235話 悪魔将
悪魔将の1人、アスタロトは周囲を見渡し、待機している部下たちを鼓舞していた。
「良いか? 何が起こったかは不明だが、我らの生まれたダンジョンがこの砦と融合した。いや、以前よりも質の良いダンジョンだ。これにより我らの戦力は一気に増大した!」
嗄れた老人の声音でアスタロトは叫びながら、頭では冷静に何が起こったかを考えていた。悪魔である自分たちは極めて強大な力を持ち、普通の人間などは相手にならない強さを誇る。一人で1万人殺せと言われれば、容易く殺せるだろう。それが一般人であれば。
しかし、その1万人が武装した集団であるならば、戦車や戦闘機、無反動砲を持つ人間と戦うならば100人殺せれば良い方だ。それだけ人間は強い。自分の力を過小評価するつもりはないが、人類との差は歴然としていた。
そして、理解もしていた。自分たちは、ただ人間の数を減らすためだけの捨て石にすぎないと。ダンジョンの意思が伝えてきている。
人間を殺せと。
人類を滅ぼせではない。
ダンジョンにとっては、人類を減らすために、無数に持っている鉄砲玉の一つにしかすぎないのだ。
悪魔たちは皆そのことを理解していた。そして、アスタロトたちはその運命を享受するほど素直でもなかったために、要塞を築き、人類に勝利できるほどの戦力を集めていたのだが、人類の攻撃を受けて、その計画も霧散してしまった。
アスタロトたちは悪魔であるが、悪魔ではない。伝説の悪魔のようになんでもできる、欲深い人間の願いを叶えて、魂を代価に貰うような、万能の力などは持たない。
自我はあれど、ゲーム的なスキルとステータスを持つだけの、限界がある存在だ。ここに来て、もはやこれまでと、ダンジョンの悪意ある指示に、哀しいかな従うことに決めて最後に玉砕せんと、人間の軍を待ち構えていたのだが……。
「いったいなにが起こったのだ?」
上級悪魔たちが意気軒昂と叫びながら広間で整列し陣を構えているのを見ながら考える。ダンジョンから一度出れば魔物はある程度自由になる。その代わりにダンジョンの魔物から敵認定される。それが悪魔が数を増やせない理由であった。
一つのダンジョンから、新たなる悪魔が溢れ出ることを待つだけなので、数は揃わずに20年経過しても、微々たる軍勢であったのに、なぜかダンジョンが融合。意志のある元からの仲間である上級悪魔たちは、ダンジョン内の悪魔たちを使役することができるようになったのだ。
惜しむらくは悪魔将が一人もいなかったことだが問題はない。10倍以上の数の上級悪魔を揃えることができたのだから。
「考えるのは後で良いのでは?」
蝿の王ベルゼブブが王笏を持ち、こちらへと複眼を向けてくる。3メートルほどの背丈の巨大な蝿の王は不気味に口吻をヒクヒクと動かす。
「さようさよう。これならば、迫る軍勢を蹴散らすこと可能なり」
ミノタウロスの毛むくじゃらの牛のような胴体と人の頭を持つベリアルが、血塗られたハルバードを手ににやりと嗤う。ふたりの言葉に、アスタロトは皺だらけの顔をしかめさせて、ますますしわくちゃの顔にしながら渋々と頷く。
「たしかにそのとおりだ。これだけの軍勢ならば、多少人間の軍と戦闘をしても耐えられるだろう」
悪魔将もアスタロト、ベルゼブブ、ベリアルと揃っている。負けることはあるまい。まずは初戦に勝利して、サタン様にダンジョンの掌握をしていただけば人間共へ反攻し、悪魔の世界とて作れるかもしれない。
自分たちが勝利することができると考えて、悪魔であるのに希望を持つとは皮肉なものだと苦々しく思いながら、もう一度広間を見渡す。
