのか、殺されずに時間を止められて囚われていたのだ。
大体が兵士たちであり、元自衛隊員。即ち、日本が軍事クーデターにより、軍事政権になる前の兵士たちだ。
見つけた時は大騒ぎになり、悪魔とは恐ろしいものだと人々は恐怖しながらも、氷の封印が解除された際にまだ生きていたことに驚嘆した。彼らは20年の時を超えた奇跡の生存者たちとなったのだ。
「元自衛隊員であるのだから、当然内街が引き取ることになると思ったのだが」
「どうやら、軍事クーデターを起こした人たちとは付き合いにくいみたいだよ。お互いに牽制し合うから、内街には入れられないって話さ」
新聞売りの男の子が口を挟むが、その内容になるほどなと馬場は理解して、蔑むように口元を歪める。内街はいつもこうなのだ。所詮、金持ち連中は自身の保身しか考えない。クーデターを起こした自分たちを非難する大部隊に武器は渡したくないということだ。
「でも5000人の兵士たちだぜ? 言っちゃなんだが兄貴の部下にしたくはないんじゃないか?」
「たしかにそうだろうよ。だが、習志野シティに引き渡すのも怖い。あそこは軍事基地だから、自衛隊員を引き取らせるのは、社長に任せるよりも厄介だと思ったのであろうよ」
それに、防人社長に自衛隊員を引き渡しても、防人社長以上に脅威にはなるまい。一人で悪魔を殲滅できる人だ。天秤が天津ヶ原コーポレーションに傾いたのは当然とも言える。
「これからは5000人の浦島太郎が増えるということかねぇ。この世界を見てどう思うのかねぇ……」
後ろ手にしながら、椅子に寄りかかり大木が気の毒そうな目になるが、たしかにその通りだ。
「一面廃墟であるからな。家族も生き残っているかはわからない。きつい生活になるであろう」
言葉にはしないが、正直に言ってきついだろう。自分たちは通ってきた道だ。廃墟街で長年生き残ってきた。家族を無くし、昨日までいた友人がいなくなり、明日の食べ物を探しながら、魔物から身を隠し、人間同士で争いを繰り広げていた。
生き残ることを選択したのだ。自分の意思で。悲惨な運命の中でもボロボロで錆だらけの人生のレールを歩むことを決めた。
だが、生き返った者たちは違う。目覚める前は、平和な世界を守ろうと戦い続けていた人々だ。廃屋など滅多にない、綺麗で平和で食べ物にも困らず、いつ殺されるかとビクつきながら寝ることもない、安全な住居があった世界しか知らない人々だ。
「カウンセラーが必要になると思うぞ」
「酒の飲み放題かよ。うへへ、それは俺に任せておけよ。社長に予算をお願いしないといけねぇな」
ニヤケ顔で大木がよくわからないことを口にするので、馬場はなにを言っているんだと、首を傾げてしまう。が、すぐになんのことを言っているのか理解して苦笑してしまう。相変わらず愉快な思考の持ち主だ、こいつは。
こんなところが憎めないところだと、勘違いしているようなので教えてやる。
「カウンセラーは酒の貯蔵庫じゃない。それはワインセラーだ、アホウ」
「え? そうなのか? ワインセラー?」
なんだよ、飲み放題じゃないのかよと大木は肩を落として落胆して、話を聞きつけた周りの仲間たちも、飲み放題じゃないのかよと、がっかりする。
「セラーしか合ってないだろ。酒ばっかか、そなたは」
「いや、仲の良い友人にも金を使うぜ」
「豊満な体つきの友人であろうが」
貯金する性格じゃないしなと、馬場は酒を口にする。なんにせよ、5000人近くの兵士が仲間になった。あとは防人社長が上手いこと考えるのを待つが……。自分も幹部としてなにか手立てを考えねばなるまい。
