232話 悪魔
魔物線要塞の深部。山林奥に、なぜか爆撃機での攻撃を受けても木々は燃えず、秋の紅葉の風景を映し出している場所があった。無数の爆弾を爆撃機が落としても空中で爆発し、戦闘機が接近しようにも、仕掛けられている魔法の機雷が空中に存在して迂闊に近づけない。
山林の合間には西洋の砦が築かれており、砦の壁には紫の肌を持つ悪魔たちが槍を持ち歩哨をしていた。
よくよく見るといくつかの洞窟を囲むように延々と壁が作られており、頑丈そうな砦が中心に存在している。ダンジョンを守るための要塞であるのだ。
砦の深部、調度品もなにもない、石造りの謁見の間。その玉座にて、背丈2メートルほどの男が目を瞑り座っていた。何もない寂しい謁見の間に似合わぬ金糸や銀糸、宝石で彩られて、精緻な刺繍が成されている豪奢な服を着込み、その上にマナ感知を使わずとも一目でマナが籠もっているとわかる青白く光る鎧を着込んでいる。
その肌は紫色であり、金属のような光沢を持ち、筋骨隆々の身体を持つ男だ。頭には捻じれた3本の角が生えており、口からは鋭そうな長い牙が覗いている。鎧のマナを超えるオーラを身体に纏っており、精神の弱い者ならそのオーラに当てられて狂ってしまうだろう。
「さて……人間たちが攻めてきたか」
ゆっくりと閉じた瞳を開き、爬虫類のような縦に割れた黄金の瞳を光らせる。謁見の間には、多くの悪魔たちが揃っており、玉座に座る者へと跪いていたが、その言葉に先頭の悪魔が頭をあげて答える。
「生半可な戦力ではありませぬ。戦車に戦闘機、爆撃機。自動小銃を持った兵多数に、高レベルスキル持ちも動員されております悪魔王サタン様」
「ふむ……勝てねーな、こりゃ」
その見かけによらず軽い口調で言うのは、悪魔王であった。立ち並ぶ悪魔を率いる悪魔の王サタン。悪魔の最高位の者だ。
だが、サタンは正確に彼我の戦力比を理解していた。現状の我が軍は上級悪魔500、下級悪魔5000程度。召喚悪魔を動員しても6000程度だ。人類の軍勢は同数程度だが、近代兵器は強い。重火力の戦車に悪魔は勝てない。
「此度の敵は撃退できるやもしれませぬぞ、サタン様」
参謀である一見したらよぼよぼの爺さんにしか思えない悪魔公爵アスタロトが楽観的なことを言うが、かぶりを振って否定する。
「俺たちが生まれていることは知らなかったはずだぜ〜? 連中も悪魔は厄介な敵だと理解しているからな。だから、そこまでの軍勢は動員していなかったはず。その隙を突くようにドッペルゲンガーとゲイザー、下級悪魔たちで奇襲を仕掛けたのに負けた。想定外だろ〜?」
軽薄な口調でのサタンの言葉に口籠るアスタロト。たしかにそのとおりなのだ。下級悪魔による奇襲、その混乱で残った魔物たちを突撃させて、撃退しようとしたのだが、なぜかあっさりと下級悪魔たちは倒された。信じられないことに。
「だいたい『運命阻害』を使って、俺らの要塞を放置しておくように、なんだかんだ理由が発生して人類は攻撃をしてくるはずがなかった。解せぬ」
「それは……。たしかに、私も同じことを考えました。あと100年は力を溜めなければ、人類との戦争は開始できなかったために、アガレスの『運命阻害』を使用して結界を張っていたはずなのですが」
悪魔将の一人、時を司るアガレスの『運命阻害』は強力なスキルだった。何か一つの運命しか阻害できないが、その運命を『魔物の要塞を攻撃する』と定めていたにもかかわらず、人類は攻めてきた。おかしな話だ。
「申し訳ありませぬ。ですが、言い訳をさせてもらえば、恐らくは人類のスキルではありませぬ。なにか他の存在が仕掛けてきました。我がスキルが破れた際になにかが聞こえてきたので、複数のなにか得体の知れぬ存在がかかわっているかと」
跪いている悪魔の一人が口を挟み、謝罪の言葉を口にするのを、サタンは鷹揚に頷き手をひらひらと振った。
「しゃあねーよ。想定外ってのはいつでも起きる。そして、今もその得体のしれない奴らは近づいてきているときたもんだ」
目を細めて手を振ると、謁見の間に外の様子が映し出された。激戦が続く山間戦闘が。
そこにはゲリラ戦を仕掛けて人類と戦っている魔物と、それを指揮する悪魔たちが見える。
オーガやオーク、コボルトたちが咆哮をあげて、突撃していくと、人類側は漆黒の虎を前に出して剣や槍を用いて援護をする。虎は普通の獣とは明らかに違い、魔物たちを軽々と爪で切り裂き、頭を噛み砕きあっさりと倒していく。
下級悪魔が戦闘をしている魔物と人類を纏めて倒そうと、火球を放とうとして
ヒュン
と、空気を切り裂き、木々を高速で縫うように飛来してきた空飛ぶダガーに頭を貫かれた。魔法のダガーなのだろう、赤く熱せられている高熱のダガーだ。その後ろから、銃口が生えているミサイルのような形のドローンが銃撃をして他の下級悪魔をその弾丸で撃ち倒す。
「こ、これは?」
サタン様が見せてくれた外の光景に、悪魔たちはどよめき戸惑う。なぜならば今の光景はおかしかったからだ。異常だからだ。悪魔だからこそわかる。