何本もの立派な石柱が天井を支え、石壁には本物と見間違えても無理はない精緻な悪魔のレリーフが彫られている。奥行きは広く階層の3割を使っており、多数の兵を配置できる。そうしてこの広間に総勢3000の上級悪魔が集まっているのだが、壮観の一言だ。これならば、よほどの敵が現れなければ負けることはない。他にも要所に防衛線を築いているが、ここが主力であるのだ。
そこで、ふと気づく。悪魔将の一人、アガレスがいない。
「よし。ここで敵を迎え撃つ。……様子を見にいったアガレスはまだ戻ってこないのか? いい加減戻ってきても良いのだが」
このダンジョンは罠も無数に仕掛けてある。敵は罠を警戒しながら進むので、まだまだ到着までは時間がかかるだろうが、それでもそろそろ作戦をたてなければならない。
「あやつの『運命阻害』は強力だ。万が一にも討たれることはあるまい」
「そうなのだが………それでも気になることは気になる。誰か、あいつを……来たか」
アガレスを呼び戻そうと、部下に指示を出そうとしたところ、この広間に入るための金属の大扉が僅かに開いて、その隙間からするりと貴族のような服装の悪魔が入ってきた。
堂々たる足取りで近寄ってくる悪魔はアガレスである。毛のない鼠の頭を持つ悪魔はしかめ面のまま、こちらへと歩いてくる。
「アガレス。侵入者は倒したか?」
ベリアルが問うと、部屋の中央でピタリと立ち止まる。そうして顔を俯けてぼそぼそと呟くので、ベリアルが怪訝に思いながら近づく。
と、バッと顔をあげて、アガレスは近寄ってきたベリアルへとその鼠の顔を向けて告げてくる。
「悪魔にしては素直だな」
酷薄な笑みと共に、アガレスの身体は黒く染まりドロリと溶けていく。
「ぬっ! ベリアル離れろ! そやつアガレスではない!」
『闇帝大爆発』
アスタロトが叫んだときには既に遅く、アガレスの偽物は黒くその身体を染めたかと思うと、体を風船のように膨らませて大爆発を起こした。
漆黒の爆炎が辺りに広がり、炎と共に水晶のように輝く糸が乱舞する。偽アガレスの中には切れ味が異様に鋭い糸が仕込まれていた。障壁を張ろうにもいつの間にか妨害されており展開は不可能で、悪魔たちは炎に包まれながら、爆風で乱舞する輝く水晶の糸により切り裂かれていった。
阿鼻叫喚の地獄絵図となり、肉片が血溜まりに山と積み重なり、死臭があたりを覆う。
『核闇帝糸』
細く開く扉から追撃と、爆発した際に乱舞した糸と同じ水晶のような輝きを持つ糸が侵入してきて、混乱する悪魔たちを切り裂いていく。
「にゃん」
「みゃー」
「にゃにゃ」
そうして、追撃に小さな黒猫たちが、てしてしと入り込んでくる。常ならば一撃で叩き潰せそうな小さな動物の群れは、矢のような速さで走ってくると、傷ついている上級悪魔を、その小さな牙で喰いちぎる。
小さな黒猫は悪魔以上に悪魔らしい、不吉にして信じられない力を持っていた。
アスタロトは舌打ちしながら、戦況を確認する。爆心地にいたベリアルは既に跡形もなく、上級悪魔たちはそのほとんどが傷ついている。
「舐めた真似を!」
ベルゼブブが足に力を込めて、翅を羽ばたかせて飛び立とうとするが、その足元の影からなにかが飛び出してくる。
『波紋剛王集破』
『波紋剛王集破』
それは戦闘服を着込んだ少女と、和服を着込んだ少女であった。ふたりはベルゼブブのこめかみに左右から挟み込むように拳を繰り出す。その拳に宿している闘気は莫大なものであり、空気がぱしぱしと音を立てている。
ベルゼブブはその一撃により障壁を無効化されて、まともにダメージを逃すこともできず喰らってしまい、闘気が振動となって体を巡り、パラパラと小さな蝿の集まりへとその身体を崩していき息絶える。
「はぁぁ、美少女の闘技、オーバーガール!」
「ボケるな、雫!」