酒を飲んでいる仲間を見渡す。昼間から、酒を飲んでいるだめな人間に一見思える。が、彼らは要塞戦を終えた後の休暇を楽しんでいるだけだ。大金を手にして、宴を開いている。
料理が並び、酒を飲み、しなだれかかる女性たち。昨日までいた友人が……まぁ、いるんだが。防人社長の使い魔のお陰で、魔物により大怪我をする者はいたが、死んだ者はいなかった。
だが、激戦であった。日本軍が中核を撃破して、後は残党とダンジョンのみであったが、魔物たちは恐れを知らず反撃してきた。正直、死者が天津ヶ原軍には出なかったのが不思議なぐらいだ。そのため、しばらくは戦士たちの休息となっている。
テーブルには所狭しと、大量のマッシュポテトにサラダ、おにぎり、茹でたトウモロコシ、そして秋を迎えて収穫を終えた野菜のサラダに焼いた肉。燻製肉汁に魚の干物が置かれている。純正品のエールがコップにはなみなみと注がれて溢れそうだ。
昨年まででは予想もしていなかった食べ物と酒の数々。たらふく食える状況は幸福と言っても良いだろう。
俺たちにとってはだが。
だが……だからこそ現状を教えてやることが可能かもしれない。
「歓迎会は良いかもしれないぞ、そう思わんか?」
「だよな? 俺もそう思っていたんだ」
歓迎会という言葉に反応する大木。周りも馬場の呟きに反応する。耳聡い奴らである。まぁ、俺も好きなのだが。
「社長に依頼する。派手に歓迎会をやろうと奏上しよう」
「大規模な歓迎会をするんだよな? 良い酒問屋を紹介するぞ」
「大規模な歓迎会で喜ばすのはたしかだ。宴を開いて、俺らの裕福さを見せようではないか」
たくさんの料理を並べて、大量の酒を用意して、歌を歌って音楽を奏でて踊って楽しむのだ。冬の前の祭りである。
「へへ、きっと兵士さんたち、俺たちの裕福さにびっくりするよ! こんなに食べ物があるなんて見たことないって」
この店の客はもう新聞を買いそうもないので、今日は新聞を売るのはおしまいと、売り子がちゃっかりと置いてある料理を食べながらニカリと笑う。
その無邪気そうな影を感じさせないセリフを言う少年を見て、馬場は目を細めて僅かに悲しげな光を宿す。
これがご馳走だと本当に考えているのだ。いや、馬場もご馳走だとは思っている。そこは同意するが、昔の世界を知っている兵士たちはどうであろうか? ……きっとご馳走だとは思うまい。
「俺も社長のやり方に慣れているのかもしれぬなぁ」
「どこが?」
「いや、なんでもない」
大木に素っ気なく返事をして、歓迎会の裏を考える。大勢の人々がご馳走だと浮かれてはしゃぐ様子を見て、どう思うだろうか? きっと子供たちは喜んで料理を口にして幸せそうな笑みを浮かべるだろう。未だに復興途中の街並みの中で、遠くには半壊した廃ビルや潰れた家屋が建ち並ぶなかで、その光景を目の当たりにするのだ。
否が応でも現実を知るだろう。その後に兵士たちがどう思うのかはわからない。この世界を良くしようと頑張るのか、日々の生活に自身の意思を沈めていくか、無気力に自暴自棄に暮らすのか。
「社長のように言うと、現実は世知辛い、というやつだな」
祭りで現実を教えるように画策するとはと馬場は嘆息してしまう。嫌な作戦だ。それでもなにもしないよりは、マシに違いない。
「ねぇ〜、大木君さん、わたしぃ〜燻製肉の盛り合わせ頼みた〜い」
「私もジャンペリ頼んで良い?」
「良いですぜ。ジャンジャン頼んでくれ! あと、俺って大木君が名前じゃねぇよ?」
商売女にしなだれかかられて、鼻の下を伸ばして、この世の春だなと冬なのに常に春の大木君を見て、こいつに仕事を振ってやろうと、密かに決意する馬場であった。