「我らの障壁が無効化されております! あれでは下級悪魔の防御は猿なみ。銃弾に耐えられるわけがありませぬ!」
身を守るはずの障壁が発生していないと気づいたのだ。障壁が発生しないとなれば、下級悪魔にとっては致命的だ。上級悪魔ならば、その肌は金属よりも硬い。容易く銃弾に耐えることができるだろうが、下級悪魔ではひとたまりもない。
「そうだ。奴らはこちらの障壁を無効化できる装備を用意してきていやがる。おかしくないか? 一人なら、対悪魔用のスキルだとわかるが……これは明らかに技術の産物だ」
再度サタンが腕を振ると、西洋鎧のようなシルエットのごつい強化装甲服を着た何者かが、その周囲にダガーやドローンを浮かせて操りながら悪魔たちを殲滅していた。
機械的な装備で以て、下級悪魔の障壁を無効化しているのは明らかであった。それは脅威であり、驚異であり、信じたくない光景だった。
「信じられん……これでは下級悪魔たちは狩られ放題です。下級悪魔たちの防衛戦が破れれば、この要塞まで敵はすぐに辿り着くことでしょう」
上級悪魔たちは、下級悪魔よりも遥かに強い。だが、圧倒的に数が少ない。人海戦術の前に倒されるのは火を見るより明らかであった。
「そのとおりだ。なので、この戦は負けだ。しょうがねぇから、最期に悪魔の力ってのを思い知らしめてやろう。お前ら、それで良いよな?」
「諦めるのはまだ早いかと。アンデッド召喚ができる者を中心に敵を迎撃しますゆえ」
アスタロトたちは未だに戦意は高く、人類に対して一矢報いようと力強い瞳を向けてくる。その様子に頬杖をつきながらサタンは軽い口調で命じる。
「訳のわからねぇ、得体の知れない奴を殺しておけば、次にダンジョンに生まれる悪魔王がなんとかしてくれるかもしれねぇな。しゃあねぇ、悪魔の王としていっちょ頑張りますか!」
「態度とセリフが合っておりませぬぞ、王よ?」
「悪魔の王らしいだろぉ〜。貯め込んだ武具を装備して全力で相手をしてやろうじゃないか。それじゃ、いってみよ〜」
パンと手を打つサタンの言葉に、悪魔たちは立ち上がり、手を挙げて声をあげる。
「やってやる!」
「アクマノチカラオモイシラセル」
「人間共に一泡吹かせてやりましょうぞ」
悪魔たちは慌ただしく謁見の間を出ていく。悪魔将たちと上級悪魔たちならば、人類の軍もかなり痛い目を見るだろうと、ガランとした謁見の間で冷ややかに嗤う。
「悪魔らしくない奴らばかりだ。余はそれを嬉しく思う」
まるで負け戦を前にした人間たちのようだ。悪魔なのに。
先程の軽薄な口調は鳴りを潜め、酷薄な表情で後ろを見る。
「で? 余らはこの戦から逃れることができるのか?」
サタンの視線の先にはちっぽけな赤黒い肉塊があった。手のひら程度の大きさの肉塊はスライムのように蠢いている。
『デキヌ…、ダガアイツトタタカウキサマノジョウホウヲキュウシュウスル。ソレハキサマガイキツヅケルコトトドウヨウ』
「あいつ……。まぁ、余の魂がどこにあるかはわからんし、お前の提案には悪いところはなさそうだ。そこで精々高みの見物をしているが良い」
唐突に現れた目の前の肉塊は、変な提案をしてきた。悪魔たちの戦闘を見せろと、ただそれだけの提案だ。対して今のサタンが持つ情報を吸収してやると、よくわからないメリットを提示してきた。
サタンにとってはデメリットはない。ひと振りで殺せそうな肉塊の言葉にサタンは乗ることにした。どうせ逃げるつもりもない。
『キサマヒトリナラニゲルコトガデキルハズダガ』
感情を感じない無機質な思念の問いかけに、フッと嗤う。こやつはなにもわかっていない。
「余は王なのだ。そこらの下賤な悪魔たちとは違う。悪魔を率いる王であり、王である以上義務と責任が伴うのだ。まぁ、肉塊にはわからぬことであろうよ」
『ソレハシゼンナカンガエナノカ?』
「自然? フッ、王という立場は人間が考えた概念だ。社会的地位であり、支配する者であり、その概念は自然などとは程遠いところだな」
『シゼンデハナイ………』
そのまま黙り込み、静かになる肉塊を見て鼻を鳴らすと、興味を失い気を取り直す。来訪する客の相手をしないとならないだろう。
「王だけが、ぽつんと謁見の間で待つのは、少々恥ずかしい」
『悪魔兵召喚』
マナを込めて手を振るとスキルを発動させる。無数の魔法陣が床に描かれて、その中から棘の生えた全身鎧を着込み、ハルバードを手に持つ禍々しいオーラを放つ悪魔兵が召喚される。
その数は30程度。まぁ、賑やかしには少し寂しいが、こんなもんだろう。
「荘厳な内装もなく、観客もいない謁見の間であるが……お客様には我慢してほしいところだ」
静かに重々しい声音で呟き、頬杖をつく。
外から爆発音が響いてきて、怒号が聞こえてくる。どうやら早くも敵が砦に到着したらしい。
「さて、悪魔王サタンの力をお見せしなくてはなるまいよ。楽しんでもらえると良いのだが」
現れるだろう訪問者を楽しみに、サタンは待ち構えるのであった。
『カンリシャケンゲンヲ………』
小さな肉塊は何かを呟いたが、誰もその呟きを聞く者はいなかった。




