24話 黒い男
花梨と防人が取り引きをする1日前の話である。
天津ヶ原コーポレーションの社員となった13歳の子供。子供たちのリーダーをしていた男の子、純は畑に植えた種芋の結果を驚きと共に眺めていた。ちなみに名字はない。というか、知らない。仲間内では名前でしか呼ばなかったので。
梅雨の合間の晴れ間である。純たちはダンジョン近くの畑に駆り出されていた。
「じゃが芋って、こんなに早くできるんですか?」
隣で畑を見ている自分たちを拾ってくれた男へと尋ねる。俺たちの保護者の防人さんだ。無精髭を擦りながら、ナイフのように鋭い目をしている男は片目を細めて、ため息を吐く。
「そんなわけ無いだろ。7日で収穫できるじゃが芋なんて聞いたことねぇよ。というか雨の中でもすくすくと育つって、ある意味怖いな、この芋。すくすくとじゃねぇな、ギュンギュンとか、そんな感じだ」
畑一面緑であった。試しに一本抜くと土の中からびっしりと大ぶりのじゃが芋が生っていた。外街とかで見るような、小さくて痩せ衰えていたじゃが芋ではない。自分の手のひらよりも大きくて食べ甲斐がありそうだ。
やはりこの生長速度は異常らしい。植えた時にしっかりと育てば良いなと思いながら、仲間たちと眺めている最中に芽が土から覗いたし。
「さて、収穫作業と行きますか。お前ら、頑張れよ〜。社長はここで応援しているからな〜」
防人さんは、のんびりとした口調で手をフラフラと振る。手伝う気はなさそーだ。ボスとはそういうものなのだろう。俺たちを守ってくれるし、食べ物もくれる。これぐらいは俺たちが頑張らないといけない。
「お前ら、頑張るぞ〜」
「うん!」
「頑張ろうね!」
「やるぞ〜」
大人たちが畑に入り、じゃが芋を収穫しようと腰を屈め始めたので、俺たちも走り出す。負けるわけにはいかない。最初の社員というやつなんだから。
純は廃墟街で産まれた。父親は分からず、母親だけだ。外街で娼婦をしていたらしいが、よく知らない。俺を産んで暫くは育ててくれた。8歳までだ。廃墟街で子供を育てるのは大変だから、奇跡的な確率だろうと、純は理解していた。外街で娼婦をして、廃墟街に戻る。外街の顔役にお願いをして娼婦をしていたらしい。
俺を産んだあとは廃墟街のちょっと腕っぷしの良い男に頼って生きていたが、廃墟街では珍しくない出来事。魔物の群れに襲われて、男共々あっさりと死んでしまい、天涯孤独となった。
それから5年。生きるために同じような年頃の仲間を集めて、外街の残飯あさりや、廃墟街でのコミュニティ同士の連絡を取り合うための手紙運びなどをしていた。
残飯あさりも縄張りがあり難しく、手紙運びは魔物の徘徊する道を隠れながらなんとか運ぶ死ぬ危険が高い仕事だ。
配給券が貰えたら御の字で、普通は黴びたカチカチのパンが報酬。そんな中を時折死んでゆく仲間たちに涙しながら、廃墟街で固定の拠点など持たずに、ゾンビのように徘徊しながら暮らしていた。
固定の拠点を作ったら、すぐに大人たちに襲撃されるし、いつも同じ場所で暮らしていたら、人攫いなどに子供は遭う。もっと酷い目にも遭う。殺されることなんて、日常茶飯事だった。
元はもっと北西の方に住んでいたのだが、移動するうちにこの地へと流れ着いた。幸運なことに。
その日は雨であったと記憶している。一番小さな歳の仲間の幼女が咳が止まらずにコホコホとずっとしてて、どこらへんにいるかもわからずに、皆でビルの中に入った。
びしょ濡れだし、身体を温めねばならないので、慌てて焚き火をするべく物を探した。
「華、服を乾かそうぜ。なにかないかな?」
いつも一緒にいる同い年の少女、華へと問いかけると、咳が止まらない小さな子供の背中を心配げに撫でていた華はコクリと頷き、燃やす物がないか皆で探した。
ドラム缶なんかなかったけど、焚き火に使うように、ちょうどよい大きさの大きめの缶を見つけたので、そこに紙くずや木の破片なんかを入れて、とっておきのライターを使って燃やす。
燃やす物を探すのも大変だけど、入ったビルはかなり大きくて、部屋もたくさんあって、結構簡単に集まった。
シーンと不気味なほどに静まり返り、欠けた案内板が壁から外れかけている。玄関ロビーには観葉植物を植えていただろう植木鉢が転がっており、埃に塗れたソファが何脚か置いてある。
「ね、純君。ここ、なにか変じゃない?」
華が周りを見ながら、咳の止まらない子供を横に寝かせて聞いてくる。
焚き火の音だけがパチパチと音をたてて、どこでも住み着いて慣れていた自分にも少し不気味に感じてしまう。
「たしかになんか不気味だよな。……もしかして魔物の住処かな?」
人ほどの大きさを持つ蜘蛛や、箱などに擬態するミミック。ゾンビやスケルトンがいる可能性は大いにある。
そおっと様子を窺うが、ゾンビなら死臭が臭う。スケルトンなら、もう襲いかかってきているし、野犬の群れもいなさそうだ。
「蜘蛛かも。廃ビルを巣にしてるでかいやつ」
噂にしか聞かないが、ビルを丸ごと一つ巣にしている蜘蛛もいるらしい。そこは真っ白な糸だらけで、壁や天井に食べられた人間の骨がオブジェのように張り付いているとか。
「次のコミュニティって、近いのかな?」
「たしか信玄コミュニティっていうのがあるらしいよ。ここはもうすこし北で危険そうな場所になるって」
皆で顔を見合わせてゴクリと息を呑み、恐怖に震える。かなり怖くなってきた。
「ねこしゃん……ケホケホ」
寝ている娘が、小さな指をビルの奥に指差す。猫? と皆で指差す方向を見ると、艷やかな黒い毛皮を持つ猫が金色の瞳でこちらを見ながら座っていた。
「本当だ、猫だ……食べられるかな?」
倒せば肉にありつけるかもと思い、自衛のために持ってきていた鉄パイプを手にして、立ち上がる。
黒猫はそんな俺の様子を見ても、まったく動じずにこちらを見ている。なにか変だ。人馴れしているのだろうか?