ふたりは背をそらし、空中で後ろ回転をして地に降りる。アスタロトは瞬時に悪魔将が倒されたことに動揺しつつも、後ろへと間合いを取るために飛び退り手を翳す。
『光王砲矢』
光速のミサイルを放ち、敵を粉砕せんとする。堕天使アスタロトは聖と闇の魔法を得意とする。その中でも威力は低いが回避不能の速度重視の魔法だ。
『鏡迷宮人形』
だが、光速のミサイルがふたりの少女に命中したと思った時には、その身体がパリンと硝子のように砕けたことに瞠目する。
「囮! いつの間に!」
「むふーっ。あたちの支援は完璧でりゅ」
目に見えぬ場所に何者かが隠れており、敵の姿を誤魔化されていると気づいたアスタロトは態勢を立て直そうとするが、もはやその隙は致命的であった。
「レッドモード」
幻影が消えて、少し離れた場所に現れた戦闘服を着込んだ少女が、両手両足に力を込めて呟くと、その小柄な体躯から莫大な力が噴き出る。悪魔将である自分が威圧されるほどの力は空気を振動させて砂埃を舞い上がらせる。
紅きオーラを体に纏わせて、強大な力を持つ少女。
「貴様、人ではないな!」
その膨大なマナは明らかに人の容量を超えていた。その力の出どころはダンジョンと同じ源泉を元にしていると、本能で理解して少女へと怒鳴るように問いかける。
「そうですね。私は人ではありません。妖しき精、妖精ですので」
少女はフッと凍えるような微笑みを浮かべて、無機質な瞳をアスタロトに向けてくる。この少女は危険であり、悪魔よりも不気味なる存在であるとアスタロトは悟った。その視線に怖気を感じながら、アスタロトは魔法を使う。
『光帝羽線』
背中からバサリと灰色の翼を生やすと、その羽を光り輝かせる。羽根の1本1本が光のレーザーとなって、少女へと襲いかかる。レーザーのシャワーは回避することなどできず、撃ち出された時には少女に命中しており、その体を輝線が奔った。
「レーザー。その弱点は知っているはずです」
だが、皮1枚、髪の毛1本たりとも傷つけることはできなかった。体に纏うオーラがレーザーをあっさりと霧散させていたのだ。
「レーザーは防御障壁に弱すぎます。速さばかり追求しているので、薄い闘気で防御できてしまう。天使が弱い理由の一つですね、アスタロトさん」
「うぬっ! 私と戦ったことがあるな、貴様っ!」
アスタロトが怒気を纏わせて、目の前の少女に怒鳴ると、コテンと首を傾げて、紅き少女は薄く嗤う。
「レーザー対策をしていると雑魚になるアスタロトさんですよね」
「レーザー以外にも私は魔法を扱える!」
『闇帝炎撃』
『超加速脚』
闇の炎が少女へと向かう。炎は一瞬のうちに少女を焼き尽くさんとその身体を覆うが、炎は残像を燃やして消えていった。
加速系統の闘技を使用されたと気づき、対抗魔法を使おうとし
『嵐帝剣』
いつの間にか水晶のような剣を手に、少女は既にアスタロトの背後に移動していた。嵐の一撃が身体を通り抜け、暴風により切り裂かれていた。嵐が逆巻きアスタロトは粉微塵となって吹き飛ぶのであった。
悪魔将たちがあっさりと倒されて、上級悪魔たちが混乱する。闇猫たちがその隙を狙い上級悪魔たちを噛み砕き、強化装甲服を着込むセリカが銃撃で倒していく。魔法が飛び交い、雫たちが残りを駆逐して、悪魔たちの防衛線は抵抗虚しく崩壊するのであった。
「気のせいか、雪花ちゃんたちが悪人に見えるのじゃ」
「まぁ、倒すためには手段は選べないだろ」
殲滅した悪魔たちの死骸を見ながら雪花が顔を引きつらせるが、防人的には問題はない。悪役でも勝てば良いのだの精神なので。
どう考えても数の脅威に、普通に戦ったら負ける未来しかなかったからなと、防人は肩をすくめて、戦利品を回収するのであった。
 