仲間も鉄パイプを手に身構えるが、おかしなことに逃げる様子はない。
不気味さに駆られて、倒すよりも追い払おうと大声をあげた。
「おい! ボーッとしてると食べちまうぞ! シッシッ」
ブンブンと鉄パイプを振るう。純の持っているスキルは『金属加工』。僅かに、ほんの僅かに鉄などを曲げたりして加工できる。だいたい1回で1センチ。マナが尽きるまで使えば5回、すなわち5センチ。飴細工のようにじわじわっと曲げたりできて、その力で鉄パイプの先端を鋭くしている。
だが、やはり逃げる様子はない。ますます不気味に思い、埃だらけの床を擦るように摺り足で移動して黒猫まで近づこうとして
「やめとけよな。そいつを殺しても手元には何も残らないし、何よりそいつに手を出したら敵意があると判断して殺す」
冷たい声音で俺たちに声をかけながら、廊下の奥から男がやってきていた。黒いコートを着込んだ死神のような男だと、純はその姿を初めて見て思った。
「どうやら、ここが誰の家か知らないで入ったか。ったく、看板でも作るべきかね?」
無防備に近づく男は自信が垣間見える。子供とはいえ、俺たちはナイフもあるし、先端を尖らせた鉄パイプも持っているのに、気にしている様子はない。
それだけ強い男なのだろう。
「あの、すみません。雨宿りで入ってしまいまして。すぐに出ます!」
華が頭を下げて謝る。やはり危険な男だと思ったのだろう。雨が止むまでとか、お願いはしない。こんなところを縄張りにしている男だ。機嫌を損ねれば問答無用で殺されるかもしれない。
男は俺たちのことをジロジロと見て、ため息を吐いた。
「あぁ……。面倒くさいな、この一階なら問題はない。火事に気をつけろよ。ボヤなんて起こしたら、叩き出すからな。知らないで入ってきたなら、仕方ない」
手をひらひらと振って、つまらなそうに鼻を鳴らし、男は立ち去ろうとする。
案外あっさりと帰っていくことに安心した俺達は息をつこうとするが
「ねこしゃーん。ケホケホ」
寝ている娘が猫など珍しいと、声をあげて手を振り、また咳をした。そのか細い声に男はピタリと足を止めて振り返ってきた。僅かに目を細めて見てくる。寝ている娘の存在に初めて気づいたようだった。
「……そんな小さな子供も連れて生きているとは、お前らなかなか頭が良いか、腕が良いのか? それとも面白いスキル持ちか?」
興味を持ったようで、俺たちの所にまた戻ってきて、問い詰めるように尋ねてくるので、驚いて反射的に身構えようとして
「う、動けない?」
ギシリと身体が固まり動くことができないことに気づく。見ると仲間たちも動けないようで、恐怖で顔を引きつらせていた。
「あ、あの、私たち、それぞれ簡単なスキル持ちなんです! 本当にたいしたものじゃなくて、ようやく生きていける程度なんです!」
必死な様子を華が見せて叫ぶ。俺たちはスキルレベルゼロだけど、それらを活用して生きてきた。知られても、有用と思われるほどではないが、ぎりぎりの生活を送る程度はできる。
「ほう……そこの具合の悪そうな幼女はどんなスキルだ?」
「わ、わかりません。えと、でも、俺は『金属加工』。華は『植物知識』、それにあいつらは『裁縫』、『浄化』、『糸加工』なんだ!」
隠そうと一瞬思ったがやめた。正直に言う方が生き残れるかもと思ったんだ。スキル名は凄いけど、実際は一センチ程度の糸を布にできたり、糸にしたり。飴玉程度の泥水を綺麗にしたりする程度のスキルだ。華の『植物知識』により、毒の可能性がない草がわかるのが、俺の次に役立つスキルだった。
「全員スキル持ちとは珍しいな。おい、これを飲むか? 試してみたいと思ったんだ」
懐から小さな小瓶を取り出すと、咳をしている娘に飲ませようとする。中身は血のように赤色をして危なそうな感じがするが、躊躇いなく仲間の娘はコクコクと飲んでしまった。
毒だったらと、青ざめる俺たちだったが
「あみゃーい!」
嬉しそうに目を輝かせて、口元を袖で拭くと咳も止まったように元気に立ち上がって、そしてよろりとよろけて男の足を掴んだ。
「ありあと〜」
「どういたしまして。仲間がろくなスキルを持っていないのに生き残り、新しいアイテムのテストをしようと考えていた俺に出会うとは、お前、なかなかの『幸運』持ちだな。前にも同じスキル持ちには会ったことがあるが、そいつはすぐに破滅したから気をつけるんだな。過信はしないように。じゃあな」
仲間の頭をゴシゴシと撫でると男は去っていった。あっさりと消えていき、俺たちはまた動けるようになった。
カツンカツンと足音を響かせて男はビルの奥へと姿を消して、あとには欠伸をして眠りこむ黒猫と、ざぁざぁと本降りになってきた雨の音が聞こえるだけだった。